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しおりを挟む「待たせたな!思ったよりも時間がかかってしまったが終わらせてきたぞ!」
しかしその3日後、大方の予想を裏切って女王陛下が勢いよく執務室の扉を開いたのだった。
その腕の中にはきちんとあの問題集が抱えられていた。
「ご機嫌麗しく思います、女王陛下。お疲れ様でございます。見せていただいてもよろしいですか?」
「うむ。見てみるが良い」
驚きを隠せずざわめく執務室の中で、ジルベールだけがいつも通りの優雅な笑みを浮かべながら女王陛下に近づいた。
そして、受け取った問題集をパラパラと流し見た。
「素晴らしい。全部解いていらっしゃいますね。……時に女王陛下、369×784は?」
「289296」
ジルベールは全てのページが解かれた問題集から顔を上げると、不意に女王陛下に計算問題を出した。
自力でこの量の問題をこの短期間で解き終えるには相当の計算力が必要だ。
単純な計算とはいえ今までほとんど算術を学んでこなかった女王陛下が出来るはずがないと、適当に埋めたか誰かに代わりに解かせたと思うのが普通だろう。
間髪を入れずに自信ありげに答えた女王陛下にも当てずっぽうで言ったのだろうと執務室にいた誰もが思った。
それなりに優秀で学のある補佐官達でさえ、一瞬で暗算することなど出来なかったのだから。
「……正解です」
「当たり前であろう!妾がどれほどやったと思っているのだ。こんなものは朝飯前だ」
これまで丁寧な対応をしながらもどこか相手にしていないように快活に話していたジルベールが初めてわずかに言いよどんだ。
その笑みは崩れてはいないが、少しぎこちなくも見える。
だが、そんなわずかな表情の変化は周囲のどよめきにかき消された。
ジルベールが自分自身が出題した問題の答えを知らない事などないだろうし、女王陛下が本当に計算して答えたことが分かったそのやり取りの様子を伺っていた補佐官達はさらに驚きを大きくした。
「静かにしなさい。集中力を欠いても平気なほどに仕事が物足りないようですね。後でそれぞれに新しい仕事を追加しておきます。騒がしくして申し訳ありません。では参りましょうか、女王陛下」
「何処へ行くというのだ?ここで仕事をするわけではないのか?」
「はい。まだその段階にございません。国王の業務という最高級料理の仕込みは時間と手間のかかるものなのです。次は書庫の資料を読んでいただきます」
補佐官達を叱咤するジルベールはもういつも通りの余裕のある姿に戻っていた。
おそらく彼の動揺には誰も気がついていないことだろう。
今の仕事量でさえ悲鳴を上げているというのに自分たちの失態のせいでさらに追加される仕事に補佐官達は皆一様に遠い目をしていた。
「では、こちらの本棚にある本を全て読んで下さい。ここには我が国の歴史についての書物が分類されています。全て読み終わりましたら、また執務室にいらして下さい」
「妾にこれほど多くの書物を読めというのか。本当にそのようなことに意味はあるのか?」
「量は多いですが仕事をするためには絶対に必要な知識でございます。歴史を学ぶことはそのまま直接未来へと繋がっていきます。成功の道筋を知るためにも、同じ失敗を繰り返さないためにも重要なのです。決して疎かにしてはいけません」
「そうであるか。そういうことならば分かった。執務室で待っていろ!」
女王陛下はジルベールに連れられてやってきた書庫のその本棚の大きさと多さに圧倒されていた。
そして、その大きな本棚の丸ごと一つのスペースにある分厚くて思い本、100冊はあるだろうそれを全て読むことに躊躇いを感じていた。
しかし、またもやジルベールのさもやらなければならないと思ってしまうような態度にのせられていた。
あれから1週間がたった。
執務室に女王陛下はまだ一度も現れていない。
普通の人でもあの本棚にある本は1日に3冊ほどしか読み進められないような文量なので全て読み終えるのは1ヶ月以上かかる。
それまで女王陛下が読み続けられるのかは分からないが。
陛下がその後どうしているかの情報は日々の業務に忙しくしていたジルベールの耳には入っていなかった。
そのため、仕事のための資料を取りに書庫に来たときに女王陛下と顔を合わせたのは偶然だった。
書庫と言っても構造は他の部屋と同じで本棚を置いているだけのような作りになっているので、書庫の中にも窓があり日が差し込む場所がある。
そこに置かれた椅子に座り、机の上に本を積み上げ一心不乱に本を読む女王陛下がいた。
「精をお出しですね、女王陛下。本棚の本はどれほどお読みになりましたか?」
「おお、ジルベールではないか。妾が来るのを待ちきれなくなったのか?だがもう少し待っていろ。今、この机にあるものを読めば全て読み終わるからな」
見栄を張ってそう言っているのか。
しかし、女王陛下がページを繰るスピードはかなり速く本当に理解して読んでいるのだとしたら100冊くらいなら1週間で読めてしまいそうだ。
だが、その内容が頭に入っていなければ速読が出来たとしても意味がない。
「………」
ジルベールは女王陛下にこの前と同じように陛下を試すような質問をしようとした。
しかし、こんなにも真剣そのものといった風に本を読む女王陛下に疑う気がそがれた。
実際、女王陛下には人並み外れた才能があることはこの前のことでジルベールは気がついていた。
だから、しようと思っていた質問を変えた。
「恐れ多くも女王陛下、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「うむ。なんだ?」
「陛下はお勉強がお嫌いでこれまでほとんどされてこなかったと聞きました。どうして急にこんなにも熱心になられたのですか?」
ジルベールはいつも言葉巧みに女王陛下を行動させてきたが、今回は陛下が自分の仕事の邪魔をしないようにすることに焦点を置いていた。
陛下が勉強をするようには誘導していない。
これほどまでに継続して勉学に励んでいるのは陛下自身の意思によるものだ。
ジルベールもここまで陛下がするとは思わなかった。
「別に妾は勉強が嫌いというわけではない。昔、妾を教えていた家庭教師に聞いたのだ。何故こんなことをしなくてはならないのかと。数字の式を解くことも故人の名前を覚えることも意味があるとは思えなかったからな。そうしたらその教師は、意味などと余計なことは考えずに勉強はしなければならないものだと言った。妾はそんな意味のない無駄なことに時間を使いたくなどなかったから、家庭教師の授業は聞かないことにしたのだ」
「そうですか。そんなことが……」
「だが、意味がないわけではないではないか!その時教師が妾に教えなかったために、今、出来ないことがあるのではないか。それに、ここにある歴史の書物を読んでいて分かったことがある。歴代の優秀な王や歴史上で主要となる人物は皆、多くの知識を持っているようだな。妾も立派な王になるためにもっと学ばなければなるまいな!」
そう自信満々に言い放つ女王陛下は背伸びをする子供のようであるけれども、この短期間で随分と成長したように見えた。
その女王陛下の様子を見たジルベールは笑みを浮かべた。
しかし、その笑みはいつもの優雅ではあるがどこか綺麗すぎて感情がこもっていないものではなかった。
うちからの感情が溢れ表情として表れたようなもので、にやりという表現が当てはまりそうなとても悪そうな笑顔だった。
女王陛下は再び本に目を落としていたので、その顔を見たものは誰もいなかったのだが。
「そうですね。恐れ多くも女王陛下、あなたは馬鹿でいらっしゃるのでもっと多くのことを学ばなければなりませんね」
そしてまたその魔法の前置きで、ジルベールは女王陛下を翻弄していくのであった。
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