ガラスの靴の行方 私が過ごした秘密の城のクリスマス10日間

代々木夜々一

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第六章

第37話 最後の朝食はフレンチトーストで

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 ひさしぶりに、朝がくるのを待てない。

 天蓋のベッドから降りる。窓ぎわに行き、外を見た。まだ夜明け前。テーブルのスノードロップには八つの小さな花が咲いていた。ここの滞在も長くなったものね。

 長椅子の上には、わたしとモリーの仕立服が用意されている。もはや毎朝の楽しみだ。取りに行こうとして、フランス人形をふんだ。

「メリー! クリスマス!」

 人形が鳴ってあわてて電源を切る。もう、あぶない! モリーが出しっぱなしにした人形はまるで地雷だ。そっとふり返るとモリーは寝ている。良かった。わたしは、モリーを起こさないように、静かに支度を済ませた。

 部屋を出て食堂にむかう。

 食堂には、現役の使用人があつまっていた。昨晩に執事から連絡してもらった。どうせならエルウィンにばれないよう、早い時間に来てもらうことにしたのだ。

「朝早くから、ありがとう」

 みんなの前に立ち、わたしは計画を説明した。反応は半々といったところ。とまどっている顔が多い。でも、あからさまに嫌な顔はいない。とりあえず、みんなの合意は得た。

「みんな、よろしくね! じゃあ、いまから朝食を作るから」

 わたしは調理場に移動した。メイドの姉妹カーラとフローラ、それに若きメイドのビバリーが続く。

「ごめん、カーラ。夜に、勝手に仕込んじゃった」

 冷蔵庫から大きなタッパーをだした。調理台に置き、ほかのタッパーも取りだす。

「フレンチトースト! あたし、大好きです」

 フタをあけた妹のフローラが、嬉しそうに言った。卵と牛乳から作る漬け汁に、トーストをひたしたものが入っている。妹があけたタッパーを、姉のカーラが横から取った。

「かなり、厚切りですね」
「この太さが、いままで試した限界なの。この以上は火が通らないわ」

 若きメイドも、のぞき込んで断面を見ている。

「電子レンジ使えば、火は通るんじゃないですか?」
「ビバリー」

 背後から、優しくも威厳のある、ご老女の声。わたしもメイド三人も、ふり向いた。前メイド長、ドロシー。いまのメイド長ミランダがいないので、昨日の夕食から来てくれている。

「ビバリー、美味しいものを作るには、近道はありませんよ」
「はい」

 しかられた子供のように、しょんぼりと返事をした。美味しいに近道はないか。わたしも忘れないでおこう。

「ドロシー、朝早くから、すいません」
「いえいえ。あなたの料理も食べたいですからね。今日はスキップして来ましたよ」

 ほんとにスキップはできないので、冗談だ。この老女は、ほんとにかわいい。

 フレンチトーストは焼くのに時間がかかる。六台あるコンロ全てに火を点け、フライパンをならべた。

 サラダとスープは姉にまかせた。コーヒーや紅茶は、妹が担当してくれる。わたしと一番若いメイドで、ひたすらフレンチトーストを焼くことにした。

 そろそろフライパンが温まってきた。火を弱め、たっぷりのバターを入れる。ちらっと、前メイド長を見た。孫でも見るような優しい目。わたしは反対に緊張していた。まるで先生の前で実習する、生徒の気持ちだ。

 タッパーで漬けていたトーストを、フライパンに入れる。あとは、じっくり待つだけ。六つのフライパンを眺めた。バターの焼けた、いい匂いが立ちあがってくる。

「ビバリー、右端の火を少し弱めてくれる?」

 若きメイドがうなずいて火をしぼる。わたしの左にあるフライパンは、逆に少し強くした。

「フレンチトーストのコツって、あるんですか?」

 ふいに聞かれて、わたしは腕を組んで考えた。

「根気、それが一番ね。弱すぎたら焼けないけど、ぎりぎりで焼くの」

 六つのフライパンのうち、三つの位置を少しずらした。

「なにしたんです?」
「フライパンってね、真ん中に置いても、火は均等に当たらないの。見ながら調整してやらないと」
「二回目は、あたしと交替ね」

 カーラがのぞいている。

「ちょっと姉さん! あたしもよ」

 コーヒーを運んでいたフローラが声をとがらせた。わたしは笑って応え、フライ返しでフレンチトーストの焼け具合を見た。そろそろ、ひっくり返してもいい。

「ビバリー、そっち、ひっくり返してみて」

 フライパンひとつに四切れのトーストをならべている。それが六つ。二四枚。ひっくり返すだけでも、時間はかかる。

 いい具合に黄金色になってきた。薄っすら焦げ目もついている。フレンチトーストは、この「うっすら焦げ目」が美味しい。

 ひっくり返したあとは、もう一度、火力を調整した。六つのフライパンを同時に焼くというのは、はじめてだった。火力の細かい調整と、フライパンの位置をずらすので、気を抜く暇がない。

