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短編
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辺り一面が真っ赤な炎に染まっていく。
熱風が渦巻き、黒煙が舞い上がる中、息苦しさに私はその場で蹲った。
動く事も出来ず、皮膚が炎に触れると、痛みと熱さに意識が次第に遠のいていく。
嫌、嫌よ。
誰か、誰か助けて!
後少しで完成だったのに。
どうして……どうしてッッ。
口を開けると熱風が喉を焼き、異臭が鼻を刺激した。
いやっ、死にたくない!!!
「なら私の変わりになってくれないかしら?」
突然響いた声に顔を上げると、そこは煙も炎も綺麗さっぱり消え、何もない無の世界。
先ほどまで確かに感じていた熱さ痛みそれに息苦しさもなくなっている。
「あれ、熱くない……炎は……?私はどうして……?死んだ……の?」
「そんな事どうでもいいのよ。はぁ~もう疲れちゃった。どれだけやっても愛する人に殺される人生。そんな人生ならもういらない。あなたにあげるわ」
キョロキョロと辺りを見渡してみるも、声は聞こえてくるが……姿はどこにもない。
「えっ!?ちょっと待って、どういう事?突然何なの?どうなっているの?」
「うるさいわね!あなたが生きたいと望んだんでしょ。だからこうして私があなたの前に現れてあげたのよ、感謝しなさい。私はね、特別な人間なの」
意味の分からない言葉に首を傾げる中、視線の先に薄っすらと人影が映し出された。
深い霧がかかっているかのように、その人影は次第に大きくなると、私の目の前で立ち止まる。
緩いウェーブのかかったブロンドの髪に、切れ長の目に真っ赤な唇。
スラリとした体形に、マーメイドドレスを身に着けた女性が、私を見下ろしながらに、妖麗な笑みを浮かべていた。
「ごきげんよう。あなたは私になるのよ。だから特別に私の記憶をみせてあげるわ」
彼女はニッコリと笑みを深めると、私の額へ自分の額を合わせる。
すると見たこともない風景が目の前に広がっていくと、私は意識は吸い込まれるようにその中へと溶け込んでいった。
(私は公爵家のクレア、ふふっ、御存じでしょう?)
(クレア様……どうか、どうかお許し下さい)
(そんな言葉だけで許されると思っているの?死をもって償いなさい)
(私は特別な人間なの、欲しい物は何でも手にいれるわ~)
(お嬢様ですが……それは野獣が蔓延る危険な森を通り抜けなければいけませんが……)
(何よ、私の為に犠牲になることを誇りに思いなさい)
(全く使えないメイドね、もういらないわ)
(お嬢様どうかお許しください。ご慈悲を……次こそは必ず……ッッ)
(うるさいわね、次なんてないわ。出来損ないのが私の前に立つんじゃないわよ。あなたの家族もろとも王都から追放してあげる)
ひどい罵倒が彼女となった私の口から次々と飛び出すと、周りの人間たちが一人、また一人と消えていく。
そうして独りになった私は血を流しながらに、その場に崩れおちた。
憎悪と悲しみが胸から込み上げる中、背中にひどい痛みを感じる。
視界に色がなくなり意識が遠のいていく中、ガタッと背後から人の気配を感じた。
後ろを振り返ろうとしてみるも、血を流しすぎている為か……体に力が入らない。
誰かに刺された?
まぁ……さっきの姿を見る限り、あれほど傲慢な態度をとっていれば、憎まれるのも仕方がない。
立ち振る舞いはまるで物語に登場する悪役みたいだもの。
混沌とする中、またどこからか甲高い声が響いた。
「これが私の軌跡よ。あなたも気高い私に恥じぬようしっかり生きなさい。……私が殺されるのは18歳の誕生祭。愛する人に刺されて死ぬわ。私はね、その人生を何度も繰り返してきたの。だって特別な人間だから。でもどう抗っても結果は変わらなかった。彼を止めようとしても、別の人を愛そうとしても出来ないの。彼に出会えば、どうやっても惹かれてしまう。そして同じ場所、同じ時、同じように殺される。まるでそれが定めかのように……。そしてそれが永遠に繰り返される世界」
震えた声が耳に残る中、目の前の風景が渦を巻くように消えていくと、世界が白に包まれた。
そうして次に目覚めると……私はクレアと名乗っていた悪役の姿になっていた。
・
・
・
とある街外れの森の中、ボロボロの小さな小屋がポツンと佇んでいる。
そこに一人の女性が大きな寸胴鍋に火をかけ、エンマ棒でせっせとかき混ぜていた。
う~ん、とろみがちょっと足りないわね。
もう少しこっちの薬草加えてみましょう。
私はすりつぶした薬草を一握り掴むと、寸胴の中へと放り込む。
するとグッとエンマ棒が重くなると、私は慌ててかき混ぜはじめた。
あっ……まずいわ、入れすぎたかしら……。
グツグツと煮えたぎる液体を覗き込んでみると、かき混ぜた後が残るほどに固まり始めていた。
はぁ……また失敗ね。
もう一度、薬草を集めてこないと……。
赤く燃える薪へ砂をかけ入口を石で閉じると、ゼリー状に固まった液体を見て、ガックリと肩を落とした。
後もう少しで、新しい薬が完成しそうなんだけれど……。
何が足りていないのかしら。
徐に空を見上げると、木々の間からサンサンとした太陽の光が差し込んでくる。
緑溢れる新鮮な空気を吸い込み、眩しさに目が眩む中、その向こう側に、懐かしいクレアになる前の過去の私の姿が浮かび上がった。
私はクレアになる前、別の世界で医療の研究者として働いていた。
しかしとある事故で命を落としたはずだったのだが……私は私に出会った。
