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<前編>
第28話 本日のお仕事18 贈り物
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日の光が部屋に差し込んでいる。パストゥール家のゲストルームだと思うからか、日の入り方まで上品に見えた。わたしは身体を起こして大きく伸びをする。
いっぱい眠ったからか、スッキリしている。
控えめなノック音がして、どうぞと声をかけると入ってきたのはメルさんだった。
嘘、顔を洗うための水を持ってきてくれている。
「おはようございます。お早いですね。具合はいかがですか?」
「おはようございます。おかげさまで、すっかりよくなりました。すみません、思いきりお世話になってしまって」
「よかったです。主より大切なお客様に仕えるよういいつかっておりますので、お気になさらず」
うっ。
「いえ、あの、そんな」
同じ平民のメイドをお客様扱いするなんて嫌なはずだ。具合が悪いならいざ知らず。
「ふふ。これはもう神様からのご褒美だと思ってお嬢様気分を楽しまれたらいかがですか?」
メルさんは優しい人だ。
わたしが何も言えずにいると教えてくれた。パストゥール家で働くものは教育の一環として、もてなしを受ける側、つまりいつも自分たちがやっていることはどう受け取られ感じることなのかを体験するために、2週に一度誰かがお客様となり、お客様としてもてなされてみるということをしているそうだ。だから自分もお客様扱いをしてもらったこともあるし、仲間をお客様と思って仕えることもする。それもいい勉強になるのだと。みんな慣れていることだから、そんなに緊張しなくてもいいと笑ってくれた。
でも確かに、こんな立ち位置を味わえるなんて、人生においてきっとない。だとしたら、このごっこを思いきって楽しんでしまうのも悪くないかも。
「お嬢様、お風呂のご用意をしましょうか? 昨日汗をかかれましたから」
「お風呂、ですか!?」
さすが伯爵家! お湯の用意もあるのね。
目を輝かせてしまったわたしに、メルさんはクスクス笑う。
「ただいま、ご用意をいたしますね」
瞬く間に数人のメイドたちが現れて、湯船の用意をしてお湯を入れてくれた。料理人たちが起きだすぐらいの時間だろうに、朝もはよからこんなにいっぱいのメイドさんがすでに仕事に取り掛かっている。でも、みんな働くことが楽しいというように溌剌としていて、気持ちがいい。教育にも力を入れているみたいだし、仕える者にとってパストゥール家はありがたい職場なのだろう。
貴族の間でシャワー室は一般的になってきたけれど、湯船はまだあまり親しまれていない。領地では水が豊富だからシャワー室も浴槽もあるけれど。
平民は大衆浴場を使う。湯船も一応あるけれど、毎日お湯を変えるわけではないので、お湯を変えた日のその時間はとても混み合う。それ以外の時間で行けば浸かったら余計によごれそうな汚いお湯なので入る人はほぼいない。だからシャワーを浴びるだけになるが、それなのにいい値段ではあるので時々しか行けていないのが実状だ。それに人の目があるところでは本当の髪を洗うわけにもいかないので、髪は家でしか洗っていない。
洗うのを手伝ってくれるというのはお断りして、本来の髪を洗う。石鹸も香り高くていいものが用意されている。湯船に浸かれば強張っていた身がほぐれていく。いいなぁ、金持ち。
髪を乾かすのはメルさんが手伝ってくれた。タオルで根気よく水分を拭き取り櫛で丁寧に梳いてくれる。
「朝食はどうなさいます? 皆様と召し上がられますか、それともお部屋で?」
