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File 4
薄青と記憶 1
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―ヘキサ―
時は8年前に遡る。
12月25日 AM5:58
六花は硬いベッドの上で目を覚ます。低い偽物の天井に圧迫感を覚えながら冷えた身体を起こす。
六花に与えられたベッドは室内に4つある2段ベッドのうち最も窓に近いベッドの下の段だった。
7歳の六花が起きるには若干早いくらいだが、施設に拾われてからこの生活を始めてすでに2年近くが経っていた。
どんな子どもでも。いや、子どもだからこそ。2年も続けていればどんな生活にも慣れることができた。
六花の目に薄暗い部屋が写る。2段ベッドがいくつか並べられただけの部屋は質素を通り越して乾いていた。差し込む冷たい朝日に視線を移し、薄青色の空をぼんやりと眺めた。
(そろそろ起きてくる頃か)
六花の想像通り、隣のベッドの男子二人が起き始め、続いて六花の上の段で寝ていた女の子も、もぞもぞと起き始めた。
「おーおはよ!大ちゃん」
「おぅ!テツも起きたか!さっさとベッドから出とけよ~」
大ちゃんと呼ばれたのは9歳になったばかりの大樹。テツと呼ばれた方は施設にやって来たばかりの6歳、哲哉だ。大樹は勝気なガキ大将で、哲哉はその弟分。絵に描いたような親分子分だ。
(わかってたけど、はぁ……五月蝿い)
ルームメイトがそろそろ起きると分かっていたのには理由がある。部屋の外から足音が聞こえてきた。
(来た)
足音の主は部屋の扉の前で止まったかと思えば、間髪入れず扉をバッと押し開けた。
「皆さん!おはようございます!いや~今日もいい朝ですね~昼頃から雪が降るらしいですよ。起きてない子はいないかな!?」
彼はこの施設の職員。これと言った外見的な特徴はない。短く切り揃えられた髪や穏やかな言葉遣いから優しそうな印象を受けるが、本心では何と思っているのかわからないところがあった。
毎朝必ず6時ちょうどに起こしに来ては全員が起きているか確認する。もし寝坊している子どもがいようものならば、その瞬間にペナルティが確定する。
彼は基本的には事なかれ主義だが、ペナルティが確定すると途端に嬉しそうな表情を浮かべるせいで施設の子どもたちからは薄気味悪がられていた。
だからというわけではないが、この施設に来て時間の経った子どもはそのペナルティを避けるため、6時前に起きれるようになるし、そうなれなければ同じ部屋の子供たちから目の敵にされてしまう。
「はい!今日も皆さんきちんと起きれて偉い!元気に授業が出来そうですね~」
この施設には授業という名のトレーニング時間が存在している。朝食を摂ってから4時間の基礎トレーニング、昼食後の3時間は組手などをはじめとした模擬戦闘を行わされ、競い合うことで順位づけがなされる。
六花もこんなものが普通の施設とは思っていなかったが、子どもの身で施設を抜け出しても生活していくことはできず、この施設の慣わしに従っていた。
六花はベッドから出て服を着替える。施設から子どもたちに用意されているのは白い質素な服だけ。
何の飾り気もないシャツに男子なら長丈のズボン、女子なら膝丈くらいのスカートと、男女で若干の違いがある。
着る服は毎日同じもので1人当たり3着用意されているものを着まわしていた。
「まずは朝ごはん。しっかり食べないと力は付きませんからね!」
男の指示に従い六花たちは食堂へと向かう。廊下を歩く途中、六花の前の男子たちがヒソヒソと話し始めた。
「おい、今日はあの人が来るって本当かな?」
「あのおばさ、お姉さん?」
男子たちの話のネタはここ数日ある女性で持ちきりだ。
60後半くらいのお婆さんで、小さなメガネをかけている。決してお姉さんなどという歳ではない。曲がった背中を摩りながら、杖を頼りに歩き、施設をさっと見て回るのだ。
月に数回程度表れる変わった老人で施設の職員とも仲が良いらしく、職員の側から挨拶に行くほどだった。
桃色の可愛らしい花の刺繍のついた巾着を常に持っていて歩いた後には微かに花の香りが漂っていた。
男子たちはその女性を裕福な家の人だと考え、今の暮らしを脱するために積極的に声をかけたり荷物を持とうとしたり、アピールに必死だった。お姉さん呼びもその1つだ。