死にたくない、そう強く望んだ私に、彼女はこの体を与えてくれた。
私の運命は18歳の誕生日に、愛する人に殺される。
そう彼女が話していた。
なぜ殺されるのか、それはわからない。
そんな私は17歳、死ぬまで後一年……今は恋人どころか、愛する人すらいない。
そうなるように行動したのだから、当然だけれども。
だけど後一年……18歳になれば、やはり愛する人に殺されてしまうのだろうか。
私がこの体で目覚めたのは……5歳の時だった。
彼女の体は木から滑り落ち、頭を打って気絶していたのだ。
ベッドの上で意識を取り戻したときは、ひどい頭痛と混乱で、目を開けられなかったのを良く覚えている。
そんな私の手をずっと強く握りしめていた少年が居た。
彼は泣きはらした目で私をじっと見つめると、ウルウルと涙を浮かべながらに私へとしがみ付いた。
「ごめん、ごめん、僕が手を離したから……ごめんなさい」
「うぅん……あなたは誰?」
目の前の少年は少女のような可愛らしい顔立ちにクリクリと青い瞳、クルクルとカールしたアクアブルーの髪。
愛らしい少年に目を奪われる中、茫然としていると、彼はさらに大きな声で泣き始めた。
その声に執事やメイド、そして夫婦が部屋に飛び込んでくると、皆美しい顔立ちに鮮やかな瞳を持っている。
そんな彼らの姿に、私が暮らしていた世界とは違う世界なのだと、すぐに気が付いた。
頭を打った衝撃で記憶喪失になってしまったと診断されると、私は両親そしてメイドや執事、幼馴染の少年を認識するところから始まった。
そして復活した私は、今までとは違う、異世界の知識を身に付ける事から始めた。
新たな人生を、生きようと必死になった。
この体に入って暫くすると、私が彼女が言っていた特別の意味を理解した。
彼女は見た物、起こった事を全て記憶する、そんな能力が備わっていた。
それに身体能力も備わり、彼女の体は、同じ年の子供に出来ぬあらゆることが出来たのだ。
こんな能力があれば、自分は特別だと思うのも仕方がない。
それから私はこの力を使って、ありとあらゆる分野の教養を学んだ。
学問はもちろん、マナーやダンス、そして剣術。
先生も驚くほどの速さで上達していく私に、皆とても驚いていたことを覚えているわ。
そうやって生活をしていく中、彼女がどうしてあんな悪役な令嬢に成長してしまったのかわかってきた。
自分が他者よりも優れている能力だけで、あそこまで傲慢になるはずがない。
悪役令嬢を作り出したのは、紛れもなく彼女の両親のせいだ。
次々と知識を身に着ける私に両親はそれがまるで自分の力だと言わんばかりに、貴族社会で利用していく。
その事をまだ知らなかった私は、医療に薬草の知識、そして前世の記憶を利用して、10歳になる前に薬剤師の資格を手に入れた。
本当は医者になりたかったのだけれども、医者になるには18歳以上でなければ資格を手に入れる事は出来ない。
18歳に医者の資格をもらっても、生きているかわからないものね。
そうして12歳、初の社交界デビューの場。
そこで両親が私の能力をひけらかす様に自慢を始めた。
周囲が私へこびへつらい、擦り寄ってくる社交場は、正直気持ちの悪いものだった。
上辺だけの笑み、私の顔色を窺う令息や令嬢。
公爵家の令嬢だからにしては皆媚びすぎていると思ったが……本当の理由にまだこの時には気が付いていなかった。
そうして頭角を現していく様子に、両親は私に薬を作らせ始めると……明らかに両親の金遣いが荒くなっていった。
そんなある日、私の元に一人のメイドがやってきた。
私に薬を作ってほしいと。
そこで初めて父と母が私を利用して金儲けをしている事を知った。
私の作る薬はこの世界では万能薬レベルにすごい物だったらしい。
薬自体は簡単に作れる物だ。
特別な物は一切使用していない。
それを私に薬を作らせ、両親はぼったくりレベルの高値で売りさばいてたのだ。
だけど金を出せない者には、縋られようが、切り捨てていらようで……。
メイドは切り捨てられたその一人だった。
だけど彼女の母の容体が日に日に悪くなり、どうにかして薬をもらえないかと私に接触してきたようだ。
生まれ変わる前、私は世界中の人々が助かるようにと、薬の開発を進めていた。
お金持ち、貧乏人、そんなの関係ない。
私の薬で人が助かるのならば、お金がないとの理由だけで、売らないのは私の理に反する。
一度この事を両親に伝えてみたが、口を出すなとバッサリ切り捨てられた。
確かにここまで学を身に付けられたのは、家のおかげだ。
でももう十分に稼がしてあげたでしょう。
これからどうするべきかと悩んでいると、ふとあの言葉が頭の中に浮かび上がった。
(18歳の生誕祭の日、愛する人に殺される)
18歳……私は本当に死ぬだろうか。
新しい生を18歳という若さで終わらせたくない。
彼女はその誰かに会えば、必ず惹かれてしまうとそう話していた。
誰にかはわからないが、予想するに令息なのだろう。
ならその男に会わないようにすればいいのかもしれない。
貴族社会から離れひっそり暮らせば、きっと会うことはないだろう。
日に日に金遣いが荒くなる両親に不満が高まっていく中、ある日薬を作らせるだけではなく、婚約者を作れと命令してきた。
そこで私の堪忍の緒が切れた。
早急にこの家から逃げようと……。
婚約者なんて死亡フラグでしかない。
それに家を出れば、社交界に出る必要もなくなる。
只の令嬢なら家を出るなんて許されないだろう。
ましてや私は公爵家の令嬢だ。
けれども私は早々に家を出る準備を整えると、屋敷から出て行くと両親にはっきり告げた。
反対すれば、もう薬は作らない。
