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第一章

第4話 わが家のリビングはせまい

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 せまい階段を三人で三階まであがる。

 家の前に着くと、カギとドアをあけて「どうぞ」と、彼に作り笑顔をむけた。娘も入れ、わたしが最後にドアを閉める。いつでも逃げられるように、一応カギはあけたままにした。

「いい、部屋だ」

 彼が、わかりやすく言葉につまった。わたしはそれには答えず、せまいリビングのテーブルを指さす。

「その辺に、かけてくれる? すぐ作るから」
「僕の分も、あるのか?」
「ええ、パンと卵ぐらいしかないけど」
「そうか。饗応を受けるのならば、洗面所を借りてもいいか?」

 真面目な物言いにすこし面食らったが、うなずいた。

「モリー、おじさんと手を洗ってー!」

 モリーと彼は素直に手を洗い、食卓についた。

 さきほど彼は、わたしのことを「気品がある」と言ったが、気品とはこうだろう。そう思えるほど、彼の食べ方は優雅だった。フォーク一本で小さく切って口にする。食べる姿勢もいい。それこそバレエでもやってそう。

 となりで食べ散らかしている我が子は正反対だ。口のまわりはジャムで真っ赤。

「それで、どうして今日はズル休みしたかったの?」

 モリーはスクランブルエッグをほおばりながら答えた。

「友だちが教えてくれたの。センターストアの公園でね、スケートができるんだって!」

 あれね! と思いだした。ふしぎそうな彼に解説する。

「街の北側に、センターストアという、大きなショッピングモールがあるの。北なのにセンター? って指摘はあるんだけど」

 彼が、ジョークには反応しないのを思いだして、話をつづけた。

「その中の公園に、スケートリングができたみたいなの」
「ママ、今日はタダだって!」
「あら、無料なの?」

 それって気を使っているのだろうか。この家は、そんなに裕福じゃないから。ふびんな娘を抱きしめたくなったけど、ジャムだらけの口を見てやめた。それにしてもスケートか。思わずテーブルに肘をついた。

「問題が、あるのか?」
「問題ないんだけど、苦手なのよね。スケートとかスキー、サーフィン!」
「すべるのが嫌なのか?」
「んー」

 どう説明するか考えて、イスの上に乗って、バン! と床に飛びおりた。

「ほら、地面だとふんばれるけど、そういうのって、どこまで行っても不安定で。怖いと思わない?」

 下からドンドン! と天井をたたく音がした。「ごめんねー」と、大きな声で謝っておく。この家の壁や天井がうすいのを忘れていた。

「僕が連れて行こうか?」
「あなたが?」
「もてなしの礼をせねば」

 時々この男は、へんな言葉を使う。聞けば、家の近くには池があり、冬は凍るらしい。よくその上でスケートをして遊んでいたそうだ。

 彼がモリーにむかって「ターンはできる?」と聞いている。ふたりが一緒にすべっている姿を想像して、ぞっとした。

「モリー、来週に連れて行ってあげるから、おじさんは忙しいの」
「おじさん来週いるの?」

 そうくるか。そのおじさんの顔は曇った。

「やだー、今日がいい!」

 ごねだしたモリーを、どう言いくるめるか考えてると、彼が口をひらいた。

「知り合って間もない。心配なら身分証をあずけよう。いや、そうか」

 そうね。あなたは荷物をなくしてる。でも、そこはもう問題ではなかった。これまでのことを振り返っても、悪い人には見えない。強盗ならとっくにナイフでもだしてるだろう。ところが彼にだせるのは一足の革靴だけだ。

「少し時間をもらえれば、身分証は・・・・・・」
「そこまではいいわ」
「では行こう。時間の早さは人それぞれだ」

 じかん? 聞き返そうとしたら、さらに彼が聞いてくる。

「ハサミとヒゲ剃りは、ないだろうか?」
「はっ?」
「この格好で子供といたら、良くて不審者ではないか?」

 そう、そこが問題! わかっているなら、もっとちゃんとしようよ!

 そんな彼をバスルームに入れ、言われたものを用意する。お湯の出が悪いシャワーのあつかいも説明しておいた。

「ここに置いておくわね!」

 バスルームの扉ごしに話しかけた。

「ああ、すまない!」

 シャワーの音とともに返事がくる。カミソリはクローゼットの箱にあった。元旦那の物を放り込んだ箱だ。おなじく、しまい込んでいた男物の服もだす。ヘアカット用のハサミはないので、キッチンバサミで代用した。

 彼がシャワーを浴びているあいだに、わたしも着がえる。スケートはしないが屋外のスケートリンクは寒そうだ。ジーンズの下に防寒ストッキングを履いておく。

 重ね着してみると、お尻がパンパンになった。あの男とスケートに行くとはね。おかしなことになっちゃった。止めづらくなったファスナーを閉めながら、そう思った。

 でも、二つハッキリしたことがある。一つ、彼は、ホームレスではない。二つ、意外にジェントルマンである。

「これは、ご主人の物ではないのか。いいのか? 僕が使っても」

 そう言いながら彼が出てきた。もう一つハッキリした。ハンサムだ。ヒゲを剃り、髪を切ってなでつけた彼は、まるで昔のミステリードラマに出てきそうな紳士そのもの。

「ああ、それは元主人のなの。新しいの買ったら捨てていいから」

 彼は「ううむ」とうなり、着ていたTシャツを見た。ロックバンドのTシャツは面白いほど似合っていない。Tシャツに革ジャンという、なんとも時代遅れな服。それでも文句も言わない彼とは対照的に、娘はごねた。

 娘の希望に沿っていくと、青いダウンに、ピンクのマフラー、紫のぼうし。もしジェリービーンズの妖精がいたら、きっとこんな感じ。

 わたしは盛大に、ため息をついた。この子のセンスを、どうやって教育すればいいのか誰か教えて欲しいわ。
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