「食事は結構です」
「お風呂に入って体調が悪くなりましたかっ?」
メルさんが慌てる。
「いえ、いつも食べていないので」
「……ではいつもは昼と夕食を?」
「いいえ、仕事が終わってから食べます」
「……それはどうしてですか?」
どうして? えーと……
「習慣、ですかね?」
いいながら首を傾げていた。あんまり考えたことはなかった。今はある程度稼げるようになったから領地へ仕送りをしてもご飯も食べられるようになったけど、最初はお金がなかったから削っていくのは食費だった。少しでも口にすると余計にひもじくなるので、わたしは食事は一日一回に決めた。仕事が終わってから、その日の反省を含めながら自分に罰を与えたりご褒美をあげたりしながら一人きりの質素な晩餐を楽しんできた。仕事にパワーが入りそうな時はさすがに朝ごはんを少し食べたけどね。
「領……田舎から出てきて物価があまりに高くて。食費を削るようにしたら、それに慣れてしまって」
「ご家族は?」
「あ、……ひとりです」
「そう。でも今日は病み上がりだから栄養を取らないと。こちらに食事を持ってくるわ。食べて、服を選んでお化粧をして。それから仕事に出る前に贈り物は開けた方がいいのではないかしら?」
メルさんに指摘されて、わたしは慌てて時計を見た。本当だ。お風呂に時間を使ってしまったから、一般的な起きる時間になってしまっている。
メルさんはわたしの返事を聞かずに、パタパタと部屋から出て行ってしまった。
服、どうしよう。わたしが着てきたのはテオドール様のお屋敷のお仕着せだし。
そうすると宰相様からのお見舞い品のあのお嬢様仕様のものから選ぶしかない……。
近くに行き手にとってみる。お茶会にきていけそうなドレスが3点、そして大人しめなワンピースが2点と夜着にローブ。既製品でもこのドレス3点で2年分以上のお給料が吹っ飛ぶ。身分の高い方ってこんなぶっ飛んだ贈り物をするの!?
とにかくお礼のお手紙を書かなくては。便箋とか用意してもらえるかな? メルさんに聞いてみよう。髪がほぼ乾いたので結んでウィッグをつける。窓から朝の光が行き届いた庭を見ているとノックがありメルさんがワゴンを持って入ってきた。
「さ、お食事ですよ」
4人で使うようなテーブルの上に、所狭しとご馳走が並ぶ。パンにチーズにハム。タレのかかった鶏肉。生野菜のサラダと温サラダに黄金色に透き通ったコンソメスープ。小さなパンケーキにはクリームと果物が飾り付けられている。
「ど、どなたか一緒に?」
メルさんは首を横に振る。
「いいえ、リリアンさんのお一人分ですよ。ほら、早く召し上がって用意をしないと坊ちゃんが来ちゃいますよ」
バスローブのまま、椅子に座らせられる。
でも、これ量が多すぎ。絶対ひとりじゃ食べられない。
「メルさんも一緒に」
メルさんは苦笑する。
「仕事中ですのでいただけませんが、わかりました。食べきれなかったら、私がメイド仲間と一緒にいただきますから、食べられるところまで召し上がってください」
そう言われて、わたしは素直にスプーンを手にとった。
こんな澄んだスープ、初めて見た。
食前の感謝の言葉を口にして、スープを一口。うわー、深い味わい。すっごく美味しい。
温野菜のサラダも、それぞれの野菜がオイル込みで茹でてあるみたいで、ただ茹でているだけじゃないおいしさだ。塩だけでも十分美味しい。鶏肉は甘辛く味がついていて、ジューシーさも保たれている。もうそこでお腹はいっぱいだったが、パンケーキをどうしても食べたくて手を出してしまう。生クリームをたっぷりつけて果物も一緒にいただく。甘くておいしー。幸せ!
