ライカンスロープ

臥丸

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第1巻

噛みつき

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「くっそっ」
 瀞は樹木の陰に腰を落とし、刀を鞘に納め、腰のポーチからチューブを取り出した。
獣人専用の治療薬だ。高い消毒と止血効果がある薄緑色の軟膏を、脚や腕の切り傷に塗る。野獣の爪が掠ったものだ。浅いが出血があるため無視はできない。
(いってぇ・・・・・・でも、まだ大丈夫だな)
 全ての傷口に軟膏を塗り、両手をズボンで拭う。
すると、鼻が不快な臭いを拾った。
(来やがった)
 瀞が立ち上がり息を潜めると、周囲の草木が揺れ、地鳴りが近づいてきた。
『ウウウウウウ・・・・・・』
 地を揺らし呻きながら、巨大なキメラが闇から現れた。容姿はキリンに近いが、四肢も首も太く、サイのような硬い皮膚で全身を包んでいる。顔は人間に似ており、頭髪は無く、大きな瞳は赤く輝いている。
 正に、怪獣だ。
 仲間の元へ向かう途中、瀞はこの怪獣に行く手を阻まれた。強大さに圧倒され逃げ出したが、怪獣は追いかけてくる。群がる野獣たちを蹴散らしながら逃げ続けており、体力はどんどん削られてゆく。しかも、仲間たちから離れる一方だ。
 怪獣が、瀞が隠れている木の近くに来た。瀞は刀の柄に手をかける。
(倒すしかないか。不意打ちなら)
 怪獣が通り過ぎるのを待つ。だが、怪獣は足を止めた。
(まずい!)
 瀞は前方に飛んだ。直後、怪獣が首を薙ぎ払い、瀞が隠れていた木を叩き折った。
『オオオオッ!!』
 怪獣が瀞に向かう。
瀞は斜面を駆け上がる。疲労とダメージで速度が落ちているが、進行方向には木々が密集していた。怪獣は木々を破壊しながら進むため、若干速度が落ちた。
(振り切れそうだけど、追跡力高いし、どうせまた追い付かれるよな。だったら!)
瀞は覚悟を決め、足を止め振り返った。森を壊しつつ怪獣が迫る。
『ブオッ!!』
 怪獣が首を振る。周囲の木をまとめてなぎ倒すが、そのせいで若干速度が落ちた。
 瀞はバックステップで躱すと、すかさず地を蹴り怪獣の側面を走りつつ刀を振るう。
 しかし、刃は骨と皮に阻まれ内臓まで達しない。
(浅いか!)
 瀞は怪獣に体を向けた。怪獣は急停止を図るも、止まれずに地面を滑っている。
(しめた!)
 瀞は怪獣へ走る。
 足を止めた今なら、肋骨の隙間を狙って刀を振り下ろし、内臓を切れる。
「うわっ!」
 怪獣は後ろ足で地面を蹴り、土砂を瀞に浴びせた。土が目に入り、瀞の前進が止まる。
(やばい!)
 後退しつつ顔の泥を拭く。視界が戻った時、既に怪獣はこちらを向いていた。
『オオオッ!』
 怪獣は、顔を前に突き出して向かってきた。逃げようとした瀞は、迎撃の体勢を取る。
(チャンスじゃないか!?)
 下段に構えた瀞は怪獣の頭部を避ける。
そして、怪獣の首へ刀を振り上げようとした。
(切り落とせなくても、頸動脈さえ切れば!)
 だが。
「ぐっ!!」
 瀞は刀を振る前に、怪獣の体当たりをくらった。
 怪獣は巨体故にサイドステップなど出来ない。だが、地を蹴り突進の軌道を斜め前に変えるくらいなら出来た。
 瀞は地面を転がり、樹木に激突した。頭を幹に打ち付けたため、脳が揺れ視界が歪む。
 そこへ、怪獣が突っ込んできた。瀞は立ち上がるも、脚が震え走れない。
『ブオッ!!』
 怪獣が首を薙ぎ払う。その一撃は、瀞に命中した。
 首のスイング方向へ飛んで威力を僅かに減らしたが、それでも威力は絶大だ。
 瀞は吹き飛び、斜面に落下して転がり、木に激突してようやく止まった。
「い・・・・・・が・・・・・・」
 全身に激痛が走り、呼吸ができず、視界が大きく揺らぐ。受けた被害は大きい。しかも、刀を落としてしまった。
(やばい、これ、本当に・・・・・・死ぬ!)
 絶望的な状況下に置かれ、脳裏に死が浮かび、恐怖で体が震えた。


 ふと、瀞は思い出した。幼いころテレビで観た、サバンナのドキュメンタリー番組を。
 雌ライオンの集団が、大人のキリンを狩る映像が流れていた。予想に反し、ライオンたちは苦戦を強いられた。キリンは長い脚で、ライオンを蹴飛ばし続けた。
 数時間後にキリンは倒れたが、ライオンたちもぼろぼろだった。顎が砕け口を閉じられなくなったライオンもいた。
 肉食獣が強いのではなく、大きい動物が強いのだと、そう思った。


