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プロローグ
序
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今は亡き美しい母は言った。
雲泪は賢い子だから。美しい北方訛りの言葉、この国の本当の歴史と文化を勉強しなさい。見た目の美しさや芸だけでは無くて、勉強に励みなさい。そしたら男の人に頼らずに、望まない相手に嫁がなくても生きていける道があるのよ、と。
それは母自身の悲願だったかもしれない。
北峰より、もっと北。今は騎馬民族の支配する雲峰地域の名家に生まれた母は20年前の戦火に焼け出されなければ、商家白家の好色で我儘なドラ息子白湖洋になどに嫁がなかっただろう。
〝雲の涙〟と名づけられた私は、母に良く似ていた。雲峰地域特有の白い肌、切長で色素の薄い瞳、細く長い鼻筋、薄い唇、艶やかな黒髪を持って産まれてきて、父に全く似ていなかった。母の望郷の象徴に違いなかった。北峰では小さい女の子が好まれる。成長するにつれて、雲峰地域特有の高身に成長する私を父は「この地域では長身は嫁の貰い手がない」と、苦虫を潰したような顔で見ていた。
父の第二夫人は、派手好きで肉感的な璃紗々だ。母よりも先に婚約が決まっていたのに、身分の差で第二夫人に甘んじてしまったのを今も根に持っている。もう母は死んだのに、私で鬱憤を晴らすことを生き甲斐にしているような女性だ。私の異母妹にあたる莉華と異母弟で跡取り息子の湖海は、彼女の子供にあたる。好色な父親だが、奥方を増やすと諍いが絶えないことには後悔があったらしい。廓や飯盛女には手を出して外に囲っても、娶ることはしなかった。つまり、この家は母亡き今、璃紗々の天下であった。
母が私に残してくれた財産は、全て莉華に盗られ、肌身離さず持っているたったひとつ翡翠の簪を残すばかり。雲峰の名家埜薇の末裔である私に先祖の品はもはや何も残っていない。雲峰書体での刻印がある私の先祖の鼈甲の櫛を喜んで、派手に盛り上げたお団子頭に刺している莉華を見れば、やはり無学は罪だと思う。埜薇家の宝石を身につけて、喜んでいる愚かさは哀れだ。
莉華自身は悪い子ではない。母譲りの大きな茶色い目に長いまつ毛。父に似て癖の強い髪は毛量が多く、大きなお団子を結っている。大きな頭を結う小さい顔、大きな目、小さい唇、小さい鼻。纒足をしなくても小さな足。それから背が低いこと。北峰での美人の条件は全て揃っていた。甘やかされて育っていて教養がなく、不躾なだけだった。だから悪意なく私を傷つけてくる。策略家なら仕返しできるのに、無邪気だからやり返しようが無かった。
私の母の品を奪っていくときは「貸して」の一言だし、先祖代々の家宝を無くしたり、壊したりした時は「わざとじゃない」の一言だった。彼女は絶対に謝らない。
弟の湖海の方は勉学を嫌い、遊び呆けている。父に似たのだろう。あの父に商家の跡取りが務まるのだから、湖海にも務まる。母との縁談を決めた父方の祖父が亡くなってから、浪費家ばかりの商家白家の財産は目減りするばかりではあったが、それでもあと3代ぐらいは遊んで暮らしていけそうではある。
だから16になったばかりの私に突然縁談が来たのは、寝耳に水であった。私は女学校を首席卒業したら、推薦で首都大樂京にほど近い白樂京の貴族の家で家庭教師の職を得て、家を出るつもりだったからである。まだ卒業まで半年もあるのに、学校も退学せねばならぬと父は言う。
「先代の崩御から3年、喪が開けるから皇帝がついに後宮を開くのだよ。璃華の後宮入りの準備には膨大なお金がかかるから、学費は出せない」
「それにね、長身で可愛げのないお前のような娘を持参金なしで貰ってくれるのよ。南鞍の薬問屋のご主人でね。仕入れの旅の途中にお店に寄った時、計算器を使うお前を見初めたらしいわ。支度金も弾んでくれたし、第五夫人ってことは余裕がある家だから大事にしてもらえるはずよ」
つまり縁談の話は私の承諾などなく、既に纏まった後なのである。店の手伝いで計算器を使っていた時に、やたら高齢の爺さんがしつこく絡んできたのを思い出した。南鞍訛りが酷くて、良く聞き取れなかったが、計算が正確で速いことと仕事ぶりを褒められた気がする。私のような容姿を気にいるのは考え難いから、第五夫人というより薬問屋に経理が必要だったのではないかと思った。勉学に励んだせいで、今や望まない相手に嫁ぐはめになりそうだ。
私の学費や支度金は莉華の後宮入りの準備に消え、私は妹が使い古した丈の足りない服と唯一残っている翡翠の簪だけを持って迎えに来た護衛と輿に揺られることになった。
肉親の涙もなく、爆竹も喇叭もならない侘しい門出である。南鞍は首都大樂京を通り抜け2週間はかかる道のりだ。本当は家庭教師として晴々した気持ちで辿るはずだった旅路を、私は胸に暗遁とした想いを抱えて進むのであった。
