逃げて、追われて、捕まって

あみにあ

文字の大きさ
上 下
2 / 21
1巻

1-2

しおりを挟む
 翌日。登校すると、学園の敷地内へ入るやいなや、突き刺さるような視線を感じた。
 貴族が平民に求婚するという奇想天外な出来事は、うわさとなってあっという間に学園中に広まってしまったようだ。

(はぁ……私の平穏な学園生活しょっぱなからつまずきすぎよ……。これも全てあの男のせいだわ……)

 さくじつ突然、私の前に現れた男の姿が頭に浮かび、いらちが込み上げてくる。

(前世の私なら、今ごろ怒りくるっているわ……)

 いえ、違うわね……きっと大公爵の地位に喜んでいるか。
 だが今の私は平民、大公爵家なんて関わりたくない。

(とりあえず、落ち着かないと)

 そう自分に言い聞かせながら、私は周囲の視線から逃げるように、そそくさと廊下を進んだ。
 そうして騒がしい教室の扉を開ける。瞬間……シーンと静まり返り、生徒たちの視線が私に集中した。
 冷ややかな視線が痛い。
 居心地の悪い空気の中、私は脇目も振らずソフィアのそばに向かう。
 彼女はいつもと変わらず、楽しそうに笑いかけてくれた。

「おはよう。さすがサラねぇ~、早々からこんな面白い事件を起こすなんて、ふふふ」
「はぁ……起こしたくて起こしたんじゃないわ。不可抗力よ……。全く、面白がらないでよね」

 私は痛む頭を押さえて席へ着くと、深くため息をついた。

「あら~、良いじゃない。ねぇ、あの求婚受けちゃいなさいよ。あなたなら貴族になってもさまになるわ。平民がこんな形で貴族にって、物語みたいじゃない!」
「嫌よ! 私はね、貴族には絶対になりたくないの。平穏に学生生活を終えて、平民として王宮に就職して両親に楽をさせたいだけなんだから」

 私の言葉にソフィアは不満そうに顔をゆがめる。一方貴族たちは、さげすみの視線をこちらに向けコソコソと話し始めた。

「平民が調子にのりすぎですわ」
「何かしらあの態度、ブラッドリー様の求婚を無視するつもりなの?」
「それよりもどうしてあんないもっぽい平民に、ブラッドリー様は求婚なさったのかしら……」

 はっきりと聞こえてくる批判の声に反応することなく、私は授業の準備を始める。けれど突然、教室内が一層騒がしくなった。
 ほとんどの生徒が慌てた様子で立ち上がり、私のそばを離れる。
 何が起きているのだろうかと顔を向けてみると、その先にさくじつの彼がたたずんでいた。
 その姿に私は頬を引きつらせ、慌てて視線をらす。

「なんでまた……ッッ」
「おはよう、サラ。昨日は悪い、突然だと……驚くよな。だから返事はまだいい。でも本気なんだ。だから先に俺のことを知ってもらえないだろうか?」
(はぁ!? この男……何を言っているの? 昨日はっきりと断ったじゃない。平民だとしっかり伝えたわ。なのにどうして……)

 私は苦笑いを浮かべて真剣な赤い瞳を見つめ返すと、おもむろに立ち上がる。

「いえ……さくじつもお話しいたしましたが……私は平民でございます。貴族様と婚約はできないと思いますわ」
「そんなことはない。君はとても優秀だし、何より俺は君が良いんだ。それよりも俺の名前はブラッドリー、ブラッドと呼んでくれ」

 唐突な自己紹介に目が点になり、開いた口がふさがらない。

(この男、馬鹿じゃないの!? 平民が貴族を愛称で呼べるはずないでしょッッ)
「いえ……そんな……。それよりもブラッドリー様とはさくじつ初めてお会いしましたよね? なのにどうして私なのでしょうか? ご冗談であれば他で……」
「まさか冗談なんかじゃない! さっきも言っただろう、俺は本気だ。入学する以前に、俺は君に会ったことがあるんだ」
(会ったことがあるですって!? いやいや……ありえないでしょう)

 学園の試験を受けるまで私が貴族街へ行ったことはなかったし、彼も平民地区へは来られないはず。一体どこで会ったというのか!?
 彼の言葉に眉を寄せつつ、念のためその姿をじっくりと観察してみる。
 女性にモテそうな甘いフェイス……全く記憶にない。

(これはもしかして人違いじゃないかしら?)

