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わたし、魔法少女の仕事が一段落つきました(あれ、何か忘れているような)
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さて、残りはあとはひとり
何だか、名残惜しいようなきもするけれど。
物足りないような気もするけれど。
だけど、もう、いいや。
さっきの話だと、わたしのお仕事はこれからも続くみたい。
これからも、続けていかなくなちゃ、いけないみたい。
でも、そのために。
続けていく条件は、いまはまだ、置いておくとして。
それはまだ、考えないようにするとして。
それはまたそれとして。
とにかく、いまはそんなのどんとこい。
わたしが戦わなきゃいけないやつらは、まだまだいるみたいだし。
わたしが魔法少女であり続けたいと、望みを叶えようとするならば。
わたしが殺していいやつらも、おんなじくらいいるみだいだし。
わたしが魔法少女であることで、願いを果たそうとするならば。
まだまだわたしが愉しめるなら、これからまだまだ愉しいことが待っているのなら。
いくらでもわたしが食べ尽くして、どれだけあっても呑み込んでやる。
だから、そんなの全部、どんとこい、だ。
と、いうわけで。
こいつらのことは、もう、いいや。
人生は、先読みと引き際が重要だって、母もそう言ってたし。
どんなに未練に思っても。どれだけ後ろ髪をひかれても。
終わりは終わり。最後は最後。
けじめはしっかり、つけなきゃね。
それに最後のやつをどうするかは、割と最初に決めていた。
こいつらが、こういうやつらだと、わかったときから決めていた。
なので、さっき緑の目に言ったことはホントのことだ。
だからって。
「じゃあボクは、キミがいったいどうするか、何をやってくれるのか、後ろからじっくり観せてもらうね」
なぜプレッシャーをかけてくる。
「キミならきっと、今までにないものを観せてくれるはずだと、ボクは今から期待で胸が一杯だよ」
なぜハードルをあげてくる。
「うん、任せて。大船にのったつもりで、後ろでゆっくり見ていてよ」
いつか泥舟にのせて沈めてやる。
とは言っても、やることは変わらない。
変えるつもりも、当然ない。
あんたの期待に、応えてあげるつもりもない。
そのために、まずは邪魔なものをかたずけなくちゃ。
わたしは、足もとで死にぞこなってるこいつを、ボコッと蹴って放り出す。
狙いはわたしの積み上げたゴミの山、そのてっぺん。
そいつはわたしの狙ったとおり、ドチャッと湿った音をたてて落っこちた。
あれ、なんで?
自分のやったことを、自分で不思議に思うなんて、変な話しだけど。
それも、自分の思ったとおりの結果がででるのに。
でも、だからこそ不思議に思う。
わたしって、こんなに運動できたっけ?
「それは、魔法少女になったせいだよ」
よし、わたしはこれにはもう慣れた。
「魔法少女になると、運動までできるようになるの?」
「そういうわけじゃないよ。さっきも言ったけど、魔法少女になると魔力で身体能力が強化されるんだ。ちゃんと説明したはずだけど、覚えてる?」
「ちゃんと覚えてるよ。なんか魔力とかそのへんのことは、特に説明されてないことも」
「そう、それはよかった。ああ、魔力のことについてはちゃんとあとで説明するから安心して。それとも今知りたい?」
「いや、いまはいいよ、必要ないから。それより、いま知りたいことを教えて」
「キミが聡明な子で、ボクは本当に嬉しいよ」
嫌味か貴様。
「わたし、学校のテスト、あんまりよくないんだけど」
「そんなことは関係ないよ。学校の勉強ができるかどうかは、あまり重要なことではないとボクは思うよ。どうやってお腹を一杯にするかに関しては。そのための知能には意義があり、そのために知識には意味があるんだと、思うけどね。生きるために、生き残っていくために。それはキミ自身がよく解ってることだと思うよ」
それは、その言葉は、わたしにとって、痛いほどによく響く言葉だった。
胸に刺さって痛く、カラッポのお腹に響く、重い言葉だ。
「勿論、学問や研究の分野や仕事で生きていこうとするのなら、ご飯を食べていこうとするのなら、話は全く異なるだろうけどね。あの業界ではまず最低限、学校の勉強ができないとお話にならないようだからね。その点でいうと、確かにキミにはあまり向いてないだろうね」
ずいぶんと知ったふうに、この世間のことを話すね、この緑の目は。
実際、わたしなんかよりよっぽど世間のあれこれについて、詳しくよく知ってるんだろうけど。
でも、あれ、なんだか話しが一周して元に戻ってきたような。
それってやっぱり。
「やっぱり、わたしを頭の悪い子だって言いたいわけ?」
「全然違うよ。キミは本質を見極め、必要なのものを見極める目を持っている。だから生きることを、生き残っていくことがちゃんとできる子だって。それがさっき言った、キミの持つ力、純粋で圧倒的な暴力以外のもうひとつの力、極限まで磨かれた生存能力がある、そう言いたいだけだよ」
