上 下
40 / 41
第十章 黎明

黎明

しおりを挟む
それから、陛下のいない部屋で私はひとり。考える時間はたっぷりとあった、

思えば、全ては浅はかな私のせいだった。愚かで稚拙で我が強い自分という存在が誰もを不幸にしている。

いつも逃げてばかりだ。

目の前にいる人に、ちゃんと向き合えば良かったのに。

第五夫人として南鞍ナンアンへ送ろうとした父に。牡丹坊ムータンファンに来られないと言った皇帝陛下に。そして心変わりをしたかもしれない奕世イースに。私は物分かりのいいふりをして、誰とも真剣に向き合わず、ただその場から逃げつづけてきた。色んな理由をこじつけたけれど、相手が私を愛していないと知るのが怖くて、向き合わなかった。

信用していなかった。相手の真実を知ろうとはせず、自らを投げ出してまでは愛さなかった。私は無を選んだ。感情を揺さぶられたくなくて、いつだってここじゃないどこかへ逃げようとした。

でも、私が私であるかぎり、自分自身の心からは逃れられなかった。この大陸で1番速い馬に乗っても、国境を越えても、死に急いで自暴自棄になっても。

足にジャラリと触れる冷たい首飾りや腕輪や装飾品。それを選んだ奕世イースの想いなど陛下に言われるまで全く考えても見なかった。

第二夫人は私を何を考えてるか分からなくて気持ちが悪い子と言った。祖母が死んだ時も涙ひとつ流さなくて、父も親戚と冷たい子と陰口を叩いていたのを知ってる。母が死んだ時も泣かなかった。

奕世イースは、私が泣いたら抱きしめてくれる。奕晨イーチェンも、私の涙を気遣ってくれる。

涙で同情をひこうとしているつもりは無いけれど、私を愛している人の前でしか泣かないなんて、私はやっぱり狡くて汚い。

自立した女性として生きるだなんて、今の私はそれから最も遠い場所にいる。男に甘えて、媚びて、歓心を買い、そして縋って生きる身だ。自らのことひとつ、何も出来ない。今や堯舜ヤオシュンに乳もやらずに、庇護してくれる男には言い返すこともできない。

そして、その男を幸せにすることができない。

目の前にいる人にちゃんと向き合っていない。

もうこのまま夜が明けないかもしれない恐怖が私を襲っていた。朝なんてもう来ないんじゃないかな。このまま暗くて、冷たい床で一人きり死んでしまうんじゃないかな。

罵倒されてもいいから、今夜も奕晨イーチェンと過ごしたかった。嫌われてもいい、私に愛想をつかしてもいい、両の足を潰されて、監禁されてもいいから、1人にはしないでほしい。

フラフラと立ち上がる。牡丹坊ムータンファンの場所なら私も知ってる。奕晨イーチェンはああ言ったけど、牡丹坊ムータンファンにいなくて誰か他の女にお通いになってたら、絶対に女は刺し殺してやろう。そんな事をブツブツ呟きながら、長く暗い道を抜ける。

どうせ、陛下の影は全てをみている。私は誰に会うこともなく牡丹坊ムータンファンまで辿り着く。

久しぶりだ。後宮に戻ってから、牡丹坊ムータンファンに訪れるのは初めてだった。あれは、銀貴妃イングイフェイになりたての頃、陛下は毎晩のようにお通いくださった。一緒に夕餉を食べ、月を眺めて会話し、私を抱いて眠り、朝は平たい桃を齧る。今思えば穏やかな日々だった。

ゆっくり部屋を進む。奕晨イーチェンは月見の高床に居る。私の気配に気づいて、振り返る。私は急に恥ずかしくなった。


「そなたと出逢った頃のようで懐かしいな」
「私もその頃を思い出してました」
「薄衣では冷える、こちらへおいで」
奕晨イーチェンは椅子にかけてある毛布を私の肩にかけて、包む。
「そんな格好で歩き回っては…こんなに冷たい」
私の頬に顔を寄せた奕晨イーチェンの吐息がかかる。しっかりと後ろから抱きしめられる。
「1人では眠れなかったか」
私は頷く。
「朕もだ、ずっとそなたのことを考えていた」
「私は父とあなたと奕世イース堯舜ヤオシュンのことを考えていたわ」
どうせ嘘もつけないし、見透かされるのだ。正直に話すだけだった。
「私を疎んで金で老人に売り飛ばそうとした父は死んだかしらって」
少し驚いたように、奕晨イーチェンは目を見開く。

「私、母が死んでから誰にも愛されずに育ったの。醜くて、可愛げがなくて、人の心がない冷たい子と言われてね」

奕晨イーチェンは黙ってきいている。

「そんな事ないって思っていたけど、案外当たっていたかもしれないわ」
「当たってはいない。そなたは美しい」
「ありがとう。褒められるって嬉しいのね」

奕晨イーチェンの方がよっぽど美しいと思いながら、私は話しつづける。
奕晨イーチェンね、さっき私の両の足を潰して両手を切って、目をつぶして舌を切りたいって言ったでしょう」
「あれは本心ではない」
奕晨イーチェンは心底嫌な顔をした。言ったことを後悔しているらしかった。
「いいえ、きっと本心の一部よ。私ね、やっぱり愚かで浅はかで日和見な狡い女だから、目の前に奕世イースが来て、愛をみせてくれたらきっとまた惹かれてしまうわ」

