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寒さの厳しい冬が終わりを向かえ、陽射しは暖かさを持ち、壁の外では緑が見え始めていた。
冬が終わり、春を迎えれば、人も他の生き物たちも大きく動き始める。
その最たるものが冒険者であった。
薬師たちが薬草を使い切っていたため、春を迎えるとともに高額で採取依頼を出したからである。
薬師たちにとって、仕事をするうえでなくてはならないものであるし、薬師たちが仕事を出来ないと言う状況は、オルグラント王国で生活している人たちが怪我や病気などに掛かってしまっても何も出来ないと言うことに他ならない。
生活をしている人たちにとって、薬師が薬草を手に入れることは自分たちの安心のためにも、願って止まない状況だったのだ。
そのため、薬師ギルドが出すお金だけではなく、城からも補助金が出されているため、採取の依頼でありながら高額になっていた。
もちろん、採取の依頼だけではなく、薬師たち自身が手がけている薬草畑への採取もあり、その場所までの護衛だとか荷運びの依頼も大量に貼り出されており、冒険者たちがこぞって依頼票を取っていく。
森への採取は決して安全とは言えないのだが、モンスターと遭遇したとしても退治しなければならないわけではないし、森の知識を持っていたり、事前にモンスターの情報を集めていれば、遭遇することなく依頼をこなすことが出来る。
護衛はチームや複数人で受けるのだから、余程な面子であったり、モンスターの中に突っ込んだりしなければ、数日間、野営するだけですむし、荷運びと言う単純な肉体労働でも高額な報酬とあれば、通常の討伐依頼だとか、配送の依頼より冒険者たちが集中するのは当然であった。

当然、レッドたちも採取の依頼を一つ手にしていた。
家にマイがいるため、薬師から直接頼まれてしまえば、薬草採取の仕事はやらないわけにはいかなかったのだ。

リベルテがすいすいと道を進んで、オキナグサやグースグラスなどひょいひょいと採って行く。
レッドはリベルテに追いつけず、離れた所を歩いていた。
警戒に森の中を歩いていくリベルテと、それについていけない自分に、こういったことでも自分の体が戻りきっていないことを突きつけられる。
一向に縮まらないリベルテの背中を見て、レッドは大きくため息を吐いてしまう。
これでも、レッドを見失わないようにリベルテが抑えていることが、疲れを見せない様子から察せられてしまうのだ。
ただ、これも体を鍛えなおす機会と思いなおし、リベルテの後を追うために草木を避けて足を動かしていくのだった。

「レッド、無理しないでくださいね。あ! 向こうにレンギョウが咲いてます! 取ってきますのでここら辺で待ってて下さい」
依頼の植物を見つけたリベルテがササッと向かっていく。
道中に取っていた植物も依頼のものではあるが、薬師であるマイへのお土産と言うのもあったのだ。
レッドの治療のために、マイ自身が保有していた分も、師であるソレからもらった分も使わせてしまったのだ。
依頼のほかに、少しでも、お返しをと考えていたのである。

ここら辺で待っていてと言われ、息があがっていたレッドは木に背中を預けて、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「これくらいで、もう息が上がるか……。そりゃあ、討伐の依頼なんて言ったら、叩き潰されるわな」
ギルドの訓練場で、リベルテに何度も挑んでは叩き潰されていた。
今の自分の力量を知るためにとボロボロにされたレッドであるが、ボロボロにされたこと自体に何か不平を言うつもりは全く無かった。
それよりも、思い描いている以前の動きが全然出来ていないことに愕然とし、少しでも取り戻していくためにこれからどうしたら良いか考える方が問題だった。
家の中で出来る訓練など限られているし、奇異の目で見られながら王都の中を走って体力を付けるとか、討伐以外の依頼の中で訓練をするくらいしか、手軽に出来ることが無かったのだ。
ギルドの訓練場はあるが利用料は掛かってしまうし、相手を頼むとすればリベルテかギルマスくらいになってしまい、リベルテに世話になりっぱなしの状況でこれ以上の負担はかけたくなかった。
そしてギルマスは、手加減なんて頭に無さそうな人間だけに、頼みたいとは思えなかったのだ。
他の冒険者に頼めなくも無いかもしれないが、冒険者に頼むということは依頼であり、報酬が必要となるし、何より自分が弱くなったと言うことを公言するようなことはしたくなかった。

