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第一章

第49話 母の怒り

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 この話の主な登場人物

 カトリーヌ 主人公(わたし)
 フランツ 護衛
 ヒルダ 家庭教師
 デニス 金髪の剣士

 ローザリンデ フランツの母
 フリーデ フランツの妹

  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 夕刻になり、会議に参加する列公が三々五々集まってきた。
 周囲はデニスの部隊が警戒してる。
 彼は元からいた二〇〇人の他に、さらに追加で呼び寄せた総勢八〇〇人で警備と案内の任務を仰せつけた。
 だからフランツのことを何処の何者か分からぬと訝しんでいる諸侯はその威容に驚いている様子だった。

 いまも一台の馬車がホール前に停車して、来客と従者が降り立つ。
 辺りを見回し難しい表情をしているとき声がする。

「いらっしゃいませ」

 その幼い声。
 しかも下からする。
 来客が視線を落とすとそこにはフリーデが居る。
 そう、フランツの妹フリーデだ。
 デニスが呼び寄せたお針子が仕立てたドレスを着て、愛らしさを際立たせた化粧を施し、スカートを持ち上げて正式な式典の挨拶で出迎える。

 厳つい従兵が出迎えると思っている来客は、幼い可愛らしい少女がきちんとした挨拶でそこに居るものだから面食らう。

「ザクセン公ゲオルクさま、おまちしておりました」

「ほっ」

 ここで名前を言われたザクセン公が驚く。

 ──この子供は、わたしを誰だか分かっているのか。と。

「日時もございませんのに、急にお呼び立てしてもうしわけありません。それであるのに参上していただき、まことにありがとうございます。主になりかわり、御礼の辞、お伝えいたします」

 その立て板の水のごとく挨拶。
 それにザクセン公は顔を崩す。

「お嬢ちゃん、名前は?」

「フリーデと申します。エーベルヴァインの長女にてございます」

「なるほど、ご婦人の」

 そう言って少女を見た。
 愛くるしい顔を自分に向け、大きな緑の目で見つめている。
 幼いのに気品を身にまとい始めている幼女を見た。
 そして顔の表情をふっと緩ませる。

 きょう、ここに集まる諸侯は権力の世界に居る。
 権謀術数に長け、政治工作や戦争といった世界の住人だ。
 だからここに訪れたとき、彼らは、身構えて到着する。
 会議は彼らの戦の場でもあるからだ。

 でも出迎えたのはフリーデ。
 それで彼らは顔をほころばせる。

「フリーデ、きちんと挨拶できて偉いね」

「お褒めにあずかり、きょうしゅくです」

 もうこの段階で諸侯は海千山千の政治の人間ではなく、人の良い小父さんやお爺さんになってしまう。腹に何やら抱え込んでいても、折り目正しく応対する幼女に居丈だけに強がるような無粋なことはできない。

 わたとしヒルダは入り口の脇に控え、その光景を見ている。
 そして頃合いと見て、前に進み出る。

「ようこそ、お待ちしておりました」と出向かえ、諸侯はわたしが、そして従者をヒルダがエスコートする。

「あなたは?」

 そうたずねられる。

「エーベルファイン家にお世話になっている者です」と、ぼかして答えた。

 ここでフォルチュ家の人間であることは伏せた。
 ややこしい状況がさらにややこしくなってしまう。
 それに、お世話になっているというのもあながち嘘でもない。

 そして席に案内するのだけど、諸侯のテーブルを挟んだ対面に従者を座らせる。
 つまり横に並んで座らせないようにしたのだ。
 会議のときに腹心や副官といった従者と相談させないためにだった。

 これら一連の流れは事前の計画だった。
 フリーデが出迎えるのも、わたしとヒルダがエスコートして席を離して座らせるのもすべて三人で決めた。

「フランツのためにわたしたちで出来ることをしましょう」とのわたしの提案に、「諸侯の顔を見て観察できるように席を離しましょう」とヒルダが、「わたし、がんばって挨拶おぼえる」とフリーデが決意を述べ、そして練習した。
「この会議を成功させる、その先兵はわたしたちよ」と決意して臨んでいるのだ。
 それが遺憾なく発揮されている。

 出席者がそろうまでまだ時間がある。
 先に到着した諸侯は葉巻やパイプを吸い、お茶をしている。
 ここでもわたしたちは一つの工夫をした。

 それはフロイライン ディー ケルネリン。
 ケルネリンとは、わたしの国の言葉でセルブーズ、英語でウェイトレスだ。
 ゲルマンの地にはビアホールが無数にある。
 その女性ウェイトレスをデニスの街から十数名ほど招き寄せ、給仕として働いてもらっている。
 ビアホールで給仕する女性達の衣装は殿方にすこぶる評判が良く、それをさらに洗練させた衣装を用意し、その艶やかな出で立ちで給仕している。

 それを見る諸侯の顔といったら、もうデレデレも良いところだ。
 この会議前の大事な時間というのに、難しい跡目相続や外交といったことに頭を使っていない。
 これはローザリンデ夫人の提案だった。