すでに前金をもらって薬の注文を受けていることは調べがついていたからね。
もちろん両親は簡単に納得はしてくれない。
猛反対される中、私はある妥協案を提示した。
薬を定期的に屋敷へ卸す代わりに、私の生活に一切干渉しない事。
両親に販売する薬はどこにも販売しない。
社交場にも出ない、そして婚約者も作らない。
だが私を野放しには出来ないとの言い分に、監視役を一人つける事。
この条件を了承し、私は家を出て行った。
そして私は貴族から離れ、平民の街で数年暮らし、家に卸していない新しい薬を売って稼いだお金で、森の奥へと家を建てたの。
平民地区に居れば、バカな金持ちが私の力目当てに集まってくるから。
それから数年、出来る限り人に会わず、ひっそりと暮らす森の生活は快適だった。
今の生き方を彼女が見えば、きっと怒るでしょうね。
気高いとは言えないだろうし……。
そんなある日、薬草を探す為、森の中を歩いていると、ガサガサと後方から音が響く。
私は腰から短剣を取り出しながら恐る恐るに振り返ると、草むらが激しく揺れていた。
何かいる……獣かしら……。
獣なら今日の晩御飯はステーキに決定ね。
短剣を構えながらにじっと揺れる草を見据えていると、薄っすらと人影は浮かび上がる。
その姿にガクリと肩を落とすと、私はそっと隠れるように身を顰めた。
息を殺し様子を覗っていると、ドサッと大きな音と共に影が地面へと倒れていく。
恐る恐るに茂みから顔を出すと、そこには泥だらけになった青年が倒れていた。
私は慎重に倒れた青年の傍へ寄ると、彼の頬へと手を伸ばす。
頬は冷たく大分冷えており、息はあるが……どうやら意識を失っているようだ。
草むらをかき分け青年の体を確認してみると、ところどころ枝に引っかけたのだろう服は破け、擦り傷はあるが、目立った怪我はないようだ。
体を仰向けに転がせ頬をペチペチと叩いてみるが、目覚める気配はなかった。
困ったわぁ、どうしようかしら……。
いやでも……このまま置いておくわけにはいかないわよね……。
もうすぐ日が暮れる、今でも肌寒いのだ……夜になればさらに気温は下がるだろう。
このまま見殺しには出来ないわ……。
はぁ……家までそんなに距離はないし……引っ張っていきましょうか……。
私は袖をまくり上げると、気合を入れながら脇へ腕を入れると、そのまま青年の上半身を持ち上げてみる。
くっ、おっ、重い……ッッ。
これ以上は無理ね……彼には悪いけど、このまま引きずらせてもらいましょう。
私は男を引きずりながらに道中何度も休憩をはさみ。家についた頃には日が暮れていた。
そうして家へ戻ってくると、ボロボロになった男の服を脱がせ自分のベッドへと運んでいく。
あぁ疲れたぁ……明日は絶対に筋肉痛だわ……。
横たわる彼の体は適度に鍛えられ、顔や手、足についた泥を湿らせた布でふき取ってみると、端正な顔立ちが露になった。
綺麗な青年ね……さぞかし女性にモテるでしょうね。
あら、手のひらには剣ダコある。
腰に差している剣を見る限り、貴族の紋章が入っている。
見たことのない紋章ね、どこかの貴族かしら……。
まぁ……どうでもいいわ。
彼を見ても私の心は動いていない。
きっと彼は彼女が話していた彼ではないのだろう。
それよりも彼……あまり寝ていないよね。
目の下のクマがすごい、それに顔色があまりよくないわ。
確か部屋に精油が残っていたはず。
よく眠れるように置いておきましょう。
私はそそくさと立ち上がると、カーテンを閉め、そっと部屋を後にした。
翌日、私はソファーから体を起こすと、彼の様子を覗いにいく。
軽くノックをそっと扉を開けてみると、彼は服を整えベッドの上で座っていた。
「おはよう、朝食食べる?」
「おはようございます」
そう声をかけてみると、彼は見惚れるほど美しい笑みを浮かべて頷いた。
リビングに朝食を並べ向かい合わせに座る中、私は湯気が立つスープを堪能する。
彼は無言のまま洗練された所作でフォークを手に取ると、トントントンとのノックの音が部屋に響いた。
「なっ、なっ、なんで!?ちょっ、何をしているんですか!?どっ、どうして男が!?」
「あら、おはよう、ヘンリー。そういえば……まだ名前を聞いていなかったわね。あなたの名前は?」
「ウォルトと申します」
「ふふっ、私はクレア。ウォルト体調はどう?」
「あなたのおかげで大分良くなりました。ありがとうございます」
彼は丁寧にお辞儀を見せると、私はニッコリと笑ってみせる。
「いいのよ、気にしないで」
するとヘンリーが慌てた様子で私の腕を強く引き寄せた。
「クレア、どういう事ですか!?どうしてここに男がいるのですか?」
「どうしたのそんな顔して。森で倒れているのを見つけたから連れてきただけよ」
「クレア、あなたは本当に危機感が足りなさすぎます!!男ですよ!?何かあったらどうするんですか!」
「何かって?ふふっ、ちゃんと彼が持っていた武器は全て預かっているわ。それに……まぁいいじゃない。彼悪い人ではなさそうよ」
なだめる様に彼へ笑みを浮かべると、ヘンリーは呆れた様子で大きく息を吐き出した。
「そういう事ではなくて……ッッ」
ヘンリーは眉間に皺を寄せながらにウォルトへ視線を向けると、何かに気が付いた様子で大きく目を見開いた。
「……もしかして」
そうポツリと呟くと、ヘンリーは慌てた様子で彼の元へ駆け寄っていく。
「失礼ですが……まさか……あなたは……」
「あら、ヘンリー彼と知り合いなの?」
ヘンリーの背に隠れウォルトの表情は見えない。
覗くように背伸びをしてみると、ウォルトは爽やかな笑みを浮かべ、なぜか首を横へ振った。
