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不審者

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 ようやく日中は少々汗ばむほどに暖かくなってきた昨今。
寒い冬を乗りこえた先に待ちかまえているのが、うららかな陽気の過ごしやすい季節だけならまだいいのだが。
中には暖かくなったことに浮かれ、奇行きこうに走る者も現れる。

 
「不審者…?」


 照葉が誰に尋ねる訳でもないのに、思わず声に出してしまったのも無理はなかった。
建物の陰に隠れているつもりであろう花柄のほっかむりを被った少女は、たとえ顔の大部分が隠れていようとも大変な美少女ではあったのだが。
睨みつけるようにジーっと照葉を見つめている姿は、確かに怪しい不審者だった。

 ぶしつけな睨み付けに照葉も睨み返してやろうかとも思ったが、止めた。
ああいった手合は、構うと助長じょちょうする。
こちらが反応を見せれば、面倒なことになるのは目にみえていた。

 それにいかにもな不審な行動だが、ほっかむりと行動が怪しいだけで全体的に見れば小綺麗な姿だった。
着ている着物も一目見ただけで高価な物だとわかるので、浮浪者などではないだろう。

 こういうことは、実は初めてではない。
はしたないことだと揶揄やゆされても、国中の噂に上る評判の女がどれほどのものか『見物』しにやって来るのだ。
高貴な身分の令嬢や金持ちの令嬢などは馬車で、庶民なら複数で群れてやって来る者もいれば目立たないように一人でひっそりと見に来る人もいて様々だ。

 以前の厚化粧令嬢もその一人だ。

 こういう現象が起こり始めたのは、国の花形と褒めそやされていた大和の想い人が照葉だと知れてからだ。
あらゆる年齢層の女性たちをとりこにした魅惑的みわくてきな大和の心を射止めた女が、どれだけの美しさなのか確認するのだ。
どうせ大したことなどないと思いながら。

 遠目から照葉の美貌びぼうを確認すると、大抵の者は悔しそうに顔を歪めて走り去っていく。中には涙を見せる者もいた。

 ………大体の流れがわかっているからこそ、照葉は特に反応せず成り行きを見守りいつも通りに行動している。
しかし今日の不審な御令嬢は、いつまで経っても柱の影から動こうとしない。
照葉に視線を固定したまま、まるで置き石のように固まっていた。

 暇人ひまじんだなと思いながら、不審者な令嬢を無視して照葉は店の戸締まりを済ませその足で早足で歩きはじめた。
遅くなってしまったが、今から楽しい昼食の時間が待っているのである。


「予想以上に遅くなったわ……急がないと」


 仕事がある日の食事をる場所は、いつも決まっていた。
照葉の店の向かいにある食事処『玉子庵たまごあん』。
そこで昼食は大体済ませているのだ。
昔は年老いた老人が一人でやっていたのだが、今は代替わりして二十歳になる長男が切り盛りし幼い双子の兄妹がそれを手伝っていた。

 店の名前の通り、卵料理が有名で美味しいと評判の店だ。
店主である長男が作る玉子焼きは特に絶品で、持ち帰りの注文も後を絶たない。
可愛い看板双子と美味しい料理が待っている、そんな玉子庵での食事の時間はストレスを抱え気味の照葉にとって数少ないいやしの時間だった。


「こんにちはー」
「いらっしゃいお姉ちゃん!」


 まず照葉を出迎えたのは、看板娘かんばんむすめ(八歳)の黄美子きみこだった。
ふわふわの玉子焼きのような髪を、最近ようやく自分で二つ結びに出来るようになったと嬉しそうに報告してきた可愛い双子の片割れである。

 その二つ結びをしている萌黄色もえぎいろ髪紐かみひもは、黄美子のお気に入りで照葉が誕生日に贈った物だ。
合わせて贈った白い花細工の飾りも、黄美子は何よりも気に入り大事にしていた。


「いらっしゃいいらっしゃい!お姉ちゃん、今日はちょっと遅かったね?お店忙しかったの?大繁盛!?」


 明るく天真爛漫てんしんらんまんな姿は、疲れた大人たちの心を和やかなものにする。
間近で見た照葉は元より、店の客の大人たちもほっこり顔で黄美子を見つめていた。


「今日も元気だね黄美子ちゃん。配達の打ち合わせでちょっと遅くなっちゃったんだ」
「そうなんだ!あのねあのね、お姉ちゃんがいつ来てもいいようにちゃんとお姉ちゃんの好きなおかず取っといたんだよ!他のお客さんには内緒、ね?」


 人差し指を口元に当てて、内緒のポーズをとっていても声が大きいので全て聞こえてしまっている。
だが黄美子のそんな様子も可愛いでしかないので、照葉だけを贔屓ひいきしているとわかっても誰からも文句など出ない。
むしろ愛らしい様子が見れて嬉しい限りと言った感じで、涙を流している客すらいた。

 ここには疲れきった大人しかいないのか・・・。
照葉にも身に覚えがあるとはいえ、なんとも言えない気持ちになった。


「いらっしゃい照葉姉ちゃん!」


 奥から現れたのは、黄美子の双子の兄である雛斗ひなとだ。
他の客が注文した料理を持って、看板息子アイドルに相応しい笑顔で照葉を出迎える。
黄美子の誘導ゆうどうで空いている席に座りながら、照葉は首をかしげた。


「今日は田沼のご隠居いんきょさんとの勉強の日じゃなかった?」


 田沼のご隠居とは、日明国でも一二を争う呉服屋ごふくやの元店主だ。
皇族御用達ごようたしの看板を掲げており、昨今では洋服専門店も商っているやり手でもある。

 そんな大店のご隠居が、なぜしがない料理屋の看板息子に勉強を教えているのかといえば今から二年ほど前にさかのぼる。
雛斗が出前を終えて帰っていた時に、人気のない道端みちばたで急な腹痛を訴えていた老人を助けたことがあった。
それが田沼のご隠居だったのだ。

 さすがに大人を運べはしなかったので、助けを呼んでくると声をかけ通りすがりの大人たちに呼びかけ医者まで運んでもらった。
幸い命に別状はなかったが、それでも苦しみが長引かずに済んだのは発見した雛斗のおかげだ。
田沼のご隠居は深く感謝したと同時に、慌てず騒がずとっさに判断しすぐさま行動に移るわずか六歳の雛斗の姿にすっかり感心してしまう。

 最初こそ雛斗を養子に迎えたいと申し出たが、本人を含めた兄妹全員が断固拒否だんこきょひ
それでは仕方ないと養子縁組みは諦めたものの。
代わりにそろばんや立ち振舞いに文字の書き方などの勉学を、教えさせてほしいと願い出た。

 そういった教養きょうようは習わせたいと常々考えていた長男としては、むしろその申し出はありがたかったが。
何やら他に裏がありそうとも思っていた。

 ……酒の席で聞き出したところ、案の定自分のたった一人の孫娘の婿むことして雛斗を育てようとしていることが判明したのだが。
そういうことなら当人同士が決めることだと考えた長男は、とりあえず傍観ぼうかんを決め込んだ。

 ちなみに当の本人である雛斗は、そんな目論見もくろみを気づいているのかいないのか定かではないが。
将来家族の助けになる為に勉強を頑張っている、かけねなしの努力家であった。



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