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青出 風太

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薄青と記憶 5

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―オクタ―

12月26日

(早く、シャワーに……)

 雪の降りしきる深夜、明滅する電灯を頼りに一人の男が家路についた。

 世間はクリスマスが終わったばかり。まだ若干浮ついた雰囲気が漂う中、年末に向けて慌ただしく時が過ぎてゆく。

 凍える体をコートに包み、男は気だるげな足取りでアパートまで帰って来た。

 2階の奥。玄関扉を押し開け暗い家の中に体を滑り込ませる。

 ここはこの男、組織から「オクタ」のコードネームを与えられた工作員が一人で住んでいるアパートの一室だ。近くの駅からは車で15分ほど離れており、都会とは言えないが、それなりに活気があり栄えている。

 そんなよくある住宅地の隅に、まるでそこだけが取り残されてしまったかのように寂れたアパートが建っていた。


 彼を出迎える人物はおらず明かりはおろか、暖房もついていなかった。

 仕事用のぶ厚いコートを脱ぎ捨てると、オクタはフラフラとした足取りで浴室に向かう。

 今日の仕事を終えたら次の仕事には時間が空くと言われていたため、しばらく外出の予定はない。シャワーで体についた血と硝煙の匂いを雑に洗い流すだけにとどめて浴室を出る。身体に付いた雫が冷えた空気に晒されより肌寒く感じた。

 生乾きのタオルで頭を拭きながらテレビ、暖房をつけ、キッチンに向かう。ポットに水をセットしてスイッチを押した。

(早くコーヒーを……)

 コーヒーを作るための顆粒瓶を置いていた場所へ視線を向けたとき、いつもの場所に瓶が無いことに気づいた。

 オクタはこのアパートに一人で住んでいたのだが、実はチームメンバーが暇を見つけては頻繁にこの家を訪れていた。

 オクタからしてみれば休日だというのに仲間達が集まってきて居座っているのだから鬱陶しい以外のなにものでもなかったが、追い出すほどのものでもないと黙認していた。


 彼らもただの暇つぶしで来ていたわけではない。

 オクタは数年前、10年弱という長い時間を共にした生徒「こがらし 恵冬けいと」を初仕事に送り出した。しかし、帰って来たのは「死亡した」という無機質なメッセージのみだった。

 オクタはあらゆる手段を用いて仕事の記録を洗ったが、どれもその死を覆せるものではなかった。

 初めての生徒を亡くし茫然と死場所を求めて戦うオクタを気遣い、彼が自ら死を選ばないようにとチームメンバーはアパートを訪れていたのだが、最近はオクタも無茶な戦い方をすることが減って来たため、ただそこに居るだけになっていた。

(そういえばこの前飲んでったやつが最後だったか?)

 数日前に来たラーレがコ-ヒーを飲んで行ったこと、空になった瓶を「最後に飲んだなら捨てろよ」とか「切らしたなら新しいの持ってこいよ」などと言いながら捨てたことを思い出した。

 体が冷える。何か温かいものをと思ってキッチンの棚を漁るがすぐに飲めるものはスティックタイプのココアしか無かった。

 オクタはココアを飲まない。チームメンバーでココアを飲みそうな人物は一人しかいない。

(リラのやつこんなもん置いていきやがって……ココアは甘ったるくてあんまし……はぁ、仕方ないか)

 オクタの同期のリラだ。最近は本部で“先生”をやっているせいか、会う機会は少なくなったが、彼女もまたオクタを気遣い顔を見に来ることがあった。その時に置いていったのだろう。

 背に腹は変えられず、沸いたお湯でホットココアをいれた。

 ココアを口にした途端、甘いカカオの香りが広がり眉間にしわを寄せたが体は温まった。やっぱり甘すぎるものは合わないと一息ついてから日課の筋トレを始めようとしたところで、インターフォンが鳴った。

(こんな時間に誰だ?)

 時刻は23時を過ぎている。こんな夜更けに宅配などあり得ない。チームメンバーならいつの間にか勝手に作られていた合鍵で入ってくるはずだ。

 思い当たる来客もなく、オクタはシャツに手を伸ばす。音を立てないようにドアに近づき覗き穴から外を確認するが誰も映っていなかった。右手に折りたたみ式のナイフを握り込み、半身になって左手で玄関を開ける。

 凍えるような風とアパートの廊下に付けられた今にも消え入りそうな電灯の光が部屋に入りこむ。

 ドアの外には二人の来客がいた。平均的な身長をした糸目の男と、白い服を着た小柄な子ども。1人は見知った顔だった。男の方は――

「……ライースか」

「はい。オクタさん、こんばんは。いや、お疲れ様、の方が合っていますか?」

 ライースもオクタと同期の工作員でたまに会えば飲んだりする程度の仲だ。そう言っても特段仲がいいというわけでもない。同期の生き残りが数人しかいないと言うだけのことだ。

