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如月瑠璃は錆びた弦を掻き鳴らす
ロックだね
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第九話
日曜日。
私は商店街の裏路地を歩き、目的の場所に到着する。
今の時刻は九時十分。
約束より少しだけ遅れてしまったけど、たぶん大丈夫だろう。
あらかじめ時間にルーズであることは伝えているし、特に朝は、日課のランニングとシャワーを欠かせないので仕方ない。
走ってかいた汗と臭いは洗い流した。おかげで今は、シャンプーのいい香りに包まれているので気分がいいのだ。この清潔感と爽快感を得ず、友達の家に行くなんて出来る筈ない。だから遅れてしまっても仕方ないのはしょうがないと言える。
私はしっかりエチケットを守る女。でも、一時間くらいお風呂に入っていたことは黙っておこう。
「おはようございまーす」
私は店に入る。
チリンっという綺麗な鈴の音が気持ちいい。
店内はいつもより暗く、まだ開店していないことは明らかだった。
鈴の音が鳴ったことで私がやってきたことに気づいたのか、店の奥からドタドタと、こちらに走ってくる音が聴こえる。
「——遅いよ瑠璃!」
ウッドビーズのカーテンを、じゃらじゃらと音を立て掻き分け、顔を出した双葉。
私は悪びれる事なく堂々と言う。
「私は時間が守れない女だからね」
「それなら威張って言わないでよ。まあ、私が誘ったんだし、別にいいけどさ」
「くるしゅうない」
「流石にイラッとしたけど黙っておこう」
「心の声が漏れてますよ双葉さん」
「あ、いけない、つい」
強かな双葉のセリフに内心で恐々としていると、店の奥が今日はやけに静かなことに気づく。
「一葉さんは?」
「今日はお休みだから居ないよ」
「日曜なのに?」
「ああ、飲食店じゃ珍しい方かな? お姉曰く、『日曜日は全人類の休日』らしいよ。ただそれっぽいこと言って、休みたいだけだと思う」
「日曜日から土曜日までずっと休みでいい」
「なんか瑠璃らしいね。バカなこと言ってないでこっち来て」
「うい」
そして私は店の一角にあるスペースに連れられ、そこにあった椅子に座る。
今日、双葉に誘われてセレナーデにやってきた理由。それは、双葉のギター演奏を聴くためだ。
まだギター初心者の私はいいとして、双葉がどんな演奏をするのか。
この間、渚が帰った後に気になって、双葉のギターが聴いてみたいと言ったところ、双葉からぜひ聴いてほしいと、逆にお願いされて今に至るわけだ。
「よし、っと」
機材のセッティングを終えた双葉は、ギターを構えて対面の椅子に腰掛ける。
そして、とても緊張した面持ちで……じっと私の顔を見ていた。
「どうしたの?」
「……緊張しすぎてなんか、全部飛んじゃった」
「あがり症って私だけでもだめなんだ」
「なんか、人が多いと絶対ダメなんだけど……今日のために四日間練習して、いざ本番だと意気込んでたせいで、上がっちゃったみたい。もう頭の中真っ白」
「デリケートだね」
これは本当に大変だ。
人前で演る以前の問題かもしれない。
友達一人いるだけで頭の中が真っ白になるっていうのだから、相当なものだろう。
「でも、もう大丈夫。落ち着いてきたよ……よし、いける気がする!」
「頑張って、双葉」
「うんっ!」
そして双葉は一度、深く深呼吸をした後——最初の一音目をピックで弾く。
双葉の演奏が始まった。
曲は私も知っている流行りの曲だ。
少し長めのイントロはゆったりとしたもので、双葉のリズムも一定に保たれていて安定している。
双葉の目は真剣に自分の手元を見つめていて、私のことはすでに見えていないようだった。
これなら大丈夫そう。
そう思った時、Aメロに突入したところで私が少し咳をした。
すると一瞬だけ、私と双葉の目が合う。
……それからはあっという間だった。
弾けていたのに段々と狂いだすリズム。左手の運指にもミスが見え始め、右手のピッキングも正確さを失っていく。そして曲がサビに入る頃……双葉は手を止めてしまった。
「……双葉?」
「…………ごめん。なんか、こんなグダグダな演奏で」
双葉は俯いてそう言った。
彼女の今の色は緑。双葉はよくこの色を浮かべている。何かを恐れている色だ。きっと失望されたとか、がっかりさせたとか、そんなことを思っているんだろう。
けど、私は思う。
「なんで謝るの?」
「え……だって、こんな聞き苦しい音で……」
「一所懸命弾いてたよ。聞き苦しいとか私は思ってない」
そんな心配はしなくていい。
失望もなにも、私は双葉の音が聴きたくて来たんだから。それで勝手に失望するなんて、自分勝手なことはしない。
双葉は顔をあげると、少し涙ぐんでいた。泣くほど悔しかったんだろうか。
