ゆえに赤く染まった星にひとりとなって

久末 一純

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邂逅、そして会敵の朝✗24

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 棚からぼた餅だろうともっけの幸いだろうと、獲得したもは骨の髄まで使い倒すのが私の流儀だ。
 この場合紆余曲折を経て構築されたアーサとの新たな絆を、私のためだけに利用し尽くすことに些かの躊躇いもない。
 何故ならここまでの工程において、
 私は正しく、間違ってはいないのだから。
 少なくとも、私自身はそう確信している。
 ただ少しだけ、という思いが頭の片隅をよぎっていたが。
 だがそれも、刹那的な気まぐれに過ぎない。
 吹けば飛ぶような、薄っぺらい罪悪感の欠片でしかない。
 いま大事なことはそんな些末なことではない。
 いま大切にするべきはそんな些事ではない。
 いまの私にとって最も大事なことかつ大切に重要視すべきことは、私の腕のなかに抱かれているアーサただひとりだ。
 いまだ止まらぬ震えを払い落とすように、慈しみをこめてゆっくりとその頭と背を撫でていく。
 この感触の素晴らしさといったら、他にたとえも形容のしようがない。
 短い癖っ毛でありながら、指を入れ梳れくしけずれば微かな抵抗もなく流れる髪。
 それは陽の光を受けて反射し、見事な天使の輪を描いている。
 その背に手を滑らせれば、少女らしい柔らかな輪郭の奥に息づく筋肉の脈動を感じとれる。
 優しくゆっくりと撫でるごとにアーサも落ち着いてきたのか、震えも収まり呼吸も安らかなものになってきた。
 反対に私のほうはといえば、まったくの逆ベクトル。
 アーサをひと撫でするごとに、心に沸き立つ興奮と昂揚が限界突破して抑えきれない。
 全意識を集中しなければ、呼吸を正常に保つこともままならない。
 ああ、これ以上はいけない。
 これ以上の深淵を知ってしまうと、もう戻ってこれなくなってしまう。
 そう内心では思いつつも、あと一回、あと一回だけという至上の誘惑から逃れることが出来ない。
 私の心のなかで、天使と悪魔が語りかけてくる。
 天使曰く、「あなたに失いたくないものがあるのなら、これ以上何も得てはいけません」と。
 そうのたまう天使の澄し顔にドロップキックを決めて吹っ飛ばし、代わりに悪魔が私に囁きかける。
 その悪魔曰く、「そんなお上品な言い訳なんて構うことはないのさ」
「こんな絶好の機会、愉しまないほうが相手に対して失礼ってものだぜ」
「何なら、いまこの場でアーサをしちまえばいいんだよ。なぁに、きっと向こうもそれを望んでるはずだぜ。ケッケッケッ」と。
 悪魔からのドロップキック一発でKOされた天使は、グロッキー状態を通り越してピクリとも動かない。
 翻ってひるがえって悪魔のほうは薄ら笑いを浮かべながら、無言の圧力をかけるように私の頭の周囲を元気一杯に飛び回っている。
 私には、天使と悪魔、ふたつの言葉を天秤に掛けることは憚れたはばかられた
 そんなことをしたらどうなるか、実際に行わずとも結果は火を見るより明らかだ。
 確実に天秤は一瞬で一方に傾いて、鎖は引き千切れ皿は地に落ちて割れるだろう。
 言わずもがな、悪魔を載せたほうが、だ。
 そのとき胡座をかいて悪魔の浮かべているであろう、「当然だよなぁ、ケッケッケッ」と言わんばかりの顔までありありと想像出来る。
 その顔は、
 故に私は選択も決断も、誰かに委ねることは出来ない。
 私自身で選択し、決断しなければいけないのだ。
 しかし、そんなことが可能なのだろうか?
 極楽にいながらにして、そこから去るなど。
 果たしてひとには、出来るのだろうか?
「ねぇ、キルッチ・・・・・・・・・」
 そもそもひとは、何処から来て何処へ行くのだろうか。
「ねぇ、ねえってば、キルッチ。あの、そろそろ・・・・・・・・・」
 いや、これはひとの話ではない。
 私という存在の根幹に関わる、私の存在証明レゾン・デートルの実証なのだから。
「キ・ルッ・チってば! ねえ、聞いてる? それとも聞こえてる? あたしの声?」
 そんな益体もない思考の蟻地獄スパイラルにはまり込んでいた私に、蜘蛛の糸が如き声がかけられる。
 そこでようやく、我に返ってくることが出来た。
「あ、ああ。それは勿論、聞いているとも。私がアーサの言葉を聞き漏らすはずがないじゃないか。そう、アーサが私のために極めて布面積の少ないウェディングドレスを着てくれるという話だろう?」
 うん、確かにこれで間違いない。
「まったく違うよ! そんなの全然正しくないよ! 色んな意味で間違ってるよ! だってそんなことひと言も言ってないんだから! そもそも具体的なことは何ひとつ言ってないよ! でもあたしひとつ分かったよ」
「な、何がかな?」
 私は恐る恐る聞いてみる。
「キルッチがあたしの話なんてなーんにも聞いてないってことが、これでよーくわかりました」
「ま、待ってくれアーサ。いまのはちょっと考え事をしていて・・・・・・・・・。いや、これでは不実だな。アーサ、許してくれとは言わない。だけどせめて謝らせてほしい。本当に済まなかった。ごめんなさい」
「ふ、ふーん。でも、まあ、そこまで言うなら許してあげます」
「ありがとう、アーサ。やっぱり君はいい子だな」
 私はアーサの頭を撫でながら、感謝の想いを伝える。
「もう、いいってば。あたしとキルッチの仲じゃない。でもさルッチ、考え事って一体何を考えてたの?」
「それは当然、君のことだよ、アーサ」
 私は私の持てるありったけの誠意を以て、アーサの問いに応える。
「そっ、そんなこと真面目な顔で言わないでよ・・・・・・・・・照れるじゃん・・・・・・・・・」
 アーサはほんのりと赤らめた顔を背けながら、唇を尖らせてそう呟いた。
 シャッターチャンスだ!
 その瞬間私の目はギラリと光り、アーサの顔を網膜に焼き付け脳の海馬に保存する。
 これでまたひとつ、私の脳内コレクションが潤った。
「じゃっ、じゃあさ、キルッチはあたしのどんなことを考えてたの?」
 恥ずかしい空気を変えるためか、アーサは早口で私に問いかける。
 しかしそれは悪手だよ、アーサ。
 ひとには、覗いてはいけない深淵というものがあるのだから。
「それはいくらアーサといえど、教えることは出来ないな」
 いつの日か訪れるであろうそのときまで、ピロートークの種にとっておこう。
「えー、なんでさー、キルッチのケチ!」
 アーサは滑らかな頬を膨らませてむくれている。
「そう言われると心が痛むが、こればかりは言えないな。それでアーサ、君の本当の用件は何だったのかな?」
 私がそう言うと、アーサはいま気づいたようにパッと表情が変わる。
「そう、それ! それで、あの、その、何ていうか、そろそろ離してほしいなぁ、なんて・・・・・・・・・」
「ああ、そうか。それは済まない。つい、気がつくのを忘れてしまった」
 私は鼻血と血涙が溢れそうになるのを全力で堪えながら、そっとアーサの戒めを解いた。
 結局私は最後まで、選択も決断も自分自身では下すことが出来なかったのだった。
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