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学生寮の一室で、彼はとてもにこやかな最期を迎えた。
彼は学生寮で、いや学校の中でいちばんの人気者だった。彼が黒と言えば白だろうと黒に変わる、なんて彼はそんなことはしなかったけど。
僕が初めて彼に出会ったのは、入学式のあとだった。学生寮で暮らす僕たちが集められた食堂で、彼はにっこりと笑って完璧な挨拶をした。僕は彼のあとに、ボソボソと名前だけを言うのがやっとだった。
挨拶が終わったあと、早くも人気者の称号を獲得した彼は多くの友人に囲まれて談笑していた。僕はそれをみることもなく部屋へ戻る。
僕は人と関わることが得意じゃない。好きでもない。ひとりでいることを苦だと思ったこともないから、これまで特に誰とも関わらずに生きてきた。これまでもずっとそうだったから、当然これからもそのつもりだった。
「君さ、なんで先に帰ったの?」
彼は部屋に入ってきて開口一番そう言った。
彼は食堂で同室の僕を探していたらしい。彼の言い分は、部屋までの道を一緒に歩いて話をしたら早く仲良くなれる、だ。一緒に部屋に部屋に戻る、という行為にもルームメイトと仲良くなる、という行為にも価値を見出せなかった僕はそんな彼を拒絶した。
「同室だからって仲良くする必要なんてない。僕のことは放っておいて。」
僕が彼の目も見ずにそう言うと、彼はきょとんとした顔で僕を見て、それから急に笑い出した。
「君は面白いやつだな。で、いいやつだ。」
笑い続ける彼を見て、僕はひどく困惑したのを覚えている。
僕は彼がなぜ笑ったのか分からなかった。だって僕は面白いことなんて言ってないし、いいやつでもない。というかいいやつだと思われる要素が今のどこにあったのだろうか。あれで僕をいいやつだって思うこいつはどうかしている。きっと頭のネジがいくつかとんでるんだ。
彼はいつも笑っていて、たくさん友人がいて、みんなの人気者。彼は学生寮だけでなく学校中で人気で、学内の全てが彼を中心に回っていた。
学級委員は本人が立候補するよりも先に満場一致で彼が選ばれたし、学内にある全部活からとても熱心な勧誘を受けていた。
彼は常に誰かと一緒にいた。学校にいる間も、学生寮でも、そこを往復する道のりや些細な寄り道でさえも、彼はずっと誰かと一緒にいた。まるでひとりになったらその瞬間に死んでしまう、そんな呪いをかけられているみたいに意地でも誰かのそばにいようとする姿は違和感さえ覚えた。
彼の根本は多分、僕と同じ部類の人間かそれになり損ねた部類だと思う。他人に心を許してない。他人と一線を引いてある一定以上は関わらないようにしてる。僕と同じ。
けど彼はそれと同じか、あるいはそれ以上に孤独や静寂を恐れていた。だから常に誰かと一緒にいようとする。僕にはそれが、ひどく惨めに見えた。
彼には秘密があった。友人の誰も知らない、同室の僕しか知らない秘密。
といっても僕がそれを彼から聞いたのは全てが終わったあとのことで、本人は最期まで直接言ったりはしなかった。僕と彼は普段から話なんてするような仲でもなかったし、僕から彼に何か言うなんてこともなかった。だからこれは、人気者の彼のことを僕だけは知っている、みたいな鼻高々になれる代物ではないし、そんな不毛なことをする気もない。
ただ僕は、見てしまっただけだ。彼が薬を飲むところを。
それも一度や二度じゃない。毎日だ。僕が見ていない隙をついて、それをぽんと口に放り込む。まるで飴でも食べるみたいに。
彼がもしかしたらあんまり丈夫な体を持っていないんじゃないか、という疑惑は一緒に暮らし始めてすぐに生まれた。学級委員はあんなにもあっさりと承諾したのに、勧誘を受けていた数多くの部活動はどれも丁重に断っていた。普段は怖いくらい常に誰かと一緒にいるのに、定期的に外出許可証を持ってひとりどこかに出かける。学級委員が忙しいとか先生に頼まれごとをしたとか適当な理由で授業を抜ける。体育に至っては、一度たりとも参加していない。
気がついてしまえば、彼が何かをその体の内側に抱え込んでいたのは明白だった。
それに僕は知っている。彼が夜、時々苦しそうに咳き込んでいるのを。僕が起きないように、僕に気づかれないように、息を浅く吸って、枕で口をおさえて。それが余計に苦しさを増していると言うことは間違いなく彼も気づいているだろうに、それでも彼は、僕に知られまいと必死になって隠していた。
あれは知られるのが恥ずかしいとか迷惑をかけるかもしれないとか、そんなかわいいことを考えてるようなやつの隠しかたじゃない。知られることを、というより知られたあとのことを恐れている。知られたら生きていけないとでも思っているような、そんな隠しかただ。
そんなに隠したいなら僕みたいに誰とも関わらずに教室の隅っこで空気のようになっていればいいのに、彼は意地でも人と関わろうとする。仲良くしようとする。
