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第3章
94.
しおりを挟む私達は足音を潜めながら図書館の前へと辿り着いた。
扉の前に立つとその中からは隠す気もないのか、溢れだした邪悪な魔力をありありと感じ取ることが出来た。
ここに悪魔がいるということはほぼ確定といって間違いないだろう。
―――開けるぞ
ウィリアム様がそう動きだけで伝える。
ここに入れば私達は計画を進めることが出来る。
悪魔と対峙できるなんて願ってもないことだ。
だけど、そんな気持ちとは裏腹に私の肩は小さくかたかたと震えていた。
頭では分かっている。
あの時、この場所、この図書館で投げつけられた言葉がウィリアム様のものではなくて悪魔のものであったということは。
それでも、この場所で起こった出来事の記憶が、心の痛みが、身体が覚えていて恐れるのを止めることが出来なかった。
私は拳をぎゅっと握り締め、震えを抑えようとした。
なかなか治まらない震えに焦りを感じる。
そんな時、私の肩に何か温かいものが優しく触れた。
その感覚に、先ほどまでの震えは嘘のようにぴったりと消えていた。
大丈夫だ。ともに行こう。
振り返った私に、口の動きで微笑みながら、ウィリアム様はそう言ってくれた。
私の握りしめていた拳が緩むと、その隙間に大きく温かい手が差し込まれる。
そして、しっかり指と指を絡ませると離さないというようにぎゅっと力を入れた。
私はその手に引かれるように………いや、手を繋ぎながら、私達は同じ速度でともに、図書館へと足を踏み入れた。
ギィィィ………
未だに修理も交換もされていないのか、昔と同じように図書館の扉は立て付け悪く、大きな音を立てながらゆっくりと開いていった。
そして、その中、月も無く星の明かりだけに照らされた暗い図書館の中に一人、佇む人影があった。
「やあ、久しぶり。思ってたよりも早かったなあ。よく、ここが分かったじゃないか」
影になっているためにその人物の表情は見えないのだが、その顔は赤い口をつりあげて卑しく笑っているように見えた気がした。
そしてそんな口を開き、私達のことを馬鹿にしたような口調で話しかけてきた。
「おいおい、手なんか繋いじゃって仲のおよろしいことで。この様子だと、あの時のことバレちまったみたいだな。せっかく、この俺が直々にお前達の仲を引き裂いてやったっていうのになあ」
そう言いながら、悪魔はランプに火をくべた。
部屋が明るくなり、クラレンス様の姿の悪魔と私達を照らす。
そんな何気ない仕草の間にも、隙は一切見受けられなかった。
「でもお前、気が付いていないのか?騙されてるっていうことに。お前が相手にされているのはお前の力を利用したいからってだけだろう。お前みたいな奴が本当に人に好かれるなんてありえねえからな。きっと、俺を倒して用済みになったら、捨てられちまうんだろうな。あー、かわいそうになあ」
悪魔は私に向けて、そう語りかけてきた。
それは私の心の隙間を付こうとするような、悪魔の言葉だった。
確かに私はつまらない人間だ。
私の事を相手にしてくれるなんて何か裏があるに違いない。
……と、悪魔に囁かれてそう思ってしまうこともあったかもしれない。
以前の私だったら。
ウィリアム様が握っていた手の力をぎゅっと強める。
大丈夫だ、とでも言うように。
―――分かっていますよ、大丈夫です。
もう、私は悪魔に付け入れられたりしません。
だって、私の中にあった心の闇はあなたという光が全て消し去って下さったのですから。
悪魔の入り込む隙なんて少しもありません。
だって、私の心の中はあなたが全部埋めてくれたのですから。
それに、仲間たち皆が私の事を思ってくれていることも知っています。
ウィリアム様が私の事を好きでいてくれていることも。
私も、繋いだ手に力を込めてそんなことを伝えるように強く握り返した。
「あーあ、つまんねえな。だんまり決め込んじゃって。俺がわざわざお前達と話をしようと思って、この場所で待ってやったっていうのによ………もういい、興ざめだ」
私達の様子を伺っていた悪魔は、そう吐き出すように言った。
悪魔は会話の中に魔法を組み込んで相手につけ込み催眠していく。
思わず反論したくなってしまうように巧みに|悪魔の言葉(・・・・・)を用いて。
そのことが分かっていたので、私達は迂闊に返事などせずにじっと押し黙って、悪魔の隙を伺っていた。
そんな風に私達に話しかけていた悪魔であったが、私達が一向に言葉に耳を貸さないことが分かると不機嫌そうに机を蹴り飛ばした。
そして、ポケットの中から金色に光る石を取りだして私達に見せつけてきたのだった。
「この石、何だか分かるか?これはなあ、月の光を閉じ込めた貴重な石なんだ。作るのに相当な苦労をした。だが、この石さえ体内に取り込めば俺は満月を待たずして復活を遂げる。それなのに、俺はわざわざお前達が俺のところに来るまで待っていてやったんだから感謝して欲しいくらいだな。何故、そんなことをしたかって?それはなあ、お前達の絶望する顔を間近で見たかったからだよ!」
悪魔が厭らしく笑いながら月の石を持ち上げた。
私は反射的に銃を手にし、悪魔に向かって引き金を引いた。
銃口の先から悪魔に向けて一直線に魔法が放たれる。
このタイミングなら間に合うはずだ。
最悪の事態に焦ってはいたものの、冷静に攻撃し、そう分析することができた。
……が、私の攻撃はあと一歩というところ、悪魔に届く直前で消えた。
この部屋、私達と悪魔の間には幾重もの防御結界が張られていた。
その最後の一枚を砕いたところで、僅かに悪魔に届かなかった。
「まったく、危ねえなあ。お前の力がこれほどまでに強かったとは予想外だ。だが、俺の勝ちだ。残念だったなあ」
強悪にそう笑うと、悪魔は石を飲み込もうと右手でそれを口元に持っていく。
私達は止めようと走り出したが、絶望的な気持ちでそれを見ていた。
ここからではもう止めることが出来ない。
間に合わない。
―――――パシッ
もう少しで口に右手が届くという刹那、その手を払い落とした手があった。
反動で石は床に転がり落ちる。
目の前まで転がってきた石を私はすかさず回収した。
これにより、ひとまずの危機は脱したといえる。
でも、この状況をまだ喜ぶわけにはいかなかった。
何故なら、分からないことが多すぎるからだ。
だって、右手を払い落としたのは|クラレンス様自身(・・・・・・・・)の左手だったのだから。
『………何故、邪魔をする』
悪魔がクラレンス様の声ではない地の底から響くような低い声を出し、左手を憎々しげに睨んでいた。
これが悪魔自身の声なのだろうか。
悪魔はまるで左手が自分のものではないというような顔で見ていた。
その左手は持ち上がっていき、そのまま悪魔の邪悪な顔を隠すように覆った。
そして、撫でるように下に降ろすと再び現れたその顔に強悪な憎しみも殺意も怒りもなく、ただ悲しみの色だけが浮かんでいた。
「もう、全部終わりにしよう。ウィリアム………こんな兄ですまなかった」
「兄上………」
手を外したそこには、凶悪そうに笑う悪魔の顔はなく、すまなそうに眉を下げるクラレンス様自身の顔があった。
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