 そう言おうと口を開きかけると、かぶせるように彼が話し始めた。

「少しでいい、俺の話を聞いてほしい。俺は大公爵家の――」

 勢いに押されて耳を傾ける私に、彼は自分のちや家族構成などを話し続ける。
 けれど、何を聞いても答えは変わらないだろう。
 とうふうの態度を崩さず突き刺さる周囲の視線に耐えているうちに、ようやく始業の合図が鳴る。
 教室に教師が姿を現し、彼はさっそうと立ち去った。

(はぁ……なんなのよ一体……)

 解放されたことに私はほっと胸をなでおろしたのだが、授業が終わるとまたブラッドリーが教室にやってきた。
 その姿に私は慌てて教室を出て、校庭に向かって走る。

(もう勘弁して……あの男は何をたくらんでいるのかしら)

 どう考えても平民である私が、貴族の役に立つ何かを持っているはずがない。
 なんだかよくわからないし、とりあえず今は彼を避けつつ様子を見ようと決めた。


 翌日、そのまた翌日と……ブラッドリーは毎日私のもとにやってくるようになった。
 無視していればすぐに来なくなるだろう、そう考えていたのに……なかなかあきらめない。
 どうすればいいのか頭を悩ませるものの、良い案は未だに一つも思いつかなかった。
「返事はいらない」、「俺を知ってほしい」、「好きなんだ」、「そばにいたいんだ」。
 そんな意味のない言葉ばかり。

(いやいや、そういう問題ではなく、身分の差があるでしょう!)

 私のほうからは、はっきりと口にできないが……高位の貴族である彼が理解していないはずもない。
 あまりのしつこさにソフィアに助けを求めたのに、彼女は楽しんでいるようで、全く役に立たなかった。
 いらちが日に日につのっていくだけで、あっという間に時が流れ、何も解決しないままに一週間が経過する。
 正直、心底うっとうしい。彼が何をたくらんでいるのかさっぱりわからないのも落ち着かなくて嫌だ。
 何があろうと、私は貴族になりたくない。

(もうあんな世界に戻るのは嫌。私は平穏に過ごしたいのよ)

 ……もし貴族になって、昔のように高慢で孤独な自分に戻ってしまったら……
 人をさげすむかつての私の姿が脳裏に描かれる。私はそれを必死に振り払った。

(それにしてもあの大公爵令息は変な男よね)

 貴族は通常、素直に自分の気持ちを表に出さない。
 だから彼の態度には絶対に何か裏がある。
 たとえば、平民も気にかける優しい貴族アピール?
 いえ、平民にアピールしても良いことなんて何もない。
 では、目的はなんなのか? あれだけしつこいのだ……きっと私の存在が、彼にとって何かしらの役に立つのだろう。
 それを見つけ出したいところだけれど、平民の私にできることは少ない。

(あぁ。考えれば考えるほど、頭が痛くなることばかりだわ)

 貴族というものは、愛だの恋だの、そんなくだらないことで動かないと、私は知っている。
 ドロドロした人間関係に巻き込まれたくないし、関わりたくない。

(お願いだから、平穏な学園生活を送らせてよ!)

