サクラ色に染まる日 〜惨めな私が幸せになるまで〜

碧みどり

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第五章 始動

48.接触

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「いろいろと大変でしたね…。お兄様もお忙しいようで、屋敷に戻ってきていません…」
 
 
放課後、東十条家の馬車の中で籐子が、心配そうに眉を下げる。樹との騒動から十日余りが経過したが、サクラが籐子と共に放課後を過ごすのは久方ぶりだった。
 
当主の留守中に樹の襲撃を受けた本条院の屋敷には甚大な被害が出ていた。塀や外壁は破壊され、離れはほぼ全壊。使用人の中には負傷した者もおり、サクラは本条院家の一員として怪我人の治療や後処理に追われていたのだ。菖斗とはあの騒動以来、顔を合わせていない。
 
 
「彼奴はかなり派手に動いているようじゃな」
 
 
サクラの膝の上でリリーが憎々しげに顔を顰めた。今や国中に樹の手配書が配られ、厳戒態勢が敷かれている。しかし、それを嘲笑うかのように彼による襲撃事件が繰り返し発生していた。
 
神出鬼没な樹に警護隊が翻弄されていることも世間の不安を掻き立てる一因となっているようだ。一向に襲撃犯の足取りを掴めないことに対して、警護隊への不満を募らせる者も出始めている。
 
 
「此度の件では、南条様もかなりご立腹のようですわ」
 
 
既に絶縁状態であるとはいえ、一族出身の者が一連の騒動の主犯であることが公表され、南条家は非難の的となっていた。先日、現当主が声明を出し、東洋魔術五大名の名に恥じぬよう、一族を上げて犯人検挙に力添えすることを表明し、現在血眼になって樹の行方を追っていると耳にした。
 
 
「皆様ずっとピリピリしていて、梅はとっても心配でする…」
 
 
籐子の膝の上で梅が悲しそうに眉を下げる。
 
 
「特にアイツはとてもピリピリしていて…梅は怖くて近づけませぬ!」
 
 
そう語気を荒げると梅はギロリと御者席の方を睨む。おそらく葵のことを言っているのだろう。
 
 
「葵様はきっと籐子様に危険が及ばないよう、警戒を強めていらっしゃるのですよ」
 
 
梅を宥めるサクラの言葉を聞いた籐子は、困ったような笑みを浮かべる。その反応に思わず首を傾げると、籐子が苦笑しながらゆっくりと口を開いた。
 
 
「いえ、そうだといいのですが…。必要以上に殺気立っている気がして…。少し冷静さを欠いてはいないかと心配しておりますの」
 
 
「このようなご時世ですもの…。用心するに越したことはないでしょう…」
 
 
不安そうな表情を浮かべる籐子に「葵様に限って暴走するようなことは無いと思います」と告げると、彼女は「確かにそうですね」と微笑んだ。
 
 
「犯人のことは警護隊の皆様にお任せして、私達は自身の身を守ることに専念しましょう」
 
 
籐子の言葉にサクラは強く頷いて、一層術の鍛錬に励もうと心に誓うのだった。
 
 
 
-----
 
 
「本日も送って頂き、ありがとうございました」
 
 
サクラはその場で一礼をして東十条家の馬車を見送る。馬車が角を曲がりその姿が見えなくなった時、
 
 
「やぁ、サクラ」
 
 
突然背後から名前を呼ばれ、思わず小さく叫んでしまった。驚いて振り返ると、薄暗闇の中にニヤニヤと笑みを浮かべる梨久が佇んでいた。その姿を見て、リリーが歯を剥き出して低く唸り出す。
 
 
「何の用でしょう…?」
 
 
サクラは足を止め、探るような視線を送りながら短く尋ねる。普段なら無視して屋敷に戻るのだが、情報屋が豊島家の名前を出していたことが気に掛かっていた。梨久は魔力を持っていないからという油断も少しあったかもしれない。
 
 
「別に大した用ではないんだけどね。ちょっとこちらで話さないかい?」
 
 
胡散臭い笑みを湛えたまま近づいてくる梨久に強い嫌悪を感じる。やはりこの人には関わらない方がいい。
 
 
「今更話すことなんて何もありません」
 
 
鋭い視線で梨久を見据え、強い口調で突き放すと、その顔が不服そうに歪んだ。その表情にじわじわと恐怖心が蘇り、背筋が寒くなる。
 
 
「チッ…。昔はあんなに従順だったのに、随分と生意気になったもんだな」
 
 
梨久は声を荒げると、懐から取り出した式のようなものをサクラに向かって投げ付けてきた。咄嗟のことに反応出来ず、サクラは反射的にギュッと目を閉じる。一瞬で辺り一面が眩い光に包まれ、一気に視界と身体の自由を奪われた。
 
 
「サクラ!!大丈夫か?!」
 
 
リリーの叫ぶ声が聞こえ、大丈夫だと返事をしようとした瞬間、足元に風を感じヒュンッと宙に浮くような感覚に包まれた。その直後、内臓が浮き上がるような物凄い重力に襲われる。あまりの負荷の大きさに、目を閉じて身体を強張らせることしか出来ない。
 
 
遥か頭上から聞こえてきたリリーの声が、一瞬にして遠ざかっていく。サクラは突如出現した巨大な穴に飲み込まれるように落ちていった——————。
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