レッドは気持ちを落ち着けるように一度目を瞑って、大きく息を吸ってゆっくりと吐き、目を開ける。
いつの間にか小さな女の子の姿が山菜を楽しそうに摘んでいく姿が目に入った。
「なんであんな子どもが?」
小さな子どもが一人森に入ることは、ほとんど有り得ない。
森に入ればモンスターに襲われないとも限らないのだ。
仮に小さい子どもが森に入ってきたとしても、それなら同伴の親であったり責任者が側についていないといけない。
だが、その子どもの近くには、大人の姿は見えなかったのだ。
レッドはこのままでは危険だと思い、保護しようと動くが、それより早く、少女の近くでガサッと音が聞こえた。
保護者かと一瞬思ったが、レッドは駆け出した。
少女より大きな体に堅そうな毛皮を纏い、牙を少女に向けたボアだったのだ。

反射的に動いていたのが功を奏し、ボアが少女に体当たりする前に、少女を抱え込むようにして避けることが出来た。
レッドが避けた向こう側で、木が倒れる音が聞こえた。
ボアの体当たりで、細くも無い木が折れて倒れたのだ。

弱い者から狙うのはどういった世界でも常套の手段で、少女を逃がしたいがそれも出来そうに無い。
何より、今の自分の力量に不安を覚えている状況では、少女を守りながら戦うことも、逃がすようにボアに立ちはだかることも、ボアを簡単に仕留めることも難しかった。

「やーっ!!」
だが、誰とも知らない人間に抱えられ、自分よりも大きなモンスターと向き合わされるのは、小さな子どもが耐えられるはずは無かった。
レッドの腕の中で暴れて、緩んだ隙に飛び降りてしまう。
「ちょっと待て! 勝手に動くと危ねぇ!!」
レッドはなんとか少女を捕まえようと手を伸ばすが、それより早くに少女は駆け出してしまう。
するとボアが体の向きを変えて、前足で地面を掻く。突進の前動作であった。

「こんっの!」
ボアより早く少女に追いついて保護するのは、今の状況では無理だった。
なら、後はボアを先に倒すしかない。
レッドはボアに斬りかかるが、堅い毛皮に阻まれて刃が通らない。
以前はまったく感じなかった抵抗に、思わず舌打ちが出る。
皮を断つほどの筋力は無く、皮を斬れるほどの剣筋が立っていなかったのだ。
例えるなら、小さな子どもが初めて持った剣を振り回して、木に当てたようなものだった。
大人なら、自身の筋力と剣筋で木に一本線を引けるのだが、それが出来なくなっていた。
泣き言を言ってる暇はないし、愚痴を言っても状況は変わらない。
今をどうするか。
それをひたすらに考える。
考えながら動く。

だが、ボアはレッドを待ってくれるはずも無く、レッドの横を抜け、少女に向かって突進していく。
少女の足では逃げ切れるわけもないし、後ろをみて逃げているわけではない。
もうだめかと思ったが、何かがボアにぶつかって動きを止めさせた。
「リプリーッ!」
少女の横から男性がボアに体当たりしたようだった。
突然の衝撃にボアの動きが一旦止まったが、動きを邪魔されたボアが男性に体当たりする。
男性は突き飛ばされて木にぶつかり、呻き声を上げて倒れてしまう。
その行動派決して無駄なんかではなく、その間にレッドがボアに追いつけた。

レッドは斬る力が足りないならと、刺すことに集中する。
走り出した勢いと体重を乗せて、ボアにぶつかる。
ボアの体に剣が刺さっていく感触が手に伝わってくる。
斬るよりも、嫌な感触だった。