 私は心の中でそう絶叫すると、わずらわしい現状に深く深く息を吐き出した。


 そうして翌日。私は今日もゆううつな思いのまま学園へ登校する。すると、教室の前で彼、ブラッドリーが待ち構えていた。
 その姿に私はギョッとするが、彼はさわやかな笑みを浮かべている。
 私は頬を引きつらせたものの、無理やり自分も笑みを作ってみせた。

「おはよう、サラ」
「……ッッ……おはようございます……」

 いつもと同じ元気な彼の声に、内心、深いため息が漏れる。私はボソボソとあいさつを返し教室に入った。

(こうも毎日来られると気が滅入めいるわ。何度もそれとなく迷惑だと言っているのに伝わらない。だけどはっきり拒絶するなんてできないし……)

 そろそろなんらかの手を打たないと、厄介やっかいなことになりそうだ。
 同じクラスの令嬢たちの視線が日に日にとげびていっている。
 私は言葉だけではなく態度で示そうと強い決意を固めた。
 さすがにあいさつは返すが……視線を合わせることなく、隣で話し続ける彼に無視を決め込む。

(ここまですればさすがにね。何が狙いなのか知らないけれど、さっさとあきらめてほしい。くだらない貴族の争いに巻き込まれるなんて、まっぴらごめんよ)

 怒られるのを覚悟してはいるものの、貴族に逆らう恐怖で胃がキリキリと痛み始めた。
 ところが、私の失礼な態度に気を悪くすることなく、彼はいつものさわやかな笑みを崩さない。
 唖然あぜんとした私は小さく唇を噛み、彼からのがれるように視線を下ろした。

(……ッッ、どうしてこの男は怒らないの? 平民がこんな無礼な態度をとっているのよ?)

 さっさと怒って私から離れていってもらわないと困るのに!

(あぁ、もうどうしてそんなに笑っていられるの?)

 そういえば、風のうわさで聞くブラッドリーの評判は良いものばかり。
 謙虚で真っすぐな性格なのだとか。

(いいえ、きっとそれは表の顔よ)

 大公爵家の人間ともなれば、綺麗ごとばかりではいかないはずだ。

(……まぁでも前世の私とは大違いね。私は評判すら悪かったもの)

 彼は真面目で成績が良く、騎士を目指しているだけあって武術にも相当けているらしい。
 剣一筋で、未だ婚約者も作っていない。
 そんな家柄、性格、将来性そろった、貴族令嬢にとっての優良物件を、平民に横取りされたと思われているのだ。恨まれるのは当然だった。
 それは困る。
 このまま彼に付きまとわれれば、嫌がらせはもちろん、気がつかないうちに誰かにおとしいれられて、学園にいられなくなる可能性もある。
 平民の私にとって、令嬢たちの恨みを買うことはとても恐ろしい。
 王妃だった自分が裏で手を回し無慈悲に邪魔な者を排除し続けていたので、彼女たちがどんな手段でも使うことがわかるのだ。
 だからこそ、早々にこんなわずらわしい事態から解放されたかった。


 罪悪感にさいなまれながらも無視を繰り返すこと数週間……それでもブラッドリーはあきらめてくれなかった。
 根負けしたのは私のほうで、次第に彼が近づいてくるのに気がつくと教室から出る戦法に切り替える。
 そんなある日。今日も彼を避け、私はコッソリと裏庭にやってきていた。
 ここは生徒が少なく、のんびりとくつろげる。

(前世の私もよくここに息抜きに来ていたわ)

 上辺だけの笑みでり寄る取りまきたち、それに加え私を恨む憎悪の視線。そんな人たちに囲まれた学園生活は苦痛くつうだった。
 精神的疲労が限界に来ないよう、一人になる場所が必要だったのだ。
 さげすみに、ちょうしょう、泣いて許しをう人をそのまま踏みつける自分。

(学園生活で楽しかった思い出など一つもなかったわね)

 一人、時計台を見上げて物思いにふけっていると、ブラッドリーが私のそばへ駆け寄ってくる姿が横目に映った。
 どうやって私を見つけたのだろうか。彼の姿に抑え込んでいたいらちがあふれ出す。私はこちらへ手を振るブラッドリーを強くにらみつけた。

「あぁもう、しつこいわね!! これだけはっきり言って、態度で示してもわからないの? あなたとは婚約しないわ! 私はね、貴族になりたくないの! あなたを知っても、婚約することは絶対ない!! さっさとあきらめてちょうだい!!」

 そう強く言い放つと、彼は目を見開き固まった。
 ここまで言えば、さすがにあきらめるでしょう。

(後が怖いけれど、最初からこうすれば良かったわ)

