パンの味

塩こんぶ

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ニューライフ

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 私はその日、家に帰り、カズくんに店長の家へ引っ越すという話をした。
カズくんはその話を聞き、一瞬驚いたような表情をしたけどすぐ視線を逸らされてしまった。
「別に由羽がいいならいいけど、その人、本当に大丈夫なの?男だろ?由羽、無防備すぎない?」
「じゃあこのままここで一緒に住もうよ」
そう言うとカズくんは黙ってしまった。
「そうだよね、それは無理だよね。だったら口挟まないで。そもそももう私の事好きじゃないくせに心配するフリやめてよ」
 あれ、私、こんなことカズくんに言えるようになっちゃったわけ?
めちゃくちゃ性格悪いじゃん。
 カズくんと喧嘩した時も言いたいことずっと我慢してたからこんなに言い返したの始めてかも……。
やっぱり私ちょっとおかしくなってる。
「あ……ごめんねカズくん……私……」
「いいよ。どうせもう終わりなんだから言いたいこと言えばいいじゃん」
 カズくんは私を睨みながら言った。
「そんな言い方しなくてもいいじゃん……」
 もうこんなこと言い合っても意味ないし何も生まれない。
「ごめん、私もう寝るから」
 私はカズくんとの空間に耐えられなくなって寝室に閉じこもった。

                              ☆

 ついに引越しの日がやってきた。
 お互い荷造りは終わっている。
 私は店長の家へ住まわしてもらうので家電は必要ないからカズくんへ譲った。
 カズくんと一緒に寝ていたベッドは使いたくないからそれもカズくんに。
 よって私の荷物はとてもコンパクトだ。
 カズくんの荷物は引越し業者が取りにきてくれる。
 私の荷物は店長が車で運んでくれる。
 お互いがお互いの荷物を運ぶ人を待っているという、なんとも気まずい時間……。
 私は大人ぶりたかったので余裕なフリをしてカズくんに笑いかけた。
うまく笑えてるかは分からないけど。
「カズくん、今までありがとう。幸せになってね」
「由羽……。由羽も元気でな。なんか、色々ごめんな」
「謝るのはやめてよ。私……」
私が惨めみたいじゃん、と言いかけて辞めた。
ここで悪い雰囲気にするのは違う。
「私も幸せになるからね」
「あぁ」
 カズくんは少し目を細めて無理に笑った。
 そうこうしているとチャイムが鳴った。
モニターを見ると引越し業者だった。
カズくんが玄関のドアを開けると何人か入ってきてテキパキ作業を始めた。
そして何十分かすると部屋には私の荷物しか無くなった。
 ほとんど家具も家電ない。
始めてこの部屋にカズくんと内見に来た時をふと思い出した。
 キッチンが広くて、2人ともそこが気に入って、料理するフリなんかしちゃってこの物件いいね、なんて話したな。
「由羽、そんなキッチンの方見て何してるの?……あぁ、そうか、この部屋にしようって決めたの、キッチンだったな。2人とも気に入ってさ」
「覚えてたんだね。私今その時のこと思い出してた」
 もう諦めようって決めたのにそんな話されたらまだ未練タラタラの私が出てきてしまうじゃないか。
 もうダメだ。
泣いてしまいそう。
でも最後はカズくんに弱いところは見せたくない。
少しでもまだ可能性があるなら最後はいい女でいなくちゃ。
良い子って分かればまた戻ってきてくれるかもしれない。
「カズくん、ほら、もう行かなくちゃでしょ?なんかあったらまた連絡してよ」 
「うん。じゃあ、俺、行くわ。ありがとう」
 私は泣きながらカズくんが出ていった玄関のドアをずっと見つめることしか出来なかった。