そうなんだ。ふーん、そういうふうに言われれると、まあ、なんだかその。
悪い気はしないかな。
「単に偏執的なまでに生き汚い、とも言えるけどね」
そんなことは言わなくていい。
なぜ悪いほうへ言い換えようとする。
まったくもう、気分が悪い。
「それに、今キミが覚えた疑問がこの状況で必要な情報なのかどうか、ボクは不思議に思うけどね」
よーし、もう決めた。いつか絶対沈めてやる。
グルグルの簀巻きにして、重りをたっぷりくくりつけて、二度と浮いてこないように。
一生魚と仲良く暮らせるように。
「でも、キミが必要だと判断したのなら、それは必要なことなんだろうね。ボクはキミの直感を信じてるから」
あー、はい、そうですか。
「で、結局どういうことなの?」
「キミの今迄の運動性能の悪さは、元の身体能力の低さが主な、というかそれが唯一の原因だね。寧ろ神経系の発達に関してはかなり鍛え込んであるね。そもそもいきなり身体能力が跳ね上がって、すぐさままともに動ける人間なんてそうそういないよ。今迄どおりの感覚でアクセルを踏んだら、一瞬で法定速度を置き去りにするようなものだからね。だから、魔法少女が死ぬケースというのは、初めて変身したときが最も多いんだ。最初にしてかなりの試練だね。でもキミは、初めてでも何の問題もなく適応してみせた。それどころか、自分の力を十全以上に使いこなせている。だから、キミが不思議に思うことは全くないよ。さっきの結果は、あれくらいのことは、キミなら出来て当然のことなんだから。キミの発達した運動系に、やっと身体能力が追いついた。いや、追いついただけじゃなく、完璧な融合と完全な適合を果たしている。またしてもこんな頼もしいパートナーに巡り会えるなんて、ボクは本当に嬉しいよ。これはキミのことをもっとよく知りたいから訊くことだけど、何かやってた?」
それは、まあ、いろいろと。
母から教えられて、いろいろと。
それこそ、生きるために、生き残るためにいろいろと。
だからわたしは、いま生きていられるだろうけど。
生きることができなかったらしい、他の子たちと違って。
だけどわたしは。
「よく外で遊んでたから、そのせいじゃないかな」
そう言って、ホントのところはとぼけてみせる。
事実を偽ったわけじゃない。
ホントにわたしは、山でも森でも、自然のなかを遊びまわってた。
それは、家のなかには娯楽がほとんどないという、我が家の事情は、まあ関係ないとしておくとして。
山や森のなかで遊んでいると、結構美味しい発見があったから、いうことにしておこう。
だからわたしの言葉は嘘じゃない。
ホントのことでもないけれど。
正直、ホントのことは言いたくない。
というか、あの地獄を思い出したくない。
できれば二度と。
それがわたしの血肉となって、いまのわたしがあるとしても。
「そうなんだ。今時珍しいね。でもその経験が役に立ったのなら、それはきっといいことなんじゃないのかな」
どこまでわたしの事情を知ってるのか、何を考えてるのか知らないけど、言葉のうえだけは、わたしの言ったことの対して当たり障りなく返してくる。
ホント、どこまで何を知ってるんだろう。
さっきの言い方だと、何でもかんでも知ってるってわけでもないみたいだけど。
まあいいや、それこそ、いまはホントに必要のないことだ。
「じゃあ例えば」
わたしは言いながら、右手に持ったままだったものを掲げてみせる。
「これを、わたしが思いっきり投げたらどうなるかな」
「そうだね。キミは、トマト祭りって知ってるかな?」
一瞬でどうなるか理解した。
「うん、知ってる。だからわかった」
前に、母と一緒にテレビで見たかことあるから、よくわかった。
でもなんでそんことをこの緑の目が知ってるのかは、もう考えないようにする。
そのときにふたり揃って、「もったいない!」と叫んだことも覚えてる。
あれだけあれば好きなだけ、トマトが食べられるのに、って。
しばらくずっと、食べ物には困らないのにって。
わたしに食べ物の好き嫌いは存在しない。
母からそう仕込まれた。
たとえ毎日同じ献立が食卓に並んでも、飽きることはまったくない。
お腹さえ膨れれば、それだけで構わない。
それに母は料理上手だったので、あれだけのトマトがあれば、きっと色々な料理をつくってくれてたんだろう。
そんなことが、いまではいい思い出だった。
いまではもう二度と、できないことなんだから。
そんな大事な思い出も、いまはこころのなかにしまっておかなくちゃ。
大事なものはみんな、しまっておかなくちゃ。
失くすことが、ないように。
「じゃ、やめといたほうがいいね」
言ってわたしは、手にもっていたものを、力を入れずにポイッと軽く、ゴミの山に向かって放る。
ゴミのポイ捨てなんてしてはいけないと、母には厳しく躾られたけど。
この積み重なったゴミの山を見ると、それもいまさらか。
ああ、そうだ。捨てたんじゃなく、一箇所にまとめたということにしよう。
