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第1品「始まりはいつも勘違い」

少女と豆腐の危機……胸くそ悪いんすよ

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「こあぁぁぁ……かあぁぁぁぁぁ!」
「なんという魔力!  本当に士官クラスなのですか!」
「すごい……基礎強化系魔法なのに……これは修練に修練を重ねて初めてなせることだわ!」
「うっぷ……揺らすのマジ……」

  シーフの少女と豆腐の反応を見るに、インナマッソのパーフェクト鋼体術はすごいものらしかった。

  確かに凄まじい威力だった。大地が鳴動してソヨギの胃を細かく振動させ、視界の揺れが酔いを悪化させていく。

「……はぁっ!」

  インナマッソは両腕を開き、烈帛れっぱくの気合いとともに魔力を放出した。大地の揺れはおさまる……だが、魔力の放出を終えると、そこにいたのは禍々しいオーラを纏った超人だった。

  インナマッソは近くにあった象さんの遊具を殴りつけた。したについていたバネをぶち切るほどの拳打が、象さんを近隣の住宅へと吹き飛ばす。象さんが貫いた一軒家が、粉塵ふんじんをあげながら崩壊する。

「まずは小手調べだ……行くぞ!」
「シーフさまはソヨギさまのもとへ!」

  ふわり……とインナマッソが舞う。だがその動きは木の葉のように緩やかだった。豆腐のほうが遥かに速く動いて体当たりをかます――が、アニミスを吸収している豆腐の突進を、インナマッソは防ぎもしなかった。ゴウンッ!  と両者が激突すると、衝撃波がすべり台をぐにゃりと曲げる。

「やはりとてつもない鋼体術だわ……」
「……うっすぷ」

  近くに来たシーフの少女がごくりと生唾なまつばを飲みこんだ。インナマッソはその分厚い胸板で、豆腐の一撃を受けとめていたのだ。

「鋼体術は強化魔法の基礎なんだけど、その名のとおりに肉体を鋼のように固くする防御魔法なの。そのため柔軟さや俊敏さを失うことになる……弱ければそれはリスクにしかならない。でもあれほどの完成度だと、まさに結界のように攻撃が通じなくなってしまう……本当に士官なのか……それよりも、あれだけ強固だとわたしの精盗の短剣も通じないっ……!」
「……長いセリフっすね」

  正直どうでもよかった。なんでここでチュートリアルが始まったのかよりも、いまはただ猛烈な吐き気をどうするかが問題なのだ。

  思いきって吐くという選択肢もある……しかし、こんな公衆の面前で果たしてそれができるのか?

  答えは否だ。こんな少女の目の前で吐くわけにはいかない!  大人の情けない姿を見せるわけにはいかない!  少女はいつか大人になる。だからそう、大人の醜態しゅうたいをさらしてしまうことは、少女に強烈な幻滅を与え、それは心的外傷後ストレス障害PTSDとなり、わたし大人になんかならない!  というピーターパン症候群のような致命的な精神崩壊を起こさせてしまう!

  これはまさに模範的な社会人としての、心を摘む闘いにほかならなかった。

「ふ……我がパーフェクト鋼体術はその名の示すとおり、完全無欠の防御魔法にまで昇華されている。あのデスケテス殿ですら傷つけることはかなわなかったのだ……ぬうんっ!」

  インナマッソの拳が豆腐を殴りつけた。豆腐は悲鳴をあげながら、弾丸ライナーのように飛んで地面に突き刺さる。

「こ……この!」
「ほう……我が一撃を食らって息があるか。見たところ低位の護神のようだが……」

  なるほど、それでアニミスが重要になるのか、とソヨギはなんとなく納得していた。

  豆腐の女神は位の低い護神。そのため個体では充分な力を発揮できないので、食べてもらうことである種の覚醒をもたらすことに長ける。アニミスが充分にあればそんなことをしなくてもいい。しかし通常のアニミスでは、豆腐の驚異的な能力は発揮されないので、弱いまま、ということだ。そのせいで位が低い、ということになる。

  しかし適当にやった焼き豆腐の状態が、豆腐を強くしているわけだ。と、ソヨギはぐちゃぐちゃと考えることで吐き気に耐えていた。

「豆腐の女神に加勢しなきゃ。さあ精盗の短剣を渡して!」
「うっす……」

  ソヨギは片手で口を押さえながら精盗の短剣を渡した。少女が手にすると、精盗の短剣はバシュウッ!  とバーナーの火のように青い光を発した。それを見たインナマッソが笑う。

「勇者のひとりよ……そんなもので我が倒せるとでも?」
「わたしの非力をカバーするためにある聖剣よ!  あんたでも倒せるはず!」

  シーフの少女が戦闘に不向きな理由はそれか。ようするに強固なモンスターに対しては、攻撃が通用しないわけだ。それを補う力を持つのがその精盗の短剣なんだろう。と、ソヨギは胸のあたりにある強烈な違和感を忘れようとした。

  こみあげてきている……だがせめてこっそり吐けるシチュエーションになるまで、諦めるわけにはいかない!