(ああ、そうだ。あんなでかい奴に敵うわけねえ)
 勝てないことを痛感した瀞は、死から逃げようと痛みに耐え立ち上がる。
 その時、耳が音を拾い、ピクリと振るえた。
『ブオッフォッフォッフォッフォ・・・・・・』
 斜面を駆け下りてくる怪獣の叫び。これは、明らかに笑い声だった。
 瀞が振り返ると、斜面を駆け下りてくる怪獣がいた。
 やはり、顔は笑っていた。瀞にはそれが、歓喜ではなく嘲笑に見えた。
(あの野郎・・・・・・許せねえ!!)
 瀞の胸中は、猛烈な怒りで燃え上がった。
 脳は心身に逃走でなく抗争を命じる。痛みと恐怖は消え、戦闘の準備は整った。
 怪獣は笑いながら向かってくる。瀞は激怒しつつも、冷静に対抗策を考えた。
(落ち着け。俺は野生の動物じゃねえ。道具がある)
 瀞は腰のスタングレネードを取り、怪獣に向かって投げつけた。
 グレネードは空中で炸裂し、強烈な閃光と爆音を発した。
『グアッ!?』
 急停止した怪獣は、予想外の反撃に歯噛みしつつ、怪獣は視力と張力の回復を待つ。
『グウウウウ・・・・・・』
 数秒後、悔しさを滲ませた声を発しつつ、怪獣は目を開けた。瀞の姿はない。
 怪獣は顔を地面に向けた。先ほどまでと同様に、踏まれた草を見て瀞の後を追うために。
(今だ!)
 樹上に潜む瀞は、怪獣が下を向いたことを確認すると、音もなく飛び降りた。
「っらぁ!!」
 怪獣の背に着地すると、逆手に持ったナイフを首に突き立てた。
『オアアアアアアア!!!』
 怪獣は絶叫し飛び跳ねた。
瀞は落ちないよう怪獣の首にしがみつき、ナイフを引いて傷口を広げる。
『ガアアアアアアア!!!』
 激痛で荒れ狂う怪獣は森を走る。瀞は振動に耐え、更に傷口を広げた。
『アアッ!!』
 やがて怪獣は、体の側面を巨木にぶつけた。
首に巻き付けていた瀞の左腕が、木と怪獣に挟まれた。
「ぐあっ!!」
 瀞の左腕がだらりと下がる。骨折したらしく、動かない。
ここぞとばかりに怪獣が跳ねる。
瀞はナイフを手放し、右腕を怪獣の首に巻き付けるが、片腕ではいつか落とされる。
(まずい!落ちたら、やられる!)
 そう思った瞬間、瀞は無意識のうちに、今できる最高の攻撃を実行した。
 顔を傾け、口を大きく開き、怪獣の首に牙を立てる。
 噛みつきだ。
 鋭い牙は易々と皮膚を貫き、怪獣に肉に食い込んだ。
『ギャアアアアア!!!』
 怪獣はさらに激しく暴れ始めた。
何度も瀞を樹木に叩きつけるが、瀞は右手で後頭部を守り、顎の力だけで首にぶら下がり耐え抜く。
口内に溢れる怪獣の血を飲み込み、より力を込めて怪獣の首を噛み続けた。
怪獣は苦痛のあまり見境なく走り回る。
 いつの間にか、土砂崩れでできた急斜面の頂上付近にいた。
 暴れる怪獣は足を踏み外す。
死が怖くて怪獣は叫んだ。
 瀞は怪獣に噛みついたまま離れなかった。
 2体の獣は一体となり、斜面を転がり落ちていった。




『ブオオオオオオオオ・・・・・・』
身の毛がよだつ絶叫が空の耳に届いた。間違いなく、キメラが発したものだ。
仲間が戦っているに違いない。すぐにでも駆けつけたかったが、空は眼前の敵に集中しなければならなかった。

 グルルルルルルルル・・・・・・

 狼に似た野獣たちが、唸りながら間合いを詰めていく。空は銃を構え後退していたが、背中が木に当たり足が止まった。
 それを合図に、左右から野獣たちが襲い掛かってきた。
 空は真上に跳び上がった。空が立っていた場所で、野獣同士が激突した。
空中にいる空を狙って、別の野獣が跳びかかる。
木の幹を蹴り、空は飛翔した。野獣の爪牙は、空がいた場所を通過した。
空が別の木の枝に着地すると、野獣たちはその木を駆け上がる。
 不安定な枝の上で正確な射撃は難しく、空は別の木の枝に飛び移った。
 下方では、野獣たちが追いかけてくる。
 木から木へ飛び移って瀞の元へ行くことは可能だが、このままでは野獣たちを引き連れていくことになる。どうすべきか判断できず次の木へ跳ぶと。
『ガアッ!』
 右から野獣が跳びかかってきた。
「うわっ!」
草食動物特有の広い視界により野獣に気づいた空は、腕だけ標的に向けて発砲した。
 咄嗟の片手撃ちではあったが、運良く弾は命中した。
(先回りされてる!足が特別速いのがいるんだ!) 
 空は着地点の木の枝へ銃口を向けた。
 そこには、野獣が待ち構えていた。
『カッ!』
 野獣が跳んでくる。
 空は発砲し仕留めるが、野獣の勢いは止まらずぶつかった。
「あっ!」
 枝まで届かず、空は落下していく。しかも、衝撃でライフルを落としてしまった。
 落下地点には、既に野獣がいた。
 空は右腰のハンドガン、シグザウエルP229のグリップを握る。
抜き、スライドを引き、野獣に向け、引き金を引く。4つの動作は一瞬で完了した。
40口径弾を3発受け、野獣は呻いて後退する。
 空は着地すると、怯んだ野獣に接近し頭部へ回し蹴りを打ち込む。
 吹き飛んだ野獣は動かなくなった。
『オオオオオオオオッ!!』
 追いかけてきた野獣たちが、空に跳びかかってきた。
 空はハンドガンを撃つ。野獣が1体倒れるも、2体が向かってくる。
 空は右に転がって避け、ハンドガンを手放し、落ちていたライフルを拾い寝たまま撃つ。
 被弾した野獣が倒れる。残る1体が方向転換し走ってくる。
 空は冷静に、直進してくる野獣の脳を射抜いた。
 そこで、ちょうど弾が切れた。空はマガジンを交換しようとした。
(うっ!)
 すると、唐突に背筋を冷気が走った。
 眼前に、突進してくる野獣の姿が。先ほど、ハンドガンの銃撃を受けて倒れた野獣だ。
 距離は近く、ライフルのリロードは間に合わない。ハンドガンも落としている。
『ガアッ!!』
 野獣の爪が肉薄する。
「はっ!!」
 気合の一声とともに、空は右脚を突き上げた。
 腹部に強烈な一撃を受け、野獣は吐血しつつ吹き飛んだ。
 空はライフルに新たなマガジンを挿入し、周囲を見渡した。
 生きている野獣は、もういなかった。
(本当に、大丈夫かな?)
 空は蹴りで吹き飛んだ野獣の死体を確認した。折れた肋骨が体を突き破って露出しており、死んでいる。頭に回し蹴りを受けた野獣も、目玉が飛び出て絶命していた。どちらも、空の蹴りで脳や心臓が破壊されたことが死因だろう。
(死んでる、よね。私が、やったから・・・・・・だめだめ。早く瀞を助けに行かないと)
 思うことはあるが、思考の整理は後回しだ。空はハンドガンを拾いマガジンを交換する。
(さっきの雄叫び、和虎隊長と戦ってるキメラかな?それとも、瀞があのキメラと?)
 数分前、和虎とともに瀞を探していた空は、キリンのような首長の怪獣と遭遇した。正に怪獣と呼ぶに相応しいキメラに対し、和虎は空を後退させ1人で立ち向かった。
 空は遠方からライフルで援護しようとしたが、野獣たちが襲い掛かってきたため逃走を強いられた。なんとか野獣たちを倒した今、一刻も早く仲間と合流しなければならない。
(とにかく、雄叫びの方へ行こう。瀞と和虎隊長、どちらかに会えるはず)
 最後のマガジンを挿入したライフルを構え、空は1人での進軍を開始した。仲間への思いで恐怖をねじ伏せて。