朝からこんなおいしいものを食べられるなんて夢のようだ。
「ご馳走様でした」
「もうおしまいですか?」
「十分いただきました! お腹いっぱいです」
メルさんは給仕をしながら、服を選んでくれたりもして、そのワンピースに着替える。お化粧道具も揃っていて、わたしは自分でお化粧をした。
「見事ですね。ぱっと見だと同一人物とは思わないかもしれません」
割と印象が変わると思うんだよね。プラス髪の色が違えばかなりごまかせると思う。
ノックがあり、メルさんが出て行く。
「リリアンさん、坊ちゃんがいらしても大丈夫ですか?」
「はい」
少ししてからマテュー様がやってきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「顔色はいいですね、大丈夫ですか?」
「はい、すっかりよくなりました」
「朝食にいらっしゃらなかったので心配しましたが、食事は取られたようですね」
「あ、はい。部屋でいただきました。素晴らしい食事でした。ありがとうございます」
「いえ、そんな。……その服はボウラー伯爵様から贈られたものですね」
「え、はい。着ていた服はお仕着せだったので……」
「俺からも少し用意させてもらいました。よかったら着てください」
マテュー様が合図すると後ろからハンスさん、メイドさんたちが服やら何やらを運んできた。びっくりするほどいっぱい。
「マテュー様、これは……」
「お詫びの一部です。ドアが直るまでここで暮らしていただきます。不便がないようにいろいろ揃えてみましたが、きっと足りないと思います。その時はメイドに伝えてください」
いやいや、これはお詫びを超えている、とっくに。
「あの、ありがとうございます。でもこれはいくらなんでもいただきすぎで……」
マテュー様が手を合わせてパチンと音を立てる。
「そうだ、贈り物を開けましょう。特に陛下からのお菓子は食べてみないと。メル、用意してくれ」
いつの間にかテーブルの上には朝食の残骸は残っておらず、お茶の用意がされていた。マテュー様に促されてテーブルにつく。お腹はいっぱいだったが、確かに陛下にだけはすぐにお礼状を送らないとまずいと思い、お菓子をいただく。そんな手紙を出しても実際陛下まで届くわけではないが、いただいたことに対して受け取りこちらからも何かしたアクションが大切で、それをしないことはこの身分差がはっきりしている世界では命取りになる。
薄いふんわりした焼き菓子にチョコレートを挟んだもので、とても美味しかった。
満腹なのに、スッと入ってしまった。陛下から賜った特別なお菓子だからマテュー様にもメイドさんたちにも食べてもらった。マテュー様が連れてきたメイドさんのひとりがとても字が上手でお礼状などよく書いてもらうメイドさんだというので、わたしもお願いすることにした。書き慣れている人なら草案を作らなくても伝えたいことだけ口にすれば、身分や関係性など考慮した上でうまく書いてくれるからだ。
お菓子の見た目も可愛らしくて、その上口の中でチョコと生地がほどけていくのが夢心地でしたと感想を伝えておいた。気にかけていただいて光栄すぎることも。
わたしが伝えるのをマテュー様は楽しそうに聞いてらした。
そして次々に贈り物をオープンしていって、お礼状を書いてもらう。マテュー様が全部手配して届けてくださるというので甘えてしまった。だってそんなお金は逆立ちしたって出てこない。今月の家賃を払ったら残金はほぼなくなり、1週間後のお給金をいただくまで収入はない。食べるものは家にあるものでなんとか食いつなぐつもりでいた。
こんなに贈り物をもらうのは初めてじゃないかと思う。小さい頃の誕生日プレゼントでもこの量はなかった。それも一級品、素晴らしいものばかり。
でも、どうしよう。これ全部持ち帰れない気がする。わたしの家に収納できない。
と考えていると、後ろにマテュー様が立っていた。
「動かないで」
「え?」
マテュー様がわたしの髪に何かしている。すぐ後ろにマテュー様の体温を感じて、固まるしかできない。昨日奥様がおっしゃった、マテュー様に運ばれたというのを思い出して、顔がカッと火照る。わたし、何意識しちゃってるの?
