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第3章
95.兄の心
しおりを挟む王宮の庭に咲き誇る色とりどりの花。
その花々に引き寄せられるように、蝶や虫たちが飛び交っている。
そんな花や生き物たちに囲まれて、赤い髪を揺らしながら一生懸命に剣を振るう少年がいた。
僕はそんな少年の姿を目を細めて、のんびりと眺めていた。
「ウィリアムはすごいなあ。きっと、もっと強くなれるよ。いっぱい練習しているからね」
「はい!俺は父上みたいないだいな国王になるために、強いおとこになるんです!兄上のことも守ってあげるからあんしんしてください!」
「はは、ありがとう。頼もしいなあ」
天気の良い昼下がり、僕は庭で木剣の素振りをする弟のウィリアムを見守りながらぽかぽかと太陽に照らされていた。
弟が一生懸命に頑張る姿を見ていると、身体と同じくらいに心もぽかぽかと温まった。
小さな胸を精一杯に張りながら、僕のことを守ってくれると言った優しい弟のことが可愛くて仕方がなかった。
そのふわふわとした赤い髪に指を入れて頭を撫でようとして、手を止めた。
最近は頭を撫でると、ウィリアムが子供扱いしているといってむくれて怒るから。
できなくて、ちょっと寂しい。
ウィリアムもそんな年頃になったのだなと、その成長を嬉しくも思うのだけれど、やっぱり寂しいことには変わりない。
ちょっと大人になった元気よく剣を振るうそんな姿もまだ可愛らしい僕の弟を見ながら、そんなことを思っていた。
僕はこの時、こんなのんびりとした平穏な日々が続くことを少しも疑ってなどいなかった。
だけど、草木が花を付け、そして枯れていくように、美しいほどの日々がそのまま変わらないことなどありえなかった。
***
僕はあまり要領の良い方ではない。
必死に努力してやっとなんとかみられるほどの実力が身につけられる程度だ。
王位の第二継承権を持つ者である僕に対しての指導は厳しいものだった。
何度逃げ出したいと思ったことか。
それでも僕は王家の人間として、第二王子として認めてもらえるように必死に努力し続けた。
だが、頑張ったところでどうにもならないようなこともこの世には存在する。
僕の兄である第一王子のディオン・エドモンドは僕と比べものにならないくらいに優秀で、僕はその兄といつも比較されていた。
それは、家庭教師の話の中でも、使用人達の噂の中でも。
そのことを耳にするたびに、僕は心がすり減っていくような感覚がしていた。
そして、いつの頃からか僕の比較対象として上げられる人物がもう一人加わった。
弟であるウィリアムだ。
ウィリアムは僕とは違って生まれながらにして才能のある人種だったようだ。
それなりの努力をするだけで力を得られる。
もともとの基質として王の器を持つような、強い力を持つ父や兄と同じ類いの人間だ。
ウィリアムのほとんど独学でしかない剣術は年齢にしてみれば相当の実力であるし、本人には知らされていないが体内に持つ魔力量は通常の装置では測定できないほどに多い。
そんなウィリアムと僕とを比べるような話が飛び交う。
最初のうちはウィリアムが褒められていることを聞いて、そのことを確かに嬉しく思っていた。
だが、何度もそんな話を聞くうちに、そんな声が疎ましく憎たらしく思うようになっていった。
「兄上!今日は天気が良いので一緒に素振りをしませんか!」
「……悪いんだけど、僕はお前と違って忙しいんだ。お前に構っている暇はない。一人で行ってくれないか」
ウィリアムに誘われても、軽くあしらうように返す。
あんなに楽しかったウィリアムと過ごす時間も無意味で苦痛な時間のような気さえしていた。
以前よりもウィリアムに対する会話は素っ気ないものになり、応答はするもののそこにはウィリアムに対して負の感情があったように思える。
それは、恐らく嫉妬心からくるものだった。
僕だって努力しているのに。
何であいつばっかり評価されるんだ。
同じ親から生まれ同じように育ってきたというのに。
そんな考えが自分の中を常にぐるぐると渦巻いていた。