それに、いまから全部まとめて片付けるんだから、別にいいよね。
そしてわたしは、くるっと体の向きを変えて歩き出す。
当然緑の目も、後ろからついてくる。
今度は何も言わずについてくる。
さっきエグイアスでペチッと払って放ったまんまの、最後のひとりに近づいていく。
わたしがカツン、カツンと足音を立てるたび、まだまだ生きてるそいつの体は、ビク、ビクっと、反射的に震えている。
いつかのわたしも、こんなふうだったんだろうか。
だとしたら、わたしの思ったとおりなんだけど。
しばらく歩いて、わたしはそいつの目の前にたどり着く。
そいつは、穴の縁に体をぶつけたまま、地面に這いつくばっていた。
そんなところまで、いつかのわたしにそっくりだ。
這いつくばったままのこいつには、 わたしはいったいどんなふうに映ってるんだろう。
いったい何に、見えるんだろう。
それがどんなものだったとしても、おまえがこれから見るものと、そして最後に見るものは、変わらないけどね。
三秒待っても何もしてこないので、わたしはそいつの襟首を掴んで、ズルズルと引きずっていく。
ただ引きずるだけじゃなく、自分がどこに向かっているかよく見えるように、顔を正面に固定して引きずっていく。
そいつの膝とつま先が、地面を掻いていったそのさきに何があるのか、よくわからせるために。
これから自分がどうなるか、思い知らせてやるために。
そして、たどり着くのはゴミの山。
こいつのお友だちが、みんないる場所。
わたしに非道いことをされたやつらが、みんな、捨てられた場所。
殴ったり、叩いたり、蹴ったり、踏んづけたり、割ったり、潰したり、捻ったり、捻ったり、折り曲げたり、剥がしたり、開いたり、ひきずりだしたり、ちぎったり、わたしにいろいろされたやつらが全部、生きたまま積まれていった場所。
そこに近づくにつれて、こいつの体の震えは大きくなっていっていった。
本能なのか反射なのかわからないけど、こいつがちゃんとわかってるなら、こうしている甲斐もある。
そのゴミの山に向かって、背中からこいつを投げ捨てる。
自分たちが最後にどんなふうにされるのか、じっくり見せてやるために。
自分たちを終わりにするのがどんなものなのか、とっくり教えてやるために。
おまえたちを、ホントに「殺して」、「死なせる」のがわたしだということを、きっちり刻んでやるために。
そのときわたしの視界のなかに、地面に転がる丸っこいものが目に入る。
ついさっき、わたしがゴミみたに投げた捨てた、こいつのお友だちの首だ。
これはいいやと思って、わたしは一度捨てたその首を拾い直して、最後のひとりに持たせてやる。
丁度、顔と顔が向かい合うように。
うん、もうこれなら寂しくないね。
そして、これで準備はできた。
そう、これで準備は完了。
最後のひとりには、何もしないと決めていた。
ホントは一回叩いちゃったから、何もしてないわけじゃないけれど。
でもあれは、ちょっと触ったみたいなものだったし。
殺さないように、死ぬほど手加減しんたんだし。
そのおかげで、体も全部揃ってつながってるし、このなかで一番元気だろうし。
だからあれは、なかったことにしてもいいよね。
いいことにしていいと、いまわたしが決めました。
わざわざそんなことをしなかった理由は、すごく単純。
ひとりくらい、何もできずに死ぬ恐怖を、何もできなくなって殺される恐怖を、味あわせてやりたかったから
あのときの、わたしみたいに。
ただ、それだけの理由。
それだけしか、理由はないはず。
だからわたしがこうするのは、間違ったことでも、悪いことでもないはずだ。
だってこれは、魔法少女としてのわたしがすることなんだから。
それじゃあ、お待たせ、エグイアス。
ずっと我慢させててごめんね。
わたしももう、我慢の限界。
だから、ふたりで一緒にやっちゃおう。
わたしもホントの全力だしきるから。
エグイアスも、全開の本気、だしていいよ。
その瞬間、エグイアスについてる全部の目がカッと見開いて、全部の口が無音の絶叫をあげた。
わたしにはわかる。その感情は、喜悦。
いままでの束縛から解放される、悦びに満ちていた。
それはわたしも同じ。
いままで一番やりたかったことができる、ホントの愉しみに満ちている。
その感情は、愉楽。
わたしたちは興奮の絶頂のなかで、お互いの愉しみと悦びを感じあっていた。
ここまで我慢したんだから、いったいどれだけの快感を得ることができるのだろうかと。
そしてエグイアスを、今日一番の力をこめて、空を砕くくらいの勢いで思いっきり振り上げる。
そこでふっと、いままでお友だちと見つめ合っていた最後のひとりが、顔をあげた。
あげなきゃ顎を蹴りあげるつもりだったから、手間が省けてよかった。
でも、そんな熱心に見つめ合っているなんて。
この期に及んで、何か通じ合うことができたんだろうか。
最後の最後で、何かわかり合うことができたんだろうか。
こいつらに限ってそんなこと、あるはずないだろうけど。