眼差しが、彼の困惑を伝えた。構わずに私は続ける。

「でもね、私は奕晨イーチェンに応えたいの。愛してくれる気持ちが嬉しいから。私は愛されずに育ったから、こんな私を誠実にずっと愛してくれたあなたに全てを返したいの」

奕晨イーチェンは理解できないようだった。私だって自分自身が何を言っているか理解できているわけではない。だが、止まらなかった。

「あなたが望むなら、足を潰し目を潰してもいいわ。奕世イースに私を奪われないようにしてほしい。私は目の前のあなたに私の誠実をあげたいから」

奕世イースがお前を裏切り、銀蓮インリェンを孕ませたからか?」
奕晨イーチェンの言葉に思わず笑ってしまった。

「なんでも知っているのね、皇帝陛下は」
「それは、違う。あの男がそなたに伝えろと信書を送ってきている。銀蓮インリェンや領土は交換の材料でもある。が、雲泪ユンレイが望むなら、そなたの許しが得られるのなら、腹を裂き、産まれぬ我が子を切り刻み、狼の餌にすることも厭わないそうだ」

「狂ってるわね」

私は溜め息をついた。

「私は銀蓮インリェンには幸せになってもらいたいわ。今更小龍シャオロンと一緒になれるのかは分からないし、銀蓮インリェン奕世イースを愛してしまったかもしれないけれど」
「女の気持ちは分からない、銀蓮インリェンが帰ってきたいのかも分からない」

人の気持ちは分からないけれど、夫に腹を裂かれたくはないだろうと思った。まあ、私は夫に足と目を潰されてもいいわと言ったばかりだけれど。

奕晨イーチェン、お願いがあるわ」
「そなたの願いはなんでも聞こう」
「私を奕世イースに差し出さないで頂戴」
奕晨イーチェンの瞳は月を映し、輝いていた。

「そして、あなたは私を裏切らないでほしい。私も裏切らない。私はあなたを裏切ったことがあるから、信用ならないなら足の腱を切ってもいいわ。…それからもし私がいらなくなったら、予告はいらないわ。殺してほしい」

「ああ、わかった」

向き合って、真剣な顔をしている奕晨イーチェンはあっさりと答えた。

「そうだ、こちらもお願いをしよう」

思い出したように付け加える。

「これから愛を伝えるときは、足の腱を切ってもいいわ、なんて言わないでくれ。朕も愛を伝えるのが苦手だし、雲泪ユンレイは遥か先を行く下手さだ…」

果たして私の言葉は愛の告白だったのだろうか。私自身気づいていなかった。だが奕晨イーチェンはそうとったようだった。優しい口づけと共に、奕晨イーチェンは付け加えた。

「愛を伝える時は、愛してると言えばいいのだよ。そなたにその言葉が染み込んで、慣れて洗脳されて、本当にそう思うまで何度でも」

空は紫色に染まり、朝の気配を感じた。もう恐れも、迷いもなかった。私ははっきりと言った。

「愛してるわ、奕晨イーチェン

奕晨イーチェンは少し照れて、頬は赤く染まった。

「愛してる。雲泪ユンレイ

私たちは声を出して笑い、そして抱き合って笑い転げ回ったのだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

紹嘉後宮百花譚 鬼神と天女の花の庭

響 蒼華
キャラ文芸
 始まりの皇帝が四人の天仙の助力を得て開いたとされる、その威光は遍く大陸を照らすと言われる紹嘉帝国。  当代の皇帝は血も涙もない、冷酷非情な『鬼神』と畏怖されていた。  ある時、辺境の小国である瑞の王女が後宮に妃嬪として迎えられた。  しかし、麗しき天女と称される王女に突きつけられたのは、寵愛は期待するなという拒絶の言葉。  人々が騒めく中、王女は心の中でこう思っていた――ああ、よかった、と……。  鬼神と恐れられた皇帝と、天女と讃えられた妃嬪が、花の庭で紡ぐ物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

戸惑いの神嫁と花舞う約束 呪い子の幸せな嫁入り

響 蒼華
キャラ文芸
四方を海に囲まれた国・花綵。 長らく閉じられていた国は動乱を経て開かれ、新しき時代を迎えていた。 特権を持つ名家はそれぞれに異能を持ち、特に帝に仕える四つの家は『四家』と称され畏怖されていた。 名家の一つ・玖瑶家。 長女でありながら異能を持たない為に、不遇のうちに暮らしていた紗依。 異母妹やその母親に虐げられながらも、自分の為に全てを失った母を守り、必死に耐えていた。 かつて小さな不思議な友と交わした約束を密かな支えと思い暮らしていた紗依の日々を変えたのは、突然の縁談だった。 『神無し』と忌まれる名家・北家の当主から、ご長女を『神嫁』として貰い受けたい、という申し出。 父達の思惑により、表向き長女としていた異母妹の代わりに紗依が嫁ぐこととなる。 一人向かった北家にて、紗依は彼女の運命と『再会』することになる……。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...