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七章 父と息子の決着-side灯屋-

二話 逃げるが勝ち

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 佐藤はソファに上半身を預けて項垂れた。


「あなたも、人がどうなろうと表情一つ変えないものですから……てっきり正義さんと同じなのかと思っていたのに。当てが外れました」


 昼の治療の事らしい。
 善人ならば劇薬を飲ませる前に止めるとでも言いたげだ。
 しかし、そのパフォーマンスを邪魔するような者が裏社会と付き合えるはずがない。あの場で正義感を振り翳すような相手が一番邪魔になる。

 それに共感した所で俺はその人じゃない。
 正確な痛みも苦しみも悩みも理解できないのに、他者の苦痛に共感したってなんにもならない。だから割り切っているだけだ。

 佐藤もその場からゆっくりと立ち上がる。
 ゆらりゆらりと揺れる様子はこちらを不安にさせるが、ピタリと動きが止まると同時に大きく口を開けて笑い出した。


「うふふふ、アハハハハッ!! あ~あ、僕を愛してくれるなら生かしてあげようと思っていたんですがねぇ。残念です。やはりあなたは正義さんのスペアでしかなかった」
「スペア……ね」


 愛されないならどちらも同じ。それならわざわざ俺を尊重する必要が無いって訳だ。
 こいつもあいつも俺を物のように扱いやがる。似た者同士のクソ野郎め。
 悪鬼と対峙した時のような高揚感が湧いて来た。


「クッ……ハハッ!! で、俺をどうしようってんだ?」
「おやおや、血の繋がりは本物のようだ。そそりますよ、その攻撃的な瞳……本当はお好きなんじゃないですかぁ、他者を嬲るの」


 変化する俺を見て、佐藤はこれみよがしに舌なめずりをして息使いを荒くする。

 ずっと俺の中に親父の存在は感じていた。
 だからこそ俺は自らを省みず、傷付けて死に急いでいたんだと思う。
 死ねば父の呪縛から逃れられると思っていたが、佐藤の口ぶりをみるに違ったようだ。
 むしろ、俺が死ねば肉体を奪われていたのだろう。 

 俺の精神が削られ、あと一歩という所で幽雅さんが現れた。
 あの人は、何をどうすれば楽になれるのかわからなかった俺に示された光だ。
 幽雅さんのお陰で、こうして敵意を向ける男を目の前にしても自分でも驚くほど冷静でいられる。

 あんなに面倒だと邪険にしていた呪いも悪くないと思った。
 今はそれのお陰で、離れていても幽雅さんの存在を感じられる。
 俺達は呪いによって深く繋がっているのだ。

 幽雅さんに早く会って謝りたい。
 バカと叫んだ時の幽雅さんの顔を思い浮かべるだけで、俺の口元には自然と笑みが浮かんだ。


「さぁ? 嬲るなんてした事ねぇからな。むしろドМ勝負の方が得意だぜ、俺は」


 そう言いながら俺はスーツ下のホルスターから取り出した銃を構える。
 それと同時に、佐藤も自らの背に手を回して何かを手にした。


「僕ねぇ……いたぶられるのも大好きですが、いたぶるのも好きなんですよ」
「ハッ、良い趣味してんなぁ」


 佐藤が手にしていたのは細身の鞭だった。


「ある程度の傷なら正義さんに取り込まれる時に治るそうなので、一部なら骨が見えるくらいまでは肉を削っても大丈夫らしいです。せっかくの楽しい時間です、あまり早く死なないでくださいよ?」


 本当に、早まって死ななくて良かった。
 クソ親父は俺の心を長い時間をかけて蝕んできていたが、それは幽雅さんに止められた。
 それでもこうして佐藤を使って強硬手段に出たのは、今の俺に裏の地位ができたからだろう。
 良い撒き餌になった。父の呪縛を打ち破るチャンスだ。
 俺もいい加減、親離れしたいんだよ。


「安心しろ。俺は殺さないと死なないからな!」


 そう叫び、俺は天井にあるスプリンクラーを撃ち抜いた。
 警報が鳴り、水が雨のように降り注ぐと佐藤は怯む。その隙をつき、俺は床に手をついて俺一人分の大きさの穴を空けて落下した。


「なっ!?」
「誰が馬鹿正直に戦うかよ、バーカ!!」


 今日は現場にも出てないし、幽雅さんの身代わりの呪いは発動していないはずだ。 
 しかし、呪いが発動していないと思っていたら実は発動していました、なんて事が十分あり得る。幽雅さんならやりかねない。
 あの人はそれくらい俺を大切にしてくれているのだ。
 ならば俺は、自分を守るために逃げるのみ。
 幽雅さんの命がかかっていると思えばそれしか選択肢はない。

 俺は下の階に着地したと同時に少し移動してまた床に手をついて穴を空ける。
 今が何階かは知らないが、下へ行けば幽特関係者がいるはずだ。
 
 佐藤が父の関係者だとわかって、俺が死ぬと父に乗っ取られるという情報があれば後はどうとでもなる。
 無傷で逃げる。それだけを考えろ。

 だが、さすがに敵の本拠地だ。
 五回ほど床を消して降りた時に黒服が数人部屋に入ってきた。
 当然と言えば当然だが、あちらは本物の銃をこちらに向ける。
 それでも俺は笑った。


「どうせお前らに俺を殺す権限はねぇだろ!!」


 佐藤みたいなタイプが一番美味しい所を他人に渡す訳がない。
 下っ端にできる事は脚でも撃って動きを止めるくらいだ。だが、急所を外して撃つなんてそう簡単にできるものじゃない。標的が動いていれば尚更だ。

 伊達に俺も普段からサイズや動きが多彩な悪鬼を相手にしていない。
 テーブルを蹴り倒して一瞬だけ姿を見失わせ、俺は背後の壁を蹴って宙返りをしながら黒服達の足元にインクを連射した。
 切り取り線みたいにインクで黒服の足元を円で囲み、脆くなった床が俺の着地の衝撃で黒服と共に落ちた。
 落下の衝撃と怪我で黒服達は動けないはずだが、元気なヤツもいるかもしれない。
 着地の無防備な時に襲われたら流石に対応できる自信はない。同じ穴から降りるのはやめておこう。
 そう思って廊下に出ると、少し離れた所に佐藤が来ていた。


「まったく、ヤンチャしてくれますね。大損害だ」


 言葉ではそう言っても、建物の被害について佐藤は興味がなさそうな声だ。


「悪かったな。昼に貰った五千万で弁償してやるよ」
「いえいえ。体で支払って頂ければ十分なので」


 佐藤は濡れた髪をかき上げながら楽しそうに笑った。

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