わたしがこいつらの最後に見たのは、どこまでいっても変わらない、こいつらの友情だけど。
こいつらは最後に、いったいなにを見たんだろうか。
そんなこと、知りようもなければ、わかりようもないけれど。
知りたくも、わからりたくもないけれど。
最後のひとりが見せてその顔が、そのまま答えだとしたら。
わたしは十分、満足だ。
しかし間違ったことばかりして、悪いことばっかりやったね、おまえたちは。
こんなところまでやってきて、自由に好き勝手にできると思ったら。
わたしなんかと、出逢っちゃうなんて。
だけど、それが、それだけがたったひとつの、おまえたちにとって間違いようもない、悪いことだった。
ホントに最悪なほど、運の悪いことだったね。
「ねえ」
この期に及んで、わたしの口は、わたしの意志とは関係なく言葉をつむぐ。
でもそれこそが、わたしのホントの意思だったのかもしれない。
「なんだい?」
「わたし、魔法少女としてちゃんとやれたのかな?」
「なんだ、この期に及んでそんなことが気になったの。そのなの勿論決まってる、キミは間違いなく、悪いことなどひとつもない、本物の魔法少女だよ。百点の花丸をあげたいくらいさ。だってキミは魔法少女になってから、今迄一度も変わらることなく、ずっと笑顔のままだったじゃないか」
ああ、そっか。
「そっか、そうだったんだ」
それなら、よかった。
まだまだあの日の憧れには、あのとき夢見た星には遠くても。
それでも、ちょっとだけでも近づくことができたなら、ホントによかった。
まだ愛も勇気もよくわからないし、誰もしあわせにできてないけど。
そこに向かって一歩ずつでも、近づいていくために。
わたしはここから、一歩踏み出す。
それじゃあ、さよなら、おまえたち。
わたしがこの現実から、嫌なことから全部、さよならさせてあげるから。
だから、自分の死を噛み締めならがら、思う存分殺されるといい。
そのためにわたしは、何かを引きちぎるように、どこかから這い出るように、エグイアスを振りかぶる。
こいつらを、こいつらのすべてをなかったことにするために。
そしてわたしは、自分の思いと飢えのすべてをこめて、全力全開力の限り思いっきり、エグイアスを振り下ろす。
もしもこいつらに、チャンスというものがあったなら、次は正しく善きものになれるようにと、祈りながら。
わたしはわたし自身のために祈りながら、わたしにできることと、わたしのやるべきことを、やり遂げた。
生きてるものを殺し、存在するものを破壊することで、やり遂げてしまった。
それこそが、わたしの一番やりたいことだと、わかっていながら。
わかっていたから、わたしはきっとそのときも、笑顔のままだったはずなんだ。
「ひゃー、見たかよあの新人。初めて変身したってのに、あいつらを皆殺しにしちまったぜ。それも十分以上に楽しみ尽くしてときたもんだ。こりゃまたとんでもないのが現れたもんだぜ、まったく」
言葉遣いは粗雑でありながら、澄んだ川の流れのような清澄な声が、夕暮れから夜へと変わった空気のなかに溶けていく
当たり一面遮るものなく見渡せる、背の高いビルの屋上の縁に、その少女はちょこんと腰掛けていた。
その表情は満面の笑み。新しいおもちゃを手に入れた子どものような、屈託のない笑顔だった。
その笑顔のまま、いままさに起こった、最早災害と呼ぶべき破壊と殺戮の様子を、心底面白そうに眺めながら。
そうして満足そうに口の端をつり上げると、手にした缶の中身を一気に煽る。
その缶のラベルには”お酒は二十歳になってから”と、はっきり表示されていた。
そのとき、高所に吹く強い夜風に嬲られ、その少女の長い髪が、鳥の翼のように大きく滑らかに広がった。
その髪には、艷やかな黒髪と煌めく白髪、ふたつの異なる麗しさを持つ色が混在していた。
その黒と白の斑色をした髪は、まるで黒い半紙に白筆で何かを書いたような、奇妙な模様を描いていた。
「そんなこと言って、またなにかトチ狂ったこと考えてないでしょうね?」
さきほどの少女のものとは別の声が、夜の闇のなかに浮かぶ青い目から発せられる。
「まっさかー。そんなこと一度も考えたことないって。お前だって知ってるだろ?」
「そうね。もしそうだったなら、どれだけよかったことかしらね」
「ははは、大丈夫だって。心配性だなあ、お前は」
「心配ね。今迄の経験を鑑みたら、心配どころじゃすまないのだけど?」
「今度こそそんなことないって。それじゃあちょっと行ってみるとするか、っと」
そう言って、少女は持っていた缶を握りつぶした。
しかし中身はまだ半分以上残っていたようで、中途半端に握りつぶされた缶から溢れた液体が少女のしなやかで綺麗な指を汚す。
「あちゃー、またやっちまった」
「ほら、言わんこっちゃない。出来もしないことをするからそうなるのよ。それで、一応訊くけど行くってどこへ?」
少女は白い清潔なハンカチで汚れた手を拭いながら、青い目の問に答える。
「決まってるだろ。ちょっと気になるあの新人とお友だちになりにいくんだよ」
「はぁー」
