22 / 46
インテルメッツォ-22 慈悲/似非
しおりを挟む
「さて、どうかな。こればかりはいくらお前でも、そう容易くはいかないと思うがな」
そう告げる男の口調に気負いはなく、如何なる緊張も見られない。
少女の放つ重圧など、微風程度に感じているよう。
だが、その言葉を彩る気概は剛毅そのもの。
不遜に咲いた口の端は、不敵に微かに吊り上がる。
そこに象られ浮かぶのは、紛れもなく笑みと呼ばれるべき形。
苦境の際に立ったなら、だからこそここから笑え。
逆境に淵に陥ったなら、なればこそここで笑え。
誰かを笑顔にするしか出来なかった男。
しかしそれこそが、男の流儀にして作法。
それだけが、唯一自分に許した時間。
己の為に、笑うべき瞬間。
慄く心を鼓舞する為に。
恐怖から逃げない為に。
笑うという行為の本分を、存分に発揮する。
目の前の窮地を乗り越えて、また誰かを笑顔にする為に。
決して口にはすることのない、ほんの僅かな男の矜持。
その笑みは少女に向けられ、真っ直ぐに見据えている。
「さぁて、どうでしょうねぇ。ただわたしの見解としましては特段そんな事はないでしょうし、別段大した事でもなさそうです。だから特別どうということもないと思いますよぉ。だって、もう何処にも亡いんですから。もうあなたしか、いないのですから。先程失くして差し上げますと言いましたが、あなたの仰る全てはとうに失われているんですよ。そんなものが未だに遺されているのは、あなたが目を開けたまま見ていらっしゃる夢の中だけなのですよ」
何喰わぬ顔で言いながら、少女は心中で「ああ、またか」と溜め息と共に吐き捨てた。
男が浮かべるその表情を、かつて少女は幾度となく目にしてきた。
みんなの力を合わせても打破し難い困難な局面。
みんなの力が足りずに解決し得ない過酷な状況。
それだけ如何ともし難い窮地に直面し、誰もが絶望に呑み込まれ諦念に沈みかけたときだった。
男の顔は何時も必ず、今と同じものになっていた。
その男の顔にみんなは勇気と希望を与えられ、みんなが男を励まし奮い立たせて戦った。
そうして誰も彼もが生き残り、みんなで喜びを分かち合う。
そんな吐き気を催す光景に、少女は幾度となく見てきたのだ。
だというのにあんな姿に成り果てて尚、そんなところばかり変わらないのか。
今になっても、浮かぶ顔が同じ顔だなんて。
わたしに向かって、そんな顔を見せるだなんて。
本当に、どうしようもない人だ。
どうしてまだそれが、自分の為だと思っていられるのか。
何故未だにそんなものを、本当に笑顔だと思えるのか。
だから、少女は知っている。
男が自分自身の為に笑ったことなど一度たりともないということを。
だからこそ、少女は思っている。
あんなものが、人間の笑顔であってたまるものかと。
「そんなことはない。みんなの想いも願いも俺がしかと受け継いでいる。だから俺は一人じゃない。みんなの心は、俺の命の中に生きている」
少女には正気を失っていると断じて余りある、気が狂れているとしか思えぬ男の言葉。
だが男の言葉は、全てが本気だ。
本心からの言葉、自分以外の誰かの為の言葉なのだ。
故に少女は確信出来る。
今の男を見ているだけで、自分の正しさが間違いないことを認識出来る。
「あなた程の人にそこまで言わせるとはぁ、一体どこまで浅ましく業の深い連中だったのでしょうかぁ。あなたにそこまでさせておいて、あなたをそんなにしておいて。それでもまだ生きているだなんてぇ。本当に、救いようのない屑共でしたね」
「救い、か」
男は自らが掴み取った輝きを見詰めてそう呟く。
「お前は誰か一人でも、お前の慈悲で救うことが出来たのか」
それは少女の言葉を注がれ溢れ出た、訊くでもない男の心。
しかし少女がそんな甘露を聞き逃すはずがない。
照れたように頬に手を当て、男の言葉に応えてやる。
「そんなぁ、人間を救うだなんてぇ。そんな大それた恐れ多いこと、わたしが出来るわけないじゃないですかぁ。わたしはただ、神様に会わせてやっただけですよ。まあ実際に何人が会うことが出来たのかなんてこと、そんなことは知りませんけどねぇ」
「そうか」
男は納得したわけでも理解したわけでもない。
ただ一つの決意を込めて頷いた。
それは果たして如何なるものだったのか。
「ならば、こいつはお前に返さなくてはならないな」
男は掌の中にあった鈍色の輝きを、少女に向かって投げ渡した。
まるで再びもう一度、別離と拒絶を告げるように。
狂狂と廻っ返ってくる、自分の与えた慈悲のかたち。
それを見詰める少女の瞳は何も映してはいなかった。
その虚無に染まった瞳の奥で、心に湧いた想いは唯一つ。
あんなに、みんなを手放さないって言っていたのに。
わたしの与えたものだけは、そんなに簡単に捨てられるんだ。
ただ、それだけが心を乾かし吹き抜けていった。
故に、男は気付かなかった。
左腰の柄頭に伸びた手の動きにも。
少女の心の動き、そしてその想いにも。
全てが終わったそのとき迄、男は何一つ気付くことが出来なかった。
そう告げる男の口調に気負いはなく、如何なる緊張も見られない。
少女の放つ重圧など、微風程度に感じているよう。
だが、その言葉を彩る気概は剛毅そのもの。
不遜に咲いた口の端は、不敵に微かに吊り上がる。
そこに象られ浮かぶのは、紛れもなく笑みと呼ばれるべき形。
