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第2章
64.とある王宮にて
しおりを挟む寝室の窓から眺める月は、満月にはほど遠く、もうすぐやっと半月になるかというくらいの欠けた月だ。
まあ、これはこれで趣があるのだが。
だが、もう一度くらい満月を拝むことができれば良いな、などと神妙な気持ちで月夜を見上げていた。
ごほり、と咳が一つ出る。
その咳を覆った手は赤く染まっていた。
悪いのは肺か、食道か、あるいはどちらもか。
もはや、体中の何処が犯されていないのか分からないほどに原因不明の病が進行していた。
もう、先は長くはない。そんなことは自覚していた。
せめて、全員の息子の晴れ舞台を、伴侶となる娘を一目みたいと望むのだが、それは無理な話なのだろうか。
ふと、部屋の外に人の気配を感じ、窓辺にかけていた腰を浮かし立ち上がった。
そんな何気ない動作ですら辛く感じるのだから、本当に末期なのかもしれないな。
部下が何か連絡をしに来たのだろうかと訪問を待っていると、扉はノックも無しに開かれようとしていた。
不審に思った俺は、寝台の横に置いてある剣を手に取った。
「おや、父上。まだ起きていらっしゃったのですか?お身体に障りますよ。早く、お休みになってください」
断りもなく不躾に国王の寝室に入ってきたのは、我が息子である第二王子のクラレンスであった。
クラレンスは国民からの支持が厚く、国民から好かれているのもうなずけるような人の良さそうな笑みを浮かべながら入ってくる。
だが、いくら息子であってもこうやすやすと国王の寝室に入れるものではない。
国の最高権力者に何かあってはならないために厳重な警備がしかれているのだから。
「……外にいた者たちはどうした?」
「皆さん、このような夜分遅くまで働きになっていて疲れていそうだったので、お休みになっていただくことにしました。この国の頂点に立つ者として、国民のことを気にかけるのは当然のことですから」
凜とした態度でそう宣う第二王子のその様子を見た者がいたとしたら、ああ、そうなのだろう、と簡単に納得してしまうような自然な態度であった。
しかし、国王である俺の警護に当たっている選りすぐりの騎士たちが、クラレンスに休んで良いと言われたからといって簡単に休むはずはない。
どんな手を使ったのかは知らないが、ここに来たのは正当な方法ではないことは確かだった。
「ふっ……。俺はお前を次期国王に任命するつもりはない。良い心がけではあるが、それはいらぬ心配だったな」
「いえ、私はこの国の国王になります。明日にでも。このくだらない紙切れは今、塵となって消えてしまいますから」
そう言って、クラレンスは懐から王家の印の押された封筒を取り出した。
それは、俺が次の国王を指名する前に何かがあって死んでしまった時のためにと書いていた遺言書であった。
そして、手から炎を出すとその封筒に火を付けて瞬く間に燃やしてしまう。
簡単には傷つけたり、破壊できないように、強固な防衛魔法が掛かっているとは思えないほどあっけなく。
「あと、邪魔なものはあなただけになりました、父上。死に損ないは大人しく、死んで下さい」
狂気。
そんな表現が相応しい。
満面の笑みで、言葉と表情がかみ合っていないように、そんなことを嬉々として言う。
その時、クラレンスが後ろ手に隠し持っていた剣が月明かりでぎらついた。
隠しきれていない、途方もない殺気も感じられる。
………やはり、当たって欲しくなかった俺の予想は当たってしまったようだ。
最初に違和感を覚えたのは5年ほど前だっただろうか。
クラレンスはどちらかといえば要領の良くない子供であった。
努力はしているもののそれがなかなか結果に結びつかずに、人から認められないというところがままあった。
俺も、国王としては厳しく言ってしまうこともあったが、親としてはそんなクラレンスが心配だった。
しかし、何が起こったのか、いつの頃からか突然、クラレンスが高評価されるようになったのであった。
