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第2章
75.
しおりを挟む「いらっしゃい。ここが俺の家だよ。まあ、俺もここへ帰るのは随分と久しぶりなんだけどね。取り壊されたりしてなくて良かったよ」
キースに案内されてやって来たのは王宮からそう遠くない住宅街の中の一件だった。
外から見ても何の変哲もない何処にでもあるような普通の家だ。
キースは何でもないように振る舞っていたけど、その心の中が見た目通りだとは思えなかった。
この場所は、キースが全てを失った場所でもあるのだから。
ここはキースと弟のヒース、その両親と暮らしていた場所で、12年前、悲劇が起きた場所でもある。
キースの両親が亡くなり、ヒースが悪魔に乗っ取られた。
時が経っているとはいえ、何年経っても嫌でもその時のことを思い出してしまうその場所に戻ることは辛いことだろう。
そうであろうに、キースはそんな様子を全く見せずに、本当にただ久しぶりに家に帰ってきたみたいにその扉を開けたのだった。
「さあ、入った入った」
私の考えすぎなんだろうか。
私はキースに何か声を掛ける暇もなく、そのまま促されるようにして家の中に入った。
家の中は思っていたよりも大分、というよりもかなり綺麗だった。
何年も家を空けていて、帰る人もキース以外にいないのだと思っていたんだけど、誰かがここを使っていたんだろうか。
床にはほこり一つも落ちてはいなくて、快適に人が生活できるほどに掃除されているようだった。
誰かに家の管理を頼んでいたのかな?
でも、そうだとしたら、キースがさっき家が取り壊されてなくて良かったって言ってたのはおかしいし……
私がそんな些細なことに首を傾げていると、キースが振り返って私を見てきた。
私は蜘蛛の巣の一つもないなと天井を見たり、埃の一つも落ちていないなと床を見たりしていたから、そんな落ち着きのない行動に気が付かれてしまったみたいだ。
よく考えたら、小姑みたいなことをしてるんじゃないかと思えてきて、少し恥ずかしくなった。
「リュカ、この家が以外に綺麗だなって思ったでしょ。そんなこと思ってると、ますますコンドラッドを調子に乗らせることになっちゃうよ。この家はコンドラッドが作った魔法道具で管理して貰ってるからね。ほら」
私の顔を見て笑ったキースはそう言うと、廊下の先を指さした。
そこには何か円盤のような形をしたものがあり、床を移動していた。
かと思うと、移動して壁にぶつかったその物体はあろう事かそのまま壁をつたい、天井まで上っていった。
魔法の力か、天井にぴったりと貼り付き、少しも落ちる様子は見せなかった。
「なるほど、役に立ちそうな魔法道具だな。あれが部屋中を掃除していて、部屋を綺麗に保っていたのか。俺の部屋にも一つあっても良いかもしれないな」
「あの方はあなたと同じで本当に何でも作ってしまうんですね。いとも簡単にやっていますが、そうとうな芸当ですよ。ですが、ウィリアム様。もしあれがあったら、メイドの仕事がなくなってしまいます。そういえば、あの道具の活動源は何になっているのですか?もし魔法石を使うとなると長い間動き続けなければならないのですから、相当高価なものを使用しなければならないと思うのですが」
「ああ、あれはね、集めて溜めたごみを分解してその時に発生するエネルギーを使っているんだって。それでも足りない分は、太陽の光から得られる光エネルギーを使って。こういう、効率の良い魔法道具を作るの、コンドラッドは得意なんだよ」
意外にも、ウィリアム様とジェラールもその見たことのない魔法道具に興味津々なようだ。
私たちの上をその魔法道具が通過していく。
よく見ると、円盤の先からは小さい手のような、触手のようなものが出てちょこちょこと動いていて、まるで生き物のようにも見えた。
この子がこの家を守ってくれてたんだななんて考えると、なんだか心が少し温かくなったような感じがした。
「じゃあ、まず先に寝室の方に案内しようか。俺の家はそんなに広くはなくて、1階にリビング、2階に両親の寝室、それと俺の部屋とヒースの部屋があるだけだ。俺は自分の部屋で寝るとして、ウィルとジェラールが寝室、リュカがヒースの部屋でいいかい?」
真上を通った魔法道具を私たち3人がじっと目で追っていたことに、キースはおかしそうに笑いながらそう声をかけた。
その家主の提案に何も言うことなく、ウィリアム様とジェラールは頷いた。
