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第三章 変化する状況
31.両家顔合わせ(1)
しおりを挟む縁談の申込から半月が経ち、腕の痣も殆ど消えかかった頃、両家の顔合わせが執り行われることとなった。
当日の朝、早起きしたサクラは籐子に借りた道具を使って化粧を施す。昨日は緊張のあまり中々寝付けなかった。菖斗から贈られた手鏡を覗き込みながら習った通りに紅をさすと、鏡に映るいつもとは違う自身の姿になんだか少し照れてしまう。
「ほぅ……綺麗じゃな。」
目を細めながら、嬉しそうに告げるリリーに向かってにっこりと微笑む。化粧を終えるとこの日の為に支給された着物に袖を通した。いつもの姿ではまずいと父から渡されたものである。
新しい着物なんて何年振りだろう…。
「似合っているぞ」とリリーに褒められ、嬉しくて思わず笑みが零れた。
「あの小僧とは久しぶりの再会じゃな。」
リリーの言葉にサクラはこくりと頷く。縁談を申し込まれて以降、菖斗には一度も会えていない。その為、今回の話は本当なのかと未だに半信半疑だった。
「とにかく、粗相がないように頑張らないと。」
不安な気持ちを押し隠し、籐子に教えられた作法を復唱しながら、サクラは父の待つ屋敷へと向かった。
————
「本日はこのような場を設けて頂き、誠にありがとうございます。生憎主人は公務の為同席出来ませんが、今回のご縁を喜んでおりましたわ。」
菖斗の母親がにこやかに挨拶する。美しい貴婦人を前にして緊張しながらも、サクラは丁寧に頭を下げた。そして、ゆっくりと目の前に座る菖斗へ視線を移し、その凛とした佇まいに息を呑む。
……和装もとてもお似合いだわ…。
紋付羽織に身を包んだ菖斗は本当に美しく、その姿には崇高ささえ感じられた。着物の隙間から覗く首筋や腕には大人の色香が感じられる。
「本条院様、本日もとっても素敵ですわ。」
サクラが菖斗に見惚れていると、杏が隣で媚びるような甘い声をあげた。普段はサクラを使用人として邪険に扱う義母と妹だが、何故か今日は「家族だから」と無理矢理同席している。
嬉々として菖斗に話しかける妹を横目に、サクラは身を縮こまらせた。自分よりも豪華な着物に身を包み、煌びやかな装身具でこれでもかと着飾っている妹と並ぶと自分の貧相な身なりがとても恥ずかしく思える。誰が見ても杏の方が主役に見えるだろう。
緊張と羞恥で身を固くするサクラを他所に、親同士で話し合いが進められていく。サクラが学生であることを考慮してすぐに結婚ではなく婚約という形をとること。準備が整い次第、花嫁修行も兼ねてサクラを本条院家に迎えること…以上の内容で話が纏まった。
私、七条家を出られるんだ……。
本条院家へ嫁ぐことで、囚われ続けてきた七条家から解放される…。改めて告げられると段々と実感が湧いてきた。喜びを噛みしめながら菖斗へと視線を送ると優しい表情で見つめ返され、心臓がキュンと音を立てる。
縁談が纏まり、「これからよろしくお願いします」とサクラが頭を下げた時、
「少しよろしいでしょうか。」
今まで黙ってやり取りを聞いていた義母が声を上げた。
「この度は大変良いご縁をいただき、恐悦至極にございます。しかし、1つこちらからご提案が。」
勢いよく身を乗り出す義母を見て、杏がニヤリと笑みを浮かべる。………嫌な予感がする。
「この度の縁談は、サクラではなくこちらの杏と結ばれては如何でしょうか。杏には既に婚約者がいる為、相手のいないサクラへお話をいただいたのでしょうが、本条院様からのお話ですもの。彼方はお断りをさせて頂きますわ。」
悪びれる様子もなく捲し立てる義母の行動が理解できず、サクラは唖然とする。流石にその提案は非常識すぎるのではないだろうか…。サクラの膝の上ではリリーが義母を睨みながら低い声で唸っている。
「もちろん豊島家との話し合いはうちにお任せ下さい。……ご心配なく。杏のお相手は元々サクラの婚約者でした。本来の形に戻るだけなのでどうにか説得出来るでしょう。杏は魔術に秀でていますし器量も良い娘です。確実にサクラよりも本条院家の嫁としてお役に立つことが出来ますわ。」
言いたいことを言い終えたのか、義母は満足そうな表情で席についた。その隣では杏が媚びるような瞳で菖斗を見つめている。
あまりにも失礼な義母の言動に、サクラの顔は真っ青になった。父は何故このような愚行を止めずにいるのだろう。そう思ってそっと隣を盗み見るが、その表情からは焦っている様子は見受けられない。
……まさか、最初からそのつもりで…?
背中に嫌な汗が伝う。視線を戻すと、義母が誇らしそうに妹を売り込んでいた。杏はその横で慎ましく頬を染めている。家族に愛され、容姿も能力も申し分がない妹と比較され、勝るものなど何一つ無い。
……やっぱり全て杏のものになるのね…。
本条院様も杏の方を選ぶに決まっている…。強い絶望感に、サクラの身体から力が抜けていく。耐え切れずにそっと首を垂れた瞬間、
「……ふざけるのも大概にしていただきたい。」
菖斗が鋭い視線で義母を睨みながら、冷たく言い放った。
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