全身の痛みとともに、瀞は目を覚ました。
(いってぇ・・・・・・あ!あいつは!?)
 口中に広がる血の味で、瀞は気を失う前のことを思い出した。
 怪獣と急斜面を転がり落ちていた。怪獣に噛みついたまま離れなかったが、後頭部を倒木に打ち付けて意識を失ったのだ。
 瀞は一先ず現状の把握に努める。自分はうつ伏せに倒れており、まだ怪獣の首に噛みついている。動かせない部位は、骨折した左腕だけだ。
怪獣は動かない。生死を確かめるため起き上がろうとしたが、顔が怪獣の首から離れない。牙が肉に食い込んでいる。
(このっ!)
 力を込めて口を開くと、怪獣から牙が離れた。
 怪獣の首にはくっきりと歯形が残っている。瀞の牙と舌からは、唾液と混ざった怪獣の血がねっとり垂れていた。
「うっ!」
 唐突に吐き気に襲われ、瀞はその場で胃の中の物を吐き出した。真っ赤なそれは、噛みつきながら飲んでしまった怪獣の血だ。
(何で、俺、噛みついたんだ?)
 訓練では一度もやったことのない攻撃を、意識せずに実行した。しかもそれは、噛みつきだ。
 その事実が信じられず、瀞は自分の歯形がついた怪獣の首を見下ろした。
(何で・・・・・・いや、今は、それどころじゃねえだろ)
 自分の責務を思い出し、瀞は改めて怪獣を見下ろした。長い首の、半ばほどの箇所が折れ曲がっている。顔を見てみると、だらしなく舌を垂らし、白目を向いている。呼吸も無く、間違いなく死んでいる。
(頭から落ちたのか、落下中に木か岩にぶつけたか。ま、なんにせよ倒せてよかった)
安心した瀞は斜面を見上げた。急こう配だが、獣人なら登れないことはない。
(まずは刀を探さないとな)
 瀞は助走をつけようと、斜面から距離を取った。
 すると。

 ガサッ

 背後で、草木がこすれ合う音がした。
 振り返ると、首を振りかぶった怪獣の姿が。
『ブオッ!』
 怪獣が首を薙ぎ払った。頭部が瀞に直撃する。
 瀞は右腕で防御するも、軽々と吹き飛び巨木に激突した。
「ぎっ!」
警戒を怠ったことを後悔しつつ、瀞は倒れた。立ち上がろうとするも、体を動かせないほどの激痛が全身に走る。
『ブフッ!!』
 怪獣が近づいてきた。その表情には怒りが込められているように見える。
(やばい!やばい!やばい!)
 再び脳裏に死が浮かぶ。
先ほどより強い死の光景が。
 怪獣に踏み潰され、白目を向いて、舌を垂らし、絶命する自分の姿が。
 だが。
『グッ!』
 突如、怪獣が足を止めた。
 背後を何かが通過したと感じて。
『グウウウウウウ!!』
 怪獣の体が傾いた。
 背後を通過した何かが、怪獣の左後ろ足を切ったのだ。
 怪獣は転倒を避けようと踏ん張る。首が前に大きく傾く。
(なんだ!?)
 混乱する瀞の目の前で、怪獣の首が切断され、頭部が地面に落下した。
 頭部を失った胴体も崩れ落ちる。切断面からは、鮮血がとめどなく溢れた。
(か、和虎、隊長!)
 斜面から駆け下り、二振りで怪獣を仕留めたのは和虎だ。
 和虎は愛刀を振るって血のりを払うと、瀞に駆け寄ってきた。
「瀞、大丈夫か!?」
 瀞は返事をしようとしたが、口からは掠れた声しか出てこない。
 自分の状態を伝えようとする瀞に、和虎は手を延ばす。だが、耳をピクリと震わせて、和虎は瀞に背を向け周囲を見渡した。
 数秒後、茂みの奥から新たに怪獣が現れた。
(ま、まだいるのかよ)
 驚愕する瀞。しかし和虎は驚かず、刀を下段に構えて怪獣に走る。
『ハッ!!』
 怪獣は首を薙ぎ払う。
 和虎は後退して紙一重で躱し、即座に前に出て、怪獣の右を走りつつ太刀を振り上げる。
 一閃が、怪獣の右前足を切った。
 痛みで怪獣の動きが止まる。
 和虎の足は止まらず、走りつつ怪獣の右後ろ足も切る。
 怪獣の体が大きく傾くと、和虎は怪獣の前方まで走る。首を切り落とすつもりだ。
 瀞は和虎の勝利を確信した。
 しかし、怪獣は力を振り絞り、首を薙ぎ払う。
(あっ!)
 避けられない。瀞はそう思ったが、突如和虎の巨体が消え、その一振りは空を切った。
 直後、キメラの首が切り落とされた。
和虎はキメラの脇に立っている。最後の動きは、速すぎて瀞には見えなかった。
(マジかよ、和虎隊長、強すぎるだろ)
 瀞は和虎の戦いぶりを見て、ただただ驚くことしかできなかった。共に訓練をする過程で強いことは知っていたが、まさかこれほどとは。
自身が苦労して倒した怪獣を難なく倒すその姿は、草食動物を仕留める虎のようだった。
(すっげぇや。俺も、いつかは、あんなふうに・・・・・・)
 和虎の強さを目の当たりにした瀞は、痛みと共に眠気に襲われた。
それに抗えず、瀞は意識を失った。