青い目は、鉛のように重い溜息をつきながら、無駄と分かっていながらも言わずにいられなかった。
「やっぱり、またトチ狂ったこと言い出したじゃない」
何だか、名残惜しいようなきもするけれど。
物足りないような気もするけれど。
だけど、もう、いいや。
さっきの話だと、わたしのお仕事はこれからも続くみたい。
これからも、続けていかなくなちゃ、いけないみたい。
でも、そのために。
続けていく条件は、いまはまだ、置いておくとして。
それはまだ、考えないようにするとして。
それはまたそれとして。
とにかく、いまはそんなのどんとこい。
わたしが戦わなきゃいけないやつらは、まだまだいるみたいだし。
わたしが魔法少女であり続けたいと、望みを叶えようとするならば。
わたしが殺していいやつらも、おんなじくらいいるみだいだし。
わたしが魔法少女であることで、願いを果たそうとするならば。
まだまだわたしが愉しめるなら、これからまだまだ愉しいことが待っているのなら。
いくらでもわたしが食べ尽くして、どれだけあっても呑み込んでやる。
だから、そんなの全部、どんとこい、だ。
と、いうわけで。
こいつらのことは、もう、いいや。
人生は、先読みと引き際が重要だって、母もそう言ってたし。
どんなに未練に思っても。どれだけ後ろ髪をひかれても。
終わりは終わり。最後は最後。
けじめはしっかり、つけなきゃね。
それに最後のやつをどうするかは、割と最初に決めていた。
こいつらが、こういうやつらだと、わかったときから決めていた。
なので、さっき緑の目に言ったことはホントのことだ。
だからって。
「じゃあボクは、キミがいったいどうするか、何をやってくれるのか、後ろからじっくり観せてもらうね」
なぜプレッシャーをかけてくる。
「キミならきっと、今までにないものを観せてくれるはずだと、ボクは今から期待で胸が一杯だよ」
なぜハードルをあげてくる。
「うん、任せて。大船にのったつもりで、後ろでゆっくり見ていてよ」
いつか泥舟にのせて沈めてやる。
とは言っても、やることは変わらない。
変えるつもりも、当然ない。
あんたの期待に、応えてあげるつもりもない。
そのために、まずは邪魔なものをかたずけなくちゃ。
わたしは、足もとで死にぞこなってるこいつを、ボコッと蹴って放り出す。
狙いはわたしの積み上げたゴミの山、そのてっぺん。
そいつはわたしの狙ったとおり、ドチャッと湿った音をたてて落っこちた。
あれ、なんで?
自分のやったことを、自分で不思議に思うなんて、変な話しだけど。
それも、自分の思ったとおりの結果がででるのに。
でも、だからこそ不思議に思う。
わたしって、こんなに運動できたっけ?
「それは、魔法少女になったせいだよ」
よし、わたしはこれにはもう慣れた。
「魔法少女になると、運動までできるようになるの?」
「そういうわけじゃないよ。さっきも言ったけど、魔法少女になると魔力で身体能力が強化されるんだ。ちゃんと説明したはずだけど、覚えてる?」
「ちゃんと覚えてるよ。なんか魔力とかそのへんのことは、特に説明されてないことも」
「そう、それはよかった。ああ、魔力のことについてはちゃんとあとで説明するから安心して。それとも今知りたい?」
「いや、いまはいいよ、必要ないから。それより、いま知りたいことを教えて」
「キミが聡明な子で、ボクは本当に嬉しいよ」
嫌味か貴様。
「わたし、学校のテスト、あんまりよくないんだけど」
「そんなことは関係ないよ。学校の勉強ができるかどうかは、あまり重要なことではないとボクは思うよ。どうやってお腹を一杯にするかに関しては。そのための知能には意義があり、そのために知識には意味があるんだと、思うけどね。生きるために、生き残っていくために。それはキミ自身がよく解ってることだと思うよ」
それは、その言葉は、わたしにとって、痛いほどによく響く言葉だった。
胸に刺さって痛く、カラッポのお腹に響く、重い言葉だ。
「勿論、学問や研究の分野や仕事で生きていこうとするのなら、ご飯を食べていこうとするのなら、話は全く異なるだろうけどね。あの業界ではまず最低限、学校の勉強ができないとお話にならないようだからね。その点でいうと、確かにキミにはあまり向いてないだろうね」
ずいぶんと知ったふうに、この世間のことを話すね、この緑の目は。
実際、わたしなんかよりよっぽど世間のあれこれについて、詳しくよく知ってるんだろうけど。
でも、あれ、なんだか話しが一周して元に戻ってきたような。
それってやっぱり。
「やっぱり、わたしを頭の悪い子だって言いたいわけ?」
「全然違うよ。キミは本質を見極め、必要なのものを見極める目を持っている。だから生きることを、生き残っていくことがちゃんとできる子だって。それがさっき言った、キミの持つ力、純粋で圧倒的な暴力以外のもうひとつの力、極限まで磨かれた生存能力がある、そう言いたいだけだよ」
そうなんだ。ふーん、そういうふうに言われれると、まあ、なんだかその。
悪い気はしないかな。
