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40~二人の夢の終わり
しおりを挟むここは、海の中。夢と現実の狭間となった世界だ。この中にいる時だけは、思い通りの姿になれる。自由自在に動けるように、愛しい男の元へ行けるように……マーレは人魚の姿になった。豊かな緑の髪を揺らめかせ、楽しそうに泳いでいる。
そして国王も、若い青年の姿へと戻っていた。国王が手を伸ばせば、その上に手を乗せてマーレは応えてくれる。自分の元へ引き寄せて、包み込むようにマーレを抱きしめた。胸にすがりながら眠るように目を伏せるマーレに、国王は囁きかける。
「私を、恨んでいたな」
『愛していたから』
国王を見上げると、ガラス玉のように姿を映すマーレの瞳に吸い込まれそうになる。それには恨みも、憎しみも見えない。目の前にいた国王だけが、瞳一杯に映っていた。
『あなたを愛していた、だから自分の代わりになる男を紹介すると言われた時……悲しかったわ。本当は、あなたの妻にはなれないって分かっていたの。だけど、せめて……あなたの子供が欲しくて。その子と一緒に、あなたを陰ながら支えていけたらいいなって、そう思ってたの』
ずっと守って慈しんで、育ててくれていた母を見てきたから……自分も、ああなりたいと。母のようになりたいと、母になりたいと思ったのだ。その気持ちは日増しに強くなり、やがて国王との関係が完全に終わりを告げたのだとわかってしまった時、積もりに積もった思いが爆発してしまった。思いの行き場が無くなってしまったゆえに、こんな事件を起こしてしまったのだ。
『あなたにも、この国にも迷惑をかけてしまったわね』
「……さすがに、妻と娘を呪われた時には君を憎んだよ。――――そして、自分の女性への不実さを呪った」
『そうね。これで少しは、守れない約束はするものじゃないって気がついた?』
己の死を持って、愛する男に教えてあげられる者は少ない。マーレは、本来はこんな女性だったのだ。明るくて無邪気、そして一途で……とても情熱的で。好感が持てる人だった。いつから、それを忘れていたんだろう?
「今からでも、遅くはないかな?」
『え……?』
「心残りは、もう何もないんだ」
マーレの頬に手のひらを添えて、唇に深く口付けた。肩に顔を埋めながら強く抱きしめ、耳元に低く囁いた。
「私も、君と一緒に行く」
アレスが帰ってきて、これでこの国を任せられる。妻も、今さらこんな自分とは夫婦を続けたくはないだろう。下の子供たちも、父親が必要な年頃でもない。もう、マーレの為にこの身を捧げてもいいはずだ。
マーレと一緒に行こう。
今まで共にいられなかった分、今度は側にいよう。そう願って、もう一度口付けようとすると……手で押さえられ、止められてしまう。
『だめ』
マーレの悲しげな顔が、悲しげな声が……深く心に留まる。国王の腕から逃れ、離れた場所まで泳いで行くと、まっすぐと国王を見つめた。
『あなたはここにいなくちゃ……』
「もう、ここに私は必要ない」
『坊やに色々、教えてあげないといけないでしょう?……それに、孫の顔も見ずに行けるの?』
「それは……っ!」
『やり残したことは、たくさんあるはずよ。軽はずみで一緒に行くなんて、言ってはだめ』
「では、君はどうなるんだ!……一人きりで、寂しすぎるじゃないか……!!」
『ずっと――――ずっと、独りだったから。寂しくはないわ、慣れているもの。……ほんとよ?』
無理に笑顔を見せようとして、口の端は上がっているのに……目からは涙が、止まらなく流れていた。マーレの体が淡く光だし、それらは徐々に天へと昇っていく。二人の別れは、近い。
『これは最後の仕返しよ。私は最期まで、一人で逝くの。あなたなんか……一緒に連れてってなんかやらない』
「マーレ……」
『それにね。あなたが大往生した頃には、私は生まれ変わっていて、あなた以上の素敵な男性と恋に落ちて、結婚して……子供を産むのよ。そうして、幸せになるの』
マーレからは、固い決意が感じられた。
「(そうだ、昔から彼女はそうだったじゃないか)」
その意志の強さに、昔は惹かれていたのだ。なら、簡単には覆せないことも国王にはわかっていた。
「――――それは、素敵だな。なら……私が死んだら、君の子供に生まれ変わろうか」
『そうね、それも素敵ね。……だけど、ちゃんと寿命が尽きてから私のところへ来てね。自ら命を絶ったら――――許さないわ』
「あぁ……今度は、ちゃんと約束を守るよ。自分勝手に死んだりしない、きちんとこの生を全うする。――――だから、待っててくれ」
『えぇ、待ってるわ。……“またね”』
最後に、触れる程度のキスを贈り……人魚は泡となり、悲しい女の魂は天高く昇っていった。そうして、夢は覚める。ハッと気づいた時には、満ちた海水も海の生き物たちも……マーレの姿も、見当たらなかった。そして、自分の姿も元の歳を取った男の姿へと戻っていた。