痛みにボアが暴れまわる。
刺さった剣を離さない様に、レッドは柄をしっかりと掴み続ける。
暴れまわるボアが上下に跳ね、木や枝にぶつけられる。
暴れまわる衝撃とぶつかる木や枝に、レッドは傷を負っていく。
それでも、ここで手を離したら怪我を負ったボアは余計に凶暴になってしまい、剣を離した後ではレッドにはもう為す術は無くなってしまう。
だから、レッドはひたすらに耐えるしかなかった。

それに、レッドは一人で来たわけではない。
「レッド!」
その声にレッドは剣から手を離す。
上から飛び降りてきたリベルテがレッドの剣を上から叩き付ける。
一気に深く差し込まれた剣に、ボアは体を痙攣させ、横に倒れた。
力が足りないなら、最初にレッドがやったように勢いや体重をかければ良いのである。

「レッド、大丈夫ですか? すぐ無茶をするんですから」
動き回っているボアから手を離したレッドだが、何事も無く着地で来たわけでは無い。
勢いがついているところから急に手を離したのだ。
少し固くなっていた土の上に勢い良く落ちたレッドは、その衝撃にすぐに立てないままだった。
リベルテが差し出した手を借りながら、ゆっくりと身を起こした後、木にもたれかかり、リベルテに向こうを、と指す。
強かに打った痛みと口にちょっとだけ入った土で、喋りたくなかったのだ。

リベルテはレッドが指した方に顔を向け、レッドに向き直ってため息をついた。
「だから無茶したんですか? 本当に……」
無茶して欲しくないが、どこまで行っても変わらないレッドにどこかホッとしてしまう。
例えば、裕福なときはあれこれと世話を焼こうとするが、お金に困りだしたら見てみぬ振りをする人はいる。
余裕があるから世話をやけるわけだし、余裕が無いから手助けなどしなくなるのは理解できるものだ。
だが、状況によって対応が変わってしまうと言うのは、理解は出来ても、悲しいと、寂しいと思えてしまうのだ。
だからこそ、体が弱ってしまっているレッドが、それでも変わらずに、誰かを守ろうとする姿が、困るはずなのに頬がにやけてしまうのだった。
レッドが憮然とした表情を向けても、リベルテはにやけてしまうのが止められなく、レッドに文句を言いつつ、倒れた男性の手当てを行っていく。

先ほどの少女は、倒れている男性の家族のようで、男性の近くで泣いていた。
すぐ近くの木にぶつかったくらいですんだので、生きてはいるだろう。
だれも命を落とさなかったと考えれば守れたと言えるが、レッドには守れたとは言い切れない思いがあった。
レッドはもたれかかっていた木から体を起こし、倒したボアに近づく。
ボアの体に足をかけて、力いっぱい剣を引き抜く。
抜けた拍子でたたらを踏んで、それで耐え切れなくて尻餅をついてしまう。
血がついたままの剣に情けない自分の姿が映り、レッドは苦笑するしかなかった。

尻についた土を払い、軽く剣を振って血を飛ばした後、レッドはリベルテの近くに向かう。
ちょうど良いタイミングだったようで、手当ては終わっていて、男性が気を取り戻したようだった。
「……助けていただき、ありがとうございました」
男性は顔色悪く礼を述べる。
薬草が切れている状況のため、リベルテであっても傷薬などの持ち合わせは無かったのである。
そのため、手当てと言っても、本当に簡易的に傷口を布で覆うとか折れた腕を固定するくらいしか出来ていなかったのである。
何もしないままよりは良く、痛みが気持ち楽になったかな、と言う程度でしかない。

少女がレッドに近づき、頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとうございました」
言うだけ言ってすぐさま男性の側に戻って、少女は男性にしがみ付く。
男性はしがみ付かれた痛みに顔をしかめるが、すぐさま安堵の表情に変えて、少女の頭を撫でていた。

倒したボアの遺体を、レッドは訓練だと押し切ってギルドまで運ぶ。
失ったものは、レッドにとって小さなものではない。
だが、もう二度と戻らないものではないし、今の自分にもやれることがあって、それはだれかの助けになれるのだ。
ボアの遺体を汗だくになりながら運ぶレッドの目は、以前のように強い意志を称えていた。
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