32 / 50
第三章 変化する状況
32.両家顔合わせ(2)
しおりを挟む鋭く発された冷たい声に、皆が口を噤んで息を呑んだ。いつもの温厚な菖斗からは想像出来ないその険しい表情にサクラは目を丸くする。
「本日は私とサクラさんの祝いの席です。やっと話が纏まったというのに、違う相手を勧めてくるとは…一体どのような神経をされているのでしょう。私はサクラさんだから縁談を申し込んだのです。妹君には一切興味がありません。」
心底不快そうに眉を寄せながら菖斗が厳しい口調で告げると、取りつく島も無く拒絶された杏の頬がぴくりと歪む。
私、だから…………?
頭の中で菖斗の言葉が何度も反芻される。急激に頬が熱くなるのを感じ、サクラは慌てて俯いた。そんな彼女を義母が鋭い目付きで睨む。
「違うのです!本条院様!」
菖斗に冷たい視線を向けられ、杏は目を潤ませながら立ち上がる。
「祝いの席での無礼をお許しください。しかし、私にも機会を頂けないでしょうか。サクラだけでなく、私のことも知って頂いた上で、より相応しい方を選んで貰いたいのです。七条家としても名家である本条院家の繁栄の為に、より良い選択をして頂きたいのですわ。」
そう言って弱々しく微笑む。庇護欲を誘う杏の姿を見て、先程の熱は一気に冷めていった。妹はか弱い少女を演じ、人に取り入るのが上手いのだ。膝の上で暴れるリリーを必死に抑えながら、サクラは強く唇を噛む。こんな時、何も出来ない自分が本当に嫌になる。
「本条院家の皆様も、より優秀な能力を持つ者を妻に迎えたいと思われますよね?」
杏は潤んだ瞳を菖斗の母親へと移す。この状況を静観していた夫人だったが、杏の言葉を聞き、意味深げな視線を息子に送る。その反応を肯定と捉えたのか、義母と妹は再び自身を売り込み始めた。そんな二人を横目に、父は一貫して無言を貫いている。
「いい加減にしていただきたい。」
混沌とした状況の中で、菖斗が低い声を出す。怒気が込められた声に義母と杏はビクッと肩を揺らして黙り込んだ。
その場に一気に緊張が走る。
「どちらが私の相手に相応しいかなど、時間をかけて判断する必要はありません。」
その言葉に義母と杏が、顔を輝かせた。自分達が選ばれるとたかを括っているのだろう。サクラは緊張した面持ちで言葉の続きを待つ。
「七条家の暮らしぶりについては念入りに調査させていただきました。私の答えは初めから決まっています。」
菖斗はそう言ってゾッとするような冷たい笑みを浮かべた。
………え、……調査??
思いがけない言葉にサクラはポカンと口を開けて菖斗を見つめる。義母と杏も驚いたように顔を引き攣らせている。
「今まで貴方達がどのようにサクラさんと接してきたのか、全て調べはついています。」
彼が合図をすると、分厚い書類を抱えた従者が前へと進み出た。書類を受け取った菖斗がその内容を事細かに読み上げると、義母と妹、そして父の顔がみるみる青ざめていく。
「執拗な嫌がらせや暴力、持ち物の強奪、無賃での労働の強要、教育を受けさせない処遇、事実無根の噂をでっち上げる印象操作、そして婚約者の奪取……嗚呼、姉の婚約者との不貞行為まであったようですね。」
よく選んでくださいなどと言えたものだ。三人を激しい目付きで見据えながら、非難する。菖斗の母親も汚らわしい物を見るように顔を顰めていた。かなり詳細まで調べられていることに驚き、サクラは大きく目を瞠る。
「どちらが妻に相応しいかなんて考えるまでも無い。よくもまぁ、ここまで酷いことが出来るものだ。」
菖斗に軽蔑の眼差しを向けられ、それまで綺麗に取り繕っていた杏の顔が醜く歪んだ。凄まじい形相でサクラを睨みつけると、金切り声をあげて反論する。
「私は悪くありません!本条院様、よく考えてみて下さい。元はと言えば、サクラとその母親が私達家族の幸せを壊したのです!私達を不幸に陥れたこの女に復讐をして何が悪いというのですか!!」
………何を言っているのだろう?
「当然の報いです」と喚く杏を見て、サクラは顔を強張らせる。開き直りもいいところだ。本気でそんな理屈が通ると思っているのだろうか。
私が何をしたと言うの……。
そんなつまらない理由で今まで冷遇されてきたのか…。自分達に非はないと主張し続ける杏に段々と腹が立ってくる。
「幸せな家庭を壊されたという意味では、サクラさんも君達と同じく被害者だよ。」
逆恨みもいいところだと菖斗は呆れたように顔を顰める。
「君達の父親とサクラさんの母上はきちんと手順を踏み婚姻を結んでいる。記録を見ると婚姻に至るまでにかなり時間を費やしていたから、父親はその間に縁談を断って君の母親と結ばれるなり、別れて関係を清算するなり、幾つもやり方があった筈だ。にも関わらず、どっちつかずで中途半端に関係を続け、その結果どちらの家族も不利益を被っている。……怒りの矛先を向ける相手が違うのではないか?」
「サクラちゃんが君達を攻撃したことはないだろう」と厳しい口調で告げられ、杏は悔しそうに唇を歪めた。義母も納得がいかないという顔で菖斗を睨んでいる。
「……大人しくしていれば多少情けはかけようと思っていましたが、反省する気もないとは……。これまでの数々の問題行為については帝都へ報告させて頂きます。」
菖斗は深いため息を吐くと、父に冷たい視線を送る。その言葉にこれまでだんまりを決め込んでいた父が慌てたように口を開いた。
「私は関与していない!全て妻と娘が勝手にやった事だ!」
この後に及んで何を言っているの……?
自分は関係ないと喚く父の姿を見て、サクラは今までにない強い怒りが湧き上がるのを感じた。
0
お気に入りに追加
130
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる