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 晴れ渡る青空の下、女王陛下は王宮の完璧に整備された庭を駆け回っていた。
 その姿は完全に子供であったが気にする者はどこにもいない。
 身体一杯に風を受けながら、花の中を駆け巡った。

 こんな気持ちの良い日に、部屋に閉じこもっているなんてもったいない。
 そうだ、あいつも外に連れ出してやろう。
 女王陛下はそんなことを思いつき、うきうきした気分でとある部屋に向かった。

「ジルベール!!おい、いるか、ジルベール!!」

 扉を開けるなり大声でそう叫んだ。
 この部屋は大きくはないが、人を見つけるのに時間がかかる。
 多くの机に大量に積まれた紙類が邪魔をして誰がどこにいるのか分からないからだ。
 ぎっ……と音がして、どこかの席から立つ音が聞こえ一人の男が女王陛下に歩み寄った。

「はい、ここにおりますよ。今日はどういったご用件でいらっしゃったのでしょうか?」

 にっこりと微笑みながら返事をした人物は宰相のジルベール・ラフォン。
 驚くことにこの男は謁見の際に例の出来事にもかかわらず、そのまま宰相位に着任していたのだった。
 あの時何があったのか、事の次第はこういうことである。


 ***


『恐れ多くも女王陛下、その玉座はあなた様には会い相応しくないと考えます』

 思いもよらぬその言葉にその場は凍り付いた。
 不敬罪とされてもおかしくない言動に人々は血濡れた現場を覚悟した。

『……な、なな、なんだと!!貴様は妾を侮辱しているのか!!不敬罪だ!皆の者、今すぐこの者を処罰せよ!』

 予想通り、女王は激怒し椅子の上でさらにふんぞり返って命令を下した。
 国の宰相を処刑することに怯んだ者たちばかりで命令から一瞬の沈黙が生まれた。
 その命令に一人、全く動じていないジルベールが間髪を入れず発言を続けた。

『いえ、そうではありません。私は陛下のお身体を案じてそのように申し上げたのです』

『は?どういうことだ?』

『その玉座は陛下のお身体に合っておりません。今もそのように反り返ったような姿勢をとっていらっしゃいますが、その体勢は腰に大きな負担を与えております。玉座を小さなものに変えるか、もしくは座り方を直すかをしなければ近いうちに腰が砕け、一生寝たきりの動けない身体になってしまうかもしれないのです』

 一気にそう言い切ったジルベールは、嘆かわしいと言うように俯き手で顔を覆った。
 その仕草があまりにも美しく儚げで女王は事が重大であると思った。
 途端にそのことが真実のようにみえ、今まで自分が座ってきた椅子が恐ろしくなり青ざめた。

『驚かせてしまったようで申し訳ございません。それほど心配せずとも今ならまだ間に合います。早急に新しい女王陛下に合った玉座を手配いたしますがよろしいでしょうか?』

『う、うむ!なるべく早くだぞ!』

『御意に』

 そしてその日はそのままジルベールは謁見室を後にした。
 幾日か経って新しい玉座が謁見室に運び込まれ、それは今までの前国王と同じ玉座よりは小さく装飾も少なかったが女王陛下はその座り心地に大層満足した。
 その椅子に座りたいがためにあれほど嫌がっていた日々の王の業務である謁見の件数も今までよりも増えたほどだ。

 そんな風に今までどれほど言っても変わることのなかった女王陛下の業務態度にまで影響をもたらした提案をした人物であるのだからその後の行動がそれだけに留まらなかったのは考えれば分かるだろう。
 ジルベールは魔法の一言から始まる申し出で女王陛下の考えに影響を与え、その行動を改善していっているのであった。

『恐れ多くも女王陛下、あなた様には毎日湯浴みを行っていただいた方が良いと考えます』

『妾は湯浴みは好かんのだ。水が顔につくのが嫌であるし、何よりも面倒だ。3日に1度でも入れば十分ではないか』

『陛下にご面倒なことを無理に勧めるなど心の痛いことでありますが、陛下のためを思っての事なのです。陛下は日中、王室の外に出てご活動なさっていることと思いますがそこで見えないながらも小さい生物を身体に付着させているのです。その日のうちに洗い流せば無害なものですが、幾日も身体にまとわらせ続けていると次第に有害なものに変わっていくのです。そうなると体中が痒くなってきたり、皮膚がただれてきたりするのです。それどころか、目に見える虫でさえ陛下の綺麗な御髪に引き寄せられその中に紛れ込んでしまい気がつかなければいつの間にか陛下の髪を住処としていることもあるかもしれないんですよ』

『そ、それはほんとうか!?じいや!今すぐ湯を沸かせ!今すぐだぞ!』

 女王陛下は浴室へと飛んで入り、その日は何度も髪に虫がいないことを使用人に確認して浴室からなかなか出てこなかった。
 そして言わずもがな、その日以来毎日湯浴みするようになり、特に髪は念入りに洗い櫛で梳かすようになった。

 そしてまた別の日。

『恐れ多くも女王陛下、お野菜を残すのはいかがなことかと思います』

『なんだと?お前ごときが妾の行動に指図するというのか!』

『いえ、そうではありません。もしや、陛下はご存じでないのですか?お野菜には体中の血液を流れやすくするという働きがあります。ですので、十分な量を召し上がらないといつか血液の流れが止まってしまい、この世のものとは思えないような苦しみを味わいながら死に至ることがあるのです。お野菜が苦手で召し上がれないと言うのでしたら、残念なことですがそうなってしまっても仕方がありませんね』

『も、もちろん知っているに決まっているだろう!妾に苦手なものなどあるものか!後で食べようと思っていたのだ!』

 女王陛下はとてつもなく怪訝な顔で野菜の刺さったフォークを見つめ、鼻を摘まみながら口の中に突っ込んだ。
 その日は初めて陛下が野菜を残さずに食事を完食した日となった。


 そんなこんなでジルベールが新しい宰相に就任してから女王陛下の生活環境はだんだんと改善されてきていた。
 今までは自分の好きなようにしかしてこなかったわがまま放題だった女王陛下がまともなレベルの生活をするようになったことに周囲の人間も驚きを隠せていなかった。
 とはいえ、普通に育てられた子供なら誰もが出来る衣食住の基本となることではあるのだが。

 女王陛下は自覚することなく毎回ジルベールの口車にのせされている。
 しかし、そのおかげで生活しやすくなり身体の調子が良くなっていることを感じ取っていた。
 それに、今までは自分に対してこんなにも意見を言ってくる人物はいなかったため、さらにジルベールへの関心が深まっていた。

 だから、最近はことあるごとに宰相であるジルベールとその補佐官が仕事をする執務室へと赴いているのだった。

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