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第1章

44.魔術師の秘め事(2)

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 何も変わらないいつもと同じ職場からの帰り道。
 少しだけいつもと違うのは俺は甘いにおいを漂わせている紙袋を手に提げながら歩いているということだけだ。
 最近新しく出来た洋菓子屋のマフィンを友人が買ってきてくれたのだ。
 自分のを買ったついでに俺の家族にもお土産にしな、と渡してきた。
 俺は両親と15歳年の離れた弟、ヒースと実家で暮らしている。
 恋人はいなかったが、毎日楽しく充実した日々を家族と共に送っている。
 同僚は一人暮らしをした方が自由になれるぜと勧めてくるが、俺が満足しているんだからそれでいいだろう。

「ただいま。今日はお土産があるぞー!クローバーのマフィン、食べたがってただろ。話したら友人が買ってきてくれたんだ」

 いつも同じように同じ時間に家のドアを開ける。
 そして家の中に聞こえるようにそう言いながら、玄関でコートを脱いだ。
 しかしいつものように出迎えてくれる人物はいなかった。
 いつもなら扉が開く音を聞くとヒースが走って来て笑顔で出迎えに来てくれるのだが。
 おかしいな、疲れて寝ちゃったのかな、などと思いながらそれほど気にせずに中へ入った。

「ただいま…………っ!?」

 廊下からリビングにつながるドアを開けるとむっとした異様なにおいがした。
 俺が時々、仕事で嗅ぐことのあるような残虐なにおいが。
 そこは………一面真っ赤な血の海だったのだ。

 俺は目の前の光景が信じられずに思考が止まってしまっていた。
 いつも家族で楽しく食事を取っているテーブルには胸を切り裂かれ血の気を失った父さんが項垂れており、家族の笑顔の写真が飾ってある壁の下には母さんが倒れていた。
 入り口から一番近い父さんに触れてみるが、すでに脈がなかった。

「うっ…………」

「……っ!!母さん!!」

 父さんの死という事実に固まっていた俺をそのうめき声が動かした。
 駆け寄ると、母さんにはまだわずかながらに息があったのだ。
 死人を生き返らせることは出来ないが少しでも息があればいくらでも治すことが出来る。

「《ヒーリング》!!」

 俺はすぐさま治癒魔法をかける。
 しかし傷は治ることなく、母さんは浅く息をしたままだった。

「……どうしてっ!?……ヒーリング!!ヒーリング!!」

 俺は効かない魔法に半狂乱になって、それでも治癒魔法をかけ続けた。
 だが、一向に魔法の効果は現れない。

「……キース……私のことはもういいから……あの子を……ヒースを助……け……て……」

 魔法をかけ続ける手にいつも俺のことを支えてくれた温かい手が冷たくなって重なった。
 そして弱々しくも力強く最期の力でそう言うと母さんは事切れた。

「嫌だ!!母さん!!」

 俺の大好きだった母さんが父さんが死んでしまった。
 大切な人を救うことが出来なかった。
 その事実に俺は泣き叫ぶ。
 魔法が効かないなんて………あり得ない。
 しかし、俺はすぐに立ち上がりリビングを飛び出した。
 リビングには弟、ヒースの姿はなかった。
 ここにいないということは子供部屋にいるのだろう。
 まだヒースのことを助けられるかもしれない。
 全速力で廊下を駆ける。

「ヒース!!!」

 扉を蹴破るように開け、そう叫ぶ。
 放たれた扉の先には、しっかりとした形を持たない魔物というよりも化物といった方がいいようなそんな物体にヒースは首を掴まれて宙に浮いていた。

「………兄……ちゃん………」

 消え入るようなかすかな声で確かにそう言ったのが聞こえた。
 まだ、死んでない。
 まだ、間に合う、助けられる!