(あの人今日も?また男子が五月蝿くなる……)
老婆は施設に顔を見せても、その都度引き取っていくわけではない。しかし、今までに気に入った子どもがおらず、一度も引き取っていったことがないということもない。
頻繁に姿を見せては何度も子どもを連れて行く。その理由など六花には考えたところで分かるはずもない。ただ、裕福な老人の道楽程度に六花は考えていた。
そして、それを裏付けるかのように彼女はこの間、一人の女の子を連れて行った。
この施設では授業の成績が全てだ。頭の賢さというよりも一対一での取っ組み合い、腕っぷしの強さが評価される。その評価はいつも廊下に張り出され、いつでも子どもたちの目につくところにあった。
だが、成績が良いからと言って施設内で特別扱いされるということもない。ならば、何のための順位なのか。上を目指す理由も落ちないよう足掻く理由もない。ただただ結果としてそこにあるだけ。
初めは意識して見ていた子どももいたが、六花の知る限り、一週間連続で見続けていた子どもはいない。
すぐさまそれが自分らに影響を及ぼすものでないと分かると、あっという間に子どもたちの興味の対象から消えた。
いつからかそんなものがあったことすら忘れてしまう子どもも現れ、忘れ去られた順位表は完璧な背景と化していた。
しかし、六花は違う。施設に引き取られてすぐ、両親の死の真相に耐えきれなかった六花はがむしゃらに順位を上げることのみを考えていた。自分に出来ることがそれしかなかったというだけでなく、戦っている間は両親のことを思い出さずに済んだからだ。
半年もすれば六花は常に1位をキープするようになった。
そんな六花だからこそ気づいたことがある。あの老婆が引き取っていく子どもの多くは順位が3位以上のものであるという法則だ。
1位である六花がこの施設に居続けているため、2位か3位を引き取っているというべきなのだが、ここ2年観察して順位の高いものほど引き取られていくという傾向があることは間違いないと気づいた。
成績は引き取り手探しに使われているのだ。事実それに気づいてから注意深く順位表を見ているとその考えを裏付けるように評価の高い子どもほど施設から消えていった。
引き取られていく基準は成績順で間違いないと、そう考えていたが、ついこの間老婆に引き取られた女の子は下から数えた方が早いどころか最低評価クラス。どちらかといえばドジな子どもだった。
ならばこの順位の意味は何なのか、六花には分からなくなってしまった。
しかし、引き取る子どもがいようといなかろうと、成績が良かろうと悪かろうと彼女は必ず来て子どもたちの顔を見て帰る。六花はこの2年、彼女が来なかった月を知らない。
自分の考えが外れていたことで、よりあの老婆に不気味な印象を覚えた六花はここ数週間、彼女を避けていた。
PM3:52
「―っ!」
「くそっ、早い!」
六花は素早く大樹の拳打を潜り抜け、ミドルキックを放つ。蹴りをガードしようとして引いた瞬間、ミドルキックを中断し左膝での蹴りに切り替えた。
追いかけるように距離を詰めた蹴りをもろに受けた大樹は膝をついた。
「そこまで!お見事です六花」
「……」
男は六花に賞賛の言葉を贈ったが、六花はそれに一瞥するだけで言葉は返さなかった。
毎日こんな組手まがいのことを続けているとはいえ正式に訓練を受けた兵士ではない。技の威力などたかが知れているが、大樹は攻撃を避けられなかったことを悔しんだ。
「もう一度!もう一度だ六花」
「大樹!今日の授業はもう終わりです。ですが良い心意気です。もう一度はまた明日まで取っておいてください」
大樹は納得いかなそうにしていたが、施設内での喧嘩は固く禁止されている。苦虫をかみつぶしたような顔で「はい」と返事をした。
「二人とも凄いわね……私のボディガードに欲しいくらいだわ」
今日は珍しくあの老婆が見に来ていたから大樹もいいところを見せようとしていたのだが、失敗に終わってしまったようだ。
時は8年前に遡る。
12月25日 AM5:58
六花は硬いベッドの上で目を覚ます。低い偽物の天井に圧迫感を覚えながら冷えた身体を起こす。
六花に与えられたベッドは室内に4つある2段ベッドのうち最も窓に近いベッドの下の段だった。
7歳の六花が起きるには若干早いくらいだが、施設に拾われてからこの生活を始めてすでに2年近くが経っていた。