「単に偏執的なまでに生き汚い、とも言えるけどね」
そんなことは言わなくていい。
なぜ悪いほうへ言い換えようとする。
まったくもう、気分が悪い。
「それに、今キミが覚えた疑問がこの状況で必要な情報なのかどうか、ボクは不思議に思うけどね」
よーし、もう決めた。いつか絶対沈めてやる。
グルグルの簀巻きにして、重りをたっぷりくくりつけて、二度と浮いてこないように。
一生魚と仲良く暮らせるように。
「でも、キミが必要だと判断したのなら、それは必要なことなんだろうね。ボクはキミの直感を信じてるから」
あー、はい、そうですか。
「で、結局どういうことなの?」
「キミの今迄の運動性能の悪さは、元の身体能力の低さが主な、というかそれが唯一の原因だね。寧ろ神経系の発達に関してはかなり鍛え込んであるね。そもそもいきなり身体能力が跳ね上がって、すぐさままともに動ける人間なんてそうそういないよ。今迄どおりの感覚でアクセルを踏んだら、一瞬で法定速度を置き去りにするようなものだからね。だから、魔法少女が死ぬケースというのは、初めて変身したときが最も多いんだ。最初にしてかなりの試練だね。でもキミは、初めてでも何の問題もなく適応してみせた。それどころか、自分の力を十全以上に使いこなせている。だから、キミが不思議に思うことは全くないよ。さっきの結果は、あれくらいのことは、キミなら出来て当然のことなんだから。キミの発達した運動系に、やっと身体能力が追いついた。いや、追いついただけじゃなく、完璧な融合と完全な適合を果たしている。またしてもこんな頼もしいパートナーに巡り会えるなんて、ボクは本当に嬉しいよ。これはキミのことをもっとよく知りたいから訊くことだけど、何かやってた?」
それは、まあ、いろいろと。
母から教えられて、いろいろと。
それこそ、生きるために、生き残るためにいろいろと。
だからわたしは、いま生きていられるだろうけど。
生きることができなかったらしい、他の子たちと違って。
だけどわたしは。
「よく外で遊んでたから、そのせいじゃないかな」
そう言って、ホントのところはとぼけてみせる。
事実を偽ったわけじゃない。
ホントにわたしは、山でも森でも、自然のなかを遊びまわってた。
それは、家のなかには娯楽がほとんどないという、我が家の事情は、まあ関係ないとしておくとして。
山や森のなかで遊んでいると、結構美味しい発見があったから、いうことにしておこう。
だからわたしの言葉は嘘じゃない。
ホントのことでもないけれど。
正直、ホントのことは言いたくない。
というか、あの地獄を思い出したくない。
できれば二度と。
それがわたしの血肉となって、いまのわたしがあるとしても。
「そうなんだ。今時珍しいね。でもその経験が役に立ったのなら、それはきっといいことなんじゃないのかな」
どこまでわたしの事情を知ってるのか、何を考えてるのか知らないけど、言葉のうえだけは、わたしの言ったことの対して当たり障りなく返してくる。
ホント、どこまで何を知ってるんだろう。
さっきの言い方だと、何でもかんでも知ってるってわけでもないみたいだけど。
まあいいや、それこそ、いまはホントに必要のないことだ。
「じゃあ例えば」
わたしは言いながら、右手に持ったままだったものを掲げてみせる。
「これを、わたしが思いっきり投げたらどうなるかな」
「そうだね。キミは、トマト祭りって知ってるかな?」
一瞬でどうなるか理解した。
「うん、知ってる。だからわかった」
前に、母と一緒にテレビで見たかことあるから、よくわかった。
でもなんでそんことをこの緑の目が知ってるのかは、もう考えないようにする。
そのときにふたり揃って、「もったいない!」と叫んだことも覚えてる。
あれだけあれば好きなだけ、トマトが食べられるのに、って。
しばらくずっと、食べ物には困らないのにって。
わたしに食べ物の好き嫌いは存在しない。
母からそう仕込まれた。
たとえ毎日同じ献立が食卓に並んでも、飽きることはまったくない。
お腹さえ膨れれば、それだけで構わない。
それに母は料理上手だったので、あれだけのトマトがあれば、きっと色々な料理をつくってくれてたんだろう。
そんなことが、いまではいい思い出だった。
いまではもう二度と、できないことなんだから。
そんな大事な思い出も、いまはこころのなかにしまっておかなくちゃ。
大事なものはみんな、しまっておかなくちゃ。
失くすことが、ないように。
「じゃ、やめといたほうがいいね」
言ってわたしは、手にもっていたものを、力を入れずにポイッと軽く、ゴミの山に向かって放る。
ゴミのポイ捨てなんてしてはいけないと、母には厳しく躾られたけど。
この積み重なったゴミの山を見ると、それもいまさらか。
ああ、そうだ。捨てたんじゃなく、一箇所にまとめたということにしよう。
それに、いまから全部まとめて片付けるんだから、別にいいよね。
そしてわたしは、くるっと体の向きを変えて歩き出す。
当然緑の目も、後ろからついてくる。
今度は何も言わずについてくる。