「《バーニングロアー》!!」

 俺はその物体に向かって、最大級の攻撃魔法を放った。
 俺が使える中で一番の魔法だ。
 そして、今までにないくらいに最大の力を込めて魔法を生成した。

「ぐっ!!ぎぎぎぎぎ!!!」

 化物はこの世のものとは思えぬような叫び声を上げながら倒れていった。
 この国で最高クラスの王国魔術団に所属している俺の最大級魔法を食らって無事な魔物がいるはずない。
 魔法の炎に焼かれてその化物はついに動かなくなった。
 化物から解放され、床に倒れ込んでいるヒースの元に駆け寄る。

「ヒース!」

「………やっぱり……お兄ちゃんはかっこいいや……最強だね……」

 そう言って、ヒースは弱々しくも俺に笑いかけた。
 良かった。
 間に合った。
 でもそれはヒースの功績があってのことだ。
 両親よりも魔力の高いヒースは必死になってこの化物に抵抗したのだろう。
 怪我をして衰弱しているものの致命傷になるようなものがなくほっとした。

「よく頑張った、もう大丈夫だ。お前もきっと最強の魔術師になれるぞ。偉かったな」

 怪我で弱くなっているヒースを励ます意味もあったが、俺は本心でもヒースは優秀な魔術師になれると思っている。
 成長途中であるヒースの魔力は年々増加し続けていて、魔力量だけでいえばすでに俺を超えている。
 そんなヒースだから体調が良くなるのも遅くはないだろう。
 俺は再びヒースが助かったことに安堵した。
 しかし、安心をするのはまだ早かったのだった。

「………ぐぎぃ……まだだ……よくもこの俺様を………よくもぉぉ!!!!」

 地を這うような低いうめき声が聞こえたかと思うと、燃えかすと化していた化物の一部が集まり小さな塊となって俺に向かってきた。
 ヒースから素早く離れ俺は臨戦態勢を取り、再び攻撃魔法を放つ。

「《バーニングロアー》」

 そして今度こそその化物は塵になった。
 諦めの悪い奴だと思いながらも、俺の魔法が直撃していたというのにまだ死んでいなかったことには驚いた。
 しかし、そうはいっても瀕死状態にはなっていたので攻撃力はなく、これで完全に消滅させることが出来たのでもう安心だろう。
 俺は横になっているヒースに向き直った。

「残念。本命はこっちだ」

「………え?」

 振り返った先、そこにはヒースはいなかった。
 いや、正確には|ヒース(・・・)はいるのだが、|ヒースという存在(・・・・・・・・)ではなくなってしまってた。
 見た目はヒースそのものであるのだが、中身がまったく別の物に成り代わってしまっていると俺は直感的にそう感じた。

「こいつの心臓なかなかだったぜ。魔力も十分だ。いいもの拾ったな」

 そしてヒースの顔で、にやりとした嫌らしい笑みを浮かべていた。

「……て…け………俺の弟から出て行け!!」

 俺は怒り狂い、思いつく限りの浄化魔法や解離魔法を放つ。
 だが、一向にヒースが戻ってくる気配はない。
 化物は余裕の表情で窓に向かって歩き出し、ついに外に出ようと窓枠に足をかけた。
 そこで俺は重大なことに気づいた。
 十分な思考能力を持っていて人を殺せるほどに強く、人間に取り憑くようなそんな危険な魔物は聞いたことが無い。
 このまま外の世界へ解き放してしまったら、世界は大変なことになるのではないかと。
 俺はその化物に向かって、理性的に攻撃魔法を繰り出そうと構える。

「………お兄ちゃん、僕を殺すの?」

「……っ」

 不意に振り返ったヒースが悲しそうな顔でそう呟いた。

 いや、違う。
 これは悪魔の囁きだ。
 そう頭では分かっているはずなのに、身体が、心が無意識のうちに反応してしまい、ほんの一瞬だけ俺は動きを止めてしまった。

「ぐっ…………!!」

 その一瞬が徒となり、俺は奴の攻撃を受けてしまった。
 弾丸のようなものが俺の右肩に埋め込まれ、激痛が走る。

「ぎゃははっ。弟に殺されるなんてかわいそうになあ。あばよ、|お兄ちゃん(・・・・・)」

「待っ………!!」

 化物はそう醜く笑うと窓から飛び降りた。
 俺はすがるように奴に手を伸ばすがそれ以上身体を動かすことが出来なかった。

 両親は死んだ。
 弟は守れなかった。
 世界に凶悪な化物を野放しにしてしまった。
 俺は何も出来なかったのだ。

「…………っ」

 肩の傷はそこから広がるように痛みを増していき、俺はそのまま気を失った。






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