「別れは済んだ?」
「お前は……」
いつの間にか、庭園に佇んでいたディーヴァに国王は驚いた様子も見せず……ただ言葉を紡いだ。
「あれは、夢か?」
「いい夢だったでしょう?……綺麗な思い出と一緒に、天に昇っていったのよ。独りなんかじゃない、きっと……マーレは寂しくなんかないわ」
「そうか、……そうか。なら、良かった」
夢の終わりは、綺麗なものだと聞いていた。最後は、昔の思い出の中の彼女が現れて……想いを伝えてくれて、自分を残して逝ってしまった。これほど綺麗な夢を見れて、また約束を交わして。どれだけの幸福者なのだろうと、罰せられる気でいた国王は幸せな余韻に浸っていた。……夢の終わりは儚いけれど、今はただ――――彼女の来世での幸福を祈ろう。
――――――夜が明けて、朝が来てまた夜を迎えた。三日間続いた祭りも終わり、地元の者は日常生活に戻る。
観光で訪れた人々も、船に乗り家路を辿る。……そんな中で、ディーヴァたちはというと……宛がわれた一室の部屋で、全員仲良く深い眠りについていた。あれだけの力を一気に使ったのだ、普通なら高い熱を出し寝込んでしまってもおかしくはない。しかしそこは人外の者たちとディーヴァ。特に苦しむことはなく、安らかな眠りについていた。
「んー……ん?」
ふと目が覚めてしまい、瞼をこすりながら部屋の中を見渡す。すると、ちょうどマオヤが眠っているベットの辺りがモゾモゾと動いていたので、あの子も起きたのかと声をかけようとした時だった。……ディーヴァは、ぐっすり眠っているマオヤの姿を確認した。微動だにせず、呼吸も静かに眠っている。
それがなぜ、ベットの上で寝ているマオヤの体にかけられているシーツだけが、あんなにも激しく動いているのだろうか?しかもマオヤはマオヤで、くすぐったそうに身をよじっている。自分に置き換えて考えてみれば、理由はすぐに理解出来たのだが……いかんせん、相手が誰なのか見当もつかない。マオヤほどの綺麗な子なら引く手あまた、男だろうと女だろうと誰もが一度は恋に落ちる。……というのが、ディーヴァの中で定説であった。
(マオヤは全力で否定し通していたが)
王宮の女官がマオヤに惚れて、夜這いにでも来たのだろうか?だが、あの儚げで優美なマオヤの本性の姿を見た者は少ないはずだ。こんなに早く、この部屋まで忍んでくる者がいるとは思えない。埒が明かないので、気だるい体を無理やり起こしてマオヤが眠っているベットまで忍び寄る。そして腕を伸ばしシーツを勢いよく引き剥がすと――――そこにいたのは。
「……何をしているのよ」
「げっ!お前は……!?」
マオヤの上に覆い被さっていたのは、カダルカダルとうるさく叫んでいたこの国の第二王子、フォルスだった。フォルスは、マオヤが着ていたシャツのボタンを全て外し終えていて、白い肌に褐色の腕を這わせていた。いきなりシーツが無くなったので、驚いたフォルスはディーヴァの姿を見つけてさらに驚く。
「まぁ君を襲っていたの?……疲れて起きないまぁ君を手籠めにだなんて、やるわね」
マオヤとフォルスを交互に見ながら、ニヤニヤと笑う。そのことにまた慌て出したフォルスは、無理やり過ぎる言い訳を口にした。
「違っ!俺はただ、仕返しをしたかっただけで……っ」
「仕返しぃ?まぁ君が何をしたというのよ」
「それはー……言えるわけがないだろ!!」
「言えないようなことをされたの?」
「だからっ!言えない!!言うもんかっ!」
真っ赤になって、そっぽを向いてしまった。こういうところは、まだまだ幼く未熟と言える。たとえディーヴァが大したことがないと思うようなことでも、大げさに騒いでしまえる精神の持ち主なのだろう。理由は予想はついていたので、あえてフォルスに追及はしなかった。
「うるせぇ!!誰だ?!こんな近くで騒いでる奴は!?」
そこでようやく目が覚めたマオヤが、不機嫌な様子そのままに起き上がり、すぐ側にいた障害物ことフォルスを、勢い余って蹴り飛ばしてしまった。
「ディーヴァ……俺の安眠を妨げたやつはどこだ……?」
「そこにいるわよ」
ベットの下に落とされて、痛そうに腰をさすっているフォルスの姿があった。
「あ?…………なんでこいつがここにいるんだよ」
「まぁ君にぃ、夜這い!しに来たのよね~?」
「はぁ?」
「違う!勝手なことを言うな!!」
「だってさっきまであんなにも……」
「ぎゃーっ!!言うなっ!」
「あんなことまでしておいて……きゃっ!」
「何が『きゃっ!』だ!そんな照れたフリをしていないでさっさと訂正しろぉ!!」
フォルスはディーヴァを追いかけ回し、それを楽しむように部屋の中を逃げ回る。ドタバタと走り回るので、なかなか起きなかった後の二人ものそりと起き上がった。
「「うるさい……」」
「あら、二人ともおはよう。もう夜だけど」
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