だが、私は少し思うところがあってキースに部屋割りのことを聞き返した。
“僕がヒースの部屋を使っても良いの?リビングのソファを貸してくれればそれでも全然問題ないんだけど”
キースにとっては大切な弟の形見が詰まった部屋だ。
そんな場所を他人の私が使っていいようなものなのだろうかと、そう思った。
「駄目です!リビングなんて、そんな誰でも行き来できるような場所で眠るなんて!」
そう思ってキースにそう聞いたのだが、意外なことにキースが口を開く前にそうジェラールが声を上げた。
ジェラールがそのことに何か言うなんて思ってもいなくて驚いたのだが、ウィリアム様もその発言に私と同じように思っているようだった。
それに、この家にいるのは私たちだけだから、誰が来ても平気だと思うけれど。
声を上げた本人であるジェラールもそう言い切った後にはっとしたように口に手を当てた。
自分自身が言ったことに驚いているように。
そんな中、キースだけがジェラールを見て面白そうににやにやしていた。
ああ、なんだ。
またキースが何かちょっかいをかけたのか。
何をしたのかは分からないけど、キースが人をからかうのはいつものことだし、ジェラールも罰が悪そうにしているから、触れないでおいてあげよう。
ジェラールはその後、まだ少し動揺しながら付け加えた。
「あ……いや、その、せっかくキースさんの家に泊まらせていただくことが出来たのですから、しっかり身体を休められた方が良いかと思いまして……リビングですと、人の通りがあって起きてしまうかもしれませんので。それに、ソファよりもベッドで寝た方が疲れの取れ方も違いますから」
「うん、そうだね。その方が、明日の俺たちのためにもなるしね。それに、君にならヒースの部屋を使ってもらいたいと思っているから。遠慮なんてしないでよ。もう、他人じゃないんだから」
キースはジェラールの様子を見ながら笑っていたのにもかかわらず、そんな風にジェラールのフォローをした。
それを聞いたジェラールは分かりにくいながらも、ほっとしたような表情をしていた。
二人のやり取りがなんとなく面白くて、私はこらえきれずにくすりと笑ってしまいながら返事をした。
“うん。それなら、ヒースの部屋のベッドを使わせてもらおうかな。キース、ジェラール、ありがとう”
***
各自、割り当てられた部屋に行き荷物を置くと、すぐにリビングへと再び集まった。
そんなにのんびりしていたはずではないけれど、私がリビングに行くとすでに皆が机を囲むようにして座っていた。
時間が惜しく、早く話し合いたいという気持ちはみんな同じなんだろう。
私がリビングに入ってきた事を確認すると、ジェラールがその机の上に1枚の紙を広げた。
それは、王都の地図だった。
「皆さん、集まりましたね。これはお分かりの通り、王宮周辺の地図です。そして、明日のパレードの通り道は……」
そう言いながら、ジェラールは新聞を片手に地図の道をペンでなぞっていった。
城を出発し、メイン通りを通ってから再び城へと戻る。
こうやって見てみると、思っていたよりもその距離は短い。
それはその分、チャンスも短いと言うことと同義だ。
城に近ければ近いほど、警備は厳しいだろうし、かといってその他のところが緩いわけでもない。
何処が良いのだろうかと地図の上を滑るペンを眺めながら考えていた。
「ここなんかはどうだい?さっき見てきた感じだと隠れられそうなところもあったし、地上は護りが堅いから、上から攻めれば多少の優勢が取れそうじゃないかい?」
「ああ、俺もその場所には目を付けていた。良いんじゃないか?少しの間なら透過魔法も使えることだし、人とぶつかる危険がない分、気づかれるリスクも少なそうだしな」
キースが地図上のある一カ所を指さした。
そこは、パレードの通り道の城から折り返し地点に近い辺りで、比較的宿屋や借家などの背の高い建物が密集したところだった。
その建物の屋根の上で待ち構えようということだ。
キースが示したその場所を見たウィリアム様も賛成して具体的な作戦を思案しているようだった。
もちろん、私にも異論はない。
ジェラールも頷いて、その場所に印を付けた。
「そうですね。私も奇襲ということなら、ここが一番良いと思います。それで、具体的な作戦なのですが、第二王子クラレンス様の襲撃とは言っておりますが、本当の目的は悪魔の方。悪魔を転移させるために悪魔に直接近づく方を決め、残りの人達でその方に邪魔が入らないように援護するのはどうでしょうか。それで、魔法に一番優れているのはキースさんですので、その役はキースさんにお願いしたいと私は思っているのですが」