「果たして通じるかな?  その脆弱な刃が!」
「このおぉぉぉぉ!」

  シーフの少女がインナマッソへと走った。インナマッソも少女へと飛ぶ。少女は短剣を閃かせ、インナマッソの胸のあたりを切りつけた。ガキィィィンッ!  という金属音がソナーのように広がった。刃を鋼体術があっさりと受けとめている。しかし少女はすぐに短剣をズバッと振り抜いた!

   ビュワァッ!  と精盗の短剣が青い光を発しながら風を起こし、青い炎のような短剣の軌跡が、インナマッソの胸板に残る。インナマッソは精盗の短剣の威力で、バンザイをしながら停止していた。が――

「効かぬわ!  聖剣恐るるに足らず!」
「くそっ!」

  シーフの少女はインナマッソの拳を体をひねってかわした。身軽な少女に拳はあたらず、凄まじい拳圧が空を切る。

  ……スタッと両者が地面に着地した。インナマッソの胸にあった精盗の短剣の軌跡は、奴が手で払うと消えてなくなる。ダメージはなさそうだった。

「ふっ……無駄な足掻きのようだな」
「戦いは始まったばかりよ。英霊の雫石を渡しなさい!」
「雫石……雫石か……くっははは!」

  インナマッソが豪快に笑う。ソヨギはそのあいだに地面でもがいている豆腐を引き抜いた。焼き豆腐の表面硬化のおかげか、こちらもダメージはないようだった。

「ありがとうございます、ソヨギさま」
「……っす」
「なにを笑うのよ!」
「いつまでも破滅王さまの脅威を持っていると思うか?  地上派魔軍の軍師、ベアフロンティアさまに献上しておるわ。とっくにな!」
「そんな!」

  シーフの少女が驚愕に膝を曲げた。地面にへたりこみ、精盗の短剣が手からこぼれる。手に持っている豆腐が喋り始めた。

「ベアフロンティア……!  かつて破滅王と世界の覇権を争ったという、神魔獣の手に英霊の雫石が渡っていたなんて……」
「……王道っすぷね」
「ソヨギさま、手をお離しください。英霊の雫石が手にはいらないのなら、せめてインナマッソからシーフさまを守らねば……護神として!」

  ソヨギが手を離すと、豆腐がインナマッソへと空中疾走した。そのままインナマッソの横っ面を叩く。しかしインナマッソは顔を動かしただけでダメージはない。豆腐はインナマッソを通りすぎると空中で浮遊した。

「シーフさま!  英霊の雫石は護神たちでなんとかします!  なのでシーフさまはせめて生き延びてください!」
「豆腐の女神……あなたまさか!」
「さあ……インナマッソ!  この神技を受けとめる勇気があなたにはありますか!  炎のアニミスと融合したいまだからこそ可能な絶技を!」

  瞬間、豆腐を赤い球体が包みこんだ。その球体の内部は赤と黄の力が揺らめいていた。その炎を表すような球体は、まるで空気を溜めこむ風船のように大きくなっていく。それはアニミスの凝縮なのだと分かる。

「ほう……たいしたアニミスだな!  だが我に通用する攻撃など存在せぬわぁ!」
「やめて豆腐の女神!  わたしなんかのために命を捨てるつもり!?」
「いいのです……シーフさま。わたしの役目は勇者パーティーをお守りする……その一役なのです!  命など、とっくに勇者さまたちに捧げているのです!  消滅しなさいインナマッソ!  炎戈超暴神技ファイソフボニアあぁぁぁぁ!」

  キュン……キュン……キュン、キュン、キュンキュンキュンキュン――!   ゴアガァァァァッ!

  まるで超電磁砲のような巨大な光の帯が豆腐から放たれた。インナマッソはそれをまともに受けとめる。

「なにぃ!  アニミスのレベルがけた違いだとおぉぉぉぉ!」
「あ……死亡フラグだ……」

  かなり高温の熱波がソヨギにまで届く。まるで電気ストーブのまえにいるようで、少し嘔吐感がおさまったような気がする。そうか……体が冷えていたせいだったのか。ドゴオォォォォンッ!