「あっ、……いえ、気のせいだったようです。初めましてウォ……ウォルトさん。僕はクレアの友達で、ヘンリーと申します」
あの反応……怪しい。
でも言わないと言う事は、言えば面倒な事になるのかもしれない。
なら関わらない方が正解よね。
元気になったのだから、彼もすぐに出て行くだろうし……。
私は二人の姿を眺めると、静かに家を後にした。
庭へ出ると、さっそく薬草を集め、寸胴へと投げ入れていく。
今日こそ成功させたいわ。
「何か手伝おうか?」
「あら、ありがとう。ならこの寸胴へ水を入れてくれないかしら?」
私はバケツを手渡すと、水汲み場を指さした。
彼はわかったよ、と優し気な笑みを浮かべると、水を汲みに歩いていった。
そうして彼が戻ってくると、私は木の実をナイフで切り刻んでいた。
バケツ一杯の水を寸胴へ流し込むと、彼は私へと顔を向けた。
「君は何も聞かないの?」
「えっ、あ~、そうね。聞いてほしいのかしら?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ私みたいに怪しい男を、どうして何も聞かずに世話をしてくれるのか気になったんだ」
面倒事は嫌いだから……とは言えないわよね。
「そうねぇ……。あなたは私に会いに来たのでしょ?だからわざわざこちらから訊ねなくても、話してくれるかなぁと思って。だってこんな場所に用もないのに人は近づかないわ。今までこの場所へ迷い込んできた人間なんていないもの」
「そっか。君の言う通り、私はクレアに会いに来たんだ」
その言葉に私は顔を上げると、空になったバケツを手渡した。
「薬が欲しいの?私はお貴族様に薬は売らないわ。欲しいなら家を通してくれる?それにあなたの不眠症はもう治ったでしょ?まだ不安なら薬ではなく精油を渡すわよ」
「気がついていたんだね、驚きだ。だが違う、私は君に会いたかった、ただそれだけなんだ」
「どういうこと?」
彼の言葉に首を傾げていると、彼は徐に立ち上がった。
そのまま私の腕を強く引き寄せると、彼の胸の中へ倒れ込んだ。
「こういうこと」
彼はそっと私の顎に手を添えたかと思うと、唇に温かく柔らかい物が触れる。
あまりの事に茫然とする中、彼はそっと唇から離れると、優し気な笑みを浮かべていた。
「ずっと愛しているよ」
「なっ、なっ、なんで……?」
あまりに突然の事に狼狽する中、バタンッと扉が思いっきりに開く音が森の中へ響いた。
「ちょっ、ちょっと、何をしているんですか!!!」
ヘンリーの悲痛な叫び轟く中、彼は私の傍へやってくると、ウォルトから引きはがす。
「ごめんね、可愛かったからつい。でもさっきの言葉は嘘じゃないよ。私は君が好きだ」
「はぁ!?何言ってるんですか!クレアは僕の……ッッ、いえ、……クレアいけませんよ。顔が良いだけの男に碌な奴はいませんからね」
えっ……あなたがそれを言っちゃう?
「決めるのはクレアだろう。すぐに答えを欲しいと思っていない。いつまでも待つからね」
「なっ、なっ、僕は彼女の監視役でもあるんです!あなたのようなぽっと出の男に、クレアは渡しません!」
ギャギャーと騒ぎ始めるヘンリーの様子に耳を塞ぐ中、私は頭痛のする頭を押さえながら深く息を吐き出した。
「ヘンリー落ち着いて……。はぁ……拾い物なんてするんじゃなかったかなぁ」
私はバケツを持ったまま水汲み場へ向かっていく彼の背を眺めると、今すぐにでも彼をここから追い出そうとそう決意を固めた。
そんな中、ふとガザガザと茂みから音が響くと、一人の少女が現れた。
長いピンクの髪に、鮮やかな金色の瞳、女性の私でさえ見惚れてしまうほどに、可愛らしい顔立ちをしている。
そんな彼女は私の方へと一目散に近づいてくると、私の瞳を覗き込んだ。
なんなの今日は……お客さんが多いわねぇ……。
「やっと見つけたわ!全くこんなところで何をしているのよ!なんで学園に来ないのよ!あなたが来ないと物語が始まらないわ!」
彼女の甲高い声に圧倒される中、私は何も返すことが出来ぬまま、あまりの勢いにたじろいだ。
私に言っているの?……って彼女は一体誰?
それよりも物語って何のこと?
様々な疑問が浮かぶ中、彼女は私の前へやってくると、ガシッと腕を掴んだ。
「もう、さっさと行くわよ!」
その言葉に私は深くため息をつくが、彼女は気にした様子もなく街の方へと引っ張って行こうとする。
今日は厄日ね……。
静かに暮らしていたはずなのに……もしかしてあの男を拾ったのがそもそもの原因?
水を汲みから戻ってきたウィルトの姿が目に映る中、ヘンリーは必死に彼から私を引き離そうと騒ぐ。
そんな騒がしさに苛立ちが込み上げると、私は彼女の腕を振り、ニッコリと笑みを深めて彼らに視線を合わせた。
「お名前は存じませんが、私は学園へ行くつもりはないので、お引き取り下さい。ウォルト様も何を企んでいるのは存じませんが、私は公爵家から離れた身、どなたとも付き合う気がありませんのでお引き取りを。ヘンリー、今日はこれを取りに来たんでしょ。はい、今月の納品分。それでは皆さまごきげんよう」
私はヘンリーへ薬の入った袋を押し付けると、慌てて家の中へと逃げ帰る。
扉にしっかりとカギをかけ部屋のカーテンを閉めると、外から聞こえてくる声に耳を塞ぐ。
18歳まで後一年、私はここで静かに暮らすのよ。
そうして物語は始まらないままに、彼女の静かな生活は続いていくのだった。
熱風が渦巻き、黒煙が舞い上がる中、息苦しさに私はその場で蹲った。
動く事も出来ず、皮膚が炎に触れると、痛みと熱さに意識が次第に遠のいていく。
嫌、嫌よ。
誰か、誰か助けて!