そんな身の詰まるような日々が何年か過ぎ、ウィリアムと会話するどころかほとんど顔も合わせないようになった頃、何故かウィリアムを悪く言うような声を耳にするようになった。
剣術ばかりしていて学がない。
協調性がない。
態度が悪い。
そんな内容だった。
確かに、ウィリアムをみているとそういったことは多少誇張されているものの、嘘とは言い切れないようなことだった。
だが、どうしてそのような話がされるようになったかは分からない。
ウィリアムが以前より覇気をなくして沈んだような表情をしていることに、可哀想だと思う反面、心のどこかでそれを嬉しく思う自分がいた。
自分と比較され褒められてばかりいたウィリアムが僕と同じような状況になっている。
その苦しみを思い知れば良い、とそう思っていた。
さらに悪いことに、ウィリアムが婚約者にしたいと言っていた婚約者候補の娘が失踪したのだという。
ざまあみろとさえ思えた。
僕はその娘の姉と婚約者候補として頻繁に会っているというのに。
そのことをウィリアムに見せつけるかのように、僕はその娘の姉と婚約を結んだ。
だが、ウィリアムはそんな悲惨な日々に絶望することもなく、僕の事を妬ましく思うこともなく、ただ淡々と今まで通り、いや今まで以上に努力し続け才能を伸ばしていった。
きっと、僕がウィリアムと同じような状況になったとしたら人生を悲観し、彼のように努力し続けることなんて出来ないだろう。
そんな尊敬されるべき彼の姿に、僕はますます劣等感を覚えた。
そして、そんなウィリアムの姿をみてか、またウィリアムを賞賛するような明るい噂を聞くようになった。
ああ、どうしてあいつが弟なんだ。
あいつさえいなければ僕はこんな思いしなくて済んだというのに。
劣等感はさらに深く刻まれ、留まるところをしらない。
そんな深い負の感情の暗い闇に満ちた僕の心を体現するかのように、僕の前に一人の少年が現れた。
そして、ゆっくりと口を開くと僕の心の闇と同期するような、心に入り込むような声音で僕に囁いた。
『お前が報われないのは全部あいつのせいだ。俺が手を貸してやろうか?』
そんなことを口にした。
この少年は突然現れて何を言っているのだろうか。
その時は、そんな疑問の感情が強かった。
その言葉の意味を問おうとして口を開きかけたが、一度瞬きをした後、そこにはもうその姿を見つけることができなかった。
幻覚だったのだろうか。
妙なものを見てしまった。
手を貸すとは何のことをいっているのだろうか。
そう思いつつも、疲れすぎのせいなのかもしれないと、僕は自分自身に笑いながらその時あったことを忘れることにした。
だけどその時、そんな疑問に思う感情の影に隠れて、確かに僕の中にはその少年の言葉を魅力的に思う感情も紛れていた。
僕はその夜のことを自分の幻覚だと思って信じていなかった。
その後も、いつもと変わらない日々を過ごしていた。
だけど、しばらくすると再びウィリアムに悪評が流れるようになった。
僕が心の底では望んでいたことのように。
まさかな、とあの時のことを頭の片隅で思うくらいだった。
あの少年が再び僕の前に現れるまでは………
『どうだ?俺の力は。中々のものだろう?』
あの夜と同じように僕の前に突然現れた少年は不躾にそう尋ねてきた。
幻覚ではなかったのか。
いや、また幻覚を見ているのかもしれない。
通常であれば、そんな驚きと疑いの感情が僕の中に入り乱れているところだろう。
だが、何故か僕はその少年の存在をいとも簡単に受け入れてしまっていた。
そして、あろうことか僕はその少年に話しかけていた。
「君が何をしたというんだ?君の力とは何だ?一体、何が出来るというんだ?」
『おいおい、いきなり質問攻めかよ。まあいい、答えてやらないこともない。だが、前にも言っただろう?手を貸してやるって。お前の弟の悪い噂を流したりな』
まさかとは思っていたが、少年の口から聞かされた言葉に驚く。
「僕はそんなことは望んでいない。勝手なことはしないでくれ」