苦境の際に立ったなら、だからこそここから笑え。
逆境に淵に陥ったなら、なればこそここで笑え。
誰かを笑顔にするしか出来なかった男。
しかしそれこそが、男の流儀にして作法。
それだけが、唯一自分に許した時間。
己の為に、笑うべき瞬間。
慄く心を鼓舞する為に。
恐怖から逃げない為に。
笑うという行為の本分を、存分に発揮する。
目の前の窮地を乗り越えて、また誰かを笑顔にする為に。
決して口にはすることのない、ほんの僅かな男の矜持。
その笑みは少女に向けられ、真っ直ぐに見据えている。
「さぁて、どうでしょうねぇ。ただわたしの見解としましては特段そんな事はないでしょうし、別段大した事でもなさそうです。だから特別どうということもないと思いますよぉ。だって、もう何処にも亡いんですから。もうあなたしか、いないのですから。先程失くして差し上げますと言いましたが、あなたの仰る全てはとうに失われているんですよ。そんなものが未だに遺されているのは、あなたが目を開けたまま見ていらっしゃる夢の中だけなのですよ」
何喰わぬ顔で言いながら、少女は心中で「ああ、またか」と溜め息と共に吐き捨てた。
男が浮かべるその表情を、かつて少女は幾度となく目にしてきた。
みんなの力を合わせても打破し難い困難な局面。
みんなの力が足りずに解決し得ない過酷な状況。
それだけ如何ともし難い窮地に直面し、誰もが絶望に呑み込まれ諦念に沈みかけたときだった。
男の顔は何時も必ず、今と同じものになっていた。
その男の顔にみんなは勇気と希望を与えられ、みんなが男を励まし奮い立たせて戦った。
そうして誰も彼もが生き残り、みんなで喜びを分かち合う。
そんな吐き気を催す光景に、少女は幾度となく見てきたのだ。
だというのにあんな姿に成り果てて尚、そんなところばかり変わらないのか。
今になっても、浮かぶ顔が同じ顔だなんて。
わたしに向かって、そんな顔を見せるだなんて。
本当に、どうしようもない人だ。
どうしてまだそれが、自分の為だと思っていられるのか。
何故未だにそんなものを、本当に笑顔だと思えるのか。
だから、少女は知っている。
男が自分自身の為に笑ったことなど一度たりともないということを。
だからこそ、少女は思っている。
あんなものが、人間の笑顔であってたまるものかと。
「そんなことはない。みんなの想いも願いも俺がしかと受け継いでいる。だから俺は一人じゃない。みんなの心は、俺の命の中に生きている」
少女には正気を失っていると断じて余りある、気が狂れているとしか思えぬ男の言葉。
だが男の言葉は、全てが本気だ。
本心からの言葉、自分以外の誰かの為の言葉なのだ。
故に少女は確信出来る。
今の男を見ているだけで、自分の正しさが間違いないことを認識出来る。
「あなた程の人にそこまで言わせるとはぁ、一体どこまで浅ましく業の深い連中だったのでしょうかぁ。あなたにそこまでさせておいて、あなたをそんなにしておいて。それでもまだ生きているだなんてぇ。本当に、救いようのない屑共でしたね」
「救い、か」
男は自らが掴み取った輝きを見詰めてそう呟く。
「お前は誰か一人でも、お前の慈悲で救うことが出来たのか」
それは少女の言葉を注がれ溢れ出た、訊くでもない男の心。
しかし少女がそんな甘露を聞き逃すはずがない。
照れたように頬に手を当て、男の言葉に応えてやる。
「そんなぁ、人間を救うだなんてぇ。そんな大それた恐れ多いこと、わたしが出来るわけないじゃないですかぁ。わたしはただ、神様に会わせてやっただけですよ。まあ実際に何人が会うことが出来たのかなんてこと、そんなことは知りませんけどねぇ」
「そうか」
男は納得したわけでも理解したわけでもない。
ただ一つの決意を込めて頷いた。
それは果たして如何なるものだったのか。
「ならば、こいつはお前に返さなくてはならないな」
男は掌の中にあった鈍色の輝きを、少女に向かって投げ渡した。
まるで再びもう一度、別離と拒絶を告げるように。
狂狂と廻っ返ってくる、自分の与えた慈悲のかたち。
それを見詰める少女の瞳は何も映してはいなかった。
その虚無に染まった瞳の奥で、心に湧いた想いは唯一つ。
あんなに、みんなを手放さないって言っていたのに。
わたしの与えたものだけは、そんなに簡単に捨てられるんだ。
ただ、それだけが心を乾かし吹き抜けていった。
故に、男は気付かなかった。
左腰の柄頭に伸びた手の動きにも。
少女の心の動き、そしてその想いにも。
全てが終わったそのとき迄、男は何一つ気付くことが出来なかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
異世界転生!ハイハイからの倍人生
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は死んでしまった。
まさか野球観戦で死ぬとは思わなかった。
ホームランボールによって頭を打ち死んでしまった僕は異世界に転生する事になった。
転生する時に女神様がいくら何でも可哀そうという事で特殊な能力を与えてくれた。
それはレベルを減らすことでステータスを無制限に倍にしていける能力だった...
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる