上 下
4 / 53
第一章

第4話 わが家のリビングはせまい

しおりを挟む
 せまい階段を三人で三階まであがる。

 家の前に着くと、カギとドアをあけて「どうぞ」と、彼に作り笑顔をむけた。娘も入れ、わたしが最後にドアを閉める。いつでも逃げられるように、一応カギはあけたままにした。

「いい、部屋だ」

 彼が、わかりやすく言葉につまった。わたしはそれには答えず、せまいリビングのテーブルを指さす。

「その辺に、かけてくれる? すぐ作るから」
「僕の分も、あるのか?」
「ええ、パンと卵ぐらいしかないけど」
「そうか。饗応を受けるのならば、洗面所を借りてもいいか?」

 真面目な物言いにすこし面食らったが、うなずいた。

「モリー、おじさんと手を洗ってー!」

 モリーと彼は素直に手を洗い、食卓についた。

 さきほど彼は、わたしのことを「気品がある」と言ったが、気品とはこうだろう。そう思えるほど、彼の食べ方は優雅だった。フォーク一本で小さく切って口にする。食べる姿勢もいい。それこそバレエでもやってそう。

 となりで食べ散らかしている我が子は正反対だ。口のまわりはジャムで真っ赤。

「それで、どうして今日はズル休みしたかったの?」

 モリーはスクランブルエッグをほおばりながら答えた。

「友だちが教えてくれたの。センターストアの公園でね、スケートができるんだって!」

 あれね! と思いだした。ふしぎそうな彼に解説する。

「街の北側に、センターストアという、大きなショッピングモールがあるの。北なのにセンター? って指摘はあるんだけど」

 彼が、ジョークには反応しないのを思いだして、話をつづけた。

「その中の公園に、スケートリングができたみたいなの」
「ママ、今日はタダだって!」
「あら、無料なの?」

 それって気を使っているのだろうか。この家は、そんなに裕福じゃないから。ふびんな娘を抱きしめたくなったけど、ジャムだらけの口を見てやめた。それにしてもスケートか。思わずテーブルに肘をついた。

「問題が、あるのか?」
「問題ないんだけど、苦手なのよね。スケートとかスキー、サーフィン!」
「すべるのが嫌なのか?」
「んー」

 どう説明するか考えて、イスの上に乗って、バン! と床に飛びおりた。

「ほら、地面だとふんばれるけど、そういうのって、どこまで行っても不安定で。怖いと思わない?」

 下からドンドン! と天井をたたく音がした。「ごめんねー」と、大きな声で謝っておく。この家の壁や天井がうすいのを忘れていた。

「僕が連れて行こうか?」
「あなたが?」
「もてなしの礼をせねば」

 時々この男は、へんな言葉を使う。聞けば、家の近くには池があり、冬は凍るらしい。よくその上でスケートをして遊んでいたそうだ。

 彼がモリーにむかって「ターンはできる?」と聞いている。ふたりが一緒にすべっている姿を想像して、ぞっとした。

「モリー、来週に連れて行ってあげるから、おじさんは忙しいの」
「おじさん来週いるの?」

 そうくるか。そのおじさんの顔は曇った。

「やだー、今日がいい!」

 ごねだしたモリーを、どう言いくるめるか考えてると、彼が口をひらいた。

「知り合って間もない。心配なら身分証をあずけよう。いや、そうか」

 そうね。あなたは荷物をなくしてる。でも、そこはもう問題ではなかった。これまでのことを振り返っても、悪い人には見えない。強盗ならとっくにナイフでもだしてるだろう。ところが彼にだせるのは一足の革靴だけだ。

「少し時間をもらえれば、身分証は・・・・・・」
「そこまではいいわ」
「では行こう。時間の早さは人それぞれだ」

 じかん? 聞き返そうとしたら、さらに彼が聞いてくる。

「ハサミとヒゲ剃りは、ないだろうか?」
「はっ?」
「この格好で子供といたら、良くて不審者ではないか?」

 そう、そこが問題! わかっているなら、もっとちゃんとしようよ!

 そんな彼をバスルームに入れ、言われたものを用意する。お湯の出が悪いシャワーのあつかいも説明しておいた。

「ここに置いておくわね!」

 バスルームの扉ごしに話しかけた。

「ああ、すまない!」

 シャワーの音とともに返事がくる。カミソリはクローゼットの箱にあった。元旦那の物を放り込んだ箱だ。おなじく、しまい込んでいた男物の服もだす。ヘアカット用のハサミはないので、キッチンバサミで代用した。

 彼がシャワーを浴びているあいだに、わたしも着がえる。スケートはしないが屋外のスケートリンクは寒そうだ。ジーンズの下に防寒ストッキングを履いておく。

 重ね着してみると、お尻がパンパンになった。あの男とスケートに行くとはね。おかしなことになっちゃった。止めづらくなったファスナーを閉めながら、そう思った。

 でも、二つハッキリしたことがある。一つ、彼は、ホームレスではない。二つ、意外にジェントルマンである。

「これは、ご主人の物ではないのか。いいのか? 僕が使っても」

 そう言いながら彼が出てきた。もう一つハッキリした。ハンサムだ。ヒゲを剃り、髪を切ってなでつけた彼は、まるで昔のミステリードラマに出てきそうな紳士そのもの。

「ああ、それは元主人のなの。新しいの買ったら捨てていいから」

 彼は「ううむ」とうなり、着ていたTシャツを見た。ロックバンドのTシャツは面白いほど似合っていない。Tシャツに革ジャンという、なんとも時代遅れな服。それでも文句も言わない彼とは対照的に、娘はごねた。

 娘の希望に沿っていくと、青いダウンに、ピンクのマフラー、紫のぼうし。もしジェリービーンズの妖精がいたら、きっとこんな感じ。

 わたしは盛大に、ため息をついた。この子のセンスを、どうやって教育すればいいのか誰か教えて欲しいわ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そう言うと思ってた

mios
恋愛
公爵令息のアランは馬鹿ではない。ちゃんとわかっていた。自分が夢中になっているアナスタシアが自分をそれほど好きでないことも、自分の婚約者であるカリナが自分を愛していることも。 ※いつものように視点がバラバラします。

【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません  

たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。 何もしていないのに冤罪で…… 死んだと思ったら6歳に戻った。 さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。 絶対に許さない! 今更わたしに優しくしても遅い! 恨みしかない、父親と殿下! 絶対に復讐してやる! ★設定はかなりゆるめです ★あまりシリアスではありません ★よくある話を書いてみたかったんです!!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する人が妊娠させたのは、私の親友だった。

杉本凪咲
恋愛
愛する人が妊娠させたのは、私の親友だった。 驚き悲しみに暮れる……そう演技をした私はこっそりと微笑を浮かべる。

裏切られたのは婚約三年目

ララ
恋愛
婚約して三年。 私は婚約者に裏切られた。 彼は私の妹を選ぶみたいです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います

ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には 好きな人がいた。 彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが 令嬢はそれで恋に落ちてしまった。 だけど彼は私を利用するだけで 振り向いてはくれない。 ある日、薬の過剰摂取をして 彼から離れようとした令嬢の話。 * 完結保証付き * 3万文字未満 * 暇つぶしにご利用下さい

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...