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【第一部】 夢へともがく者達:中

スティロの少年(1)

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 シメオン歴三〇一八年五月三日、火の日。
 よく晴れた天気とは裏腹、ナハトの気持ちは激しく乱高下を繰り返していた。理由は一目瞭然、目の前にいる貴族の子女、メルヴィナ・ラレグラに他ならない。
 王立魔法学院、空き教室。授業の終わりとともにメルヴィナに呼び出されたナハトは、平民故に断る術もなく、言われるがままこの教室へとやってきた。
 一カ所のみの出入り口にはメルヴィナといつも一緒にいるブラント・ティリオが立っており、ナハトの逃げ場はない。
 メルヴィナは燃えるような赤い瞳でナハトを射殺さんばかりに睨み「それで」と刺々しい口調でナハトに向けて話し始めた。

「いい加減、どういうことか説明してくださらないかしら。貴方があのルーチェフォリアの娘と王都を出るという話は、もう学院の皆が知っている事実。どうしてそうなったのか、わたくしにお話してくださる?」

 ナハトの顔色がサッと青くなる。つい先月、四月十八日に起きたあの出来事は、ナハトにとってはいまだに鮮明な記憶で、震え上がる程の恐怖体験だった。
 ヴァンパイアの始祖血統、王に次ぐ貴族階級《ラスト》のルーチェフォリア家の一人娘、セツナ・ルーチェフォリアの家出が発端の事件は、彼女が結婚するまでの半年間の自由をもぎ取ることで決着がついた。
 ナハトは彼女の逃亡に手を貸した罪に対する罰として、セツナがこれから行う旅に護衛として同行することが決定している。
 メルヴィナが言う「説明してほしいこと」というのは、この事件の詳細について聞き出したいという意味だとナハトには理解出来た。それが簡単に出来ていればここまで追い詰められなかっただろう。ナハトの脳裏に、慕い尊敬するユカラ・アティルナの姿が過ぎった。

「いいかい。護衛というのはただその人を守るだけじゃない。知っている情報を漏らさないことも護衛の仕事さ。セツナ様との旅に同行する君は、平民の未成年で、それも学生という異例中の異例。君の口を割ろうとする者が現れてもおかしくない。いいかい、決して誰かに件の詳細を喋ってはいけないよ。この忠告は君の為でもあるのだから――」

 ユカラは慎重に行動した。ナハトの生家へもその足で訪れ、セツナの旅の内容を出来る限り伏せ「自分が課した弟子入りの条件の旅」と説明し、ナハトの家族から旅立ちの了承を得たのだ。
 ユカラの言葉を思い出したナハトは、改めてメルヴィナを見上げた。
 メルヴィナの立場は明らかにナハトより上である。平民のナハトと、貴族階級の中でも権力を持つスティロ階級のメルヴィナ――ナハトはメルヴィナからの命令には従わなければならない立場、だが。

「申し訳ございません。僕から喋ることはできません」

 教室が静けさに包まれる。メルヴィナの瞳が揺れ、静観していたブラントは目を見開く。
 ナハトは心臓の音が周りに聞こえるのではないだろうかと心配しながら、汗でじっとりと濡れた手を握り締めた。
 小さな咳払いとともに、少女は豊かな黒髪を手で払う。

「………聞き間違えかしら」
「いえ、ラレグラ様。あなた様の願いを叶えたいところではありますが、僕は説明できる立場に御座いません。どうか、ご容赦ください」

 ナハトが頭を下げる。権力に従わなければどうなるのか、恐怖がナハトの体を支配していく。指先が冷え、感覚が無くなりそうだ。
 ―――突如、大きな音が教室中に響いた。
 その余りにも大きな音にナハトが思わず頭を上げると、教室唯一の扉にブラント以外の人が立っていた。
 針葉樹を彷彿させる深い緑髪(整髪剤で整えているようでツンツンと立てている)に、騎士のローブを身に纏った男がいる。反射的にナハトが彼の首元を見た――リボンの色が赤、最高学年である六年生の証だ。
 近くに居たブラントは目を白黒させ、この突然の来訪者をどう受け止めて良いのか考えあぐねている。
 ナハトもつい頭を上げてしまったが、本来ならばメルヴィナの許しを得なければ上げてはならない頭だ。この状況をどのように乗り切ればいいのか、現れた男とメルヴィナを交互に見ている。
 当のメルヴィナの顔には、あからさまな嫌悪が浮かび上がっていた。

「――そんなに大きな音を立てて、それもノックも無く扉を開くなんて、相変わらずとんだ粗暴者ね。スティロの面汚しだわ」

 強い口調で相手を非難するメルヴィナ。その口振りからメルヴィナと男は知り合いのようだ。
 貶された当人はそんな言葉を浴びたとは思えない程、快活な笑みを浮かべた。

「久しぶりに相まみえたというのにつれないなラレグラ嬢! 俺様に会えて嬉しくないのか? ん?」
「嬉しいわけが無いでしょう。いい加減、人の話を聞かない癖を直しなさい。あと分かると思うけれど、今わたくし達はお話し中なの」

 男がメルヴィナからナハトに視線を移した。頭の天辺から爪先まで、しっかりナハトを確認すると、男は歯を見せて笑う。

「貴様がナハトか! 探したぞ!!」
「ちょっと、ルーカス・エダリーニ!?」

 突如自身の名を呼ばれ、ナハトの肩が大きく揺れた。ルーカスと呼ばれた男はメルヴィナの言葉などまるで耳に入らないようで、真っすぐナハトの元へと歩いてやってくる。
 広い教室ではない為、何の心の準備もする暇なくナハトは男と対面した。六年生と言えば成人――十八歳になる学年だ。ナハトの頭二つ分以上に高い身長を持つルーカスをナハトは懸命に見上げる。
 メルヴィナの言葉が本当であれば、目の前の男もメルヴィナと同様スティロ階級。粗相があってはならない。

「貴様に用がある。一緒に来い」
「は……ぐぇっ」

 横腹に手を置かれたかと思えば、ナハトは軽々と持ち上げられルーカスの肩に担がれる形で運ばれていく。
 そんな状況を見ていたメルヴィナは狼狽えつつもルーカスを呼び止めようとするが、彼女の声を無視しているのかそれとも聞こえないのか、ルーカスの歩みは止まる気配がない。嵐のような男は、メルヴィナという牢獄で藻掻くナハトをいとも簡単に救い出したのだった。


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