「……最初は集中できてたの。でも少し瑠璃の方を見て、目があったら、その……見られてるって意識しちゃって。そこから顔が熱くなって、頭の中真っ白でっ」
「……そっか」
これはやっぱり、重症かもしれない。
きっと普段のように弾けずに悔しいんだ。
ぎゅっと握られた双葉の右拳。そんな彼女の感情がはっきりと、私には見える。
「普段はここで一人で弾いてるんでしょ?」
「うん……開店前とか、休みの時はね」
「その時に弾いた動画とかある?」
「あっ、あるよ」
双葉はそう言って、上着のポケットからスマホを取り出し、私に差し出してくる。
その画面には、ちょうど今私がいる位置から撮影したであろう動画が再生されていた。
「————わぉ」
私は感嘆のあまりそんな声を漏らして画面を凝視する。
さっき聴いた演奏と同じ曲。
しかし、画面の中でギターを演奏する双葉は別人のような演奏をしている。
指の動きも、体の使い方も、リズムの正確さも全てが別人のように活き活きとしていて、本当に……楽しそうだ。
本当の双葉はこんな演奏をするのかと、私は尊敬の念を込めて双葉に目を向ける。
「凄すぎ」
「えへへっ、ま、まあ、一人ならこんな感じ! こんな感じで弾いて、瑠璃を驚かせたいなぁって思ってたんだけどね……」
「聴きたい、生で」
「え、でも……」
「特訓しよう」
「と、特訓?」
「私が聴きたいから、特訓しろ」
「命令⁉︎」
生で聴いてみたいと思わせる魅力が、動画の中の双葉にはあった。
父の演奏も、他のプロの演奏も見たことはある。
でも、*人の感情を揺さぶる演奏*ができる人は本当に少ない。私は動画の中の双葉にその可能性を感じた。昔から音楽を聴いてばかりいた私の耳は、確かにその魅力を捉えていたのだ。
だから、勿体無いと思う。誰にも聴かせないとか、聴かせられないとか、そんなの勿体無い。
双葉が人前で称賛され、その実力を認められた彼女が、笑顔でギターを弾く。そんな双葉の姿を勝手ながら妄想して、彼女を再び見る。
今の双葉じゃきっと、笑いものにされるだけだ。
本当はもっと凄いギタリストなのに、それを誰にも分かってもらえないなんて、そんなの——私は嫌だ。
「目指せドームライブ」
「ムリムリムリムリムリムリッ! 頭真っ白どころか魂まで真っ白になっちゃう!」
「魂まで真っ白……そんな燃え尽きるほどの音楽がしたいなんて、双葉、ロックだね」
「人の話を聞いて⁉︎」
もおおおおっ! と、双葉の絶叫が店の中にこだました。
日曜日。
私は商店街の裏路地を歩き、目的の場所に到着する。
今の時刻は九時十分。
約束より少しだけ遅れてしまったけど、たぶん大丈夫だろう。
あらかじめ時間にルーズであることは伝えているし、特に朝は、日課のランニングとシャワーを欠かせないので仕方ない。
走ってかいた汗と臭いは洗い流した。おかげで今は、シャンプーのいい香りに包まれているので気分がいいのだ。この清潔感と爽快感を得ず、友達の家に行くなんて出来る筈ない。だから遅れてしまっても仕方ないのはしょうがないと言える。
私はしっかりエチケットを守る女。でも、一時間くらいお風呂に入っていたことは黙っておこう。
「おはようございまーす」
私は店に入る。
チリンっという綺麗な鈴の音が気持ちいい。
店内はいつもより暗く、まだ開店していないことは明らかだった。
鈴の音が鳴ったことで私がやってきたことに気づいたのか、店の奥からドタドタと、こちらに走ってくる音が聴こえる。
「——遅いよ瑠璃!」
ウッドビーズのカーテンを、じゃらじゃらと音を立て掻き分け、顔を出した双葉。
私は悪びれる事なく堂々と言う。
「私は時間が守れない女だからね」
「それなら威張って言わないでよ。まあ、私が誘ったんだし、別にいいけどさ」
「くるしゅうない」
「流石にイラッとしたけど黙っておこう」
「心の声が漏れてますよ双葉さん」
「あ、いけない、つい」
強かな双葉のセリフに内心で恐々としていると、店の奥が今日はやけに静かなことに気づく。
「一葉さんは?」
「今日はお休みだから居ないよ」
「日曜なのに?」
「ああ、飲食店じゃ珍しい方かな? お姉曰く、『日曜日は全人類の休日』らしいよ。ただそれっぽいこと言って、休みたいだけだと思う」
「日曜日から土曜日までずっと休みでいい」
「なんか瑠璃らしいね。バカなこと言ってないでこっち来て」
「うい」
そして私は店の一角にあるスペースに連れられ、そこにあった椅子に座る。
今日、双葉に誘われてセレナーデにやってきた理由。それは、双葉のギター演奏を聴くためだ。
まだギター初心者の私はいいとして、双葉がどんな演奏をするのか。
この間、渚が帰った後に気になって、双葉のギターが聴いてみたいと言ったところ、双葉からぜひ聴いてほしいと、逆にお願いされて今に至るわけだ。
