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第一章

初めての感情

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二人の間に沈黙が流れると、夜風が髪をたなびかせる。
彼は騎士、だけどあれほどの知識があって……とても勿体な気がするわ。
そう改めて実感すると、私は無意識に口を開いていた。

「それほどまでに才能があるのに、あなたはどうして騎士を選んだの?」

ポロリと零れ落ちたその言葉に、私は慌てて口元に手を当てるが……今更取り消す事は出来ない。
人それぞれ事情がある、そうわかっているのに……。
何とも言えぬ気まずさに目を伏せる。
すると彼は徐に天を見上げたかと思うと、夜空の瞳に月が写り込んだ。

「私には兄のような研究に対しての情熱はありませんから」

乾いた声色に私はおもむろに顔を上げると、どこか寂し気に揺れる蒼い瞳を見つめる。

「……それは残念ね。あの、変な質問をしてしまってごめんなさい。でもあなたが決めた事ならそれが正解なのでしょう」

そう誤魔化す様に笑みを浮かべて見せると、彼は何か想いを馳せる様に遠くを見つめていた。
その刹那、強い風がバルコニーを吹き抜けると、クシュンとくしゃみが飛び出した。
恥ずかしさに私はサッと後ろを向き、顔を隠す。
すると彼はゴソゴソとサーコートは脱いだかと思うと、そっと私の肩へ掛けた。
どこか安心する優しい匂いがフワッと鼻孔を掠めると、なんとも言えぬ心地よさを感じた。

「あっ、いえ、ごめんなさい。大丈夫ですわ、あなたが風邪をひいてしまう」

私は慌てて肩にかかったジャケットを返そうとすると、彼はこちらへ顔を向けニッコリと笑みを浮かべてみせる。

「いえ、僕は大丈夫です。それよりも先ほどの言葉……。実をいうと、僕はやりたい事というものが、いまいちよくわからない。色々と思うところはあったはずなんだ。研究は好きだった、だけど僕はウィリアム兄さんが大事で……。兄はいつも研究の事ばかり考えていて、そんな兄の背を見て僕は成長したんだ。今回の発見はね、研究を手伝っていて、たまたま僕が見つけただけなんだ。本当に偶然だよ。見つけた時、兄は笑っていた。だけど瞳の奥は笑っていなかったんだ。笑みの中に憎しみとは言いすぎかもしれないけど、憎悪のようなが見えた。そんな兄の姿に研究をすることを止めた。怖くなったんだ。最初は僕の名で発表するとそう兄は言っていたんだけど、僕は騎士になるからと断った。さっき君が言った通り、あの本を書いたのは僕だ。兄の筆跡を真似てね。でもまさか気が付く人がいるとは思わなかった。君は本当に噂通りの令嬢のようだ」

彼は複雑な笑みを浮かべると、肩にかかるサーコートから手を離した。

「ふふっ、どんな噂か気になるわ。それよりも、あなたの書いた論文はとても素晴らしいものだった。ならあなたはやはり騎士になりたいという気持ちがあったのね?」

「騎士になりたかったわけじゃない。ただ兄に嫌われたくなかっただけ。研究員と騎士はかけ離れているだろう。父は騎士団の団長でやりやすいと考えたから選んだだけだよ。剣自体は父との日課練習に付き合っていたからね、そこそこの実力はついていたし、このままいけばスムーズに騎士団へ入団出来る。父も僕が騎士になると言えば喜んでくれた。だからもうそれでいいかなって……そんな妥協でこの剣を腰に差している」

彼は目を伏せると、騎士団の紋章が描かれた柄に触れた。
その表情はどこか寂しそうで、何とも言えない気持ちが胸の奥にこみ上げる。

「ケルヴィン様は……とても多才なのですわね。外野の私が偉そうなことは言えないけれど、あなたの人生はあなたのものだわ。だから悔いのない選択をするべきだと思うの。研究職や騎士になる以外にも選択枠はいっぱいある。もう一度自分自身を見つめてみるのもいいかもしれない。だってさっき研究の事を話しているあなたは、とても楽しそうだったわ。そして考えた結果が騎士であるのなら、きっとさっきのように笑えるんじゃないかしら」

何を偉そうにこんな事を話しているのか、自分でも少し驚いていた。
こういったパーティーでは余計な事は話さず、いつも人に合わせた会話のみ。
なのになぜかしら、彼の表情に彼の存在に……。
よくわからない気持ちに、吸い込まれそうな蒼い瞳を見つめていると、彼の顔が少しずつ近づいてくる。
そんな姿になぜか胸が小さく高鳴ると、先ほどよりも風が冷たく感じた。
吸い込まれそうなほどに美しい蒼い瞳、逸らせることなんて出来ない。

「お姉様~こんなところで何やっているの?」

突然バルコニーに響いたその声に振り返ると、そこにはシンシアが立っていた。
久しぶりに聞いた彼女の声に、私は慌てて後退りすると、よくわからない胸の高鳴りに戸惑いながら、シンシアの元へと向かう。

まだ胸がドキドキと波打っている、これは一体何なの?
感じた事のない感情に戸惑う中、シンシアの前へやってくると、彼女は肩にかかっていたサーコートを奪い取った。
それをケルヴィンへ投げつけると、私の腕を強く握りしめる。

「シンディッッ!?ケルヴィン様、ごめんなさいッッ」

妹の失礼極まりない態度に、慌てて顔を向けようとした刹那、強く腕が引っ張られると、会場内へと引き込まれる。
振りほどくことも出来ずどこかへ連れていかれると、視線の先に母と王妃様が何やら楽しそうに話していた。

「お母様、お姉様に話があるんじゃないの?呼んできてあげたわ」

「シンディッッ、どうして!?なっ、何もないのよ、シャーロット気にしないでね。あらどうしたの体が冷たいわ!?」

「えぇっ、あの……ごめんなさい、少し外の空気を吸っておりましたの」

母は慌てた様子で私の体に触れると、心配そうな表情を浮かべていた。
そんな母の様子に、大丈夫だと繰り返すと、横から王妃様が嬉しそうにマーティン王子の話を始める。
私は相槌を打ちながら笑みを浮かべるが、なぜか脳裏には先ほどの彼の姿が何度もチラついていた。
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