メルさんに手鏡を渡された。メルさんも鏡を持っていて合わせ鏡で後ろ髪がどうなっているのかがよく見えた。髪留めがつけられていた。多分、ラピスラズリ?が輝く美しい飾りだった。マテュー様の瞳の色みたいだ。
そんなわたしを満足気にみつめているマテュー様が鏡に映り込んで、胸がどきんと跳ねた。鏡ごしに目が合う。真っ赤になっているわたしを見られた。
マテュー様がわたしの肩に手をかけ、くるりと自分の方へ向ける。
「顔が赤いですね」
おでこに手をあてられて、硬直する。
「……熱ではないようだ」
「だ、大丈夫です」
足を一歩後ろに引くと、マテュー様も一歩踏み出す。
マテュー様がわたしの耳に口を寄せささやく。
「逃げないで。逃げられると捕まえて放せなくなるから」
見あげれば切なげな表情なのに、瞳だけは熱っぽく甘くわたしを見ていた。
いっぱい眠ったからか、スッキリしている。
控えめなノック音がして、どうぞと声をかけると入ってきたのはメルさんだった。
嘘、顔を洗うための水を持ってきてくれている。
「おはようございます。お早いですね。具合はいかがですか?」
「おはようございます。おかげさまで、すっかりよくなりました。すみません、思いきりお世話になってしまって」
「よかったです。主より大切なお客様に仕えるよういいつかっておりますので、お気になさらず」
うっ。
「いえ、あの、そんな」
同じ平民のメイドをお客様扱いするなんて嫌なはずだ。具合が悪いならいざ知らず。
「ふふ。これはもう神様からのご褒美だと思ってお嬢様気分を楽しまれたらいかがですか?」
メルさんは優しい人だ。
わたしが何も言えずにいると教えてくれた。パストゥール家で働くものは教育の一環として、もてなしを受ける側、つまりいつも自分たちがやっていることはどう受け取られ感じることなのかを体験するために、2週に一度誰かがお客様となり、お客様としてもてなされてみるということをしているそうだ。だから自分もお客様扱いをしてもらったこともあるし、仲間をお客様と思って仕えることもする。それもいい勉強になるのだと。みんな慣れていることだから、そんなに緊張しなくてもいいと笑ってくれた。
でも確かに、こんな立ち位置を味わえるなんて、人生においてきっとない。だとしたら、このごっこを思いきって楽しんでしまうのも悪くないかも。
「お嬢様、お風呂のご用意をしましょうか? 昨日汗をかかれましたから」
「お風呂、ですか!?」
さすが伯爵家! お湯の用意もあるのね。
目を輝かせてしまったわたしに、メルさんはクスクス笑う。
「ただいま、ご用意をいたしますね」
瞬く間に数人のメイドたちが現れて、湯船の用意をしてお湯を入れてくれた。料理人たちが起きだすぐらいの時間だろうに、朝もはよからこんなにいっぱいのメイドさんがすでに仕事に取り掛かっている。でも、みんな働くことが楽しいというように溌剌としていて、気持ちがいい。教育にも力を入れているみたいだし、仕える者にとってパストゥール家はありがたい職場なのだろう。
貴族の間でシャワー室は一般的になってきたけれど、湯船はまだあまり親しまれていない。領地では水が豊富だからシャワー室も浴槽もあるけれど。
平民は大衆浴場を使う。湯船も一応あるけれど、毎日お湯を変えるわけではないので、お湯を変えた日のその時間はとても混み合う。それ以外の時間で行けば浸かったら余計によごれそうな汚いお湯なので入る人はほぼいない。だからシャワーを浴びるだけになるが、それなのにいい値段ではあるので時々しか行けていないのが実状だ。それに人の目があるところでは本当の髪を洗うわけにもいかないので、髪は家でしか洗っていない。
洗うのを手伝ってくれるというのはお断りして、本来の髪を洗う。石鹸も香り高くていいものが用意されている。湯船に浸かれば強張っていた身がほぐれていく。いいなぁ、金持ち。