「よし、っと」
機材のセッティングを終えた双葉は、ギターを構えて対面の椅子に腰掛ける。
そして、とても緊張した面持ちで……じっと私の顔を見ていた。
「どうしたの?」
「……緊張しすぎてなんか、全部飛んじゃった」
「あがり症って私だけでもだめなんだ」
「なんか、人が多いと絶対ダメなんだけど……今日のために四日間練習して、いざ本番だと意気込んでたせいで、上がっちゃったみたい。もう頭の中真っ白」
「デリケートだね」
これは本当に大変だ。
人前で演る以前の問題かもしれない。
友達一人いるだけで頭の中が真っ白になるっていうのだから、相当なものだろう。
「でも、もう大丈夫。落ち着いてきたよ……よし、いける気がする!」
「頑張って、双葉」
「うんっ!」
そして双葉は一度、深く深呼吸をした後——最初の一音目をピックで弾く。
双葉の演奏が始まった。
曲は私も知っている流行りの曲だ。
少し長めのイントロはゆったりとしたもので、双葉のリズムも一定に保たれていて安定している。
双葉の目は真剣に自分の手元を見つめていて、私のことはすでに見えていないようだった。
これなら大丈夫そう。
そう思った時、Aメロに突入したところで私が少し咳をした。
すると一瞬だけ、私と双葉の目が合う。
……それからはあっという間だった。
弾けていたのに段々と狂いだすリズム。左手の運指にもミスが見え始め、右手のピッキングも正確さを失っていく。そして曲がサビに入る頃……双葉は手を止めてしまった。
「……双葉?」
「…………ごめん。なんか、こんなグダグダな演奏で」
双葉は俯いてそう言った。
彼女の今の色は緑。双葉はよくこの色を浮かべている。何かを恐れている色だ。きっと失望されたとか、がっかりさせたとか、そんなことを思っているんだろう。
けど、私は思う。
「なんで謝るの?」
「え……だって、こんな聞き苦しい音で……」
「一所懸命弾いてたよ。聞き苦しいとか私は思ってない」
そんな心配はしなくていい。
失望もなにも、私は双葉の音が聴きたくて来たんだから。それで勝手に失望するなんて、自分勝手なことはしない。
双葉は顔をあげると、少し涙ぐんでいた。泣くほど悔しかったんだろうか。
「……最初は集中できてたの。でも少し瑠璃の方を見て、目があったら、その……見られてるって意識しちゃって。そこから顔が熱くなって、頭の中真っ白でっ」
「……そっか」
これはやっぱり、重症かもしれない。
きっと普段のように弾けずに悔しいんだ。
ぎゅっと握られた双葉の右拳。そんな彼女の感情がはっきりと、私には見える。
「普段はここで一人で弾いてるんでしょ?」
「うん……開店前とか、休みの時はね」
「その時に弾いた動画とかある?」
「あっ、あるよ」
双葉はそう言って、上着のポケットからスマホを取り出し、私に差し出してくる。
その画面には、ちょうど今私がいる位置から撮影したであろう動画が再生されていた。
「————わぉ」
私は感嘆のあまりそんな声を漏らして画面を凝視する。
さっき聴いた演奏と同じ曲。
しかし、画面の中でギターを演奏する双葉は別人のような演奏をしている。
指の動きも、体の使い方も、リズムの正確さも全てが別人のように活き活きとしていて、本当に……楽しそうだ。
本当の双葉はこんな演奏をするのかと、私は尊敬の念を込めて双葉に目を向ける。
「凄すぎ」
「えへへっ、ま、まあ、一人ならこんな感じ! こんな感じで弾いて、瑠璃を驚かせたいなぁって思ってたんだけどね……」
「聴きたい、生で」
「え、でも……」
「特訓しよう」
「と、特訓?」
「私が聴きたいから、特訓しろ」
「命令⁉︎」
生で聴いてみたいと思わせる魅力が、動画の中の双葉にはあった。
父の演奏も、他のプロの演奏も見たことはある。
でも、*人の感情を揺さぶる演奏*ができる人は本当に少ない。私は動画の中の双葉にその可能性を感じた。昔から音楽を聴いてばかりいた私の耳は、確かにその魅力を捉えていたのだ。
だから、勿体無いと思う。誰にも聴かせないとか、聴かせられないとか、そんなの勿体無い。
双葉が人前で称賛され、その実力を認められた彼女が、笑顔でギターを弾く。そんな双葉の姿を勝手ながら妄想して、彼女を再び見る。
今の双葉じゃきっと、笑いものにされるだけだ。
本当はもっと凄いギタリストなのに、それを誰にも分かってもらえないなんて、そんなの——私は嫌だ。
「目指せドームライブ」
「ムリムリムリムリムリムリッ! 頭真っ白どころか魂まで真っ白になっちゃう!」
「魂まで真っ白……そんな燃え尽きるほどの音楽がしたいなんて、双葉、ロックだね」
「人の話を聞いて⁉︎」
もおおおおっ! と、双葉の絶叫が店の中にこだました。
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