 動かなくなった彼に、私は肩で息をする。しばらくして、視線をらすと、なぜかクスクスという笑い声が耳に届いた。

「嫌だ、俺はあきらめない。それよりようやく俺を見てくれたな。サラの気持ちはよくわかったが……俺はどうしても君が良いんだ。だから……」
「はぁ!? これだけはっきり拒絶しても伝わらないの? 迷惑だと言っているのよ!! あなたがそばにいると、ご令嬢たちの視線が日に日に鋭くなっていく! 何度も言わせないで、私は平民で、あなたは貴族。立場が全く違うのよ!!」

 感情のまま叫んだのに、ブラッドリーは満面の笑みを浮かべている。

(何この人……っっ怖いわ。どうしてこの状況で笑っていられるのよ? 馬鹿にしているの? それに、これだけはっきり言っても伝わっていないのかしら?)
「落ち着いてくれ。おっ、そろそろ始業のチャイムが鳴るな。一緒に戻ろう」

 肩で息をする私の手を彼は優しく取ると、教室にいざなった。
 普通平民ごときに罵倒ばとうされれば、笑っていられるはずがない。

(なのにどうして……? 心が鉄でできている、とか?)

 ブラッドリーをあきらめさせる手段が見つからず絶望する一方で、彼の手から伝わる温もりに、心がジワリと温かくなっていくのを感じたのだった。


 それからもブラッドリーは何事もなかったように、相変わらず毎日教室にやってきた。
 私は無視をやめ、彼の言葉にはっきりと言い返すようになっていく。
 他の貴族の目がある時はさすがに控えているものの、人通りの少ない場所へ逃げる私を彼はすぐに追いかけてくる。そこで周りの目を気にすることなく、強く言い返すのだ。
 そんな私に彼はいつも優しい笑みを浮かべる。
 言い返すこともなければ、怒る気配もない。
 それがいけなかったのか、私がコソコソとブラッドリーと密会しているといううわさが立ち、立場がますます厳しくなっていった。
 生徒が少ないところを選んでいるとはいえ、学園の中だ。私たちの姿は誰かに目撃され、それが誇張されたのだろう。
 うわさが流れしばらくしたある日。
 放課後、教室から飛び出そうとした私は、同じクラスの貴族令嬢から呼び出しを受ける。
 数人の令嬢に囲まれ、人気ひとけのない場所まで連れていかれた。足を止めたところで、大きな木の幹へ強く突き飛ばされる。

「くぅ……ッッ」

 鈍い痛みに顔をしかめて視線を上げると、いかにもご令嬢という様子の気の強そうな女が、私をさげすむように見下ろしていた。

「あなた平民のくせに生意気ですわ。ブラッドリー様とコソコソ何をやっているのかしら。私たちのいないところで彼に言い寄るなんて何様なの?」

 怒りを含んだその声に、私は大きく息を吐き出し真っすぐ彼女を見つめ返す。

(この程度の脅しで私と張り合おうというの?)

 前世では誰もこんな子供の遊びみたいな脅しはしなかった。

(ふふっ、貴族は皆、もっと殺伐としていたわよ)
「お言葉ですが……私は言い寄ってなどおりませんし、正直迷惑しております。文句があるようでしたら、ブラッドリー様に言うべきではないでしょうか?」
「はぁっ!? なんなのよ、その生意気な態度は!!」

 貴族令嬢は声を荒らげ、せんを思いっきり振り上げた。
 その姿に過去の自分がよみがえる。
 私は一歩足を踏み出し、静かに口を開いた。

「そのせんを振り下ろすということは、私の敵になるということですわね。……あなたにその覚悟はあるのかしら?」

 低く冷めた声でそう言い放つと、女は腕を振り上げたまま固まる。

「なっ、なんなのよ。あなたは……へっ、平民でしょ……? 私は貴族よ……ッッ」

 そして、おびえた様子でかすかに目を泳がせた。私はスッと目を細めて姿勢を正し、彼女を鋭くにらみつける。

「ええ、平民よ。でも……私の敵になるのなら、全力で戦うわ。平民だろうが貴族だろうが容赦はしない。あらゆる手を使ってあなたを破滅させてあげる。もう一度問うわ、あなたにその覚悟はあるのかしら?」