髪を乾かすのはメルさんが手伝ってくれた。タオルで根気よく水分を拭き取り櫛で丁寧に梳いてくれる。
「朝食はどうなさいます? 皆様と召し上がられますか、それともお部屋で?」
「食事は結構です」
「お風呂に入って体調が悪くなりましたかっ?」
メルさんが慌てる。
「いえ、いつも食べていないので」
「……ではいつもは昼と夕食を?」
「いいえ、仕事が終わってから食べます」
「……それはどうしてですか?」
どうして? えーと……
「習慣、ですかね?」
いいながら首を傾げていた。あんまり考えたことはなかった。今はある程度稼げるようになったから領地へ仕送りをしてもご飯も食べられるようになったけど、最初はお金がなかったから削っていくのは食費だった。少しでも口にすると余計にひもじくなるので、わたしは食事は一日一回に決めた。仕事が終わってから、その日の反省を含めながら自分に罰を与えたりご褒美をあげたりしながら一人きりの質素な晩餐を楽しんできた。仕事にパワーが入りそうな時はさすがに朝ごはんを少し食べたけどね。
「領……田舎から出てきて物価があまりに高くて。食費を削るようにしたら、それに慣れてしまって」
「ご家族は?」
「あ、……ひとりです」
「そう。でも今日は病み上がりだから栄養を取らないと。こちらに食事を持ってくるわ。食べて、服を選んでお化粧をして。それから仕事に出る前に贈り物は開けた方がいいのではないかしら?」
メルさんに指摘されて、わたしは慌てて時計を見た。本当だ。お風呂に時間を使ってしまったから、一般的な起きる時間になってしまっている。
メルさんはわたしの返事を聞かずに、パタパタと部屋から出て行ってしまった。
服、どうしよう。わたしが着てきたのはテオドール様のお屋敷のお仕着せだし。
そうすると宰相様からのお見舞い品のあのお嬢様仕様のものから選ぶしかない……。
近くに行き手にとってみる。お茶会にきていけそうなドレスが3点、そして大人しめなワンピースが2点と夜着にローブ。既製品でもこのドレス3点で2年分以上のお給料が吹っ飛ぶ。身分の高い方ってこんなぶっ飛んだ贈り物をするの!?
とにかくお礼のお手紙を書かなくては。便箋とか用意してもらえるかな? メルさんに聞いてみよう。髪がほぼ乾いたので結んでウィッグをつける。窓から朝の光が行き届いた庭を見ているとノックがありメルさんがワゴンを持って入ってきた。
「さ、お食事ですよ」
4人で使うようなテーブルの上に、所狭しとご馳走が並ぶ。パンにチーズにハム。タレのかかった鶏肉。生野菜のサラダと温サラダに黄金色に透き通ったコンソメスープ。小さなパンケーキにはクリームと果物が飾り付けられている。
「ど、どなたか一緒に?」
メルさんは首を横に振る。
「いいえ、リリアンさんのお一人分ですよ。ほら、早く召し上がって用意をしないと坊ちゃんが来ちゃいますよ」
バスローブのまま、椅子に座らせられる。
でも、これ量が多すぎ。絶対ひとりじゃ食べられない。
「メルさんも一緒に」
メルさんは苦笑する。
「仕事中ですのでいただけませんが、わかりました。食べきれなかったら、私がメイド仲間と一緒にいただきますから、食べられるところまで召し上がってください」
そう言われて、わたしは素直にスプーンを手にとった。
こんな澄んだスープ、初めて見た。
食前の感謝の言葉を口にして、スープを一口。うわー、深い味わい。すっごく美味しい。
温野菜のサラダも、それぞれの野菜がオイル込みで茹でてあるみたいで、ただ茹でているだけじゃないおいしさだ。塩だけでも十分美味しい。鶏肉は甘辛く味がついていて、ジューシーさも保たれている。もうそこでお腹はいっぱいだったが、パンケーキをどうしても食べたくて手を出してしまう。生クリームをたっぷりつけて果物も一緒にいただく。甘くておいしー。幸せ!