『………心の底ではそう望んでいるんだろう?まあ、お前は甘ちゃんだからそんなことできないって思うんだろうな。だから、俺が代わりにやってやる。努力してるお前が報われないなんて、そんなこと酷いだろ?』
「…………」
少年からかけられた言葉に僕は声をなくした。
僕がずっと思っていたことと同じ事をこの少年が言ったから。
この少年僕のことを分かってくれている。
そんな風に思ってしまった。
『だから、俺はお前の力になりたいと思っている。俺がおまえのために、お前が出来ないことまで何でもやってやるよ』
「僕のために………何をしてくれるというんだ?」
『お前が国王になるために力を貸してやる。お前は王になりたいんじゃないのか……?』
尋ねた僕に少年はそんな大それた事を言った。
王になりたい。
そんなことを思ったのは、本当に小さな子供の頃だけだ。
すぐに現実を知って諦めた。
だけど、この少年に聞かれて、この少年が力を貸してくれると言って、僕の中に今までなかった考えが芽生えたような気がした。
「ああ……僕は王になりたい」
気づけば僕は首を縦に振り、そう口にしていた。
その瞬間、自分が自身から切り離されるようなそんな浮遊感を感じた。
それからは長い間そんな浮遊感を抱き続け、自分とは別の自分が考えて行動しているような感覚の中過ごしていた。
自分が何故そんなことをしているのか、疑問に思うこともなく。
僕は自分の婚約者以外の奇跡の乙女を殺し、第一王子である兄とその妻も事故に見せかけて暗殺した。
裏でそんな工作をしている間にも僕の評判は不自然なほどに上がっていく。
それと反比例するかのようにウィリアムの評判は地に落ちていった。
盲目的なほどの自分に対する新興を感じていた。
自分に対する賞賛の声。
僕はこれが欲しかったんだ。
もっと、もっと、溺れるくらいに浴びさせてくれ。
でも、何かが足りない。
きっと、王にならなければこの心の隙間は埋まらないのだろう。
早く、王にならなければ。
そんな焦燥感に駆られて、国王を、父を殺した。
―――だが、そうではなかった。
僕は気が付いていなかった。
僕が本当に欲しかったものを。
―――愛している
父が死ぬ間際、僕に向かってそう投げかけた。
その言葉、表情に、僕は冷水を浴びせられたように、はっと目が覚めて浮遊感の中から抜け出した。
僕は今まで何をしていたのだろうかと我に返った。
僕が欲しかったのはこれだったのか。
僕が必死で求めてきたものは、本当に欲しいものではなかったと、この時になってやっと気が付いた。
しかし、もう遅い。
ここまできてしまったからには、もう引き返すことはできない。
そう思っていたのに、希望の光が現れた。
やっぱりウィリアム、お前には到底敵わないな。
目の前に立つ、久しぶりにはっきりと見た弟の姿にそんなことを思った。
その姿は変わらずに堂々としていて、そして今でもとても愛らしく思えた。
「僕の犯した罪はこんなことで償えないということは分かっている。だが、せめてもの償いとして、僕をこのまま悪魔とともに殺してくれ」
「兄上………」
こんな僕のことを、まだ兄と呼んでくれるのか。
お前は本当に優しいな、ウィリアム。
だから、その優しさで僕を殺してくれ。
一人で死ににゆくのは少し寂しいが………
そんなことを考えて、目を瞑った。
―――タッ
そんな床を蹴る小さな足音が聞こえた気がした。
それが何かと考える間もなく、僕の首に何か温かいものが巻き付いてきた。
目を開くとそこには、一人の少女、僕の婚約者である奇跡の乙女の娘がいた。
「レイラ………」
「一人でいなくなんてならないで下さい。何処へいくにも、どんな時でも私達はずっと一緒ですわ。だって私はあなたの妻なんですもの」
レイラはそう言うと、離れないというように腕の力をぎゅっと強くした。
その細く小さな腕は、それでもどんなに大きく感じたことか形容しがたいほどだ。
「ありがとう………」
本当に、僕は馬鹿だ。
気が付かないだけでこんなにも愛されていたのだから。
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