それだけならば喜ばしいことだったのだが、それに反するように第三王子のウィリアムの悪評が流れ始めたのだった。
どこかの貴族がクラレンスを担ぎ上げて良からぬことを企んでいるのではないかと思って調査をしたがそんな事実はなく、ウィリアム本人もそれほど気にする様子もなかったので、単なる噂だろうと軽く見て放っておいたのが間違いだった。
噂は収まる様子を見せず、それどころかますます悪化して広がっていき、気がついた頃には手の施しようがないほどに広がってしまっていた。
そして、いつの間にか王宮の人間でさえその噂を信じるようになってしまっていた。
さらに悪いことに、優秀で次期国王に不安のなかった第一王子の死が重なる。
調べによると確固たる証拠は掴めなかったが、第二王子によるものではないかという憶測を得られた。
自分の息子に対してそんな疑惑を抱きたくなどなかった。
そう思っていたのだが、その疑いはだんだんと濃くなっていった。
このままでは、第三王子のウィリアムにまで被害が及びかねない。
本人には王位を継ぐ意思はないようだが、クラレンスが王位継承権を持つ者をただで見逃すはずもないだろう。
俺は、ウィリアムを適当な理由をつけて国外へ逃がした。
俺にはこの国をもはや制御できない。
せめて自分の子供のことは守りたいと思うのは勝手な願いだと分かっている。
だが、確かにウィリアムがクラレンスの手にかからないように国外へ逃がしたが、それだけが理由とも言い切れない。
俺はどこかでウィリアムに期待していたのだと思う。
ウィリアムがおとぎ話の勇者と同じように仲間とともに支配されたこの国を、この世界を平和に導いてくれるのではないかという希望を。
「父上っ、覚悟!!」
そう一言発すると、クラレンスが勢いよく剣を振りかざしてくる。
手にしていた剣でそれを防ぐも病に犯された身では容易にそれも弾かれてしまった。
もはやこれまでか。
「ぐっ………がはっ!!」
反動で寝台へと倒れ込んだ俺の胸に、クラレンスの剣が深々と突き刺さった。
熱く赤い血が溢れ出し、寝台を染めていく。
最期の視界の中でクラレンスが映り込んでいた。
どうした?
そんな辛そうな顔をするな。
愛する息子よ……
こんなことになってしまったが、お前が俺の大切な息子であることは変わらないぞ。
俺にはもうお前を笑顔にする力は残っていないが、きっとまっすぐなウィリアムが助けてくれるはずだ。
ウィリアム………後のことは任せたぞ。
無念な死に方ではあるが、俺の顔に絶望の色は浮かべない。
家族への敬愛と未来への希望をのせて、最期くらい笑って逝こう。
薄れゆく意識の中で俺は4人の姿を思い浮かべていた。
美しい妻、優秀だったディオン、道を踏み外してしまったクラレンス、そしていつもまっすぐだったウィリアム。
みんな俺の大切な家族だ。
みんな……みんな……愛していたぞ………
――――――エクソシス王国国王オスカー・エドモンドは息を引き取った。しかし、剣で胸を一突きされた無残な死に様であるというのに、その死に顔は微笑んでいるようにも見えた。
***
「終わったか?これでお前もとうとうこの国の国王だな」
「………ああ」
国王の寝室を出たクラレンスにこんな時間に起きていてはいけないような少年が話しかけた。
しかし、その幼い男の子には子供らしいあどけなさなどは微塵も感じられず、どこか凶悪な笑みを浮かべているようにも見えた。
「どうかしたか?さすがのお前でも親殺しは堪えたのか?」
「何を言っている。そんなくだらないことを言っている暇はない。僕が新国王となるためにこれから忙しくなる。すぐに準備に取りかかるぞ」
「はいはい」
クラレンスが一瞬考え込むように返事をしたことに、そう少年は揶揄したがクラレンスは毅然とした態度でそう指示すると、足早に廊下を歩いた。
少年はクラレンスの後に続く。
先程のクラレンスの戸惑ったような表情は気のせいだったようだ。
全ては計画通りに進んでいる。
少年はそう思い、クラレンスの後ろでにやりと薄気味悪い笑みを浮かべていた。
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