 騒音によって、瀞の意識は覚醒した。
(あ、やべ、今、意識、飛んでた)
 瀞は目を開けるが、視界はぼやけておりよく見えない。仰向けに寝ていると気づき起き上がろうとしたが、体が重くて動かない。声を出そうとするが、それも出来なかった。
「瀞が起きました!」
 空の声が聞こえた。
「動かないでください」
 次に、知らない女性の声が聞こえて、右目にライトを当てられた。
「目で光を追ってください」
 言われた通り、左右に揺れるライトを目で追う。眼球は動かせた。
「意識はありますから、安心してください」
「分かりました。それじゃあ、お願いします」
 空と女性の会話の後、大きな声が鼓膜を叩いた。
「山中にキメラ多数確認!!四足歩行の獣型、人型、大型、各種が多数!!隊員が2名重症!!これから基地に送るので手術の用意を!!残る隊員3名で周辺の探索を継続させます!!」
 機動隊員の隊長がBATの本部に連絡を送っているらしい。
(え、2名重症?1人は絶対風丸だとして・・・・・・空は元気そうだったぞ。和虎隊長?それとも、副隊長が?)
 瀞の疑問を解決させる声が響いた。
「それでは、犬神瀞、知多風丸、本部に送ります!!」
 何かが閉じる音、そして浮遊感。自分を乗せたヘリが飛び立ったようだ。
(あ、重症って、風丸と俺か)
 瀞は思い出した。怪獣との戦いを。
(くそっ。リタイアかよ。空はまだ頑張ってるのに)
「瀞」
 悔しさを噛み締めていると、名を呼ばれたので首を右に向ける。視界が徐々に定まり、風丸を確認できた。戦闘服や体毛が、血で汚れている。
「風丸、お前、大丈夫かよ?」
「オレ、けっこう、キメラ、倒したぞ」
 仲間の身を案じる瀞の声を無視し、風丸は笑って言った。
 その笑顔につられて、瀞も笑う。
「俺だって、倒したぜ」
「そっか。じゃあ、オレたち、勝ったよな」
「ああ。生きてるしな」
 キメラを倒して生還した事実も実感すると、悔しい気持ちが少しだけ和らいだ。
「次は、怪我しないように、しねえとな」
 風丸は答えなかった。どうやら、眠ってしまったらしい。
 瀞も強い睡魔に襲われ、意識を手放した。
辛くも初陣を生き延びた獣人を乗せ、ヘリは帰路を急ぐ。満月は、生還した2人を祝福するかのように輝いていた。



―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――



 故郷の田舎町にある、全国チェーンのファミリーレストラン。奥の席で、瀞は窓の外を見ながら注文した料理を待っていた。
 基地の外にいるのだから、窓に映る自分の顔は人間のものだ。
「お待たせしました。鉄板が熱いのでお気を付けください」
 注文したステーキが到着した。いつも通りの焼き色と香りが食欲を刺激する。
 瀞は肉を切り、口に入れた。慣れた旨味が口内に広がる。
 はずだった。
「うっ!」
 口内に広がる不快な味。テーブルに視線を落とす。ステーキは別の肉に変わっていた。焼けていない生の肉。しかも、灰色の皮がついたままだ。
 瀞は肉を吐き出そうとしたが、肉が何かに引っかかって出てこない。
 口に指を突っ込み、肉を摘まんで取り出す。どうやら、牙に引っかかっていたようだ。
(あれ?)
 瀞は気づいた。口内には牙が生え、手には飴色の体毛が生えている。
(獣人になってる!)
 周囲を見渡すと、そこは森だった。
右手のナイフが、日本刀になっている。
複数の怪獣が、自分を取り囲んでいた。
『オオッ!』
 怪獣たちが、襲い掛かってきた。