後少しで完成だったのに。
どうして……どうしてッッ。
口を開けると熱風が喉を焼き、異臭が鼻を刺激した。
いやっ、死にたくない!!!
「なら私の変わりになってくれないかしら?」
突然響いた声に顔を上げると、そこは煙も炎も綺麗さっぱり消え、何もない無の世界。
先ほどまで確かに感じていた熱さ痛みそれに息苦しさもなくなっている。
「あれ、熱くない……炎は……?私はどうして……?死んだ……の?」
「そんな事どうでもいいのよ。はぁ~もう疲れちゃった。どれだけやっても愛する人に殺される人生。そんな人生ならもういらない。あなたにあげるわ」
キョロキョロと辺りを見渡してみるも、声は聞こえてくるが……姿はどこにもない。
「えっ!?ちょっと待って、どういう事?突然何なの?どうなっているの?」
「うるさいわね!あなたが生きたいと望んだんでしょ。だからこうして私があなたの前に現れてあげたのよ、感謝しなさい。私はね、特別な人間なの」
意味の分からない言葉に首を傾げる中、視線の先に薄っすらと人影が映し出された。
深い霧がかかっているかのように、その人影は次第に大きくなると、私の目の前で立ち止まる。
緩いウェーブのかかったブロンドの髪に、切れ長の目に真っ赤な唇。
スラリとした体形に、マーメイドドレスを身に着けた女性が、私を見下ろしながらに、妖麗な笑みを浮かべていた。
「ごきげんよう。あなたは私になるのよ。だから特別に私の記憶をみせてあげるわ」
彼女はニッコリと笑みを深めると、私の額へ自分の額を合わせる。
すると見たこともない風景が目の前に広がっていくと、私は意識は吸い込まれるようにその中へと溶け込んでいった。
(私は公爵家のクレア、ふふっ、御存じでしょう?)
(クレア様……どうか、どうかお許し下さい)
(そんな言葉だけで許されると思っているの?死をもって償いなさい)
(私は特別な人間なの、欲しい物は何でも手にいれるわ~)
(お嬢様ですが……それは野獣が蔓延る危険な森を通り抜けなければいけませんが……)
(何よ、私の為に犠牲になることを誇りに思いなさい)
(全く使えないメイドね、もういらないわ)
(お嬢様どうかお許しください。ご慈悲を……次こそは必ず……ッッ)
(うるさいわね、次なんてないわ。出来損ないのが私の前に立つんじゃないわよ。あなたの家族もろとも王都から追放してあげる)
ひどい罵倒が彼女となった私の口から次々と飛び出すと、周りの人間たちが一人、また一人と消えていく。
そうして独りになった私は血を流しながらに、その場に崩れおちた。
憎悪と悲しみが胸から込み上げる中、背中にひどい痛みを感じる。
視界に色がなくなり意識が遠のいていく中、ガタッと背後から人の気配を感じた。
後ろを振り返ろうとしてみるも、血を流しすぎている為か……体に力が入らない。
誰かに刺された?
まぁ……さっきの姿を見る限り、あれほど傲慢な態度をとっていれば、憎まれるのも仕方がない。
立ち振る舞いはまるで物語に登場する悪役みたいだもの。
混沌とする中、またどこからか甲高い声が響いた。
「これが私の軌跡よ。あなたも気高い私に恥じぬようしっかり生きなさい。……私が殺されるのは18歳の誕生祭。愛する人に刺されて死ぬわ。私はね、その人生を何度も繰り返してきたの。だって特別な人間だから。でもどう抗っても結果は変わらなかった。彼を止めようとしても、別の人を愛そうとしても出来ないの。彼に出会えば、どうやっても惹かれてしまう。そして同じ場所、同じ時、同じように殺される。まるでそれが定めかのように……。そしてそれが永遠に繰り返される世界」
震えた声が耳に残る中、目の前の風景が渦を巻くように消えていくと、世界が白に包まれた。
そうして次に目覚めると……私はクレアと名乗っていた悪役の姿になっていた。
・
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とある街外れの森の中、ボロボロの小さな小屋がポツンと佇んでいる。
そこに一人の女性が大きな寸胴鍋に火をかけ、エンマ棒でせっせとかき混ぜていた。
う~ん、とろみがちょっと足りないわね。
もう少しこっちの薬草加えてみましょう。
私はすりつぶした薬草を一握り掴むと、寸胴の中へと放り込む。
するとグッとエンマ棒が重くなると、私は慌ててかき混ぜはじめた。
あっ……まずいわ、入れすぎたかしら……。
グツグツと煮えたぎる液体を覗き込んでみると、かき混ぜた後が残るほどに固まり始めていた。
はぁ……また失敗ね。
もう一度、薬草を集めてこないと……。
赤く燃える薪へ砂をかけ入口を石で閉じると、ゼリー状に固まった液体を見て、ガックリと肩を落とした。
後もう少しで、新しい薬が完成しそうなんだけれど……。
何が足りていないのかしら。
徐に空を見上げると、木々の間からサンサンとした太陽の光が差し込んでくる。
緑溢れる新鮮な空気を吸い込み、眩しさに目が眩む中、その向こう側に、懐かしいクレアになる前の過去の私の姿が浮かび上がった。
私はクレアになる前、別の世界で医療の研究者として働いていた。
しかしとある事故で命を落としたはずだったのだが……私は私に出会った。
死にたくない、そう強く望んだ私に、彼女はこの体を与えてくれた。
私の運命は18歳の誕生日に、愛する人に殺される。
そう彼女が話していた。
なぜ殺されるのか、それはわからない。
そんな私は17歳、死ぬまで後一年……今は恋人どころか、愛する人すらいない。
そうなるように行動したのだから、当然だけれども。
だけど後一年……18歳になれば、やはり愛する人に殺されてしまうのだろうか。