 裏面をしばらく焼いたら、ここからはトースト次第。焼けていると思ったトーストは、皿にうつす。焼けていないトーストは、もう一回ひっくり返す。

「よく、この枚数を見れますね」

 若きメイドが、おどろいている。

「ええ、はじめてだけど、なんだか神経衰弱をやってる気分」
「あたしだったら、面倒になって火を強めちゃいそう」
「そう、わたしもよくやった。それだと美味しくないの」
「ほんとに根気ですね、これは」
「例えが悪いけど、パンを、なぶり殺すように焼くの」

 空いたフライパンは洗ってもらう。まだまだ次があるからだ。

 お皿に焼けたフレンチトーストを二枚乗せる。最後に軽く粉砂糖をふった。完成だ。

 味見用に、一枚だけ乗せた皿も作った。フォークと一緒に前メイド長に差しだす。この時の緊張感は、なんとも言えない。

 前メイド長は一口食べて、うなずいた。

「美味しいです」

 ほっとした。いや、ほっとしたというより、飛び跳ねてよろこびたいくらい。代わりに、きゃあ! と小さく跳ねてよろこんだのは、うしろで同じく味見をしているビバリーだ。

「ジャニス」

 呼ばれてふり向くと、庭師長がいた。

「おかわりは、ありますか?」
「ええ! もう食べたの?」

 休んでいる暇はなさそうだ。フレンチトーストの二巡目を作った。できあがると今度は自分も味見してみる。やっぱり卵と牛乳がいい。店で作るより、何倍も美味しかった。

「これは」

 二巡目を一緒に作った姉のカーラが、沈んた顔をしている。

「どう? 口に合わなかった?」
「チーズサンドを食べた時も、少し思ってましたが、確信しました。格がちがう」
「格?」

 わたしは首をひねった。

「甘く見てました。どこかで。町の食堂は、ここの調理場より厳しくないだろうと。でもジャニスは、ここのメイド長たちと同じです」
「お、大げさよ! それは」

 カーラは悲痛な顔で、首をふった。

「一〇回、いや二〇回見ても、ここまで完璧に作れそうにない。一番わからないのが、どこで、中の焼き具合を判断しているんです?」

 そう聞かれて困った。なんとなく、としか言えない。

「これは普段から、お店で?」

 ドロシーが、遠くから聞いてきた。

「ええ、定番のメニューです」
「では毎日の差でしょうね。昔の話ですが、ロンドンのフィッシュ&チップスの名店に行きました」
「魚のフライ、ですよね?」
「そうです。レシピを正確に教えてもらい、家で作りましたが、同じ味になりませんでした。なにかが、ちがうのでしょうね」

 そう言われると、そうかもしれない。

「カーラは、そういう差が、わかってきたと、よろこんだほうがいいでしょうね」

 うなだれていたカーラが、はっと顔をあげ、真剣にうなずいた。わたしは思わぬところで褒められた。あたまをかいて、ごまかす。

 三巡目は約束通り、妹のフローラと。フローラも味見をすると、目を輝かせた。

「もう一枚、取っていいです? いい? いいですよね」

 妹は、姉とこれまた反応がちがい、わかりやすい。フローラはなにか思いついて、戸棚から小瓶を取りだした。

「ここのリンゴジャムです。きっと合いそう!」

 それは、わたしも食べたい! 残っていたフレンチトーストに少しつけて食べる。

「んん!」

 思わず声をあげてしまった。リンゴの味が力強い! 酸味も甘みも、両方しっかりしている。

「レシピは秘伝らしくて。歴代のメイド長しか、知らないんです」

 フローラが、こっそりわたしに言った。それなら、このリンゴジャムは、もう生涯食べることがないかも。わたしは、あの時、ココアをおかわりしようとしたエルウィンを思い出して笑えた。

 もう一度たっぷり塗って、目を閉じて味わう。この甘酸っぱいリンゴジャムの味、忘れないようにしよう。
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