「うぉわっ!!」
 瀞は自分の叫びで目を覚ました。
 体を起こして周囲を見渡すが、薄暗い病室には自分一人しかいない。ベッドの脇の棚に置かれた鏡に、犬獣人となった自分の姿が映っている。
(夢、か・・・・・・)
 安心して寝転がる。だが、ふつふつと不快感が込み上げてきた。
「最悪だ」
 戦闘が終わって数日経ち、獣人の頑丈さのおかげで体の傷はほぼ回復した。だが心の傷は、そうはいかない。
「マジで最悪だ」
 瀞は天井を睨み、ここ数日で見た悪夢を振り返る。
 多少の差異はあるが、必ずキメラに追いかけられたり、襲われたりする。しかも今日は、追われる恐怖に加えて怪物の肉の味まで思い出してしまった
「何だってんだ」
 瀞はベッドの脇にある冷蔵庫からボトルを取り出し、中のスポーツドリンクを口に含む。冷えた甘味を舌で感じ、ゆっくりと飲み込むことで、蘇った血の味と肉の感触を洗い流す。
「はぁ・・・・・・あー、もう、ほんと、最悪だ」
 瀞はベッドから起き上がり、時計を見る。まだ6時前だが、目が覚めてしまった。
 瀞は病室から出た。左右に広がる白い通路は、一見ただの入院病棟のようだ。
しかし、獣人の姿となった瀞がいるこの場所は、紛れもなくBATの基地である。




***************




(本当に、ここでいいのかな?)
 ソファーに腰かけ、瀞は周囲を見渡した。
 高級であろう調度品や、壁に飾られた絵画。応接室にしては豪華な部屋だ。自分には場違いのようで落ち着かない。
 最も、落ち着かない最大の理由は、部屋の豪華さではない。
(それにしても、ほんと、怪物だよな)
 瀞はテーブルに視線を落とした。よく磨かれており、自分の顔が映る。
 そこには犬の顔が映った。顔を歪めると、犬の顔も歪む。紛れもなく、自分の顔だ。
(ここまで変わるとは・・・・・・)
 丈一からBATの説明を受けた瀞は、中学校を卒業後、正式にBATに入隊した。そしてこの日、BATの基地にて初めて獣人になった。これから担当者から基地の説明を受けることになっている。
(本当に戻るんだろうな。この顔じゃ人前に出られないぞ)
 心配しつつ机に映った顔を観察していると。
「やぁ」
 犬の右に、別の顔が映り込んだ。
その顔もまた、人ではない。髪も耳も無いその顔は、まるで・・・・・・。
(巨大トカゲ!?いや蛇!?)
 瀞が右を向くと、縦に黒い裂け目が入った金色の球体が目の前にあった。
「うぉわっ!!??」
 それが瞳だと気づいた瀞は、ソファーから跳び上がり部屋の隅まで避難した。
「ひどいな。そんなに驚かなくてもいいのに」
 突如現れた生物は、人語を発し笑う。話が通じると分かり、少しだけ冷静さを取り戻した瀞は、その生物をじっくりと眺めた。
 骨格は人。服装は自分と同じ、紫のシャツに黒い短パン。声からして若い男性。
体は緑青色の鱗で覆われており、頭部には耳がなく、瞳孔が細い瞳がこちらを見ている。
「あなたも、獣人?」
「ああ。見ての通り、蛇の獣人だ」
「蛇でも、手足は、あるんですね」
「まぁ、あくまで獣人だからね。それより、こっちに来てよ」
 蛇獣人は笑顔を浮かべ手招きをした。蛇の笑顔は少々不気味だ。
 瀞は警戒しつつ、蛇の正面にあるソファーに腰かけた。
「しっかし、久しぶりだね。半年ぶりくらいかな。獣人になった気分はどう?」
「え?いや、今のところは、見た目が化け物みたいになったなって、思うくらいで」
「最初はそんなもんか」
「はい。それより、どこかで、会いました?」
 瀞は記憶を遡るが、蛇獣人と会った記憶などない。
「え?気づいてない?俺だよ」
「俺だよ、って言われても」
「まぁ、初めて会ったときは、人間の姿だったしな」
 瀞は再び記憶を探る。
そして、思い当たった。自分にBATのことを教えてくれた人物は、自分が獣人であると確かに言った。
「緒方、丈一さんですか?」
「おおっ!思い出してくれたかぁ!」
 蛇獣人―――――丈一は満面の笑みを浮かべた。瀞もつられて笑顔になる。
「マジで丈一さん!?顔が全然違うのに!」
「だって今は獣人だから。瀞君だって全然違うよ」
「まぁ、そうですけど。でも丈一さんでよかったぁ。怖かったですよ、正直。蛇人間だし」
「確かに、大きな犬より、大きな蛇の方が怖いな」
「でも、どうして丈一さんがここに?いつもこの基地にいるんですか?」
「いいや。普段は別の基地にいるんだけど、ちょっと、任務の都合でね。で、ちょうど瀞君が基地の説明を受けるって聞いたから、俺がやってあげようと思って」
 瀞は安心した。応接室に案内してくれたBATの職員は不愛想な中年男性だった。そんな人物より、丈一に案内してもらった方がいい。例え蛇の顔でも。
「ありがとうございます。でも、任務はいいんですか?」
「思ったより早く終わったから。瀞君がよければ、すぐに始めるけど」
「はい、お願いします」
 瀞は勢いよく立ち上がった。丈一は、そんな瀞を見て吹き出す。
「瀞君、獣人の姿の時は、それに気を付けた方がいい」
「え?何に、ですか?」
「今、君は半分犬なんだよ。後ろを見てみな」
 瀞は振り返り、気づいた。自分の尻尾が激しく左右に揺れていることに。
「え!?ちょっ!何で!?」
「よほど嬉しいんだ」
「いや、違います!」
 尻尾を掴む瀞の顔は真っ赤になっていたが、体毛のおかげで丈一にばれなかった。
「じゃあ、歩きながら説明しよう。ついてきてくれ」