私がこの体で目覚めたのは……5歳の時だった。
彼女の体は木から滑り落ち、頭を打って気絶していたのだ。
ベッドの上で意識を取り戻したときは、ひどい頭痛と混乱で、目を開けられなかったのを良く覚えている。
そんな私の手をずっと強く握りしめていた少年が居た。
彼は泣きはらした目で私をじっと見つめると、ウルウルと涙を浮かべながらに私へとしがみ付いた。
「ごめん、ごめん、僕が手を離したから……ごめんなさい」
「うぅん……あなたは誰?」
目の前の少年は少女のような可愛らしい顔立ちにクリクリと青い瞳、クルクルとカールしたアクアブルーの髪。
愛らしい少年に目を奪われる中、茫然としていると、彼はさらに大きな声で泣き始めた。
その声に執事やメイド、そして夫婦が部屋に飛び込んでくると、皆美しい顔立ちに鮮やかな瞳を持っている。
そんな彼らの姿に、私が暮らしていた世界とは違う世界なのだと、すぐに気が付いた。
頭を打った衝撃で記憶喪失になってしまったと診断されると、私は両親そしてメイドや執事、幼馴染の少年を認識するところから始まった。
そして復活した私は、今までとは違う、異世界の知識を身に付ける事から始めた。
新たな人生を、生きようと必死になった。
この体に入って暫くすると、私が彼女が言っていた特別の意味を理解した。
彼女は見た物、起こった事を全て記憶する、そんな能力が備わっていた。
それに身体能力も備わり、彼女の体は、同じ年の子供に出来ぬあらゆることが出来たのだ。
こんな能力があれば、自分は特別だと思うのも仕方がない。
それから私はこの力を使って、ありとあらゆる分野の教養を学んだ。
学問はもちろん、マナーやダンス、そして剣術。
先生も驚くほどの速さで上達していく私に、皆とても驚いていたことを覚えているわ。
そうやって生活をしていく中、彼女がどうしてあんな悪役な令嬢に成長してしまったのかわかってきた。
自分が他者よりも優れている能力だけで、あそこまで傲慢になるはずがない。
悪役令嬢を作り出したのは、紛れもなく彼女の両親のせいだ。
次々と知識を身に着ける私に両親はそれがまるで自分の力だと言わんばかりに、貴族社会で利用していく。
その事をまだ知らなかった私は、医療に薬草の知識、そして前世の記憶を利用して、10歳になる前に薬剤師の資格を手に入れた。
本当は医者になりたかったのだけれども、医者になるには18歳以上でなければ資格を手に入れる事は出来ない。
18歳に医者の資格をもらっても、生きているかわからないものね。
そうして12歳、初の社交界デビューの場。
そこで両親が私の能力をひけらかす様に自慢を始めた。
周囲が私へこびへつらい、擦り寄ってくる社交場は、正直気持ちの悪いものだった。
上辺だけの笑み、私の顔色を窺う令息や令嬢。
公爵家の令嬢だからにしては皆媚びすぎていると思ったが……本当の理由にまだこの時には気が付いていなかった。
そうして頭角を現していく様子に、両親は私に薬を作らせ始めると……明らかに両親の金遣いが荒くなっていった。
そんなある日、私の元に一人のメイドがやってきた。
私に薬を作ってほしいと。
そこで初めて父と母が私を利用して金儲けをしている事を知った。
私の作る薬はこの世界では万能薬レベルにすごい物だったらしい。
薬自体は簡単に作れる物だ。
特別な物は一切使用していない。
それを私に薬を作らせ、両親はぼったくりレベルの高値で売りさばいてたのだ。
だけど金を出せない者には、縋られようが、切り捨てていらようで……。
メイドは切り捨てられたその一人だった。
だけど彼女の母の容体が日に日に悪くなり、どうにかして薬をもらえないかと私に接触してきたようだ。
生まれ変わる前、私は世界中の人々が助かるようにと、薬の開発を進めていた。
お金持ち、貧乏人、そんなの関係ない。
私の薬で人が助かるのならば、お金がないとの理由だけで、売らないのは私の理に反する。
一度この事を両親に伝えてみたが、口を出すなとバッサリ切り捨てられた。
確かにここまで学を身に付けられたのは、家のおかげだ。
でももう十分に稼がしてあげたでしょう。
これからどうするべきかと悩んでいると、ふとあの言葉が頭の中に浮かび上がった。
(18歳の生誕祭の日、愛する人に殺される)
18歳……私は本当に死ぬだろうか。
新しい生を18歳という若さで終わらせたくない。
彼女はその誰かに会えば、必ず惹かれてしまうとそう話していた。
誰にかはわからないが、予想するに令息なのだろう。
ならその男に会わないようにすればいいのかもしれない。
貴族社会から離れひっそり暮らせば、きっと会うことはないだろう。
日に日に金遣いが荒くなる両親に不満が高まっていく中、ある日薬を作らせるだけではなく、婚約者を作れと命令してきた。
そこで私の堪忍の緒が切れた。
早急にこの家から逃げようと……。
婚約者なんて死亡フラグでしかない。
それに家を出れば、社交界に出る必要もなくなる。
只の令嬢なら家を出るなんて許されないだろう。
ましてや私は公爵家の令嬢だ。
けれども私は早々に家を出る準備を整えると、屋敷から出て行くと両親にはっきり告げた。
反対すれば、もう薬は作らない。
すでに前金をもらって薬の注文を受けていることは調べがついていたからね。
もちろん両親は簡単に納得はしてくれない。
猛反対される中、私はある妥協案を提示した。
薬を定期的に屋敷へ卸す代わりに、私の生活に一切干渉しない事。
両親に販売する薬はどこにも販売しない。
社交場にも出ない、そして婚約者も作らない。
だが私を野放しには出来ないとの言い分に、監視役を一人つける事。
