グッバイ、親愛なる愚か者。

鳴尾

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 僕は彼の故郷を知らない。彼も僕の故郷を知らない。僕たちはそんな話をするような仲ではなかったから。僕が知っていたのはたまに彼が机の上に置きっぱなしにしていた手紙に綴られた、彼の祖父が住む場所だけだ。
 僕に手紙が来たことはない。だから彼は、僕の故郷を知らない。
 僕に親はいない。いや、いないということはないのだろう。僕をこの世に生み落とした誰かは確かに同じこの世に存在していて、その人はおそらく今もまだこの世のどこかで生きている。僕がこの学校へ入るための手続きをしたのはその人だ。けれど僕は僕はその人に会ったことがない。僕の記憶にある限り、僕を育てたのはたったひとりの老婦人だ。

 僕が初めて理解したいと思ったその人、おばあさま曰く僕は生まれてくることを望まれなかった子どもらしい。僕を産んだ母親というのがどうやらそこそこ裕福な家の人間だったそうで、家柄だけで決められた愛のない結婚をさせられたのだとか。けれど夫とは別に想い人がいたその人はたった一夜、過ちを犯した。僕は、その穢らわしい過ちの証拠らしい。
 馬鹿らしい話だ。早い話、僕は生まれてきてはいけなかった。誰にとっても都合が悪い。不要な子。だったら、どうして僕を育てたんだろう。適当なところに捨ててしまえば、幸せになれたかもしれないのに。僕だって、そのほうがきっと幸せだった。
 けれどおばあさまは僕に生きろ、と言った。訳の分からない愛とかいう感情のせいで生まれてきてしまった望まれない子だとしても、生は等しくあるべきだ。おばあさまはいつもそう言っていた。

「あなたは、私よりも長生きをすると約束して。」

そう言ったおばあさまは、僕が学生寮へ入った次の日に倒れて病院へ運ばれた。元々、あまりよくなかったらしい。僕は何も知らなかった。
 長くない。そう書かれた電報を見ても、僕は外出許可証の用意さえしなかった。会いに行きたくなかったわけではない。会いたかった。飛んでいって抱きしめて、大丈夫ですかと尋ねたかった。長生きしてくださいと言いたかった。けれど僕は、結局おばあさまのことを理解できなかった。おばあさまのことが分からなかった。知ろうとすればするほど、大好きだったはずのおばあさまがなんだか得体の知れない恐ろしいものに変わっていった。
 だから、逃げた。
 本当は、おばあさまとずっと暮らすこともできた。学校なんか行かないで、ずっと故郷にいればよかっただけのことだ。会ったこともない親から届いた、たった一枚の手紙の言いなりになる必要なんてどこにもなかった。けど僕は学校を選んだ。育ててくれたおばあさまよりも人生でたった一度しか手紙をよこさない親を選んだ。おばあさまを残して、逃げるように故郷を出てきた。
 今更どんな顔して会えばいいか分からない。おばあさまのことを怖いと思ってしまった僕の顔を見たら、きっとおばあさまは理解してしまう。たちどころに僕の恐怖心を見抜いてしまう。僕は、会いに行く勇気がなかった。
 僕はすごく自分勝手だ。
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