上 下
1 / 41
プロローグ

しおりを挟む
今は亡き美しい母は言った。

雲泪ユンレイは賢い子だから。美しい北方訛りの言葉、この国の本当の歴史と文化を勉強しなさい。見た目の美しさや芸だけでは無くて、勉強に励みなさい。そしたら男の人に頼らずに、望まない相手に嫁がなくても生きていける道があるのよ、と。

それは母自身の悲願だったかもしれない。

北峰ベイフォンより、もっと北。今は騎馬民族の支配する雲峰ユンフォン地域の名家に生まれた母は20年前の戦火に焼け出されなければ、商家白家パイジャの好色で我儘なドラ息子白湖洋パイフーヤンになどに嫁がなかっただろう。

雲の涙ユンレイ〟と名づけられた私は、母に良く似ていた。雲峰ユンフォン地域特有の白い肌、切長で色素の薄い瞳、細く長い鼻筋、薄い唇、艶やかな黒髪を持って産まれてきて、父に全く似ていなかった。母の望郷の象徴に違いなかった。北峰ベイフォンでは小さい女の子が好まれる。成長するにつれて、雲峰ユンフォン地域特有の高身に成長する私を父は「この地域では長身は嫁の貰い手がない」と、苦虫を潰したような顔で見ていた。

父の第二夫人は、派手好きで肉感的な璃紗々リササだ。母よりも先に婚約が決まっていたのに、身分の差で第二夫人に甘んじてしまったのを今も根に持っている。もう母は死んだのに、私で鬱憤を晴らすことを生き甲斐にしているような女性だ。私の異母妹にあたる莉華リーファと異母弟で跡取り息子の湖海フーハイは、彼女の子供にあたる。好色な父親だが、奥方を増やすと諍いが絶えないことには後悔があったらしい。廓や飯盛女には手を出して外に囲っても、娶ることはしなかった。つまり、この家は母亡き今、璃紗々リサァサの天下であった。

母が私に残してくれた財産は、全て莉華リーファに盗られ、肌身離さず持っているたったひとつ翡翠ひすいかんざしを残すばかり。雲峰ユンフォンの名家埜薇ヤーウェイの末裔である私に先祖の品はもはや何も残っていない。雲峰ユンフォン書体での刻印がある私の先祖の鼈甲べっこうくしを喜んで、派手に盛り上げたお団子頭に刺している莉華リーファを見れば、やはり無学は罪だと思う。埜薇ヤーウェイ家の宝石を身につけて、喜んでいる愚かさは哀れだ。

莉華リーファ自身は悪い子ではない。母譲りの大きな茶色い目に長いまつ毛。父に似て癖の強い髪は毛量が多く、大きなお団子を結っている。大きな頭を結う小さい顔、大きな目、小さい唇、小さい鼻。纒足をしなくても小さな足。それから背が低いこと。北峰ベイフォンでの美人の条件は全て揃っていた。甘やかされて育っていて教養がなく、不躾なだけだった。だから悪意なく私を傷つけてくる。策略家なら仕返しできるのに、無邪気だからやり返しようが無かった。

私の母の品を奪っていくときは「貸して」の一言だし、先祖代々の家宝を無くしたり、壊したりした時は「わざとじゃない」の一言だった。彼女は絶対に謝らない。

弟の湖海フーハイの方は勉学を嫌い、遊び呆けている。父に似たのだろう。あの父に商家の跡取りが務まるのだから、湖海フーハイにも務まる。母との縁談を決めた父方の祖父が亡くなってから、浪費家ばかりの商家白家パイジャーの財産は目減りするばかりではあったが、それでもあと3代ぐらいは遊んで暮らしていけそうではある。

だから16になったばかりの私に突然縁談が来たのは、寝耳に水であった。私は女学校を首席卒業したら、推薦で首都大樂京ダーラウジンにほど近い白樂京パイラウジンの貴族の家で家庭教師の職を得て、家を出るつもりだったからである。まだ卒業まで半年もあるのに、学校も退学せねばならぬと父は言う。

「先代の崩御から3年、喪が開けるから皇帝がついに後宮を開くのだよ。璃華リーファの後宮入りの準備には膨大なお金がかかるから、学費は出せない」
「それにね、長身で可愛げのないお前のような娘を持参金なしで貰ってくれるのよ。南鞍ナンアンの薬問屋のご主人でね。仕入れの旅の途中にお店に寄った時、計算器を使うお前を見初めたらしいわ。支度金も弾んでくれたし、第五夫人ってことは余裕がある家だから大事にしてもらえるはずよ」

