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【四章】王と魔王
十四話
しおりを挟むフィオーレはカップを持ち上げ、珈琲を一気に飲み干した。
それから空のカップを俺に見せつけるように差し出し、こちらの目を見てハッキリとこう言った。
「そうだなぁ。とりあえず、今の子猫ちゃんではボクと契約すると呑まれちゃうんじゃないかな」
「呑まれる……?」
「子猫ちゃんも気付いているだろう? 自分の心に隙があるって」
その指摘に、さっき軽減したはずの言い知れぬ不安や嫌悪が湧き上がる。目の前の悪魔に全てを見透かされているようで落ち着かない。俺は押し黙るしかできなかった。
フィオーレの言う通り、俺は心の隙に心当たりがある。
考えても仕方のない事だからずっと考えないようにしていたもの。それを知られてしまうと四人に幻滅されるのではないかと密かに蓋をしていた弱さがある。
どうにか気持ちを落ち着けようと、俺は痛いくらいに自らの手を握り締めたが、あまり効果は無かった。口を噤んだ俺を見たクワルクが目を見張り、フィオーレに問いかけた。
「本当に……ルーシャンに隙が?」
「そ。四人には無いのに、子猫ちゃんにはある。何故だろうねぇ……四人の愛が足りないのかな? それとも、子猫ちゃんが四人を信じ切れていないのかな?」
「ち、違う……」
俺はすぐに否定を口にする。四人の気持ちを疑っているつもりはない。
ただ、俺に自信がないだけなのだ。
感情が揺らいでいる時点で四人を信じられていないとも言えるのだろうか。いや、認めたくなかったが、四人を本気で好きになったからこそ生まれた歪みだという自覚があった。
負のループに陥りそうになるのを必死に抑える。誰にも知られたくない想いを暴かないで欲しい。こんな事ならば恋愛感情など知らなければ良かったと思ってしまう。俺は情けなさに顔を上げられなくなっていた。
少しの沈黙の後、フィオーレがテーブルから身を乗り出し、俺の顎を人差し指で持ち上げた。
視線が合ってみれば、想像よりもフィオーレの表情は柔らかかった。
「ボクは別に子猫ちゃんを苛めたい訳じゃない。より良い契約のための話し合いをしているだけだよ。勘違いされやすいけど、騙し討ちみたいな契約を進めるのは低俗な悪魔である証拠なんだ。上位の悪魔は不当な契約を結ばない」
つまりフィオーレは上位の悪魔であると宣言したようなものだ。フィオーレは俺の頬を一撫でしてから席に戻った。
「クワルクがさっき言ってたでしょ~? 悪魔にとって対象の心が最も重要だって。契約するにしてもこちらを信用してくれないと報酬の支払いが上手くいかないんだ。だから悪魔崇拝者とは相性が良くて、信者に召喚されやすいって特徴があったりするんだよ~」
「ですが、こちらの悪魔への信用は地に落ちていますよ」
腕を組んでクワルクが居丈高に言った。相手がなんであろうと態度を崩さないクワルクが今の俺にはとても心強く感じる。俺も弱気になっている場合ではないのでしっかりと前を向き居住まいを正す。
フィオーレは口角を上げて俺を指差した。
「普通だったらわざわざ人間ごときの信用を回復しようなんて思わないけど、子猫ちゃんは契約の対価にラグリマを捧げるつもりだろう?」
「ああ」
俺は深く頷いた。ラグリマを渡す事は俺にとっても今後の計画の大きな切り札となる。フィオーレと俺の利害が一致しているのだから、この契約は成立するという自信があった。
フィオーレはニッコリと今の見た目に合った子供らしい笑みを浮かべた。
「ボクも滅多に見られないお宝を逃したくないからね! 子猫ちゃんの隙を埋める協力をしてあげよっかな~! ついでにクワルクの心証も良くしておきたいしっ」
フィオーレがパチンと指を鳴らすと、急激な眠気が俺を襲った。
それはクワルクも同じらしく、テーブルに肘をついて辛うじて頭を支えている状態になっているのが視界の端に見えた。俺の瞼が鉛にでもなったかのように重くなり、あっという間に視界が完全に暗くなってしまう。
遠ざかる意識の中、フィオーレの声が脳裏に響いた。
「このプレゼントが気に入ったら子猫ちゃんとの契約は成立だよ。一晩だけの奇跡を愉しむと良い」
◇◇◇
俺が目を開けると、まだ窓の外は明るかった。そう長い間意識を失っていた訳ではないようだ。
突っ伏していたテーブルから顔を上げてみるが、当然のように正面の席にフィオーレの姿はなかった。
左の席ではクワルクがテーブルに頭を預けて眠っていたのだが、すぐにその体が動いた。
「ん……ルーシャン……?」
目覚めたクワルクがこちらを見た。良かった、クワルクも健康状態に問題は無さそうだ。
安心したのも束の間、まるで時間が止まったみたいにクワルクの動きが停止した。
魂が抜かれ、氷像にでもなったかのようだ。
「クワルク?」
心配になって声を掛けてみるが、それ以上に自分の声がおかしい事が気になった。
自分の声と思えないほど異常に声が低い。咄嗟に喉を押さえるが、首全体が太く感じる。なんなら指も腕も太く大きくなっているように見える。そもそも着ている服も変わっている。
まるでユンセンの王であった時に戻ったみたいだ。
「え……?」
まさかと思ってクワルクを見れば、目を潤ませながら俺を見て何度も頷いている。
俺の予感は正しかったようだ。クワルクは震えた声で俺の名を呼んだ。
「ルービン、様……」
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