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第二章 後宮脱出大作戦
皇帝
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宮女らしく立って待っていた。随分と長く待った気がした。静寂は私の鼓動を余りにも大きく響かせる。深く深呼吸しようとした時、遠くから足音が近づいてくるのが聞こえた。
皇帝陛下だ。名前も忘れたけど、皇帝陛下だ。
陛下が扉を開ける前に、私は傅いた。
「君は銀蓮…」
私は顔を上げ、陛下を見つめる。
「ではないね?」
ああ、良かった。銀蓮のフリなんかしていたら首が飛ぶところだった。
初めて見るこの国を統べる皇帝陛下は、黒髪を後ろで一つに束ね、長い前髪を顔の横に垂らしている。蝋燭の光に映し出される端正な顔だち、ツンと通った鼻に形の良い唇。憂いを帯びた優しげな瞳と強い意志を感じるまっすぐな眉。シンプルな服装に細くとも精悍な筋肉がひきたつ。こんなに美しい男性を見たことは今までにない。
しかし見惚れている暇などない。機嫌を損ねたら首が飛ぶかもしれない。
「はい、新しく入りました宮女の雲泪でございます」
「そうか、良く似ているね」
「銀貴嬪と同じ雲峰の血が入っておりますためかと存じます」
皇帝陛下は少し考え込んだ。すぐに銀蓮の居場所を聞かれるかと思っていたのに、余計なことを言ったのかもしれない。
「そなた、姓はなんという?」
「白と…」
「いや、違う姓があるだろう。父か母か分からないがもう一つの姓の方だ」
天鵞絨のように甘く柔らかい声なのに、有無を言わせぬ力がある。この人に嘘はつけないと思った。実際私はまだ皇帝陛下に何ひとつ嘘をつけていない。
「母方は埜薇でございます」
目を伏せて震えながら傅く私の頭から、皇帝は翡翠の簪をぬきとると、蝋燭の光にあてて眺めた。昔を懐かしむような、優しい眼差しだった。
「いかにも、埜薇の翡翠に違いない。そなたの言葉に嘘偽りはないようだ」
皇帝は私の顎をひき、顔を上げさせる。
「さすれば、そなたは銀蓮の従姉妹にあたるのだね。ここまで似ているのも無理はない」
戦禍を逃れた埜薇ヤーウェイ家の姉妹がいたとして、1人は北峰、もう1人が蔡北に逃れていたとしても何ら不思議ではなかった。雲峰の地理を考えれば、逆の方向へバラバラに逃げたとしたら自然なことだ。
銀蓮に関所ですれ違えたかもしれないのに会えなかったことを残念に思った。母方の親戚だったのかもしれない。異母妹に親近感を感じることはなかったけど、似ている顔で一緒のタイミングで同じ場所で望まぬ婚礼から逃げていた銀蓮は肉親だと思えた。
皇帝陛下は口を開く。
「して、銀蓮はどこにいる?」
本当は「ここにはおりませぬ」と答えるつもりだった。実際「どこにいるかも知りませぬ」と答えるのは嘘ではないからだ。
でも、皇帝陛下と話してみると、不思議とこの方のお役に立ちたいという気持ちが湧いてくる。これは皇帝の力なのだろうか、それとも天性の魅力なのだろうか。ええい、ままよ。私は正直に答えることにした。首を刎ねられても仕方はない。
「銀蓮は小龍と白樂京の関所で逃げたようです。偶然、通りがかった私が身代わりとして入宮してまいりました」
皇帝の反応が怖かった。幼馴染とはいえ、花嫁を盗まれたのである。しかし、その反応は意外なものだった。
「それは良くやったな!ぜひ脱走劇を見たかったぞ」
皇帝は少年のような顔で愉快そうに笑い飛ばす。
「計画がうまくいくか心配しておったのだ。輿入りを口実に家を抜け出して駆け落ちさせる。いやあ、小龍が頑固者なあ、説得に骨を折ったが、成功したならばそのかいがあるというものよ」
そして、私を引き寄せた。
「そなたが通りがかったのもきっと偶然ではない。僥倖、天啓、運命だろうよ。銀蓮が後宮入りしたときいて本当に肝を冷やしたぞ。だが、そなたがいてくれて良かった」
皇帝はさも当たり前かのように私に口づけをする。
「銀蓮が逃げるのはいいが、蔡北の責任問題の落とし所と、今後の後宮の扱いについては胃が痛かったからね。朕には敵が多くてね。だがそなたが銀貴妃になってくれたら、全て解決する。ありがとう」