                             ☆

 それから30分後、スマホが鳴った。
 店長がアパートの下に着いたみたいだ。
 でも涙が止まらなくて、ちょっと待っててくださいと文章を打ち、送信した。
 ハンカチで拭っても拭っても出てくる涙。
もう自分ではコントロールできない。
 でも店長を待たせるわけには行かないから荷物を持って、片方の手でハンカチで目を覆いながら部屋を出た。
「あ、あの、崎宮さん、それ、前見えてます?」
「……だいじょうぶです」
「そうですか……。まだ荷物残ってますよね?手伝います」
「ありがとうございます」
 私は片手で荷物を運ぶので効率が悪いが店長が何往復もしてくれて荷物が積み終わった。
「では行きましょうか」
「何から何まですいません。よろしくお願いします」
 店長は車のエンジンをかけると中指でメガネをクイッと上げてそれ以上何も言わず車を発進させた。
 店長の家に着くまで目に当てていたハンカチはびちょびちょになってもはや吸水性があるのかも謎だ。
 ズズっと鼻をすすると無言で店長はティッシュを差し出してきた。
 それをサッととり鼻を噛むというやり取りは店長の家に着くまで何十回も繰り返された。
「崎宮さん、着きましたよ。いい加減ハンカチとったらどうです?」
「すいません……。顔がぐちゃぐちゃで……」
「また片手で荷物運ぶ気ですか?うちはマンションの10階ですよ、エレベーター使いますけど何往復もしたくないので崎宮さんも手伝ってください」
「そうですよね……私自分のことしか考えてなかったです。店長にお手を煩わせてしまってすいません」
 言われてみれば家に住まわせてくれるのに荷物運びまでさせてしまっている。
 今は何もお返しできないからせめて自分のことは自分でやって、迷惑かけないようにしないといけない。
 私は何をしてるんだろう……。
 自分の行動が恥ずかしくなって私は下を向くことしかできなかった。
 するとハァとため息をつき店長が言った。
「全く。本当ですよ。……なんてね。崎宮さん、そのハンカチをとって少し外の空気を吸って、外の景色を見てほしいのですが。崎宮さんは今自分だけの世界にいます。外を見てみてください。色々な人や景色があるでしょう。自分だけの世界で生きないで自分の世界に色々なものを入れてあげてください。」
「……え?」
「世界は広いんです。崎宮さんなんてちっぽけなんです。この世界の広さに比べたら崎宮も僕もちっぽけなんです。崎宮さんの悩み、僕の悩みもちっぽけです。すぐに立ち直れとは言わないけど辛い時だからこそ広い世界を見てみてください。きっと今より少し楽になれると思います」
 私は下を向くのをやめて店長を見ると店長はまっすぐ私の目を見ている。
 世界、か。
確かに今、私は私の事しか考えられてない。
悲劇のヒロインにでもなったつもりなのか。
恋人に突然捨てられた私は私自身が可哀想だと思っていたのだ。
 どうして私ばっかりこんな辛い想いをしなければならないんだとすら思っていた。
 でもこの世界には辛い事なんかたくさん転がっている。
 私の周りの人はどうだろう。
私の周りの人だってそれぞれ自分の世界がある。
その世界には恋人がいて友達がいて家族がいて……。
たくさんの人がその世界にいるから世界が出来ている。
 今やっと、私の世界には店長が入ってきて、自分の周りの人のことも考えられた。
 私は私しか見てなかった。
 目の前の店長が太陽で、私の事を照らしてくれたように思えた。
「……てんちょぉぉーっ!!」
 私はハンカチをとって思わず店長に抱きつこうとした。
 けど交わされてしまった。
「崎宮さん、そういうのはちょっと」
 店長は右手でメガネをクイッと上げて手のひらをピシッと広げて前に出してきた。
「あ、すいません」
 盛り上がってたのは私だけだったみたい。
 でも少し心が晴れた気がした。
「さて、ちゃっちゃと荷物運びますよ」
「はい、店長。ちゃんと両手で運びます!」


         ☆

 店長の部屋は10階。
 荷物はエレベーターにすべて乗せきれてしまい、1回で済んだ。
「ここが僕の家です。どうぞ」
 店長が鍵を開けてドアを開き、私を先に入れてくれた。
「お邪魔しまーす……。って広っ!!」
「まあ、2LDKなんで」
 白を基調としたシンプルな部屋。
 リビングの他に部屋が2部屋もある。
もちろんバストイレは別でキッチンも広い。
 店長はここで一人暮らしらしいけどファミリーも暮らせるレベルの物件だった。
1人にしては広すぎるような気がする。
店長、広い家が好きなタイプなのかな。
「1人で住んでるんですよね……?」
「はい、まあ今は1人です」
「……今は?」
 私が聞き返すと店長はしまったという表情を一瞬した気がした。
「崎宮さん、こちらが崎宮さんの部屋です」
「え、あ!はい!」
 話を逸らされてしまったがこれ以上聞くなということだろう。
 何か変なことに巻き込まれていないならいいんだけど……。
まあ、それは多分大丈夫だと思う。
店長はそんな人じゃない、と信じたい……。
「では、今から崎宮さんは荷解きなど、好きにしてください」
「ありがとうございます」
「あと、夜ご飯食べながら今後一緒に暮らす上でのルールを話し合いたいと思います。なので僕が夜ご飯作ったら呼ぶのでその時はリビングまでお越しください」
「はい」
 では、というと店長は自分の部屋に戻って行った。
 「夜までに終わらせなくちゃ」
 私も新しい自分の部屋へ入り、荷解きを始めた。
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