 そう言って笑うと、彼女はジリジリと後退していった。
 つられるように周りの令嬢たちも逃げ始める。彼女は結局、悔しげに顔をゆがませて私の目の前から消えた。

(ふん、小者ね。あの程度で引き下がるなら、私の敵ではないわ)

 まぁちょっと大きく出てしまったが……
 それにしても真っ向から挑んでくるなんて雑魚ざこ雑魚ざこ。本当の悪者は、自らの手を汚さない。それにわざわざ脅したりしないわ。邪魔だと思えば、すぐに排除するのが一番早くて確か。

(まぁなんにせよ、私の相手ではないわね。平民に負けたなんて、プライドの高い彼女たちが口にできるわけがないでしょうし)

 もっとも、今回は小者が出てきただけだったが、次はどんな令嬢が敵になるのかわからない。
 令嬢たちの怒りを買わぬよう、早々にブラッドリーをなんとかする方法を考えないと。
 私はきびすを返し、一人平民地区へ続く門に向かったのだった。


 翌日。いつものように登校すると、私の机の中にゴミがギチギチに詰められていた。

(またこんな古典的な嫌がらせを。暇なのねぇ。私に負けたのが悔しかったのかしら?)

 でも、こんなくだらないことをするくらいだから、私の見立ては間違っていなかった。
 彼女たちはやっぱり小者、私を排除する度胸もなければ気概もないのだろう。
 私はクスッと小さく笑いながら机の中を片づける。そして、何事もなかったかのように椅子に腰かけた。
 登校してきたソフィアと他愛のない話を始めてしばらく、いつも通り、ブラッドリーがやってくる。
 私は彼を強くにらみつけてから顔をそむけるが、彼は楽しそうに笑った。
 その姿になぜか胸の奥が温かくなる。……けれど私は、その想いを振り払い、固く口を閉ざした。
 そんな態度が気に食わなかったのか、令嬢たちの嫌がらせはさらにエスカレートしていく。
 ゴミが生ゴミに変わり、机には阿婆擦あばずれと書かれた紙が貼られた。根も葉もない下品なうわさが女子生徒の間に広がりもしている。
 わざとらしくすれ違いざまにぶつかられ足を引っかけられたり、侮辱ぶじょくされたりの毎日。

(でもね……私は大事なものは全て持ち歩いているの。だから全くダメージなんてないわ)

 ただ、友人のソフィアに迷惑がかからないよう、彼女に説明し、距離を取ろうと心がけていた。
 彼女には、どうして嫌がらせをブラッドリーに言いつけないのかと尋ねられたが……私は彼とこれ以上関わりを持ちたくない。
 それに彼に借りを作るのが嫌。
 だからいつも、彼が来る前に嫌がらせの痕跡を消す。

(この程度の悪戯いたずら、相手にする必要ないわ、時間の無駄よ。放っておけば、いつか飽きるでしょう)

 変にブラッドリーに訴えて、彼の実家である大公爵家に出てこられると困る。
 貴族は貴族の味方。私にとって良い結果になると思えない。
 こんな嫌がらせをする程度の小者、何もしないのが正解のはずよ。
 まぁ昔の私だったらすぐに従者を使って主犯を特定し、逆らう気が起きないほど痛めつけるでしょうけど……
 むしろ昔の私は従者を使って色々とやっていたわ。
 こんな甘っちょろいものじゃなくて、相手について調べ上げ、一番嫌がる方法を考え出すの。そんなことばかりしていたから、恨みを買いまくっていたけれどね。
 あいにく平民の私にそんな従者はいない。
 私は、【死ね】と書かれた紙をグシャグシャに丸めると、ブラッドリーが来る前にゴミ箱に放り投げた。
 その後も嫌がらせは飽きることなく続き、天井知らずにひどくなっていく。

