ちび神様の駆け込み神社

桐一葉

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望み

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愛枝花は、女神の眼で人間の悪いところや不調ふちょうなところが見えるのだ。
力のある者や、術を扱える者が巧妙こうみょうに隠したならいざ知らず。
なんの変哲へんてつもない人間の少女の全身チェックぐらいなら、苦もなく出来る。

見たところ、少し体調不良な程度で大きな病気の心配はない。
肉付きが良くなれば、心配事も解消される程度のことだ。

……弥生は生い立ちゆえに、他人と違うことを恐れているのだと愛枝花は気づいている。
普通の家庭に生まれて育っていたら、まだ生理が来ていなくとも特に気にせず毎日を過ごしていただろう。

しかし弥生の場合は親が親だっただけに生理が来ていないというだけで過敏かびんに反応し、誰かに相談をしようものなら変に引っかき回されると考えたに違いない。

弥生が恐れているのは、生理をきっかけとして中途半端に家の事情を知られ中途半端に同情されたあげく中途半端に引っ掻き回されることだ。

話を聞くだけで助けてもらえなかったと、そのことがさらにストレスとなって生理が来るのが遅れる可能性だってある。

必死に生きようとしている小さな子供。
その子供を見つけたのが自分で良かったと思うべきか、きちんとした人間の大人との縁を結んでやった方が良かったのではないかとも考える。

だが、神ではなく弥生と同じ人間を世話してやったところでどうなるかわからないのが世の常。
今はこれで良かったのだと思うことにして、愛枝花はれたばかりの熱い茶をゆっくりと口に含んだ。


「…とにかく今は、己自身と身の回りを整えることを優先させよ。さすれば忘れた頃に初花もやって来よう」
「愛枝花様って、物知りなんですね…!」
「遥か昔より人の世のみならず、人自身もよくよく見てきたのだ。最低限のことは知っている。……知ってはいても、理解したくないことも多いがな」


長い年月、人に近しい場所で生きてきたせいか他の神々とは違い間近で人を見てきた愛枝花は。
人の良いところも、悪いところもたくさん見てきた。
時が経ち、遠くおぼろ気にしか思い出せないほどにまでなったが。

幾度いくたびの季節が過ぎ、どれだけの時代が変わろうとも。
弥生のような子がいなくなることはない。
もっと悲惨ひさんな子がいなくなることもない。
だからせめて、自らの意思で愛枝花のにふところ飛び込むことを決めた弥生を。
自分で飛び立てるその日まで、守ってやろうと思うのだった。


「ではそろそろ休め。明日はお前の衣服などを買いに行くからな」
「私は作務衣だけで…」
「予備が無いのだぞ?まさか一年中それ一着で過ごす訳にもいくまい」
「お金ないし…」
「お前がきちんと取り決めを守ればいいだけの話だろう。いつまでもウジウジ悩むな、最低限の身仕度は整えてやると言った私の言葉を疑うな」
「っ、………はい。ありがとう、ございますっ……!」


何度でも礼をきちんと言える弥生は、やはり良い子だと愛枝花は思う。




“大丈夫、私はきちんと前に進めている”




その証が欲しかったのだ。
神でも人外の者でもない、ただの人間がーーーー自分を未だに必要としている神なのだと。
信仰し、あがたてまつる存在なのだと。

そんな人間を、愛枝花はずっと求めていた。
女神としての尊厳そんげんほこりなどは二の次。
今の愛枝花は、元の力を取り戻すことを念頭ねんとうにどうしても人間の信仰心しんこうしんを集めたかったのだ。

美しい社を取り返す為ではない。
こんな窮地きゅうちに追いやった男神おがみに復讐する為でもない。
願いを叶える側である女神の愛枝花が、たった一つ願う望みの為に……。








あれから弥生の部屋から自室に戻った愛枝花は、風呂に入る準備を整えた。
身をきよめる為とはいえ、毎度のことながら愛枝花は豊かで長い髪を洗うことも乾かすことも億劫おっくうだなどと考えていると。


衣装箪笥いしょうだんすの影に隠れるようにして、部屋の隅に黒く小さなうごめくなにかが、いた。


新築になってからというもの、徐々に取り戻しつつあった神力しんりきで虫限定ならば建物内に入れないように愛枝花が結界を張ったのだ。
つまり、アレはおぞましい黒い悪魔ではない。

だが、愛枝花はそのうごめくモノの正体を知っているようで。
嫌そうに顔をしかめつつも、相手が形になるのを静かに待った。


『雪津梛愛枝花乃比女様』


うごうごと動いていたそれは、やがて小さな獣の姿になった。
愛らしさの欠片もない黒い瘴気しょうきかたまり

女神である愛枝花にはそんなモノにしか見えないそれを、冬の冴えざえとした月のような眼差しで見つめる。
そして、口に出す一言一言が身を凍らせるほどの冷たい声音でこう言った。


低俗ていぞくな瘴気の塊風情ふぜいが、私の名を口にするな。けがらわしい」
『申し訳ございません。ですが御身おんみのあまりのお変わりように、我が主が名を告げて確認せよと厳命げんめいを受けております』


愛枝花は小馬鹿にするように鼻でわらった。


「力を失い、人の子よりも脆弱ぜいじゃくとなった我が身では女神には見えぬと?偉くなったものよなぁ、お前の主とやらは。物見ものみを出させ、私の現状を調べて愉悦ゆえつの種にでもする気か」