「はう……ぐうぅ……」
「豆腐の女神ぃ!」

  ファイソフボニアを放った豆腐がぽとりと落ち、涙目のシーフの少女が駆けよっていく。ソヨギは精盗の短剣を忘れてますよ、と拾いに向かった。

  絶技が放たれた場所では炎と土煙がもうもうとわきあがっていた。そのなかにインナマッソとおぼしき影が見える。絶技の中心は相当な高温で、蒸発してもおかしくなさそうだったが、パーフェクト鋼体術とやらの防御力も相当なものだったのだろう。

「豆腐の女神!  女神ぃ……目を開けてよう!」
「どこに目が……?」

  同じ世界の人間にはその本来の女神の姿が見えているのかもしれない。ソヨギの目にはただの豆腐にしか見えなかった。豆腐は炎のアニミスを使い果たし、ただの絹ごしに戻っていた。ソヨギは精盗の短剣を拾ってからてくてくと向かう。

「シーフさま……いまのう……ちに……」
「いや!  女神死なないで!」
「よいのです……これが……務め……」
「うぅ……わたしが英霊の雫石を奪われるなんて失態を犯さなければ……」

  なんだかいろいろと物語があるらしかった。ソヨギはなんとなく近よりがたくて遠巻きにしていた……と、

  ゴゴゴゴゴ…………!

  と、大気が震え始めた。ただならぬ気配を感じて炎の渦となったインナマッソを見る。

「ぶるぁあぁぁぁぁっ!」

  あろうことか、インナマッソはあの攻撃を受けていながらも生きていた。拳を天空へと突きだし、その魔力の解放がファイソフボニアの炎を上空へと吹き飛ばした。

「きゃあぁぁぁ!」

  爆風でシーフの少女が吹き飛ばされそうになって悲鳴をあげている。四つん這いなっているところに、瀕死の豆腐が近づいていく。そして少女の手にぺたりと乗った。少女を支えているのだろう。

「……女神!  そんな体で……」
「逃げて……!」

  ぼーっと眺めているソヨギも爆風を受けて、順調に体が冷え始めていた。体が冷えることによる肉体の緊張が胃を刺激する……こっちはこっちで悪夢の再来である。

「ふしゅうぅぅぅ……なかなかの技だったと褒めておこう。我が肉体をここまで追いこむ護神がいるとはな……」

  インナマッソの肉体からは蒸気のように煙が立ちのぼっている。かしづいたような姿勢からゆっくりと体を起こし、片腕を押さえていた。

「かぶりもの燃えないんすね……」
「だがしかし!  これでうぬらには打つ手がなくなったぞ!」
「……まだ……生きてるもん!」
「シー……フさま……?」

  シーフの少女は体を震わせながら涙を流し始めた。寒さ……ではないだろう。どうしようもない絶望が少女を苦しめているのだ。

「生きてるなら諦めちゃだめなんだもん……それが使命だから……わたしだって勇者のひとりなんだから……!」

  少女はべそをかきながら豆腐からそっと手を離して立ちあがった――そのとき、大粒の涙のひとつが、豆腐にぽたりと落ちた。雫は波紋のように広がり、豆腐が淡く輝く……

「シー……フ……さま?  シーフさま……なんと優しい涙なんでしょう……自爆の負傷が癒えるなんて……」
「わ……わたしだって勇者だもん!  ひぐ……まだ諦めないんだから!  世界を背負う……ひっく……戦うんだからぁぁぁぁぁっ!」

  ザッと砂を蹴り、シーフの少女が絶叫しながら走りだす。それをインナマッソは笑い飛ばしながら待ちかまえた。

「茶番は飽きたぞ小娘!  聖剣も我には効かぬのだ!  いったいどうすると言うのだ?  そこの護神のように自爆覚悟か。パーフェクト鋼体術には通用せぬぞ……時間の無駄だ!  死ねぇい!」
「こんのおぉぉぉぉ!」
「シーフさまぁぁぁぁ!」

  シーフの少女がその手にアニミスらしき輝きを握る。豆腐がそれを追って疾走した。インナマッソが緩慢かんまんに拳を振りかざす。ソヨギはどうしたもんかと吐き気に耐える。

  少女はインナマッソの拳をよけて体に密着すると、アニミスを叩きつけた。だが軽いのかインナマッソはびくともしない。豆腐が障壁魔法に身を包みインナマッソへと激突するが、再度の拳でこちらへと弾き飛ばされてきた。ほとんど同時にシーフの少女も蹴りを食らい、こちらに吹き飛ばされてくる。