 策略家で頭が回る。機転の良さを買われてつい最近部隊から本部へ栄転したばかりだった。

「ライースか。本部の奴が何の用だ?」

 早く日課の筋トレを済ませてしまいたいオクタは帰ってくれという雰囲気を前面に押し出しながら話す。しかし、そんな嫌味な態度をライースはものともしない。

「そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。私も仕事なんですから」

「仕事だ?俺は今終わらせたばかりなのにか?ご苦労なこった」

「まあまあ、一回上がらせてくださいよ。私はこのまま外で話していても構いませんが、こちらの彼女は裸足ですよ?」

 言われてオクタが注意深く見てみると子どもの方は確かに裸足で雪の上に立っていた。足がかじかみ真っ赤になっているが、震える様子もない。

 フード付きのポンチョを身に着けており、ライースに言われるまでその子どもが少女であることに気がつかなかった。

(羽織ってるのは知らんが、この服……あの施設のものか?変なもん羽織らせてやるくらいならここくる間に靴くらい履かせてやれば良いのに……家に入るための言い訳か?)

 ライースには姑息なところがある。話をスムーズに自分のペースで進めるためのネタを用意していたのだろう。

「……すぐに帰れよ」

 オクタは二人を家に招き入れる。

「言われずともすぐに帰りますよ。私はね」





 ソファーに二人を座らせ、オクタもテーブルを挟んで向かい合うように椅子に座った。少女のほうには沸いていた残りのお湯で作ったココアを出し、タバコに火をつけた。

 彼女はまだ小学一年生くらいだろうか、幼くこれからのことを考え緊張している様子が見て取れた。目が暗く、疲れているように見えた。

(恵冬……あいつが来た時と同じくらいか)

 目の前の少女にかつての教え子の姿を重ねる。目の前のココアが気になっているようだったが、手を伸ばそうとしないのでココアを飲んでもいいと伝えると恐る恐る手を伸ばし、こちらの様子をうかがいながらちびちびと飲み始めた。

 タバコに口を付け、煙を吐き出す。こころなしか彼女の目に光が戻ったように思えた。

「で、話ってのは――」
「――この子のことですよ」

 言葉を遮られる。冷静で相手を手玉に取るライースにしては珍しくやけに食い気味な様子だ。

 少女はビクリとしてカップを置いた。

「単刀直入に言いますね。この子、吹雪六花の教育係をお願いします。
“どのような状況化にあっても必ず生還する。貴方の能力を超える暗殺者に”
との事です。お願いしますね」

 タバコの煙を手で払いながらライースは言う。

 オクタは面倒くさそうに背もたれにもたれかかったまま返す。

「嫌だと言ったら?」

 オクタは幼い時の記憶がない。物心ついた時すでに組織におり、大人たちに逐一あれこれ指示を受け、戦う術を教え込まれる完全に管理された生活を送っていた。

 8歳になった時、連れてこられた施設でライースたちと出会い、ともに長く厳しい訓練課程を経て組織でも指折りの工作員へと成長した。

 人々を守るため、そして自身が生き残るために腕を磨き、疑うこともなく言われるがまま戦い、殺して来た。

 しかし、そんな戦いの中に生きてきたオクタを変えたのは恵冬だった。

 彼女を育て、自分を知るうちにヒトの心が戻ったというべきか。多くの人を守るために力を磨いてきたはずが、それを守るべき子どもたちに教え、自らと同じ死地に追いやろうとしていると気づいた時オクタは焦りに似た感情を覚えた。

 それが何なのか分からないまま時間を過ごし、恵冬を亡くした。


 その感情の正体に気づいた時にはすでにオクタの手は血で固まり、取り返しのつかないところまで来ていた。

 オクタはこれ以上この道に進む子どもたちを増やすべきではないと思うようになっていた。

(それに……)

「……正式に本部のほうで教育してもらえよ。俺より安定して育つだろ」

「本部のほうも今は忙しくてですね。ほら、最近名前持ちがまた二人減ったでしょう?教育しようにも人が足りないんですよ。それに堅実や安定じゃ困るんです。貴方の突出した格闘能力が必要なんです」

「そうは言ってもよ――」

「――はぁ、貴方。組織の命令に反抗するおつもりで?」

 そう言ったライースの雰囲気には明らかに先ほどまでの柔らかさがなかった。

(マジなわけか)

「……分かった」

 仕事を引き受ける時、いつもオクタは機械のように淡々と返事をしている。気持ちは関係ない。そうするべきだと教育されてきたせいだ。

(せめて、この子だけでもまともに育ててやりたいが……)

 組織に来た以上まともには育たない。オクタやライースのように生き残り戦い続けるか、仕事の中で命を落とすか。二つに一つだ。



「……それに、これは貴方のためでもあるんですよ。オクタ」

 ライースの去り際のセリフはオクタには届かなかった。
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