つまり縁談の話は私の承諾などなく、既に纏まった後なのである。店の手伝いで計算器を使っていた時に、やたら高齢の爺さんがしつこく絡んできたのを思い出した。南鞍ナンアン訛りが酷くて、良く聞き取れなかったが、計算が正確で速いことと仕事ぶりを褒められた気がする。私のような容姿を気にいるのは考え難いから、第五夫人というより薬問屋に経理が必要だったのではないかと思った。勉学に励んだせいで、今や望まない相手に嫁ぐはめになりそうだ。

私の学費や支度金は莉華リーファの後宮入りの準備に消え、私は妹が使い古した丈の足りない服と唯一残っている翡翠ひすいかんざしだけを持って迎えに来た護衛と輿に揺られることになった。

肉親の涙もなく、爆竹も喇叭ラッパもならない侘しい門出である。南鞍ナンアンは首都大樂京ダーラウジンを通り抜け2週間はかかる道のりだ。本当は家庭教師として晴々した気持ちで辿るはずだった旅路を、私は胸に暗遁とした想いを抱えて進むのであった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない

めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」 村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。 戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。 穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。 夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

仮初め後宮妃と秘された皇子

くろのあずさ
キャラ文芸
西に位置する長庚(ちょこう)国では、ふたつの後宮が王家の繁栄を支えてきた。 皇帝のために用意されている太白宮と次期皇帝となる皇子のために用意されている明星宮のふたつからなり、凜風(リンファ)は次期皇帝の第一皇子の即妃、珠倫(シュロン)の女官として仕えている。 ある日、珠倫に共に仕えている女官の春蘭(シュンラン)があと三ヶ月で後宮を去ると聞かされ…… 「あの、大丈夫です。私もたいして胸はありませんが、女性の魅力はそれだけじゃありませんから」 「……凜風はやはり馬鹿なのですか?」 孤児で生まれ虐げられながらも、頑張るヒロインが恋を知って愛され、成長する成り上がり物語

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

『相思相愛ADと目指せミリオネラに突如出演の激闘20日間!ウクライナ、ソマリア、メキシコ、LA大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第3弾!』

あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第3弾! もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第3弾! 今度こそは「ハッピーエンド」!? はい、「ハッピーエンド」です(※あー、言いきっちゃった(笑)!)! もちろん、稀世・三郎夫婦に直とまりあ。もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。 今作も主人公も「夏子」! 今回の敵は「ウクライナのロシア軍」、「ソマリアの海賊」、「メキシカン・マフィア」と難敵ぞろい。 アメリカの人気テレビ番組「目指せ!ミリオネラ!」にチャレンジすることになってしまった夏子と陽菜は稀世・直・舩阪・羽藤たちの協力を得て次々と「難題」にチャレンジ! 「ウクライナ」では「傭兵」としてロシア軍の情報・指令車の鹵獲に挑戦。 「ソマリア」では「海賊退治」に加えて「クロマグロ」を求めてはえ縄漁へ。 「メキシコ・トルカ」ではマフィア相手に誘拐された人たちの解放する「ネゴシエーター」をすることに。 もちろん最後はドンパチ! 夏子の今度の「恋」の相手は、なぜか夏子に一目ぼれしたサウジアラビア生まれのイケメンアメリカ人アシスタントディレクター! シリーズ完結作として、「ハッピーエンド」なんでよろしくお願いしまーす! (⋈◍>◡<◍)。✧♡

たまゆら姫と選ばれなかった青の龍神

濃子
キャラ文芸
「帰れ」、と言われても母との約束があるのですがーー。 玉響雪音(たまゆらゆきね)は母の静子から「借金があるので、そこで働いて欲しい」と頼まれ、秘境のなかの旅館に向かいます。 そこでは、子供が若女将をしていたり働いている仲居も子供ばかりーー。 変わった旅館だな、と思っていると、当主の元に連れて行かれ挨拶をしたとたんにーー。 「おまえの顔など見たくない」とは、私が何かしましたか? 周囲の願いはふたりが愛し合う仲になること。まったく合わない、雪音と、青の龍神様は、恋人になることができるのでしょうかーー。 不定期の連載になりますが、よろしくお願い致します。

処理中です...