さっきエグイアスでペチッと払って放ったまんまの、最後のひとりに近づいていく。
わたしがカツン、カツンと足音を立てるたび、まだまだ生きてるそいつの体は、ビク、ビクっと、反射的に震えている。
いつかのわたしも、こんなふうだったんだろうか。
だとしたら、わたしの思ったとおりなんだけど。
しばらく歩いて、わたしはそいつの目の前にたどり着く。
そいつは、穴の縁に体をぶつけたまま、地面に這いつくばっていた。
そんなところまで、いつかのわたしにそっくりだ。
這いつくばったままのこいつには、 わたしはいったいどんなふうに映ってるんだろう。
いったい何に、見えるんだろう。
それがどんなものだったとしても、おまえがこれから見るものと、そして最後に見るものは、変わらないけどね。
三秒待っても何もしてこないので、わたしはそいつの襟首を掴んで、ズルズルと引きずっていく。
ただ引きずるだけじゃなく、自分がどこに向かっているかよく見えるように、顔を正面に固定して引きずっていく。
そいつの膝とつま先が、地面を掻いていったそのさきに何があるのか、よくわからせるために。
これから自分がどうなるか、思い知らせてやるために。
そして、たどり着くのはゴミの山。
こいつのお友だちが、みんないる場所。
わたしに非道いことをされたやつらが、みんな、捨てられた場所。
殴ったり、叩いたり、蹴ったり、踏んづけたり、割ったり、潰したり、捻ったり、捻ったり、折り曲げたり、剥がしたり、開いたり、ひきずりだしたり、ちぎったり、わたしにいろいろされたやつらが全部、生きたまま積まれていった場所。
そこに近づくにつれて、こいつの体の震えは大きくなっていっていった。
本能なのか反射なのかわからないけど、こいつがちゃんとわかってるなら、こうしている甲斐もある。
そのゴミの山に向かって、背中からこいつを投げ捨てる。
自分たちが最後にどんなふうにされるのか、じっくり見せてやるために。
自分たちを終わりにするのがどんなものなのか、とっくり教えてやるために。
おまえたちを、ホントに「殺して」、「死なせる」のがわたしだということを、きっちり刻んでやるために。
そのときわたしの視界のなかに、地面に転がる丸っこいものが目に入る。
ついさっき、わたしがゴミみたに投げた捨てた、こいつのお友だちの首だ。
これはいいやと思って、わたしは一度捨てたその首を拾い直して、最後のひとりに持たせてやる。
丁度、顔と顔が向かい合うように。
うん、もうこれなら寂しくないね。
そして、これで準備はできた。
そう、これで準備は完了。
最後のひとりには、何もしないと決めていた。
ホントは一回叩いちゃったから、何もしてないわけじゃないけれど。
でもあれは、ちょっと触ったみたいなものだったし。
殺さないように、死ぬほど手加減しんたんだし。
そのおかげで、体も全部揃ってつながってるし、このなかで一番元気だろうし。
だからあれは、なかったことにしてもいいよね。
いいことにしていいと、いまわたしが決めました。
わざわざそんなことをしなかった理由は、すごく単純。
ひとりくらい、何もできずに死ぬ恐怖を、何もできなくなって殺される恐怖を、味あわせてやりたかったから
あのときの、わたしみたいに。
ただ、それだけの理由。
それだけしか、理由はないはず。
だからわたしがこうするのは、間違ったことでも、悪いことでもないはずだ。
だってこれは、魔法少女としてのわたしがすることなんだから。
それじゃあ、お待たせ、エグイアス。
ずっと我慢させててごめんね。
わたしももう、我慢の限界。
だから、ふたりで一緒にやっちゃおう。
わたしもホントの全力だしきるから。
エグイアスも、全開の本気、だしていいよ。
その瞬間、エグイアスについてる全部の目がカッと見開いて、全部の口が無音の絶叫をあげた。
わたしにはわかる。その感情は、喜悦。
いままでの束縛から解放される、悦びに満ちていた。
それはわたしも同じ。
いままで一番やりたかったことができる、ホントの愉しみに満ちている。
その感情は、愉楽。
わたしたちは興奮の絶頂のなかで、お互いの愉しみと悦びを感じあっていた。
ここまで我慢したんだから、いったいどれだけの快感を得ることができるのだろうかと。
そしてエグイアスを、今日一番の力をこめて、空を砕くくらいの勢いで思いっきり振り上げる。
そこでふっと、いままでお友だちと見つめ合っていた最後のひとりが、顔をあげた。
あげなきゃ顎を蹴りあげるつもりだったから、手間が省けてよかった。
でも、そんな熱心に見つめ合っているなんて。
この期に及んで、何か通じ合うことができたんだろうか。
最後の最後で、何かわかり合うことができたんだろうか。
こいつらに限ってそんなこと、あるはずないだろうけど。
わたしがこいつらの最後に見たのは、どこまでいっても変わらない、こいつらの友情だけど。
こいつらは最後に、いったいなにを見たんだろうか。
そんなこと、知りようもなければ、わかりようもないけれど。