雲泪は賢い子だから。美しい北方訛りの言葉、この国の本当の歴史と文化を勉強しなさい。見た目の美しさや芸だけでは無くて、勉強に励みなさい。そしたら男の人に頼らずに、望まない相手に嫁がなくても生きていける道があるのよ、と。
それは母自身の悲願だったかもしれない。
北峰より、もっと北。今は騎馬民族の支配する雲峰地域の名家に生まれた母は20年前の戦火に焼け出されなければ、商家白家の好色で我儘なドラ息子白湖洋になどに嫁がなかっただろう。
〝雲の涙〟と名づけられた私は、母に良く似ていた。雲峰地域特有の白い肌、切長で色素の薄い瞳、細く長い鼻筋、薄い唇、艶やかな黒髪を持って産まれてきて、父に全く似ていなかった。母の望郷の象徴に違いなかった。北峰では小さい女の子が好まれる。成長するにつれて、雲峰地域特有の高身に成長する私を父は「この地域では長身は嫁の貰い手がない」と、苦虫を潰したような顔で見ていた。
父の第二夫人は、派手好きで肉感的な璃紗々だ。母よりも先に婚約が決まっていたのに、身分の差で第二夫人に甘んじてしまったのを今も根に持っている。もう母は死んだのに、私で鬱憤を晴らすことを生き甲斐にしているような女性だ。私の異母妹にあたる莉華と異母弟で跡取り息子の湖海は、彼女の子供にあたる。好色な父親だが、奥方を増やすと諍いが絶えないことには後悔があったらしい。廓や飯盛女には手を出して外に囲っても、娶ることはしなかった。つまり、この家は母亡き今、璃紗々の天下であった。
母が私に残してくれた財産は、全て莉華に盗られ、肌身離さず持っているたったひとつ翡翠の簪を残すばかり。雲峰の名家埜薇の末裔である私に先祖の品はもはや何も残っていない。雲峰書体での刻印がある私の先祖の鼈甲の櫛を喜んで、派手に盛り上げたお団子頭に刺している莉華を見れば、やはり無学は罪だと思う。埜薇家の宝石を身につけて、喜んでいる愚かさは哀れだ。
莉華自身は悪い子ではない。母譲りの大きな茶色い目に長いまつ毛。父に似て癖の強い髪は毛量が多く、大きなお団子を結っている。大きな頭を結う小さい顔、大きな目、小さい唇、小さい鼻。纒足をしなくても小さな足。それから背が低いこと。北峰での美人の条件は全て揃っていた。甘やかされて育っていて教養がなく、不躾なだけだった。だから悪意なく私を傷つけてくる。策略家なら仕返しできるのに、無邪気だからやり返しようが無かった。
私の母の品を奪っていくときは「貸して」の一言だし、先祖代々の家宝を無くしたり、壊したりした時は「わざとじゃない」の一言だった。彼女は絶対に謝らない。
弟の湖海の方は勉学を嫌い、遊び呆けている。父に似たのだろう。あの父に商家の跡取りが務まるのだから、湖海にも務まる。母との縁談を決めた父方の祖父が亡くなってから、浪費家ばかりの商家白家の財産は目減りするばかりではあったが、それでもあと3代ぐらいは遊んで暮らしていけそうではある。
だから16になったばかりの私に突然縁談が来たのは、寝耳に水であった。私は女学校を首席卒業したら、推薦で首都大樂京にほど近い白樂京の貴族の家で家庭教師の職を得て、家を出るつもりだったからである。まだ卒業まで半年もあるのに、学校も退学せねばならぬと父は言う。
「先代の崩御から3年、喪が開けるから皇帝がついに後宮を開くのだよ。璃華の後宮入りの準備には膨大なお金がかかるから、学費は出せない」
「それにね、長身で可愛げのないお前のような娘を持参金なしで貰ってくれるのよ。南鞍の薬問屋のご主人でね。仕入れの旅の途中にお店に寄った時、計算器を使うお前を見初めたらしいわ。支度金も弾んでくれたし、第五夫人ってことは余裕がある家だから大事にしてもらえるはずよ」
つまり縁談の話は私の承諾などなく、既に纏まった後なのである。店の手伝いで計算器を使っていた時に、やたら高齢の爺さんがしつこく絡んできたのを思い出した。南鞍訛りが酷くて、良く聞き取れなかったが、計算が正確で速いことと仕事ぶりを褒められた気がする。私のような容姿を気にいるのは考え難いから、第五夫人というより薬問屋に経理が必要だったのではないかと思った。勉学に励んだせいで、今や望まない相手に嫁ぐはめになりそうだ。
私の学費や支度金は莉華の後宮入りの準備に消え、私は妹が使い古した丈の足りない服と唯一残っている翡翠の簪だけを持って迎えに来た護衛と輿に揺られることになった。
肉親の涙もなく、爆竹も喇叭もならない侘しい門出である。南鞍は首都大樂京を通り抜け2週間はかかる道のりだ。本当は家庭教師として晴々した気持ちで辿るはずだった旅路を、私は胸に暗遁とした想いを抱えて進むのであった。
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