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第1章
37.従者の心(3)
しおりを挟む第二王子を殺す。
俺の頭にはその考えだけがひしめいていた。
今すぐにでもこの国にいる第二王子の元へ行き、その息の根を止めたいという衝動に駆られた。
しかし、かろうじて残っていた俺の冷静な部分はそれを止めた。
そんなことをしても何にもならないと。
ここで第二王子を殺害出来たとしても俺は反逆者の烙印を押され、追われる身になってしまう。
跡取りのいなくなったこの国には混乱が生まれ、更なる繁栄も平和を維持することも難しくなるだろう。
何より、俺自身が何も出来なくなってしまうのは大きな痛手だ。
だったら、合法的な手段を用いて第二王子を社会的に抹殺し、それから肉体的にも抹殺すれば良いだけの話だ。
俺の尊敬するディオン様を奪った第二王子には復讐を果たさなければ。
その後の陛下のお言葉は耳を通り過ぎるだけで俺には届いていなかった。
俺はそのまま王の執務室を後にすると休むことなく王室を飛び出し、ハーブュランタへと向かった。
まずは第二王子の代わりとなる者を、ウィリアム様を次期国王として国民に認めさせなくては。
そのためにはやはり最低でも“奇跡の乙女“を妻とすることが第一条件となってくる。
どうにかして二人の間に愛を築かせなくては。
夜通し移動し難なく国境を越え、ハーブュランタには昼前には着くことが出来ていた。
陛下のあの状態から見てもあまり時間は残されていない。
第二王子が国王となってしまったらエクソシス王国は滅亡するかもしれない。
いや、そんなことよりも第二王子を亡き者にするのがさらに難しくなる。
それは避けたい。
そんなことを考えながら歩いているとウィリアム様と泊まっていた宿の門の前までたどり着いていた。
門の中では大量の薬草を抱えたリュカが手を振っているのが見えた。
「こんにちは、リュカさん。薬作りですか?大変そうですね」
身についた社交辞令のスキルで笑顔を貼り付ける。
どんな状況でも相手に不快感を与えないように接していれば不利益になることはない。
そう思って常に笑顔でいることを心がけているが、それだからこそ俺の笑顔には何の価値もないだろうが。
リュカも社交辞令で知り合いがいたから挨拶をしただけなのか、頷きその場を離れようとした。
そこで俺はあることに気づいた。
リュカは計画を進める上で邪魔になる存在なのではないかと。
ウィリアム様とエルザの間の障害になっているものはエルザの意思の他に、恋人となっているリュカの存在だ。
リュカがいるせいでエルザはウィリアム様からの告白を断り続けてきたのだろう。
「不躾にすみません。実は私、リュカさんに折り入ってお願いがあるんです」
歩き出したリュカに付いて行きそう切り出した。
そして世間話でもするように人の良い笑顔で告げる。
「エルザさんから手を引いてください」
………。
沈黙が流れる。
リュカは俺の言葉を理解できていないようだった。
「言っていることが分かりませんか?エルザさんと別れてくださいと言っているんです」
表情を変えずにもう一度伝える。
それでもリュカは何も答えない。
戸惑ったように固まるだけで反応がない。
そんなリュカの態度に苛立ちを覚えた。
時間がないというのにこんなところでぐずぐずしてはいられないんだ。
気持ちを抑えきれずに俺はつい舌打ちをしてしまった。
ああ、これじゃあもう|良い人(・・・)のジェラールじゃいられなくなるな。
まあ、いいか。
そんなことを思いながら、乱暴に髪を掻き乱した。
取り繕った今の自分ではすることがなくなっていたが、これは昔から腹が立ったときにやってしまう癖だった。
そして、リュカの胸ぐらをつかんで壁に押さえつけた。
「あの子は絶対に必要だ!!お前がいるせいで破滅するかもしれない……お前なんかでは救うことなんて出来ないんだよ!!」
辺りに青々とした質の良さそうな薬草が散らばるがそんなことは気にしていられない。
エルザは必要なんだ。
国が第二王子に滅ぼされてしまうかもしれない。
リュカがいるせいで計画に支障をきたしている。
あの国を救う手段となり得るのはあの二人だけだ。
だからどんな手を使ってでも計画の邪魔となる物は排除しなくてはならない。
リュカを掴む手に自然と力がこもる。
“大丈夫。本当は僕とエルザは付き合っていないから。ウィルのこと応援しているよ”
するとリュカは俺の欲しい返答をして走り去っていった。
そうだ、それでいい。
しかし、目的を果たせたというのに俺は達成感など感じられなかった。
悲しみを隠すようにうっすらと笑みを浮かべて紙を手渡したリュカは、その走り去る横顔に涙を浮かべていた。
そんな表情を見てしまったからだ。
リュカは俺の脅しに怯えて答えたわけではない。
そうだったらどんなに良かったか。
考えた上で自分が身を引くことを選んだのだ。
リュカのその表情と行動は俺の心を揺さぶる。
「おい!!お前、あいつに何言ったんだ!あいつには関係ないだろう!!」
いつの間にかその場にはウィリアム様が現れ、俺に怒鳴っていた。
その声を俺はどこか遠いところから聞いているような感覚がした。
そして自分とは別の何かが言葉を紡ぎ出した。
「あなたがぐずぐずしてるからいけないんですよ!王はもう……」
そう言えば優しいこの王子はきっと仕方ないことだと思うだろう。
策略的な感情をもたない部分の自分が作り出した言葉。
思った通りウィリアム様は苦しそうな表情を浮かべた。
目的を達成するためには感情なんて無駄な物とは切り離して考えなければならないものだ。
と囁く声が聞こえる。
「……それでも俺は、誰かを傷つけるまでして手に入れた幸せなんて欲しくない!!」
力強い瞳で真っ正面から向き合って、怒りと悲しみがこもった叫びをぶつけられた。
この強い響きに衝撃を受けたように思考がクリアになり、現実に引き戻されはっとした。
……っ、俺は何をやってしまったんだろう。
こんなことディオン様を殺めた第二王子と同じじゃないか。
怒りによる力は判断力を狂わせるだけだ。
冷静になんて少しもなれていなかった。
ウィリアム様と近くで過ごしてきて、国中が言っているような人物像とはかけ離れた人であることが分かってきていた。
不器用だけれども他人のことを思いやって行動するような人。
決して努力は怠らない勤勉な人。
不覚にもディオン様と兄弟なのだなと思ってしまった。
………もう、認めなくてはならないな。
俺の全てはディオン様だった。
過去もこれからもそれは変わることのないものだと思っていた。
しかし、あの言葉を聞いてはっきりした。
今はウィリアム様に惹かれている自分がいる。
ディオン様には及ばないがこの人について行きたいという気持ちが芽生えていた。
それにリュカだって尊敬しうる人だ。
エルザのことを大切に考えているからこそそばで見守っていたのだろうに、自分の気持ちよりもためになることを優先できるのだ。
簡単に傷つけて良いはずなど無かった。
だが、それでも国を救うためにはエルザを連れ帰ることは必要である。
誰かの気持ちが犠牲になることは避けられない。
「ディオン様、俺は一体どうすれば良いのでしょうか………」
俺は思わずそんなことを口にしていた。
死者は沈黙を貫く。
その問いかけに答える者がいるはずがなかった。
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