知りたくも、わからりたくもないけれど。
最後のひとりが見せてその顔が、そのまま答えだとしたら。
わたしは十分、満足だ。
しかし間違ったことばかりして、悪いことばっかりやったね、おまえたちは。
こんなところまでやってきて、自由に好き勝手にできると思ったら。
わたしなんかと、出逢っちゃうなんて。
だけど、それが、それだけがたったひとつの、おまえたちにとって間違いようもない、悪いことだった。
ホントに最悪なほど、運の悪いことだったね。
「ねえ」
この期に及んで、わたしの口は、わたしの意志とは関係なく言葉をつむぐ。
でもそれこそが、わたしのホントの意思だったのかもしれない。
「なんだい?」
「わたし、魔法少女としてちゃんとやれたのかな?」
「なんだ、この期に及んでそんなことが気になったの。そのなの勿論決まってる、キミは間違いなく、悪いことなどひとつもない、本物の魔法少女だよ。百点の花丸をあげたいくらいさ。だってキミは魔法少女になってから、今迄一度も変わらることなく、ずっと笑顔のままだったじゃないか」
ああ、そっか。
「そっか、そうだったんだ」
それなら、よかった。
まだまだあの日の憧れには、あのとき夢見た星には遠くても。
それでも、ちょっとだけでも近づくことができたなら、ホントによかった。
まだ愛も勇気もよくわからないし、誰もしあわせにできてないけど。
そこに向かって一歩ずつでも、近づいていくために。
わたしはここから、一歩踏み出す。
それじゃあ、さよなら、おまえたち。
わたしがこの現実から、嫌なことから全部、さよならさせてあげるから。
だから、自分の死を噛み締めならがら、思う存分殺されるといい。
そのためにわたしは、何かを引きちぎるように、どこかから這い出るように、エグイアスを振りかぶる。
こいつらを、こいつらのすべてをなかったことにするために。
そしてわたしは、自分の思いと飢えのすべてをこめて、全力全開力の限り思いっきり、エグイアスを振り下ろす。
もしもこいつらに、チャンスというものがあったなら、次は正しく善きものになれるようにと、祈りながら。
わたしはわたし自身のために祈りながら、わたしにできることと、わたしのやるべきことを、やり遂げた。
生きてるものを殺し、存在するものを破壊することで、やり遂げてしまった。
それこそが、わたしの一番やりたいことだと、わかっていながら。
わかっていたから、わたしはきっとそのときも、笑顔のままだったはずなんだ。
「ひゃー、見たかよあの新人。初めて変身したってのに、あいつらを皆殺しにしちまったぜ。それも十分以上に楽しみ尽くしてときたもんだ。こりゃまたとんでもないのが現れたもんだぜ、まったく」
言葉遣いは粗雑でありながら、澄んだ川の流れのような清澄な声が、夕暮れから夜へと変わった空気のなかに溶けていく
当たり一面遮るものなく見渡せる、背の高いビルの屋上の縁に、その少女はちょこんと腰掛けていた。
その表情は満面の笑み。新しいおもちゃを手に入れた子どものような、屈託のない笑顔だった。
その笑顔のまま、いままさに起こった、最早災害と呼ぶべき破壊と殺戮の様子を、心底面白そうに眺めながら。
そうして満足そうに口の端をつり上げると、手にした缶の中身を一気に煽る。
その缶のラベルには”お酒は二十歳になってから”と、はっきり表示されていた。
そのとき、高所に吹く強い夜風に嬲られ、その少女の長い髪が、鳥の翼のように大きく滑らかに広がった。
その髪には、艷やかな黒髪と煌めく白髪、ふたつの異なる麗しさを持つ色が混在していた。
その黒と白の斑色をした髪は、まるで黒い半紙に白筆で何かを書いたような、奇妙な模様を描いていた。
「そんなこと言って、またなにかトチ狂ったこと考えてないでしょうね?」
さきほどの少女のものとは別の声が、夜の闇のなかに浮かぶ青い目から発せられる。
「まっさかー。そんなこと一度も考えたことないって。お前だって知ってるだろ?」
「そうね。もしそうだったなら、どれだけよかったことかしらね」
「ははは、大丈夫だって。心配性だなあ、お前は」
「心配ね。今迄の経験を鑑みたら、心配どころじゃすまないのだけど?」
「今度こそそんなことないって。それじゃあちょっと行ってみるとするか、っと」
そう言って、少女は持っていた缶を握りつぶした。
しかし中身はまだ半分以上残っていたようで、中途半端に握りつぶされた缶から溢れた液体が少女のしなやかで綺麗な指を汚す。
「あちゃー、またやっちまった」
「ほら、言わんこっちゃない。出来もしないことをするからそうなるのよ。それで、一応訊くけど行くってどこへ?」
少女は白い清潔なハンカチで汚れた手を拭いながら、青い目の問に答える。
「決まってるだろ。ちょっと気になるあの新人とお友だちになりにいくんだよ」
「はぁー」
青い目は、鉛のように重い溜息をつきながら、無駄と分かっていながらも言わずにいられなかった。
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