(よくまぁ飽きないわね)

 あきれつつ、数週間が過ぎたある日。机の中にガラスの破片が入れられていた。
 気がつかず机の中へ手を伸ばしたため、鈍い痛みが走る。指先が真っ赤に染まり、ポタポタと血が流れ落ちていく。

(まずいわ……)

 私はすぐにハンカチを取り出し、逃げるように教室から出た。
 そのまま医務室へ向かうと、そこには誰の姿も見当たらない。
 ハンカチが真っ赤に染まり、チリチリとした痛みが強くなる。結構深く切っているため、先生が戻るのを待っている暇はない。
 幸い、薬の知識は前世の記憶にある。
 私はすぐさま薬品棚へ目を向け、傷薬を探し出した。
 そうして一通り治療を終わらせたころには、すでに授業が始まっている。

(今さら戻るのもあれね。このまま休んでいきましょう)

 私はそのまま医務室にあるベッドへ沈むと、ゆっくりとまぶたを下ろした。


 ――意識が闇の中へ沈んでいき、周りの音が消えていく。
 その暗闇の中にたたずむ私の耳に、ふと貴族だったころの自分のみにくい高笑いが響いた。
 声のするほうを振り返ると、そこにはよく知るの姿がある。
 真っ赤なドレスを身にまとい、せんを口に当てた冷たい瞳の自分。
 いつくばる人間をあわれみもせず、助けを求める泣き声を高笑いでかき消していく。
 その悪役さながらの姿に周囲はおびえ、距離を取っていた。
 私の周りに残ったのは、へつらう貴族たちだけ。彼らの笑みが暗闇に浮かび上がる。
 私はなぜ、あんなことをしていたのか。
 どうしてそれほどまで王妃になど、なりたかったのだろうか。
 誰も信用せず、他人を利用し、必死にがる自分は、改めて見るとこっけいだ。
 その上、そこまでして手に入れた頂点では、何も得られなかった。
 つらくて苦しくて悲しくて、そんな気持ちしか思い出せない――
 闇で彷徨さまよう意識に、ふとまぶしい光が差し込む。そこに入学式で声をかけてきたあの男子生徒の姿が浮かび上がった。
 その瞬間、私はハッと目を覚ます。慌てて体を起こした。

(今のは何? どうして彼が……?)

 いえ、今はそんなこと、どうでもいいわ。結構頭がすっきりとしているから、相当深く眠っていたのよね。
 時計を探して顔を上げると、時刻はすでに昼前だ。
 私は飛び起きて急ぎ教室に向かう。

(まずいわね。大事なカバンを教室に置いたままだわ)

 お昼休憩の合図が耳に届く中、私は焦って教室へ入り、自分の席に目を向けた。
 案の定、机にかけてあったカバンがなくなっている。

(やられた!)

 あのカバンは父から入学祝いにもらった大切なものだ。
 あれだけは被害が出ないようにと、いつも持ち歩いていたのにっ。血を見て気が動転してしまった。


しおりを挟む
感想 122

あなたにおすすめの小説

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?

朱音ゆうひ
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!  「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」 王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。 不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。 もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた? 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)

ここは私の邸です。そろそろ出て行ってくれます?

藍川みいな
恋愛
「マリッサ、すまないが婚約は破棄させてもらう。俺は、運命の人を見つけたんだ!」 9年間婚約していた、デリオル様に婚約を破棄されました。運命の人とは、私の義妹のロクサーヌのようです。 そもそもデリオル様に好意を持っていないので、婚約破棄はかまいませんが、あなたには莫大な慰謝料を請求させていただきますし、借金の全額返済もしていただきます。それに、あなたが選んだロクサーヌは、令嬢ではありません。 幼い頃に両親を亡くした私は、8歳で侯爵になった。この国では、爵位を継いだ者には18歳まで後見人が必要で、ロクサーヌの父で私の叔父ドナルドが後見人として侯爵代理になった。 叔父は私を冷遇し、自分が侯爵のように振る舞って来ましたが、もうすぐ私は18歳。全てを返していただきます! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。