「BATの基地は、全国各地にある。存在は極秘だから、地下に建設される。ここは、九州地方を管轄している07基地だ。九州のほぼど真ん中にある」
「都会に行くかと思ったら、どんどん田舎に行くんで驚きましたよ」
 瀞と丈一は、並んで基地の廊下を歩いている。時折、作業着は白衣を着た人間とすれ違うが、彼らは獣人となった自分たちを見ても驚かなかった。
「今俺たちがいる地下1階は、そんな感じになっている」
「は、はい」
 瀞は渡されたタブレット端末の画面を見た。
 アルファベットが書かれた8つの六角形が円陣を組んでいる。その中心には、六角形より大きな八角形がある。
「中央にあるのが、今俺たちがいるところ。中央ブロックだ。会議室とか、スタッフの食堂とか、倉庫とか、そういうのがある」
「周りの、英語が書いているやつは?」
「専門的な設備があるとこだよ」
 丈一は手を伸ばし、タブレット端末の画面に触れる。
「北と北東にあるAブロックとBブロックは、主に研究施設だ。獣人に変身するためのウイルスや、キメラの解析なんかが行われている。医療設備もここにある」
「なるほど」
 タブレットの画面には、丈一の説明どおりの文章が表示された。
「次に、東にあるCブロック。ここは、大きな休憩所みたいなもんかな。住み込みで働く人のための、仮眠室とかがある。あと、売店とかも」
「そういう設備もあるんですね」
「ああ。南東のDブロックは、情報管理担当だよ。過去に出現したキメラの情報をまとめていたり、キメラの目撃情報の調査もやってる。現地に行くだけじゃなくて、ネットの噂とかも調べてるよ」
「ネットの噂とか、あてになるんですか?」
「ガセネタも多いけど、意外と良い情報を得られることもあるらしい。で、南のEブロックと南西のFブロックは、訓練施設だ。ここで、キメラとの戦いに備えてみっちり鍛えてもらうよ。すごくきついけど、頑張って」
「わ、分かりました。頑張ります」
「で、西のGブロックは武器庫。北西のHブロックは、研究で扱う薬品類の保管庫。取扱注意だから、中央ブロックの倉庫には置けないんだ」
「取扱注意ってことは、ここから、ウイルスが漏れたら、大変なことになったりとか?」
「ここの管理体制は完璧だから大丈夫だよ」
「何か、フラグっぽいですけど」
「確かに」
 会話をすることで、瀞はこの蛇獣人が丈一だと実感した。丈一とは過去に一度しか会っていないが、性格や話し方があの時と同じだ。
「ちなみに、地下2階も全く同じ造りになってるよ。各ブロックの役割も同じ。地下3階は、構造は同じだけど、役割が変わってる。地下3階は、全体がスタッフの居住エリアになってるんだ」
「居住エリア、ですか?」
「住み込みで働いてる人が多いから、職員の寮があるんだよ。あとコンビニとかスーパーとか、ホームセンターもある。病院や銀行窓口も。そこで生活できるようになってるんだ」
「じゃあ、商店街があるようなもんですか?」
「そういうこと」
 瀞はタブレットを操作して、地下3階の情報を調べた。地下3階には寮だけでなく、多種多様な小売店があるようだ。映画館にボウリング場、ゲームセンターもある。
「快適なんですね」
「繰り返すけど、住み込みで働いている人も多いから。瀞君もそうだよ」
「あー、はい。獣人になる前に、説明を受けました。訓練期間が終了してからも、しばらく家には帰られないんですね」
 瀞の耳がペタンを倒れた。
「訓練期間中は、獣人の肉体に慣れてもらう必要がある。だから、ずっと獣人のままでいてもらわないといけないんだ。この姿のまま帰るわけにはいかないだろう」
「人間の姿に戻れば帰れるのに」
「変体にはけっこうお金がかかるんだよ。ほいほいと姿を切り替えたりはできない」
「そうなんですね」
「訓練期間が終了して実働部隊に入ってからも同じだ。キメラはいつ出るか分からないから、ずっと獣人の姿で、この基地の中で過ごしてもらう。休日も、居住エリアでね。家に帰れるのは、年末年始とかお盆とか、それくらいかな」
「マジか・・・・・・獣人の姿でいる時間の方が長くなりそうですね」
「すぐ慣れるよ」
 丈一はそう言って微笑んだ。蛇の顔でも、優しさが瀞に伝わった。
「ちなみに、見た目に慣れるだけじゃだめだ。能力に慣れないとな」
「能力、ですか?」
「ああ。せっかくだし、ちょっと体験して行こうか」
 瀞は丈一の進行方向を見た。廊下の突き当りには大きなシャッターがある。人が出入りするためのドアが取り付けられており、その上には【E 訓練棟】と書かれていた。
「体動かすのは得意かな?」
「はい」
「よし」
 丈一は笑う。瀞はもう、蛇の笑顔を不気味とは思わなかった。




「すっげ」
 Eブロックの内部に建設された巨大なアスレチックを前にして、瀞は感嘆の声を上げた。
「こういうの、やったことある?」
 丈一に聞かれ、瀞は頷いた。
「小学生のころに。でも・・・・・・」
 瀞は記憶をたどり、小学校の修学旅行で訪れた、自然公園のアスレチックを思い出した。遊具の種類はほぼ同じだが、大きく異なる点がある。
「こんなの出来るか、って思ったでしょ?」
「はい。これ、どう考えても無理でしょ」
 指をかける場所がほとんどない絶壁。数メートル以上間隔が開いた小さな足場。細い通路を塞ぐ巨大な鉄球。大人でも攻略できそうにないアスレチックだ。
「何度も言ったけど、獣人の身体能力はかなり高い。瀞君にも、ここを攻略できるポテンシャルがある。でも、脳がブレーキをかけちゃうんだよ。こんなの出来るわけないって、思ってしまうから。だからここで、自分の肉体ができることを把握してもらう」
「な、なるほど」
 高難度のアスレチックを前にして、自分は改めて痛感した。自分はとんでもない所に来てしまったと。
(やばいよな。獣人って)
 困惑と後悔が心に沈殿する。一方で、期待と興奮が渦巻いていた。
(やばいけど、すげえ)
 毛を逆立たせ尻尾を振る瀞を、丈一は満足げな笑みを浮かべ見つめていた。