うん。それがいいかもしれない。
転移魔法はキースとコンドラッドが作ってくれた魔法道具のおかげで、誰でもできる簡単な方法にはなっているんだけど、やっぱり不測の事態に備えてキースにやってもらった方が確実だろう。
どれくらいの護衛が向かってくるのか分からないのに加えて、悪魔自体も簡単に思い通りに出来る相手でもない。
しかし、これ以上に良い方法は私には思いつかなかった。
この方法でどうすれば一番連携が取りやすく、どうすれば一番無駄なくチャンスを掴めるのか考えなくては。
私は頭の中で色々な状況をシミュレーションしていた。
「………俺が囮になる」
皆がジェラールの案の方向で作戦を考えようとしていたのを遮るように、ウィリアム様がそう呟いた。
ウィリアム様は自分が前に出たがるタイプであるだろうに、自分から囮になるだなんて言い出したことが意外すぎて私は耳を疑った。
だが、ウィリアム様はそのことをさらに主張するように言葉を続けた。
「俺が囮になって第二王子を襲撃するふりをする。恐らく、そっちの方が相手の戦力が分散するから戦いやすくなるだろう。第三王子である俺が第二王子を襲おうとすればいやでもそちらに注意が向く。その隙をついて悪魔に近づけば良い」
「それは、君が君として、第三王子のウィリアム・エドモンドとして第二王子を襲撃するということかい?そんなことをすれば、君の身の危険がかなり高くなると思うが……」
「ああ、覚悟の上だ」
キースが心配そうにウィリアム様に尋ねると、少しの淀みもなくウィリアム様は答えた。
その態度は自信があるようにも、不安があるようにもどちらとも取れ、彼の心の内は分からない。
ウィリアム様が言うように、第三王子の反逆ともなれば、一般市民が行うよりも第二王子を護ることに意識が集中するだろう。
悪魔自身に対しても、そちらに気を引くことが出来るかもしれない。
だけど、そんな方法を取ればウィリアム様にかかる危険が何倍にも大きく膨れあがる。
護衛たちが意識に置くことは、まず第一に第二王子を護ること、そしてその次に第三王子を捕らえること、殺してでも止めることを考えるだろう。
悪魔に近づく事が真の目的であるので、ウィリアム様の援護に入れるのも多くて一人だ。
だが、無謀にしか思えないような事だけれども、囮としてのみ一瞬の間、注目を集めれば良いだけならうまくやれば出来るかもしれない。
「ウィリアム様、それは危険すぎます………と、私がお止めしたところであなたの意思は変わらないのでしょうね。分かりました。その代わり。私が何があってもウィリアム様を御守り致します」
ジェラールはウィリアム様に考え直すように説得しかけたが、ウィリアム様が何か反論する前に自らが折れたのだった。
この方法よりも最善な方法はないとジェラールも心の中では分かっているんだろう。
それに、ウィリアム様は人一倍頑固で、一度そうと決めたら絶対に曲げないということも。
ジェラールは剣を抜き、ウィリアム様の前に跪くと剣を掲げた。
これは、エクソシス王国で戦いの前に君主に行う儀式の一部だ。
あなたに剣と、この身の全てを捧げるという意味を示すという。
ジェラールの中でのこの国の国王は第二王子ではなく、ウィリアム様だということを暗に示しているようでもあった。
「キースさんのことはあなたにお任せしますよ、リュカさん」
ジェラールは一連の動作を終え、立ち上がると私の肩に手を置いて力強くそう言った。
この作戦にした場合、戦力も分散してしまう。
悪魔を転移しようとするキースを援護できるのは私一人だけだ。
不意を突くとはいえ、凄まじい身体能力を持つ悪魔に簡単に近づく事も、ウィリアム様の方だけに気を取られなかった残りの護衛たちからの攻撃も防がなくてはならない。
そんなことが私一人に出来るのだろうか。
そんな不安な気持ちが頭をよぎる。
だけど、私はそんな不安な気持ちも振り払うように力強く頷いた。
出来る、出来ないじゃない。
私には何が何でもキースを護り抜くという選択肢しかないんだから。
全員が無事で帰りたいという想いしかないんだから。
そう、心の中で強く思った。
“キース。何があっても僕があなたのことを助けるから、大丈夫だよ”
ジェラールがウィリアム様に剣を掲げたことと同じくらいの気持ちを持って、私はキースの手を強く握った。
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