  ずさぁっ!  とソヨギの足下で、少女と豆腐が停止した。

「うぅ……」
「シーフさまぁ……!」

  インナマッソがこちらへと歩みよってきながら、不満げに表情を歪める。

「ふん……小娘同様、我も攻撃力に乏しいのだ。とっさでは力の溜めが不充分のようでな……パーフェクト鋼体術のデメリットと言ったところか。それがデスケテス殿の猛攻に耐えたながらも勝てなかった理由よ」
「悔しい……悔しいよぉ……!  勇者なのに……わたしだって……」
「く……くぅ!  護神として……お守りしなければ……!」

  ソヨギは――ふたり(?)を見おろしながら吐き気に耐えている。早く漫喫に向かいたいのだが、これを放っておくのもなんだか後味が悪い。

「ん?  なんだ人間……まさか我に刃向かうつもりか?」
「いや……なんか……」

  ソヨギは無意識に両者とのあいだに割ってはいっていた。

「逃げたりとかでき……うっぷ……ます?」
「ソヨギさま……いくらエルアニミストとは言え無謀……」
「お兄さん……ダメだよ……人間じゃあ勝てない……」

  ソヨギはふたりを見おろしていた。なんだろう……少女の涙や豆腐の姿を見ていると、なんだか……

「はははははっ!  捻り潰してくれるわ!」
「……痛いっす」

  インナマッソに胸ぐらを掴まれて持ちあげられる。息がつまる……だが恐怖はまったくない。二日酔いの影響が思考能力を低下させているため、夢のなかにいるような気分だった。そして勝ち誇ったように笑うインナマッソを見おろしていると――そう、そうだ。ソヨギのなかでそれは明確な言葉になった。

「……胸くそ悪いんすよ」
「ほう、言うではないか。小娘の泣き顔を見て人間特有の正義感でも刺激されたか」
「胸くそ悪いんすよ……!  とにかく……!」
「では我を倒してみろ!  やってみるがいい脆弱なその細腕で我を殴りつけるがいぃぃぃぃぃ!?」
「……おえー」

  インナマッソの語尾のキーは高くなっていた。胸くそ悪さが限界に達し、ソヨギは戻してしまったのである。ほとんど真上に持ちあげられていたため、インナマッソは頭からゲロをかぶる。びちゃちゃちゃ……そしてそれは起こった。

  ソヨギの放った吐瀉物としゃぶつにより、インナマッソの体から禍々しいオーラが消失していく!

「貴様まさかこれを狙っていたのかぁ!」
「ああ……!  ソヨギさまの放った酸属性がインナマッソの弱点だったのですね!」
「すごい……これがエルアニミストの実力なの!?」
「んな馬鹿な……おっと」
「うぐあぁぁぁぁ!」

  慌てたインナマッソがソヨギから手を離した。そのときちょうど持っていた精盗の短剣が肩に刺さる。ソヨギは地面に尻餅をついてそれを見あげていた。

「すんません……痛そうっすね」
「いま……が、好機!」

  すかさず少女がインナマッソへと飛びあがった。肩に刺さった精盗の短剣の柄を持ち、両足を体につけて振り落とされないような態勢になる。

「これが聖剣の力よ!  とくと味わいなさい!」
「くわぁぁぁぁ!  我の生命力がぁぁぁぁ!」

  精盗の短剣が青く輝くと、みるみるインナマッソの肉体がしぼんでいく。どうやら相手の生命力を奪う力があるらしい。

「あ……水飲み場だ……」
「ソヨギさま?」

  その後の展開は予想できたので、とにかく口をゆすぎたい。豆腐を持ってブランコ近くにある水飲み場へと向かう。水をだしてガラガラペッを三回繰り返し、次に豆腐へびしゃびしゃと水をかけた。すると、

「これはまさか回復魔法ではっ!」
「……違うと思います」

  ソヨギはブランコ近くに置きっぱなしだった皿を取って豆腐を乗せてやる。そして少女とインナマッソのほうへと歩きだした。すっかり含水量を取り戻した豆腐が喋る。

「ソヨギさま?  どうしてインナマッソのパーフェクト鋼体術の弱点を知っていたのです?」
「……たまたまなんすけど」
「たまたま!  ただの運で属性相性を看破かんぱしたのですか……まさかソヨギさまは運命選定師フォーチュナーでもあるのですか!」
「そうなんでも役職で済まされちゃうと……」

  そろそろ専門用語がでてきすぎである。ソヨギは、とりあえずあとでまとめたほうがいいかな?  と思いつつ、消滅寸前のインナマッソと、必死に世界を守ろうとしている少女を眺めていた。

                                                         続く
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