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第一章

21 奇妙な距離感

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「……?」

 ヒナリは自分の太ももに男性の体温を感じるという、慣れない感触に思わず目を見開いてしまった。足が触れ合うほどにぴったりと寄ってくる、クレイグのその行動に何の意図があるのかさっぱり読めない。

「あの、クレイグ……?」

 クレイグは何も答えず、この状態が自然だと言わんばかりの無表情でティーカップに手を伸ばした。

 カップが持ち上げられないうちに、向かい側から賢者ダリオの白けた声が飛んできた。

「何その距離感。昨日までつんけんしてたくせに。童貞卒業おめでとうって感じ?」

 そのぞんざいな口調が気になったヒナリが視線を上げると、賢者ダリオが組んだ足に両手を置いた姿勢で、冷ややかな目付きでクレイグを眺めていた。

「くっ……なんたる無礼な言い草……!」

 手を止めたクレイグは歯を食いしばって言葉を噛み締めると、改めてティーカップを持ち上げて茶を口に含んだ。その横顔はすっかり赤くなっている。

「私は別につんけんしていたわけでは……」

 聞き取れない声量で独り言を言いながら、座り直してヒナリとの間に隙間を作る。

 太ももに感じていた体温が遠ざかり、ヒナリはそのぬくもりが自分にとって異質のものではないと感じていたことに気付いた。
 肌を合わせておきながら儀式のとき以外は距離を置きましょう、というのは少し寂しい気がする。

「クレイグ、私は気にしませんからご自由になさってくださいね」
「あ、ありがとうございます、ヒナリ」

 振り向いたクレイグが顔を綻ばせる。前世の自分の年齢からすると年下と思われる青年の素直な笑顔を見て、思わずきゅんとしてしまう。

 クレイグはまた、すすす……と音もなく距離を詰めてきた。気まぐれに心を開いてきた猫のような可愛さに、ヒナリは内心にやにやとせずにはいられなかった。許されるなら頭を撫で回したいくらいだった。

「じゃあ僕も隣に行こうっと♪」

 そう言って立ち上がったベルトランが、ヒナリの空いている方の隣に移動してきた。クレイグ以上に密着し、腰に手を回してくる。

「ひゃっ」

 腰をなぞる手付きが完全に儀式のときのそれで、ぞくりと肌が粟立つ。

「妬けるなあ。クレイグと随分仲良くなっちゃって。僕との熱い夜は忘れちゃったの?」

 ハープを奏でるような手付きで、尻から腰までを幾度も撫で上げる。

「わわ!? 忘れたという訳では……!」

 思い出せと言わんばかりの撫で方に、ベルトランとの儀式をまんまと思い浮かべてしまって頬が火照り出す。
 エメラルドグリーンの瞳が至近距離から情熱的な視線を送ってくる。その熱さにヒナリが固まっていると、今度はアルトゥールが朗々たる声を部屋中に響かせた。

「私は片時たりとも忘れたことはないぞ! 今でも儀式の際のヒナリの一挙手一投足、声も言葉も息遣いでさえ全て思い出せる」
「ややややめてくださいアルトゥール! そういうこと言わないで!」