この条件を了承し、私は家を出て行った。
そして私は貴族から離れ、平民の街で数年暮らし、家に卸していない新しい薬を売って稼いだお金で、森の奥へと家を建てたの。
平民地区に居れば、バカな金持ちが私の力目当てに集まってくるから。
それから数年、出来る限り人に会わず、ひっそりと暮らす森の生活は快適だった。
今の生き方を彼女が見えば、きっと怒るでしょうね。
気高いとは言えないだろうし……。
そんなある日、薬草を探す為、森の中を歩いていると、ガサガサと後方から音が響く。
私は腰から短剣を取り出しながら恐る恐るに振り返ると、草むらが激しく揺れていた。
何かいる……獣かしら……。
獣なら今日の晩御飯はステーキに決定ね。
短剣を構えながらにじっと揺れる草を見据えていると、薄っすらと人影は浮かび上がる。
その姿にガクリと肩を落とすと、私はそっと隠れるように身を顰めた。
息を殺し様子を覗っていると、ドサッと大きな音と共に影が地面へと倒れていく。
恐る恐るに茂みから顔を出すと、そこには泥だらけになった青年が倒れていた。
私は慎重に倒れた青年の傍へ寄ると、彼の頬へと手を伸ばす。
頬は冷たく大分冷えており、息はあるが……どうやら意識を失っているようだ。
草むらをかき分け青年の体を確認してみると、ところどころ枝に引っかけたのだろう服は破け、擦り傷はあるが、目立った怪我はないようだ。
体を仰向けに転がせ頬をペチペチと叩いてみるが、目覚める気配はなかった。
困ったわぁ、どうしようかしら……。
いやでも……このまま置いておくわけにはいかないわよね……。
もうすぐ日が暮れる、今でも肌寒いのだ……夜になればさらに気温は下がるだろう。
このまま見殺しには出来ないわ……。
はぁ……家までそんなに距離はないし……引っ張っていきましょうか……。
私は袖をまくり上げると、気合を入れながら脇へ腕を入れると、そのまま青年の上半身を持ち上げてみる。
くっ、おっ、重い……ッッ。
これ以上は無理ね……彼には悪いけど、このまま引きずらせてもらいましょう。
私は男を引きずりながらに道中何度も休憩をはさみ。家についた頃には日が暮れていた。
そうして家へ戻ってくると、ボロボロになった男の服を脱がせ自分のベッドへと運んでいく。
あぁ疲れたぁ……明日は絶対に筋肉痛だわ……。
横たわる彼の体は適度に鍛えられ、顔や手、足についた泥を湿らせた布でふき取ってみると、端正な顔立ちが露になった。
綺麗な青年ね……さぞかし女性にモテるでしょうね。
あら、手のひらには剣ダコある。
腰に差している剣を見る限り、貴族の紋章が入っている。
見たことのない紋章ね、どこかの貴族かしら……。
まぁ……どうでもいいわ。
彼を見ても私の心は動いていない。
きっと彼は彼女が話していた彼ではないのだろう。
それよりも彼……あまり寝ていないよね。
目の下のクマがすごい、それに顔色があまりよくないわ。
確か部屋に精油が残っていたはず。
よく眠れるように置いておきましょう。
私はそそくさと立ち上がると、カーテンを閉め、そっと部屋を後にした。
翌日、私はソファーから体を起こすと、彼の様子を覗いにいく。
軽くノックをそっと扉を開けてみると、彼は服を整えベッドの上で座っていた。
「おはよう、朝食食べる?」
「おはようございます」
そう声をかけてみると、彼は見惚れるほど美しい笑みを浮かべて頷いた。
リビングに朝食を並べ向かい合わせに座る中、私は湯気が立つスープを堪能する。
彼は無言のまま洗練された所作でフォークを手に取ると、トントントンとのノックの音が部屋に響いた。
「なっ、なっ、なんで!?ちょっ、何をしているんですか!?どっ、どうして男が!?」
「あら、おはよう、ヘンリー。そういえば……まだ名前を聞いていなかったわね。あなたの名前は?」
「ウォルトと申します」
「ふふっ、私はクレア。ウォルト体調はどう?」
「あなたのおかげで大分良くなりました。ありがとうございます」
彼は丁寧にお辞儀を見せると、私はニッコリと笑ってみせる。
「いいのよ、気にしないで」
するとヘンリーが慌てた様子で私の腕を強く引き寄せた。
「クレア、どういう事ですか!?どうしてここに男がいるのですか?」
「どうしたのそんな顔して。森で倒れているのを見つけたから連れてきただけよ」
「クレア、あなたは本当に危機感が足りなさすぎます!!男ですよ!?何かあったらどうするんですか!」
「何かって?ふふっ、ちゃんと彼が持っていた武器は全て預かっているわ。それに……まぁいいじゃない。彼悪い人ではなさそうよ」
なだめる様に彼へ笑みを浮かべると、ヘンリーは呆れた様子で大きく息を吐き出した。
「そういう事ではなくて……ッッ」
ヘンリーは眉間に皺を寄せながらにウォルトへ視線を向けると、何かに気が付いた様子で大きく目を見開いた。
「……もしかして」
そうポツリと呟くと、ヘンリーは慌てた様子で彼の元へ駆け寄っていく。
「失礼ですが……まさか……あなたは……」
「あら、ヘンリー彼と知り合いなの?」
ヘンリーの背に隠れウォルトの表情は見えない。
覗くように背伸びをしてみると、ウォルトは爽やかな笑みを浮かべ、なぜか首を横へ振った。
「あっ、……いえ、気のせいだったようです。初めましてウォ……ウォルトさん。僕はクレアの友達で、ヘンリーと申します」
あの反応……怪しい。
でも言わないと言う事は、言えば面倒な事になるのかもしれない。
なら関わらない方が正解よね。
元気になったのだから、彼もすぐに出て行くだろうし……。
私は二人の姿を眺めると、静かに家を後にした。
