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第2章

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 ヒースに抱きついたキースはしばらくすると、そのまますーすーと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
 ずっと付きっきりでヒースを看ていて、もしかしたらぬか喜びかもしれないという不安の中、気が休まるときなど一時もなかったんだろう。
 一気に緊張がとけて一番待ち望んでいた結果に安堵して気を抜くことが出来たんだろう。
 キースは今まで見たこともないほどに幸せそうな寝顔をしていた。
 今はしばらくそっと寝かせておいてあげよう。
 自分に覆い被さって眠ってしまったキースにヒースは少し戸惑っていたけれど、そのままウィリアム様とジェラールがヒースの隣に寝かせてあげた。

 でも、唯一知っている人であるキースが眠ってしまって、ヒースは心細いだろう。
 知らない大人達に囲まれて、ヒースはどうしようかというように不安そうに視線を漂わせていた。

「はじめまして!私はエルザよ。いきなりこんなところで眠っていて、分からないことだらけだろうと思うけど、心配しないで。皆、あなたが目覚めることを心待ちにしていたのよ。それに、私たちは皆、キースの仲間だから。これからよろしくね、ヒース」

 そんなとき、すかさずエルザが笑顔でヒースにそう話しかけた。
 さすが、いつも新しい街に行ってはすぐに子供達に好かれるエルザだ。
 不安になっている子に話しかけることに少しの不安もない。
 ウィリアム様もジェラールも小さい子とはあまり関わる機会はなかったのか、扱いが苦手そうだ。
 かく言う私も、決して得意ではないんだけれど。

 声を掛けられたヒースは、ほっとしたように表情を緩めて肩の力を抜いた。
 この状況に大分、気を張っていたようだ。

「僕のことはお兄ちゃんから聞いているのかな。でも、改めて自己紹介させてもらうね。僕はヒース。キースの弟です」

 ヒースはベッドに座ったままぺこりと頭を下げた。
 こんなに小さいのにとても礼儀正しい子だ。
 私とウィリアム様は一度、ハーブュランタの森でヒースの姿をした悪魔にあったことがあるけれど、その時よりも幾分か大人びているように感じた。
 今のこの状況をどう伝えようか……と悩んでいると、ウィリアム様が口を開いた。

「ヒース、お前は悪魔に襲われた時の事は覚えているか?………いずれ言わなくてはならないことだから言わせてもらうんだが………ヒース、お前は長い間、悪魔という存在に身体を乗っ取られていたんだ」

 覚えていなければ信じられないような話だろうが、覚えていればかなりショッキングな話だろう。
 だけど、そのことを伝えなければ何も説明できない。
 ウィリアム様の言葉を聞いたヒースは再び顔を曇らせた。
 そして、重い口を開くように、ゆっくりと言葉を紡いだのだった。

「………うん、覚えているよ。悪魔に襲われたことも、身体を乗っ取られたことも。そして、この12年間、悪魔が何をしてきたのかも全部」

 それを聞いた私たちは言葉を失った。
 ヒースは悪魔に身体を乗っ取られた後もずっと意識があったということだ。
 でも、そうだとするなら、それは私たちにとって状況が一転するようなことでもある。
 だが、それはヒースにとってはとてつもなく辛い経験だったに違いなかった。

「………辛かっただろう。自分を見失わずによく、頑張ったな」

 ウィリアム様はそう言ってヒースの頭にぽん、と手を置いた。
 そのまま優しく頭を撫でる。
 ヒースは驚いたように目を見開き、少しの沈黙の後、その大きな瞳から涙がこぼれた。
 自分の身体を乗っ取られた中、意識があるなんてとんでもなく残酷なことだ。
 自分の身体を自由に動かすことも出来ず、誰とも話すことも出来ず。
 狂ってしまっておかしくはない。
 だが、目の前にいるヒースはしっかりと自分の意思を持っていた。
 そんな力強い目をしていた。
 泣くことは弱さではない。
 少しでもヒースの心が軽くなってくれたら………そう願った。

 ヒースはひとしきり泣いたあと、手の甲で涙を拭うと私たちに再び向き直った。

「ありがとう……お兄ちゃんはこんなにも良い仲間に出会うことが出来たんだね。本当に良かったよ」

 そう言うと隣に眠るキースと私たちに向けて笑顔を作った。
 その笑顔は今まで見たヒースの顔の中で一番の表情だった。
 しかし、ヒースはその笑顔から一転、すぐに真剣な表情で座り直したのだった。

「あなた達には言葉では言い表せないくらいの感謝の気持ちでいっぱいだ。感謝してもしきれない。でも、そんなあなた達に迷惑を掛けてしまうようなことになってしまうけれど、聞いて欲しいことがある。僕が悪魔に乗っ取られてから今までのことを。それを伝える事が、今の僕にできる唯一のことだから。とても長くなってしまうし、決して気分の良いことではないけれど………耳を塞がず、目を反らさずに聞いて欲しいんだ」

 ヒースは私たち一人一人の目を見て訴えるように、意思を確かめるように頷いた。
 その時、気のせいかもしれないけれど、ヒースは私とウィリアム様に対して特に強く視線を送ったような気がした。

「ああ、教えてくれ。そのことを話すのはヒースが一番辛いことだと思うが、ヒースの心の準備が出来たら始めてくれ。俺たちは何を聞いても受け入れられる」

 ウィリアム様の言葉に私たちは頷く。
 皆、同じ気持ちだ。
 ヒースは目を瞑り、覚悟を決めるように拳を握りしめると口を開いた。

「僕は悪魔に身体を奪われてから、しばらくして目を覚ました。そこは、見たこともない土地だった。悪魔は力を取り戻すために、各地で人の魔力を奪おうとしていたんだ。でもそれは、ほんの始まりに過ぎなかった………」


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