***************




 BAT07基地、地下3階、Bブロック。
(丈一さん、元気かな)
 瀞は丈一のことを思い出しつつ、左右に病院が並ぶ通路を歩いていた。Bブロックには医療施設が集中しており、入院棟もある。
「おはよう。体はもう大丈夫かい?」
「はい。もう治りました」
 通路を歩いていると、顔見知りの清掃員とすれ違う。獣人の姿でも、基地の中にいれば驚かれることはない。
(朝飯の前に、ちょっと体動かすか)
 瀞は寮があるEブロックではなく、中央ブロックへと通じる連絡通路に入った。物資の運搬のため、連絡通路は大型車両が通れるほど広い。
(でも、本当に大丈夫かな。折れた両腕、ずっと痛かったし)
瀞は助走をつけ、前転、側転、バク転をやってみる。痛みはなく、体は問題なく動く。さらに、前方宙返り、側方宙返り、後方宙返りもやるが、結果は同じだ。
「おし」
 瀞は猛スピードで走り出した。
長い安静で、体を動かしたいという欲求が溜まっていた。痛みが消えたと確信したことで、その欲求を発散したいという気持ちが燃え上がる。
中央ブロックへ行き、非常階段を駆け上がって地下2階へ行き、連絡通路を通ってEブロックへ。目的地は、武道場だ。早朝でも解放されており、そこでなら動き回れる。
(あれ?)
 武道場の前にたどり着いた瀞は、知った匂いを嗅いだ。
 中を除いてみる。畳が敷かれた広い武道場の真ん中で、カモシカが1人、身構えていた。
(やっぱり空か)
 空はしばらく動かなかったが、不意に右足で回し蹴りを放つ。居合のように、速く鋭い。
それを皮切りに、強烈な蹴りを何度も打ち込み続けた。合間にサイドステップやバク宙を挟みつつ、多種多様な蹴り技を披露する。風を切る音が、瀞にも届いた。
(動きが軽いな。しかも、全然止まらねえし)
 カモシカ特有の脚力と持続力を活かし、空は猛スピードを維持し、休まず蹴り続けた。
(遠くにいると見えるけど、向かい合ったら見えねえだろうな)
 瀞は空に近づきながら、その動きに感心していた。射撃が得意な空だが、蹴り技にも長けており前線でも問題なく戦えるだろう。
「ふぅぅぅ」
 やがて、空のシャドーボクシングが終わった。周囲には汗が飛び散っている。
「お疲れさん」
「ぅえっ!?あ、瀞!体はもう大丈夫なの!?」
「ああ。痛みもないし、完全に治った」
「そっか。よかった」
 カモシカの顔が笑顔になる。蛇の笑顔よりも愛くるしい顔だ。
「朝飯の前に、体、動かしたくてな」
「ずっと安静だったもんね」
 空は近くに置いてあったタオルで汗を拭き始めた。その姿を見て、瀞は噴き出した。
「ど、どうして笑うの?」
「あー、ごめん。出会ったばかりの頃のこと、思い出して」
「何かあったっけ?」
「訓練が休みの日、俺が朝練で武道場に来た時、空が先に来てたことが前にもあっただろ」
「えーと、うん」
「その時の空も、その格好で」
 空はスポーツブラに、丈の短いスパッツという姿だ。
「俺に見られた瞬間、きゃあ! って叫んで、座り込んだだろ。それ思い出して」
「だって!あの時は、会って一週間くらいしか経ってなかったし!ちょっと、恥ずかしいなぁって思っちゃって」
「その時に比べたら、成長したなぁ」
「瀞だって!後ろ向いて、“見てません!”て叫んだの、すごいかっこ悪かったよ!思いっきり見てるくせに!」
「空があんなリアクションとるから、こっちも合わせちゃったんだよ!そもそも、空は」
 瀞は唐突に口を閉じた。
「そもそも、何?」
「いや、何でもない」
「胸が小さいから見られる心配はないって言おうとしたんでしょ!ひっどぉい!」
 空は、膨らみが小さい胸を両手で覆った。
「ごめん!つい、その、口が滑って」
「もう!私だからよかったけど、他の女性にこんなこと言ったらセクハラで訴えられるよ」
「うっ!悪かったよ。本当に、ごめん」
 耳がペタンと垂れる瀞を見ると、空はこれ以上怒ることができなくなった。




