運命の落とし穴

恩田璃星

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深まる落とし穴4

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 階段で1階まで降り玄関ホールに着くと、私の背中を押していたはずの矢吹に、いつの間にか手を引かれていた。

 「ちょ、矢吹!待って。どこ行くの!?」

 「俺の隠れ家」

 「私、お財布持ってないんだけど」

 矢吹と言い合っていると、エレベーター待ちをしていた円香が私に気付いた。

 「えっ?奏音ちゃん!?」

 私が円香に話しかけられても、矢吹の足が止まる気配はない。

 「円香、昨日はありがとう」

 「どこ行くの!?」

 「私も分かんない!!」

 「なんでとー!?」

 ずんずん進んでいく矢吹のせいで、円香の可愛らしい声は最後まで聞き取れなかった。

 会社の前に広がるメインストリートから、二本も三本も裏道に入り、辿り着いた矢吹の『隠れ家』は何ともレトロなカフェ…というより純喫茶と言った方がしっくりくる佇まいの店だった。

 扉を開けると、恰幅の良いマスターがすぐ矢吹に挨拶をした。

 「いらっしゃい…あれ?今日は一人じゃないんだ?珍しいね。もしかして、彼女?」

 「いやいや。残念ながら10年前、とっくに振られてる相手」

 いきなりその話をぶっ込まれて、胃が縮みかける。

 でも、矢吹の表情を見れば、実にあっけらかんとしていて、ほっとした。

 そりゃそうだよね。

 あれからもう10年も経ってるんだから、矢吹にとっては過去のはず。

 「背も高いし、うちの女房がハマってる宝塚にいそうな別嬪さんだね」

 「でしょ?そんでもってこんな風に再会しちゃったら、運命かもしれないって期待するでしょ?ってことで、まずはマスター特製のナポリタンで好感度上げとこうと思って」

 えっ!?

 なにそれ。

 どこまでが本気でどこまでが冗談が分からないのは、私の恋愛経験値が低すぎるから?

 「どんな再会したか知らないけど、また振られても俺のせいにしないでくれよ」

 マスターがキッチンに引っ込むと、矢吹はサッと席を立ち、セルフのお水を注いできてくれた。

 「マジでここのナポリタン絶品だから」

 にこやか水を手渡す矢吹につられて「そうなんだ、楽しみ」と引きつり笑いをする。

 「…心配するなよ、冗談だから。それに…その困った笑顔見せられたら、あの日のことガチで思い出すだろ?」



 高校の卒業式の後、私は一人理科準備室で羽立くんを待っていた。

 『明日で最後なので、式が終わったらいつもの理科準備室に集合しましょう』

 と、メールで誘って来たのは羽立くんの方からだった。

 告白する勇気はない。

 かと言って、これからも羽立くんとの友達関係を続ける図太さもない。

 矢吹とは無理でも、これから先羽立くんに恋人ができたときに、それを笑って祝福できない自分が簡単に想像できてしまう。

 物理的な距離ができるこの機に、私は新生活に早く慣れるため、羽立くんは受験に専念するために、連絡を控えようと告げることに決めた。

 式は国立の合格発表がまだのタイミングで行われたため、クラスメイトとの別れは思いの外あっさりしていて、私の方が早く理科準備室に着いてしまったらしい。

 羽立くんはきっと、卒業生からの告白ラッシュで足止めをくらっているのだろう。

 これは…長期戦かもしれないな。

 なんて考えていたら、予想より随分早く廊下から足音が聞こえて来た。

 ガラッと勢い良くドアが開き、「早かったね」と言いかけた私の口は、言葉を失った。

 「常盤、ここにいたのか。めちゃくちゃ探したー」

 理科準備室に入って来たのは羽立くんではなく、矢吹だった。

 「さ、探したって、私を?」

 「そう、常盤を」

 いつも明るい笑顔の矢吹が、急に真剣な顔をした。

 この顔、いつか一度だけ見たことがある。

 「忘れ物?」

 「あー、忘れ物と言えば忘れ物…」

 矢吹はブレザーの第2ボタンを引きちぎって、私に差し出した。 

 「うちの高校、学ランじゃないけど…常盤にもらって欲しい」

 「え?」

 「俺、常盤が好きなんだ」
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