庭へ出ると、さっそく薬草を集め、寸胴へと投げ入れていく。
今日こそ成功させたいわ。
「何か手伝おうか?」
「あら、ありがとう。ならこの寸胴へ水を入れてくれないかしら?」
私はバケツを手渡すと、水汲み場を指さした。
彼はわかったよ、と優し気な笑みを浮かべると、水を汲みに歩いていった。
そうして彼が戻ってくると、私は木の実をナイフで切り刻んでいた。
バケツ一杯の水を寸胴へ流し込むと、彼は私へと顔を向けた。
「君は何も聞かないの?」
「えっ、あ~、そうね。聞いてほしいのかしら?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ私みたいに怪しい男を、どうして何も聞かずに世話をしてくれるのか気になったんだ」
面倒事は嫌いだから……とは言えないわよね。
「そうねぇ……。あなたは私に会いに来たのでしょ?だからわざわざこちらから訊ねなくても、話してくれるかなぁと思って。だってこんな場所に用もないのに人は近づかないわ。今までこの場所へ迷い込んできた人間なんていないもの」
「そっか。君の言う通り、私はクレアに会いに来たんだ」
その言葉に私は顔を上げると、空になったバケツを手渡した。
「薬が欲しいの?私はお貴族様に薬は売らないわ。欲しいなら家を通してくれる?それにあなたの不眠症はもう治ったでしょ?まだ不安なら薬ではなく精油を渡すわよ」
「気がついていたんだね、驚きだ。だが違う、私は君に会いたかった、ただそれだけなんだ」
「どういうこと?」
彼の言葉に首を傾げていると、彼は徐に立ち上がった。
そのまま私の腕を強く引き寄せると、彼の胸の中へ倒れ込んだ。
「こういうこと」
彼はそっと私の顎に手を添えたかと思うと、唇に温かく柔らかい物が触れる。
あまりの事に茫然とする中、彼はそっと唇から離れると、優し気な笑みを浮かべていた。
「ずっと愛しているよ」
「なっ、なっ、なんで……?」
あまりに突然の事に狼狽する中、バタンッと扉が思いっきりに開く音が森の中へ響いた。
「ちょっ、ちょっと、何をしているんですか!!!」
ヘンリーの悲痛な叫び轟く中、彼は私の傍へやってくると、ウォルトから引きはがす。
「ごめんね、可愛かったからつい。でもさっきの言葉は嘘じゃないよ。私は君が好きだ」
「はぁ!?何言ってるんですか!クレアは僕の……ッッ、いえ、……クレアいけませんよ。顔が良いだけの男に碌な奴はいませんからね」
えっ……あなたがそれを言っちゃう?
「決めるのはクレアだろう。すぐに答えを欲しいと思っていない。いつまでも待つからね」
「なっ、なっ、僕は彼女の監視役でもあるんです!あなたのようなぽっと出の男に、クレアは渡しません!」
ギャギャーと騒ぎ始めるヘンリーの様子に耳を塞ぐ中、私は頭痛のする頭を押さえながら深く息を吐き出した。
「ヘンリー落ち着いて……。はぁ……拾い物なんてするんじゃなかったかなぁ」
私はバケツを持ったまま水汲み場へ向かっていく彼の背を眺めると、今すぐにでも彼をここから追い出そうとそう決意を固めた。
そんな中、ふとガザガザと茂みから音が響くと、一人の少女が現れた。
長いピンクの髪に、鮮やかな金色の瞳、女性の私でさえ見惚れてしまうほどに、可愛らしい顔立ちをしている。
そんな彼女は私の方へと一目散に近づいてくると、私の瞳を覗き込んだ。
なんなの今日は……お客さんが多いわねぇ……。
「やっと見つけたわ!全くこんなところで何をしているのよ!なんで学園に来ないのよ!あなたが来ないと物語が始まらないわ!」
彼女の甲高い声に圧倒される中、私は何も返すことが出来ぬまま、あまりの勢いにたじろいだ。
私に言っているの?……って彼女は一体誰?
それよりも物語って何のこと?
様々な疑問が浮かぶ中、彼女は私の前へやってくると、ガシッと腕を掴んだ。
「もう、さっさと行くわよ!」
その言葉に私は深くため息をつくが、彼女は気にした様子もなく街の方へと引っ張って行こうとする。
今日は厄日ね……。
静かに暮らしていたはずなのに……もしかしてあの男を拾ったのがそもそもの原因?
水を汲みから戻ってきたウィルトの姿が目に映る中、ヘンリーは必死に彼から私を引き離そうと騒ぐ。
そんな騒がしさに苛立ちが込み上げると、私は彼女の腕を振り、ニッコリと笑みを深めて彼らに視線を合わせた。
「お名前は存じませんが、私は学園へ行くつもりはないので、お引き取り下さい。ウォルト様も何を企んでいるのは存じませんが、私は公爵家から離れた身、どなたとも付き合う気がありませんのでお引き取りを。ヘンリー、今日はこれを取りに来たんでしょ。はい、今月の納品分。それでは皆さまごきげんよう」
私はヘンリーへ薬の入った袋を押し付けると、慌てて家の中へと逃げ帰る。
扉にしっかりとカギをかけ部屋のカーテンを閉めると、外から聞こえてくる声に耳を塞ぐ。
18歳まで後一年、私はここで静かに暮らすのよ。
そうして物語は始まらないままに、彼女の静かな生活は続いていくのだった。
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またまたコメントありがとうございます!
続きがまだ書けてなくてごめんなさい(´;ω;`)
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面白かったです!!
続きが読めたらうれしいです。
ベイマックス 様
コメントありがとうございます!
楽しんで頂けて嬉しいです(*'ω'*)
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