あれ?貴嬪じゃなかったっけ?気が遠くなるような錯覚を覚える。無邪気に私に抱きついてくる子供のような皇帝陛下をみるに、私が宮女としてお払い箱になる日はまだ遠そうだった。
【第一部 完】
皇帝陛下だ。名前も忘れたけど、皇帝陛下だ。
陛下が扉を開ける前に、私は傅いた。
「君は銀蓮…」
私は顔を上げ、陛下を見つめる。
「ではないね?」
ああ、良かった。銀蓮のフリなんかしていたら首が飛ぶところだった。
初めて見るこの国を統べる皇帝陛下は、黒髪を後ろで一つに束ね、長い前髪を顔の横に垂らしている。蝋燭の光に映し出される端正な顔だち、ツンと通った鼻に形の良い唇。憂いを帯びた優しげな瞳と強い意志を感じるまっすぐな眉。シンプルな服装に細くとも精悍な筋肉がひきたつ。こんなに美しい男性を見たことは今までにない。
しかし見惚れている暇などない。機嫌を損ねたら首が飛ぶかもしれない。
「はい、新しく入りました宮女の雲泪でございます」
「そうか、良く似ているね」
「銀貴嬪と同じ雲峰の血が入っておりますためかと存じます」
皇帝陛下は少し考え込んだ。すぐに銀蓮の居場所を聞かれるかと思っていたのに、余計なことを言ったのかもしれない。
「そなた、姓はなんという?」
「白と…」
「いや、違う姓があるだろう。父か母か分からないがもう一つの姓の方だ」
天鵞絨のように甘く柔らかい声なのに、有無を言わせぬ力がある。この人に嘘はつけないと思った。実際私はまだ皇帝陛下に何ひとつ嘘をつけていない。
「母方は埜薇でございます」
目を伏せて震えながら傅く私の頭から、皇帝は翡翠の簪をぬきとると、蝋燭の光にあてて眺めた。昔を懐かしむような、優しい眼差しだった。
「いかにも、埜薇の翡翠に違いない。そなたの言葉に嘘偽りはないようだ」
皇帝は私の顎をひき、顔を上げさせる。
「さすれば、そなたは銀蓮の従姉妹にあたるのだね。ここまで似ているのも無理はない」
戦禍を逃れた埜薇ヤーウェイ家の姉妹がいたとして、1人は北峰、もう1人が蔡北に逃れていたとしても何ら不思議ではなかった。雲峰の地理を考えれば、逆の方向へバラバラに逃げたとしたら自然なことだ。
銀蓮に関所ですれ違えたかもしれないのに会えなかったことを残念に思った。母方の親戚だったのかもしれない。異母妹に親近感を感じることはなかったけど、似ている顔で一緒のタイミングで同じ場所で望まぬ婚礼から逃げていた銀蓮は肉親だと思えた。
皇帝陛下は口を開く。
「して、銀蓮はどこにいる?」
本当は「ここにはおりませぬ」と答えるつもりだった。実際「どこにいるかも知りませぬ」と答えるのは嘘ではないからだ。
でも、皇帝陛下と話してみると、不思議とこの方のお役に立ちたいという気持ちが湧いてくる。これは皇帝の力なのだろうか、それとも天性の魅力なのだろうか。ええい、ままよ。私は正直に答えることにした。首を刎ねられても仕方はない。
「銀蓮は小龍と白樂京の関所で逃げたようです。偶然、通りがかった私が身代わりとして入宮してまいりました」
皇帝の反応が怖かった。幼馴染とはいえ、花嫁を盗まれたのである。しかし、その反応は意外なものだった。
「それは良くやったな!ぜひ脱走劇を見たかったぞ」
皇帝は少年のような顔で愉快そうに笑い飛ばす。
「計画がうまくいくか心配しておったのだ。輿入りを口実に家を抜け出して駆け落ちさせる。いやあ、小龍が頑固者なあ、説得に骨を折ったが、成功したならばそのかいがあるというものよ」
そして、私を引き寄せた。
「そなたが通りがかったのもきっと偶然ではない。僥倖、天啓、運命だろうよ。銀蓮が後宮入りしたときいて本当に肝を冷やしたぞ。だが、そなたがいてくれて良かった」
皇帝はさも当たり前かのように私に口づけをする。
「銀蓮が逃げるのはいいが、蔡北の責任問題の落とし所と、今後の後宮の扱いについては胃が痛かったからね。朕には敵が多くてね。だがそなたが銀貴妃になってくれたら、全て解決する。ありがとう」
あれ?貴嬪じゃなかったっけ?気が遠くなるような錯覚を覚える。無邪気に私に抱きついてくる子供のような皇帝陛下をみるに、私が宮女としてお払い箱になる日はまだ遠そうだった。
【第一部 完】
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