 恥ずかしすぎて涙が出てくる。ヒナリが目付きを鋭くしても、アルトゥールは満面の笑みを返してくるばかりだった。



 クレイグとベルトランに挟まれ、アルトゥールが赤裸々な発言でぐいぐいと迫ってくる。逃れようもない状況にヒナリが縮こまっていると、

「賢者様がた。ヒナリ様をいじめられるようでしたら、直ちにご退出いただきますが」

 少し離れた場所で待機していたミュリエルが凛と言い放った。
 すぐさまクレイグとベルトランが姿勢を正して密着状態を解除する。

「ごめんねヒナリ。君を想う気持ちがどうしても抑えられなくてさ」

 ベルトランがヒナリの銀髪をすくい上げて、長い睫毛を伏せて恭しくキスする。

「貴様、息をするようにヒナリを口説きおって……! 羨ま、けしからんっ……!」

 反対側の隣から、クレイグの悔しげな呟きが聞こえてきた。


 一旦は離れていたクレイグとベルトランが再び体を寄せてくる。ふたりのぬくもりに儀式の光景が頭をよぎる中、ヒナリは目だけでテーブルの向こうを見た。

 賢者ダリオは目を伏せてティーカップに口を付けたあと、窓の外を見ていた。赤い瞳は何の感情も示していない。

(ダリオさん、いつも無表情で読めないんだよなあ。三人とはどうにかなったけど、次は大丈夫かな……)

 恐らく賢者ダリオとの儀式は今夜おこなわれることになる。
 ヒナリはなるべく前向きに心を保とうとしてみるも、一抹の不安を感じずにはいられなかったのだった。


    ◇◇◆◇◇


 前回までの儀式と同じく下着の上にガウンを羽織るという脱がされやすい格好をして、四人目の賢者ダリオの部屋を訪ねる。
『いつでも入ってきていい』と言い付かったというメイドたちの言葉を受けて、一応扉をノックしてから返事を待たずに部屋へと足を踏み入れる。
 賢者ダリオは寝室に居て、ベッドに腰掛けてヒナリを待っていた。

「失礼します……」

 おっかなびっくり隣に腰を下ろす。賢者ダリオは床に視線を落としたままで、ヒナリが事前に心配していた通り、儀式に乗り気じゃない様子だった。

(女性が苦手なのかな?)

 儀式をどう始めたらいいか分からずヒナリが横目で出方を窺っていると、賢者ダリオが自身のガウンと寝間着の前を開いていき、ズボンの腹の部分を自ら押し下げて、へその下の聖紋を晒した。

「君にここを触ってもらえればすぐに勃起するから、触ってもらえるかな」
「いいんですか? でも、それだと無理やりみたいな感じになってしまいませんか?」
「無理やりでも何でも、僕らは必ず儀式をしなければならないんだ」

 絞り出すような声でそう言う賢者ダリオの赤い瞳は生気がなく、自棄になっている印象を受ける。

(嫌がってるわけではないように見えるけど、どうしてこんなに苦しそうなんだろう。苦しさを感じてるなら、どうしたら和らげてあげられるのかな)




 ダリオは聖女ヒナリの不安を見て取ると、自身の態度がその要因であることに気付いた。己の心のままならなさに失望する。

「ごめん。君のことが嫌だとか、そういうわけではないんだ」

 賢者が聖女様に隠し事なんてすべきではない――そう自分に言い聞かせても、打ち明けるべき自身の【穢れ】について思い巡らすだけで、まるで石を飲み込んだかのように胃が重くなる。

 この世で最も穢れから遠い聖女と、俗世の浅ましさに穢された自分。
 恐らく今まで存在した賢者の中で、最も賢者にふさわしくないと自覚している。
 それでも聖紋は消えることなく、今の今まで賢者であり続けている。
 こんなにも穢れた身でありながらも、自身の持つ賢者の魔力を聖女に注がなければならない。
 世界を救うためだからと、こんなにも穢れた自分と交わらなければならない聖女を不憫に思う。

 聖女ヒナリは相変わらず、心配そうな面持ちをして様子を窺ってきている。
 降臨したばかりでまだ混乱のさなかにあるであろう聖女を不安にさせてしまっては、世界のために祈りを捧げてもらうどころではなくなってしまう。

 思い出したくもない記憶を掘り起こし、聖女に語り聞かせれば、汚らわしいものを見る目で見られるかも知れない。
 それでも、交わったあとになってを知られてショックを与えるよりかは、事前に告白しておいた方がまだなのだろう――。

 ダリオは意を決すると、深く息を吸い込み、できることなら誰にも話したくなかった話を切り出した。

「すまない、聞くに耐えない話をさせてもらっても、いいかな」
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