それが彼の矛盾点だ。
彼は学生寮で、いや学校の中でいちばんの人気者だった。彼が黒と言えば白だろうと黒に変わる、なんて彼はそんなことはしなかったけど。
僕が初めて彼に出会ったのは、入学式のあとだった。学生寮で暮らす僕たちが集められた食堂で、彼はにっこりと笑って完璧な挨拶をした。僕は彼のあとに、ボソボソと名前だけを言うのがやっとだった。
挨拶が終わったあと、早くも人気者の称号を獲得した彼は多くの友人に囲まれて談笑していた。僕はそれをみることもなく部屋へ戻る。
僕は人と関わることが得意じゃない。好きでもない。ひとりでいることを苦だと思ったこともないから、これまで特に誰とも関わらずに生きてきた。これまでもずっとそうだったから、当然これからもそのつもりだった。
「君さ、なんで先に帰ったの?」
彼は部屋に入ってきて開口一番そう言った。
彼は食堂で同室の僕を探していたらしい。彼の言い分は、部屋までの道を一緒に歩いて話をしたら早く仲良くなれる、だ。一緒に部屋に部屋に戻る、という行為にもルームメイトと仲良くなる、という行為にも価値を見出せなかった僕はそんな彼を拒絶した。
「同室だからって仲良くする必要なんてない。僕のことは放っておいて。」
僕が彼の目も見ずにそう言うと、彼はきょとんとした顔で僕を見て、それから急に笑い出した。
「君は面白いやつだな。で、いいやつだ。」
笑い続ける彼を見て、僕はひどく困惑したのを覚えている。
僕は彼がなぜ笑ったのか分からなかった。だって僕は面白いことなんて言ってないし、いいやつでもない。というかいいやつだと思われる要素が今のどこにあったのだろうか。あれで僕をいいやつだって思うこいつはどうかしている。きっと頭のネジがいくつかとんでるんだ。
彼はいつも笑っていて、たくさん友人がいて、みんなの人気者。彼は学生寮だけでなく学校中で人気で、学内の全てが彼を中心に回っていた。
学級委員は本人が立候補するよりも先に満場一致で彼が選ばれたし、学内にある全部活からとても熱心な勧誘を受けていた。
彼は常に誰かと一緒にいた。学校にいる間も、学生寮でも、そこを往復する道のりや些細な寄り道でさえも、彼はずっと誰かと一緒にいた。まるでひとりになったらその瞬間に死んでしまう、そんな呪いをかけられているみたいに意地でも誰かのそばにいようとする姿は違和感さえ覚えた。
彼の根本は多分、僕と同じ部類の人間かそれになり損ねた部類だと思う。他人に心を許してない。他人と一線を引いてある一定以上は関わらないようにしてる。僕と同じ。
けど彼はそれと同じか、あるいはそれ以上に孤独や静寂を恐れていた。だから常に誰かと一緒にいようとする。僕にはそれが、ひどく惨めに見えた。
彼には秘密があった。友人の誰も知らない、同室の僕しか知らない秘密。
といっても僕がそれを彼から聞いたのは全てが終わったあとのことで、本人は最期まで直接言ったりはしなかった。僕と彼は普段から話なんてするような仲でもなかったし、僕から彼に何か言うなんてこともなかった。だからこれは、人気者の彼のことを僕だけは知っている、みたいな鼻高々になれる代物ではないし、そんな不毛なことをする気もない。
ただ僕は、見てしまっただけだ。彼が薬を飲むところを。
それも一度や二度じゃない。毎日だ。僕が見ていない隙をついて、それをぽんと口に放り込む。まるで飴でも食べるみたいに。
彼がもしかしたらあんまり丈夫な体を持っていないんじゃないか、という疑惑は一緒に暮らし始めてすぐに生まれた。学級委員はあんなにもあっさりと承諾したのに、勧誘を受けていた数多くの部活動はどれも丁重に断っていた。普段は怖いくらい常に誰かと一緒にいるのに、定期的に外出許可証を持ってひとりどこかに出かける。学級委員が忙しいとか先生に頼まれごとをしたとか適当な理由で授業を抜ける。体育に至っては、一度たりとも参加していない。
気がついてしまえば、彼が何かをその体の内側に抱え込んでいたのは明白だった。
それに僕は知っている。彼が夜、時々苦しそうに咳き込んでいるのを。僕が起きないように、僕に気づかれないように、息を浅く吸って、枕で口をおさえて。それが余計に苦しさを増していると言うことは間違いなく彼も気づいているだろうに、それでも彼は、僕に知られまいと必死になって隠していた。
あれは知られるのが恥ずかしいとか迷惑をかけるかもしれないとか、そんなかわいいことを考えてるようなやつの隠しかたじゃない。知られることを、というより知られたあとのことを恐れている。知られたら生きていけないとでも思っているような、そんな隠しかただ。
そんなに隠したいなら僕みたいに誰とも関わらずに教室の隅っこで空気のようになっていればいいのに、彼は意地でも人と関わろうとする。仲良くしようとする。
それが彼の矛盾点だ。
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