朝からこんなおいしいものを食べられるなんて夢のようだ。
「ご馳走様でした」
「もうおしまいですか?」
「十分いただきました! お腹いっぱいです」
メルさんは給仕をしながら、服を選んでくれたりもして、そのワンピースに着替える。お化粧道具も揃っていて、わたしは自分でお化粧をした。
「見事ですね。ぱっと見だと同一人物とは思わないかもしれません」
割と印象が変わると思うんだよね。プラス髪の色が違えばかなりごまかせると思う。
ノックがあり、メルさんが出て行く。
「リリアンさん、坊ちゃんがいらしても大丈夫ですか?」
「はい」
少ししてからマテュー様がやってきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「顔色はいいですね、大丈夫ですか?」
「はい、すっかりよくなりました」
「朝食にいらっしゃらなかったので心配しましたが、食事は取られたようですね」
「あ、はい。部屋でいただきました。素晴らしい食事でした。ありがとうございます」
「いえ、そんな。……その服はボウラー伯爵様から贈られたものですね」
「え、はい。着ていた服はお仕着せだったので……」
「俺からも少し用意させてもらいました。よかったら着てください」
マテュー様が合図すると後ろからハンスさん、メイドさんたちが服やら何やらを運んできた。びっくりするほどいっぱい。
「マテュー様、これは……」
「お詫びの一部です。ドアが直るまでここで暮らしていただきます。不便がないようにいろいろ揃えてみましたが、きっと足りないと思います。その時はメイドに伝えてください」
いやいや、これはお詫びを超えている、とっくに。
「あの、ありがとうございます。でもこれはいくらなんでもいただきすぎで……」
マテュー様が手を合わせてパチンと音を立てる。
「そうだ、贈り物を開けましょう。特に陛下からのお菓子は食べてみないと。メル、用意してくれ」
いつの間にかテーブルの上には朝食の残骸は残っておらず、お茶の用意がされていた。マテュー様に促されてテーブルにつく。お腹はいっぱいだったが、確かに陛下にだけはすぐにお礼状を送らないとまずいと思い、お菓子をいただく。そんな手紙を出しても実際陛下まで届くわけではないが、いただいたことに対して受け取りこちらからも何かしたアクションが大切で、それをしないことはこの身分差がはっきりしている世界では命取りになる。
薄いふんわりした焼き菓子にチョコレートを挟んだもので、とても美味しかった。
満腹なのに、スッと入ってしまった。陛下から賜った特別なお菓子だからマテュー様にもメイドさんたちにも食べてもらった。マテュー様が連れてきたメイドさんのひとりがとても字が上手でお礼状などよく書いてもらうメイドさんだというので、わたしもお願いすることにした。書き慣れている人なら草案を作らなくても伝えたいことだけ口にすれば、身分や関係性など考慮した上でうまく書いてくれるからだ。
お菓子の見た目も可愛らしくて、その上口の中でチョコと生地がほどけていくのが夢心地でしたと感想を伝えておいた。気にかけていただいて光栄すぎることも。
わたしが伝えるのをマテュー様は楽しそうに聞いてらした。
そして次々に贈り物をオープンしていって、お礼状を書いてもらう。マテュー様が全部手配して届けてくださるというので甘えてしまった。だってそんなお金は逆立ちしたって出てこない。今月の家賃を払ったら残金はほぼなくなり、1週間後のお給金をいただくまで収入はない。食べるものは家にあるものでなんとか食いつなぐつもりでいた。
こんなに贈り物をもらうのは初めてじゃないかと思う。小さい頃の誕生日プレゼントでもこの量はなかった。それも一級品、素晴らしいものばかり。
でも、どうしよう。これ全部持ち帰れない気がする。わたしの家に収納できない。
と考えていると、後ろにマテュー様が立っていた。
「動かないで」
「え?」
マテュー様がわたしの髪に何かしている。すぐ後ろにマテュー様の体温を感じて、固まるしかできない。昨日奥様がおっしゃった、マテュー様に運ばれたというのを思い出して、顔がカッと火照る。わたし、何意識しちゃってるの?
メルさんに手鏡を渡された。メルさんも鏡を持っていて合わせ鏡で後ろ髪がどうなっているのかがよく見えた。髪留めがつけられていた。多分、ラピスラズリ?が輝く美しい飾りだった。マテュー様の瞳の色みたいだ。
そんなわたしを満足気にみつめているマテュー様が鏡に映り込んで、胸がどきんと跳ねた。鏡ごしに目が合う。真っ赤になっているわたしを見られた。
マテュー様がわたしの肩に手をかけ、くるりと自分の方へ向ける。
「顔が赤いですね」
おでこに手をあてられて、硬直する。
「……熱ではないようだ」
「だ、大丈夫です」
足を一歩後ろに引くと、マテュー様も一歩踏み出す。
マテュー様がわたしの耳に口を寄せささやく。
「逃げないで。逃げられると捕まえて放せなくなるから」
見あげれば切なげな表情なのに、瞳だけは熱っぽく甘くわたしを見ていた。
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