 その光景を見て、夫人は、「殿方のやに下がった表情ったらないわね、あれで名前のある貴族や侯爵の方々なんだから」と口に手の甲を当てて微笑している。

 その間も、わたしは方々の間を練り歩いて挨拶を交わし、これまで培ってきた外交手腕を発揮して顔と気がついた点を脇に控えている一人のケルネリンに伝え、メモしていった。
 集まった諸侯の数は二〇人を切った。
 三分の一も集まるかなと思われたが、予想通りだった。

 こうして時間は過ぎ、夕方五時半になって会議が始まった。
 開始の宣言がデニスの従兵により告げられ、各諸侯が着席する。
 そして待ち受ける中、フランツとデニス、そしてデニスの叔父であるベルクマン男爵が姿を現す。
 ベルクマン男爵は三〇後半の人の良さそうな人物で、後見人という立場だ。

 デニスは青い詰め襟のジャケット、そしてフランツは濃紺の詰め襟に赤と金糸の縁取りのあるジャケットを着ている。
 三人はテーブルの端、主催席に座る。
 フランツを中心として右にデニス、左がベルクマン男爵。その背後にはわたしとヒルダ、ローザリンデ夫人とフリーデが長いソファに着座する。

「おのおの方、急な参集に応じていただき、真にかたじけない」とベルクマン男爵が挨拶を述べる。
 そしてフランツの番になった。

「みなさん初めまして、フランツ・ラウレンツ・マルコ・エーベルヴァインです。長らくエルザスの地に赴いていましたが、こうして戻って参りました」

 その名はこの場にいる誰もが知っている。
 諸侯も、従者も、ケルネリンの少女たちも、誰もが知っている。
 あの『峠の別れ』の本人なのだから。
 みな、──この男が。という目で見ている。

「本日、ここに諸侯の方々に御集まりいただいたのは、事前にお伝えしているようにファルツ家の跡目としてわたしが就任する、その承認のためです」

 フランツが浪々とした声を響かせる。

「その前に、ファルツ本家はどうなっているんだ」と声がする。
 わたしはその声の主を見た。
 それはフリートラント公ヴァレンシュタインだった。

 わたしは扇子を広げ、さも横のヒルダと談笑している風を装って、背後に話しかける。
 ソファの背もたれには大きな衝立があり、その影に従兵が控えている。
 その彼に筆記を頼んである。
 わたしは小さな声で、「フリートラント公、発言。本家の意見をたずねる」と言い、それを記録してゆく。

「本家の方は問題はない。賛同を、これ、この通り、書簡でいただいておる」と後見人であるベルクマン男爵が銀のトレーに載せた二通の手紙を見せる。

 これで諸侯は本家は納得しているのかと、それぞれが思った。
 だけど、はやりというか有力諸侯は納得しかねる様子だ。
 そのように一問一答のようなやりとりが繰り広げられ、フランツは滞りなく会議を進行させてゆく。
 そしてある質問が投げかけられた。

「フランツとやら、このことを、貴殿の身柄を預かっていたフォルチュ家はどう思っているんだ」

 そう発言したのはバイエルン公アルブレヒトだ。

「フォルチュ家の当主は今回の跡目問題には何も関係しておりません」

「そんな馬鹿な。フォルチュ家と結託してプファルツ家を乗っ取り、ヴュルテンベルグ公国をも手中にしようとしているのではないのか?」

「そのようなことは誓って」

「ふん、どこの馬の骨だからわからぬ男がひょっこりと姿を現して跡取りを自称し、それで公家を継げると本当に思っているとでも」

「どこの馬の骨ですって」と震える声がする。
 ローザリンデ夫人だ。
 それまで静かに聞いていた夫人が、黙って居られなくなったのだ。
 そして続けた。

「黙って聞いていれば、どこの馬の骨とか自称とか随分な物言い。彼はわたしの息子です。この目は、あのときのあの子の目、そのものなのです。それを第三者が違うなどとどこまで侮辱すれば」

「といってもですな、十数年ぶりに帰ってきて、本人です、当主です言われて、我々もはいそうですかと」

「黙らっしゃい!」

「うっ」

「バイエルン公、あなたはあのとき、あの場所に居ましたよね」

 そう詰問されて公は黙ってしまった。

「フォルチュの王がフランツを人質にすると宣言したとき、わたしはその場に居並ぶ諸侯に助けを求めましたよね。その中に、バイエルン公、まだ若かった貴方も居りました。何とか諸侯が力を合わせてその決定を覆して欲しいと必死のお願いをあなた方は無視した。それだけではなく、フランツが早く戻れるように懇願の書を諸侯に送りましたが、それも無視された。つまり貴方たちは、フランツ一人を犠牲にして見て見ぬふりをしたのです。そしてここでまた、やっと帰ってきたフランツを偽物として無視しようとしている。諸侯だ列侯だと言う前に、人として恥を知らないのですか」

 わたしは夫人の、その言葉を聞いていた。
 ここに居るのはゲルマンでも有力な諸侯の集まりだ。
 国を変える力を持つ人々、その集団が、ローザリンデ夫人、一人の言葉に返す力もなかった。
 それは位や地位を超越した母の強さ、その物だったのだ。
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