『真意はわかりかねますが、主様からの御言葉を伝えるだけでございます。他の命は受けておりません』

「あやつのれ言など聞きとうもない」

『「獣たちの力強い咆哮ほうこうや自然の息吹きよりもあなたの関心を買えない、私の言葉で申し訳ない」』


相も変わらずの言い回しに、愛枝花は思いきり顔をしかめる。
何千年の時が過ぎ、変わらぬ挨拶のごとく言葉を送ってくる男に一々驚きはしなくはなったが。

今夜は、いつもと違っていた。
どうにも空気が騒がしい。
男が寄越よこした言葉の先に、嫌な予感を感じとった。


『「どれだけの時が過ぎようとも、何が起ころうとも私の心は変わらない。けれどあなたの心も変わらない。時は満ちた、もう充分に待った。これ以上の時が過ぎることを、私は決して許さない」』


許さない。どの口がそれを言うのか。
勝手に期待して、勝手に待つと決めた者に応える義務も責任もない。
だが獣から発せられた相手の声からは、拒否を認めない絶対的支配者の威圧いあつが感じられる。

愛枝花ですら、無視ができない厄介な相手。
それがもし本気になったのなら、愛枝花は女神を続けてはいられなくなるかもしれない。

対抗しようにも今のままでは力の面で圧倒的に不利であるし、元の力を取り戻そうにも時間が足りない。
緊張した面持ちになっている愛枝花を余所に、獣は尚も言葉をつむぐ。


『「あなたへの献上品けんじょうひんを用意して、近々御目見おめみえいたします。何千年という永き月日、あなたの声すら届けてもらえなかった哀れな私に女神の慈悲を」………以上が、主様からの御言葉でございます』


粘着力ねんちゃくりょくが強いのは接着剤だけでいいんじゃねぇの?」
「?!」


背後から聞こえたその声の主は、いつの間にか愛枝花のすぐ側にいて後ろから小さな獣を指でつまみ持ち上げた。

いつものおちゃらけた雰囲気など垣間見えることもなく、するどい視線と地をうような低い声で獣を威嚇いかくしている。
うなり声を上げる前に、愛枝花は片手でそれを制した。


「やめよ。お前が触れれば身の穢れだけでは済まぬぞ」
「こんなチビが?」
「小さくとも穢れが圧縮あっしゅくされた存在だ、なんのまもりもないお前が触れただけでそれはしゅに変わる」
「しゅ?」
のろいだ。いいからそれを降ろせ、そして山の清水せいすいで身をきよめよ」
「大丈夫だって」


 そう言いつつも、獣を部屋の外に放り投げつまんでいた自身の指をもう片方の手で押さえている。
肉が焼けるような臭いが愛枝花の鼻腔びくうに届き、慌てて枕元に置いていた飲み水を手に取った。
飲み水に愛枝花の涙を一滴いってき入れたかと思えば、涙が入った水を疾風の手にかけながら言葉を放つ。
 

「『浄めよ』」


すると、焼け焦げていた手が元通りになったのだ。
むしろ前の荒れた手より綺麗になっている。

これは愛枝花の女神としての能力で、以前は涙と水の媒介ばいかいを使わずとも出来ていたことだが。
今ではほぼ使えなくなっていたというのに、なんの反動も無しに使えたということは。

以前のように、再び力が使えるようになりつつある。
その事実に、愛枝花は心の奥で喜びに満ち溢れていた。


『………雪津梛……』
「帰ってお前の主に伝えよ。私はお前を歓迎することはないとな」
『お優しいあなた様のお言葉とは思えませんね』
「お前たちに関しては、慈悲などない」
『……だからこそ、あの方はあなた様に焦がれるのでしょうね。それゆえに、私と同じ立場から神になられた。生半可なまはんかなことでは、あなた様を忘れることすら出来ない』


成り上がった神。それがどれだけ大変なことで、一言では言い表せない程の苦労であるか。

愛枝花は知っている。
それが人にも神にも誉められた存在ではないにしろ、力のある神であることに変わりはない。





邪神じゃしん





八百万やおよろずの神々が存在するように、邪神にも八百万の神々が存在すると言われている。
愛枝花に会いに来ると伝えにきた獣の主もまた、その一柱ひとはしらなのだ。

……愛枝花が思い出すのは、おぞましい程の穢れをその身にまとわせておきながら。
およそ正反対の美しい微笑みを浮かべ、愛枝花に恋焦がれていると告げた男の姿。

ただたんに口も聞きたくなかったゆえに、愛枝花は何も言わずにその場を去った。
それを相手は都合よく解釈かいしゃくしたのか、未だに恋心を募らせ事あるごとに愛を告げる。
 
男が愛枝花に告白した時、一瞬だけ視線が重なった……ただそれだけ。
あとは舞い散る卯の花が全てをかき消した。

たくさんの白い卯の花が、まるで雪のように降り注ぐ光景は愛枝花に自然と微笑みを浮かばせる。
邪神にはなんの感情も向けられないというのに、ただの花にはほころぶような笑みを見せることに。
邪神は、それ以上何も言うことは出来ず。
羨望せんぼう焦燥しょうそうからめたような眼差まなざしで愛枝花を見つめ続けていた。




 遠い昔の、話である。



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