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【第一部】 夢へともがく者達:下

ハリウス湖(2)

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 最初は冷たいと感じていた水温も、次第に何も思わなくなった。透明度の高い水の中、息が出来る不思議な感覚に慣れないまま、湖の底をゆっくりと歩く。時折膝をつき、底から出る小さな光の粒を見つけては、これは違うと元の場所に戻す。
 美しく澄んだ湖の中だというのに、生物の気配は一切しない。肌を通して感じる水の持つ魔力の高さが、生物を生かす環境ではないと訴えていた。
 髪と服がふわりふわりと動きに合わせてまとわりつくのが鬱陶しいが、殿方がいる前で脱ぐわけにもいかない。
 今はただ、相応しい媒介を探すだけだ。
 水の中に陽の光が落ちている。その中に入れば、セツナ形の影ができた。セツナはじっと、その影を見つめる。

(相応しい媒介って、何なのでしょう)

 名前も姿も年齢も、何も知らない婚約者。彼との結婚のために必要だから探している価値の高い媒介。
 貴族は結婚の際に契約魔法を刻んだ指輪を交換する。魔法を扱える者は自らが制作した指輪を。魔法を扱えないヴァンパイアは魔法媒介を探し、特注で制作する。そうして互いに作った指輪を王の前で交換し、婚姻契約を結び晴れて夫婦となるのだ。
 魔法を扱えないヴァンパイアは、その足で媒介を探し、自分の目で選ばなければならない。
 ハリウス湖には来たかった。それは間違いない。美しい光景を目に焼き付けられたことは一生の思い出になるだろう。名も知らぬ男に渡す指輪を探すために来たのでなければ、もっと良かっただろう。セツナの気持ちは沈んでいく。

(ああ……早く探さなきゃ)

 沈んだ倒木を避け歩き続ける。透明度が高い故に水中とは思えないほど見通しの良いが、広い湖の中、一人で媒介を探す根気のいる作業にセツナは気が遠くなった。
 こればかりは誰も手助けしてはいけない。自分がどれだけ相手を想っているか、どれだけ相手を欲しがっているかを、まさに形で示さなければならない。例え家同士が決めた政略的なものだとしても。

(想っている殿方なんていないのに)

 セツナが心で否定した瞬間、胸にじんわりと痛みが滲んだ。その痛みは不快であり、次いで喉が詰まるような違和感を覚えセツナは狼狽えた。腕を自身の手で擦り、思わずその場に蹲る。

 国に示された通りに生きてきた。家と城以外を知らずに、誰かを好きになることもなく、血を繋ぐためだけに生きてきた。
 言えば何でも用意してくれた。けれど、決して外に出ることは許されなかった。

「近付いてくる者は信用してはならない」

 父が言う。

「お前の血を利用する者を信用してはならない」

 王が言う。
 自分の命にそれだけの価値があるのだから、人を信用してはいけないのだと。
 人と人との間に、一本の線が引かれている。生まれてから一度も、その線は踏み越えられていなかった。決して、踏み越えられてはいけないものだった。その線の上を土足で入る者など、今まで居なかったというのに。

 セツナの脳裏に青年の姿が過る。袖の下に隠していた、リボンの薔薇が揺らめいた。
 唇を噛み、薔薇を震える手で優しく撫でる。込み上がってくる感情に名を与えようにも、セツナにはその感情の経験が無い。切なく、苦しく、けれど安心し、青年の瞳に自身が映ることに喜びを抱く、この感情を。

「――知らないわけではないんです。認めたくないだけで」

 呟いた言葉は泡となり、水中へと消えていく。

「苦しくなるだけです。だって、良い方向に行くわけがないんですから」

 薔薇のリボンの揺らめきが、一つの光へと導く。セツナは指を水底へと向けた。砂の中から、青い光が漏れ出ている。

「知らないフリをして、気付かないフリをして、私の世界が終われば――」

 砂をかき分け現れたのは、ルーチェフォリアに相応しい輝きを持った石。
 セツナは手の平大のそれを持ち上げ、胸に抱いた。

「――それはきっと、幸せな結末ハッピーエンドでしょう?」


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