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第一章

第24話 さようなら、わたしの家

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 この話の主な登場人物

 カトリーヌ 主人公(わたし)
 フランツ 護衛
 ヒルダ 家庭教師
 ドナード 御者、馬の世話係

 アラベル 妹
 ラジモフ 出入りの商人

  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 一瞬、ラジモフは気を飲まれて言葉を失っていた。
 だけどすぐに持ち直して、再び不敵な笑みを浮かべる。

「なかなかに気の強いお姫さまだ。その強がり、いつまで続くか」

 わたしはにらみ返す。
 だけどそのとき、フランツがわたしを抱き抱える。

「お嬢さま、ご免!」

 もう東方商会の傭兵集団がラジモフの背後にまで迫ってきていたのだ。
 だからフランツはわたしを抱えて走り出し、そのまま馬車に押し込んだ。
 さらにヒルダも後に続き、コンパートメントに二人して収まる。
 フランツは御者席に着くや、手綱を取って馬車を発車させた。
 わたしは窓から身を乗り出し、邸宅に向かって声を張り上げた。

「みんな、わたしは戻ってくる。絶対に戻ってくるから、それまでお家のこと、よろしくお願いいたします!」
 そう伝えた。

 誰が聞いているのかは分からない。
 でも言わずには居られなかった。
 それはヒルダも同じだった。

「みなさーん、一旦はここを離れるけど、また戻ってきまーす。それまでごきげんよう、さよーならー」

 馬車は急加速して行く。
 そして御者席で手綱をあずかるフランツも声をあげる。
 彼は一言、「また戻ってくるぞぉ」とだけ言った。

 さすがは駿馬、ボン・エトワールとポラリス。
 馬車であっても、普通の馬に乗ったときの走破と変わらぬ速度で走っている。
 わたしは背後を見た。
 いまにでも追っ手が来るのではないかと心配で見ていたのだが、誰も来なかった。

「ドナードさんが、うまくやってくれたらしい」

 そうフランツが言った。
 この馬車は普通の旅客馬車とは違い、御者席とコンパートメントが一体となって同じ車内になっている。
 なので彼と会話ができる。

「ドナードさんが」

「うん、あの人が厩舎の馬、そのすべての鞍を外してくれた」

「それで誰も馬で追跡してこないのね」


 ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 ちょうどその頃、邸宅の御者ドナードの部屋に東方商会の傭兵が来ていた。
 いわく、「馬の鞍が外れている。貴方が乗せるか、そうでなければ鞍を出してくれ」と要請したのだ。

 だけど、ドナードさんはベッドの上でうつぶせになりながら、「無理だ」と言った。
 そのあとに、「いちちちっ、持病のリュウマチで動けん。見ての通り、いまお灸治療しているから、明日でないと身体が動かんよ」
 そう言って断った。

 そしてその横では御殿医ベルモンが、「医師のわたしからも彼を動かすのは反対だ。いま無理をさせたら、もっと酷くなっちまう」と要請を突っぱねたのだ。
 これで邸宅の馬は使えず、それで追跡はこなかった。

 ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 そんなことがあったなどとはいまは知らず、それが判明するのはのちのこと。
 しばらくは順調に馬車は走っている。
 そして大河にぶつかり、そのまま北上してゆく。
 それは先日、フランツが下見をした道程だ。
 だからここまでは何事もなく、快調に進んでいた。

 ようやく落ち着きを取り戻したわたしは、そのとき初めて馬車の内部を見ることができた。
 何時も使っているような華美な装飾のあるような馬車ではない。
 もっと質素で、木の地肌がそのまま見えている。

 脱出計画の相談をしているときに、フランツは豪華な馬車では目立つので使わないと言っていた。
 それがこれなのだと思った。

 だけどそんな質素な馬車でありながら、乗り心地は良かった。
 荷車のような馬車ならもっとがたがたと揺れるはずだけど、この馬車は衝撃があまりない。
 その理由をフランツに訪ねる。
 そうしたら彼は、「ああ、板バネを使っているんですよ。普段のお家で使っている馬車と同じです」と言った。

「こんな馬車、お家にあったかしら」

「この馬車、車輪と下の架台はもとはフォルチェ家の送迎用です。だから足回りは一級品。その古くなって壊れているものを倉庫で以前見たことを思い出し、その上にコンパートメントを載せ替えたんです」

「それ、フランツがやったの?」

「自分一人ではこんなことできません。ドナードさんに相談したら、邸宅を修繕している大工や工房のみなさんに声をかけていただいて、それで手伝っていただきました。座席も針子の方々が革を張り替えたり、クッションを縫ったりして新しくしてくれて。みな、詳しい事情を説明しなくとも、それとなくお嬢さまのためだと分かっていたみたいで、数日で完成させてくれたんですよ」

「そう、なの」

 わたしは返事をしたまま俯いた。
 感激で涙がでたからだ。
 みな、こんなわたしのために力を貸してくれる。その技能を役立ててくれている。

 木を切ったり、組み合わせて、家や家具を作る技術。
 布を縫い合わせて服やクッションを作る技術。
 鉄を熱して、叩いて、曲げて、道具を作る技術。
 食材から生きる力となる料理を作る技術。
 手から生み出される、もっと、もっと沢山の技能。
 そんな掛け替えのない力をより集めて、人は何かを生み出して行く。
 それを惜しげもなく活用して、わたしのために使ってくれている。
 見えないところでも、そうやって助けてくれている人たちが大勢いる。

 辛いこと、怖いことなど困難が続いてはいるけれど、いまここに居るフランツとヒルダ以外にも、邸宅のスタッフ、さらには近隣の人々、そんな方々にわたしは守られているのだということを強く感じられた。
 それで出た涙だった。

「お嬢さま、よかったですね」
 察したヒルダが言ってくれた。

 わたしは、「うん」とうなずいたあと、指先でそっと涙を拭いた。
 そしていつかみんなに恩返しがしたいなと思っていた。
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