 BAT07基地、地下3階。中央ブロックにて。
瀞と空は、24時間営業のファミリーレストランにいた。時刻は7時前なので、客の数は少ない。夜勤明けの警備員や、早起きの研究員の姿がちらほら見えた。
「お待たせしました」
 ウエイトレスが、二人の前にモーニングセットを置いた。瀞が和風、空が洋風だ。
「ハンバーグじゃなくていいの?」
 サラダを箸で摘まみ、空が聞いた。
「ああ。朝だし」
「前は、俺は朝でもハンバーグいけるって言って、注文してたけど」
「記憶力いいな」
「印象的だったから」
 瀞は漬物を頬張り、ボリボリとかみ砕いて飲み込み、ため息をついた。今朝の悪夢のせいで、肉を食べると血の味を思い出しそうだから避けたとは、言いたくなかった。
「私も、任務の次の日、お肉は食べられなかったなぁ。何だか、思い出しちゃって」
「俺もだよ」
 初陣を振り返ると、嫌でもキメラのグロテスクな死体が脳裏に浮かんでしまう。更に瀞は、鼻で臭いを、舌で味まで感じ取ってしまった。初陣の翌日は、それらを思い出してしまい食事どころではでかった。
「最終的には、空腹に耐えきれず、食べられたよ。獣人は生存本能が強くなるって聞いたから、食欲も強くなるのかもな」
「そうかもね。私は、精神安定薬のおかげでなんとか食べられるようになったけど」
 空はパンをかじり、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。
「やっぱり、殺すって行為は、重いね」
「ああ。でも相手はキメラだし」
「それでも、だよ」
「うん・・・・・・空は、優しいからな」
「ううん、優しくないよ」
 パンを置いて項垂れる空。心配になった瀞は、手に取った味噌汁のお椀を置いた。
「本当に優しい人は、仲間のために行動できる人だと思うの」
「空は、俺らのために戦っただろ」
 空は数秒躊躇い、口を開いた。
「怪我をしたキメラにとどめを刺そうとしたんだけど、出来なかったの。目が合って。そしたら、撃てなくて。その隙を突かれて、襲われちゃったんだ」
「え?大丈夫だったのか?」
「うん。近くにいた和虎隊長が、助けてくれたから。隊長がいなかったら、殺されていたと思う」
「そんなこと、あったのか」
「なんだか、自分が悪いことしてるみたいな気分になって」
「でも、空はけっこうキメラを仕留めたって聞いたぞ。ちゃんと倒せたってことだろ」
「攻撃を受けているときは、無我夢中で反撃できたんだけど。無抵抗な相手だと、できなかった」
 瀞は驚かなかった。空の性格を考慮すれば、その行動は予想通りと言える。
「私が見逃したキメラが、仲間を傷つける可能性だってあるのにね」
「そうだな」
瀞は空を励ます言葉を探したが、適当なものは浮かんでこなかった。
「まぁでも、優しくないのは、俺も同じだよ」
「瀞も、とどめを刺せなかったの?」
「いや、迷わずぶっ倒せた。ただ、俺も、仲間のことを考えていなかったんだ」
 空を励まそうとしたわけではない。瀞は、自分の悩みも話したくなった。空になら、話してもいいと思えた。
「俺は、人を守るために戦いたいと思ってるよ。仲間はもちろん、家族とか、友達とか」
「うん」
「でも、任務中は、そんなこと考える余裕がなかった。生き残るのに必死で」
「それは私も同じだよ。おかしいことじゃない」
「違うんだよ。俺は、あの時・・・・・・」
 瀞は、首長の怪獣と戦った時に抱いた感情を思い出した。
「あの首が長いキメラと戦ってる時、キメラに、怒ったんだ。キレたんだよ。最初は、死にたくないって思って逃げてたんだけどな。そのキメラに、笑われたんだ。そしたら、ものすごい怒りが込み上がってきて、キメラをぶっ殺したいって気持ちになって。恐怖を感じなくなったんだ」
 空は、瀞が自分を励ますために話しているわけではないことに気付いた。
「あの時の俺は、やばかった。優しくないどころじゃねえ。狂暴というか、凶悪というか。そういう気持ちに、取りつかれたみたいだった」
「そんなに?」
「ああ」
 だから敵に噛みついたんじゃないか。瀞は、そう思った。
「でも、だから戦えたんでしょ」
「冷静に考えれば、逃げるべきだった」
「でも、勝てたんだし」
「運が良かっただけだ」
「うん・・・・・・確かに、怒って突撃するっていうのは、危険な行為だね。とどめを刺せないのと同じで、仲間に迷惑をかけることになるかもしれないし」
 空は、瀞の話を自身の体験と結び付けてまとめた。
「俺って実は、凶悪な殺人犯になる素質を持ってるのかな」
「まさか」
「それとも、理性を失って本物の犬になったりして」
「獣人と動物は完全に異なる生き物だから、動物になったりしないって説明受けたでしょ」
「俺だけ特別なのかも。なんなら、キメラみてえな化け物になるかも」
「やめてよ」
 合わせたように、二人は場の空気を和ませることに努めた。
「次の任務では、ちゃんと、家族とかのことを考えながら戦いてえな。怒り狂って暴れまわるようなことはしたくねえ」
「そうだね。戦う理由って、大事だもんね。私もちゃんと、キメラを倒すようにするよ」
 空はオレンジジュースで喉を潤し、続けた。
「誰かがやらなきゃいけないなら、私がやらないと」
「そうだな。俺たちがやらないと」
 不意に、テーブルの上のスマートフォンが振動した。瀞はそれを取り、画面を見る。
 表情が、ぱっと明るくなった。犬の顔でも、それが分かるほどに。
「彼女?」
「え!?何で分かったんだよ?座ってるから、尻尾は見えないだろ」
「表情が変わったから」
「えぇ・・・・・・空、お前、観察力高すぎだろ」
「瀞が分かりやすすぎるの」
「そんなことねえと、思うんだけど」
「家族だけじゃなくて、彼女のこと考えながら戦うといいかもね」
「いやぁ、それじゃ、集中できねえかも」
 にやける瀞は、スマホ片手に立ち上がった。
「ちょっと電話してくる。すぐもどるから、ハンバーグ、頼んどいてくれ」
「肉は避けてるんじゃないの?」
「悩みを話したら、すっきりして食いたくなった」
 瀞はレストランから出た。
 一人残された空は、ため息を付き、食べかけの料理を見下ろした。
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