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七章 父と息子の決着-side灯屋-

三話 贄の呪

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 佐藤の鞭が生き物のように自在に動き、その度にヒュオッと鋭く空を切る音がする。
 今の俺は一発すらも当たる事ができないため、緊張感に汗が滲んだ。
 舌を伸ばして鞭のように攻撃してくる悪鬼とも戦った事があるお陰で、どうにか距離を取りつつ躱す事はできている。しかし、なかなか下に逃げる隙が無い。
 俺は息が上がらないように最小限の動きで避けるしかなかった。


「やけに慎重ですねぇ。やっぱりボンボンの贄の神子を心配しているのかな?」
「……まあ、さすがにバレてるよな」


 所詮、噂は噂でしかない。
 佐藤くらいの地位ならそこそこ正確な情報を持っているだろうし、俺が撒いた嘘に騙されてはくれない。
 俺の動きで、俺に消滅以外の能力は無いと確信したようだ。


「まあ、贄の神子なんて僕にはどうでも良いんですが……いや、フフフ、むしろ贄の神子が死んだ方があなたを崩しやすいくらいだ。二回殺すという経験も滅多にできないでしょうし」


 そう言いながら楽しそうに佐藤は鞭を振るう。
 俺は避けながらも照明を撃って視界を悪くする事に徹していたが、あまり効果は無い。
 さすがに動き続けて体力がどんどん削られる。


「一方的な鬼ごっこで良いのですか? あなたも僕を撃てばもっと楽しくなるのに」
「あんたは喜びそうだからやんねーよ」


 俺は強がって笑って見せたが、ジリ貧なのは間違いない。
 汗を腕で拭いながら壁に手をついて穴を空けた。
 せめてもう少し障害物を用意したい。
 その一心で部屋に飛び込んだ瞬間だった。


「っ!?」


 入った部屋自体はイベントホールの様な広い空間だった。
 しかし、瞬時にそこが悪鬼のテリトリーと化して俺だけが取り込まれた。


「────うおッ、デカッ!」


 俺のすぐ目の前に、頭を落とされたサンショウウオのような4mはある巨大な悪鬼がいて変な声が出た。
 頭があったであろう断面には無数の子供の手がイソギンチャクみたいに大量に生えている。
 禍々しさは明らかに特鬼だ。
 こんな大きな気配を今まで感じなかった事に驚いたが、それ以上にこの悪鬼を見てという異常事態に混乱した。
 俺が固まっていると、悪鬼がペタリと床に伏せる。敵意は無いと示しているみたいだ。


「ァカ、リィ……アカリ……」


 赤子の声のような、成人男性のような、何重にもノイズがかった声がした。
 これは……俺が山で親父に殺されかけた時に聞いた声だ。死にかけの俺を必死に呼んでくれていた、優しい声。
 そうだ。俺はもっともっと沢山この声を知っている。
 いつも心配そうに見守り、相談に乗ってくれて、俺に必要な力を与えてくれる存在。
 さすがの俺も、これが何なのかわかっていた。


「……ヤマ」
「ア゛……カリ……」


 アカリ。てっきり俺を呼んだ声だと思っていたのに、今聞くとそうじゃないとわかる。
 ただ必死に叫び続けていただけ。悪鬼になっても忘れたくない大切な言葉なのだろう。
 それしかもう繋ぎ止めるものがない、悲しくも温かい最後のよすがだ。
 俺は大きな悪鬼に駆け寄って小さな手を握った。


「ヤマ、お前、なんでこんな所にいるんだ!?」


 いつもの親友に話しかけるように聞けば、握った手が大きな男の手に変わった。
 そしてズルズルと人の上半身が無数の手の隙間から出てきた。俺がよく知る、色男のヤマだ。


「いやぁ、潜入にはこの姿が一番気付かれにくいからさ」
「……特殊悪鬼ならそりゃ気付かれないよなぁ……っていうか潜入?」


 常々ヤマは謎が多い男だとは思っていたが、俺の想像を軽く超えてくる。
 さっきまでの緊張感も忘れて俺が首を傾げていると、ヤマは歯を見せて笑った。


「アカリに何かあったら助けるためと、ユウガからのお使い」
「え……幽雅さん!?」


 いつの間に幽雅さんとヤマが知り合いになってんだとか、色々と聞きたい事が増える。
 ヤマはそんな俺を落ち着かせるように耳打ちした。


「ユウガからの伝言。準備は整った、私と会う前の上手く怪我をする技術を存分に発揮しろ。急所を外しながら攻撃を好きなだけ受けるが良い。だってさ」
「何それ!? って、どぅあ!!」


 俺は突然ヤマのテリトリーから吐き出され、ゴロゴロと廊下に転がり戻った。
 どうやらほとんど時間が経過していなかったらしい。
 空けたはずの壁の穴も無くなっていて、佐藤からすると俺が壁にぶつかって跳ね返ってきたように見えたのか、細い目を大きく開いて驚いていた。
 俺は自分の間抜けな様子を想像して恥ずかしくなる。

 しかし、佐藤は何故か急速に顔色が悪くなっていく。


「……一瞬、とても嫌な気配を感じましたが……?」


 佐藤はイライラしたように表情が歪めた。
 俺は佐藤の反応に驚いた。まさか、佐藤も特殊悪鬼を感知できるのか。
 しかもヤマを知っている?
 佐藤からはさっきまでの楽し気な様子は消え、床に座り込んでいる俺に早足で近寄った。


「クソ、くそっ、くそがぁ!!! 正義さんを殺した……あのバケモノがまだいるのかぁ!!!!」


 突然の佐藤の激昂に、さすがの俺も身体が竦んでしまう。
 マズイ、と思った瞬間。
 佐藤の鞭が俺に向かって振り下ろされた。
 こんな状況だからこそ、さっきの幽雅さんの伝言を思い出す。
 俺は咄嗟に致命傷になり得る頭は避け、肩で攻撃を受けていた。


「ギァッ……!?」


 そのしゃがれた叫びは、俺じゃなくて佐藤から発せられていた。
 俺の肩に何かが触れた感触はあったが、衝撃は誰かにポンと手を置かれたくらいのものだ。
 全く痛みは感じる事もなく、自分が無傷だとすぐに理解できた。

 なのに、何故か目の前の佐藤の肩が衣服と共に裂けた。
 血が飛び散る様子がスローモーションのように見え、鞭に細かい刃のような細工が施されているのに気付いてゾッとした。
 佐藤の肩が真っ赤に染まる。抉れた肉がグロテスクに盛り上がっている。二、三発くらうだけで絶命しそうな深い傷だ。
 もしも俺が『鞭を怪我を覚悟で掴む』なんてやっていたら手の肉が無くなっていただろう。完全に避け切ったのは正解だった。


「な……にが……」


 さすがにドMでも脂汗が滲んでいる。絶叫しないだけでも凄いと思う。
 それでも肩の痛みに耐えきれず膝をついた佐藤が、何故か俺ではなくその後ろに視線をやった。
 こんな反則技ができるのはあの人しかいないだろう。
 俺もその存在が見たくて、ゆっくりと振り返った。


「フハハハハ!! これぞ本家本元のにえじゅ!! 実際に身代わりになる所を見るのは滅茶苦茶怖いな!!!」


 廊下の先には、難しい文字が書かれたお札を指に挟んで格好良くポーズを決めた幽雅さんがいた。
 声だけは元気だったが、グロ耐性が全く無い幽雅さんの手足は相変わらず震えていた。

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