どんな子どもでも。いや、子どもだからこそ。2年も続けていればどんな生活にも慣れることができた。
六花の目に薄暗い部屋が写る。2段ベッドがいくつか並べられただけの部屋は質素を通り越して乾いていた。差し込む冷たい朝日に視線を移し、薄青色の空をぼんやりと眺めた。
(そろそろ起きてくる頃か)
六花の想像通り、隣のベッドの男子二人が起き始め、続いて六花の上の段で寝ていた女の子も、もぞもぞと起き始めた。
「おーおはよ!大ちゃん」
「おぅ!テツも起きたか!さっさとベッドから出とけよ~」
大ちゃんと呼ばれたのは9歳になったばかりの大樹。テツと呼ばれた方は施設にやって来たばかりの6歳、哲哉だ。大樹は勝気なガキ大将で、哲哉はその弟分。絵に描いたような親分子分だ。
(わかってたけど、はぁ……五月蝿い)
ルームメイトがそろそろ起きると分かっていたのには理由がある。部屋の外から足音が聞こえてきた。
(来た)
足音の主は部屋の扉の前で止まったかと思えば、間髪入れず扉をバッと押し開けた。
「皆さん!おはようございます!いや~今日もいい朝ですね~昼頃から雪が降るらしいですよ。起きてない子はいないかな!?」
彼はこの施設の職員。これと言った外見的な特徴はない。短く切り揃えられた髪や穏やかな言葉遣いから優しそうな印象を受けるが、本心では何と思っているのかわからないところがあった。
毎朝必ず6時ちょうどに起こしに来ては全員が起きているか確認する。もし寝坊している子どもがいようものならば、その瞬間にペナルティが確定する。
彼は基本的には事なかれ主義だが、ペナルティが確定すると途端に嬉しそうな表情を浮かべるせいで施設の子どもたちからは薄気味悪がられていた。
だからというわけではないが、この施設に来て時間の経った子どもはそのペナルティを避けるため、6時前に起きれるようになるし、そうなれなければ同じ部屋の子供たちから目の敵にされてしまう。
「はい!今日も皆さんきちんと起きれて偉い!元気に授業が出来そうですね~」
この施設には授業という名のトレーニング時間が存在している。朝食を摂ってから4時間の基礎トレーニング、昼食後の3時間は組手などをはじめとした模擬戦闘を行わされ、競い合うことで順位づけがなされる。
六花もこんなものが普通の施設とは思っていなかったが、子どもの身で施設を抜け出しても生活していくことはできず、この施設の慣わしに従っていた。
六花はベッドから出て服を着替える。施設から子どもたちに用意されているのは白い質素な服だけ。
何の飾り気もないシャツに男子なら長丈のズボン、女子なら膝丈くらいのスカートと、男女で若干の違いがある。
着る服は毎日同じもので1人当たり3着用意されているものを着まわしていた。
「まずは朝ごはん。しっかり食べないと力は付きませんからね!」
男の指示に従い六花たちは食堂へと向かう。廊下を歩く途中、六花の前の男子たちがヒソヒソと話し始めた。
「おい、今日はあの人が来るって本当かな?」
「あのおばさ、お姉さん?」
男子たちの話のネタはここ数日ある女性で持ちきりだ。
60後半くらいのお婆さんで、小さなメガネをかけている。決してお姉さんなどという歳ではない。曲がった背中を摩りながら、杖を頼りに歩き、施設をさっと見て回るのだ。
月に数回程度表れる変わった老人で施設の職員とも仲が良いらしく、職員の側から挨拶に行くほどだった。
桃色の可愛らしい花の刺繍のついた巾着を常に持っていて歩いた後には微かに花の香りが漂っていた。
男子たちはその女性を裕福な家の人だと考え、今の暮らしを脱するために積極的に声をかけたり荷物を持とうとしたり、アピールに必死だった。お姉さん呼びもその1つだ。
(あの人今日も?また男子が五月蝿くなる……)
老婆は施設に顔を見せても、その都度引き取っていくわけではない。しかし、今までに気に入った子どもがおらず、一度も引き取っていったことがないということもない。
頻繁に姿を見せては何度も子どもを連れて行く。その理由など六花には考えたところで分かるはずもない。ただ、裕福な老人の道楽程度に六花は考えていた。
そして、それを裏付けるかのように彼女はこの間、一人の女の子を連れて行った。
この施設では授業の成績が全てだ。頭の賢さというよりも一対一での取っ組み合い、腕っぷしの強さが評価される。その評価はいつも廊下に張り出され、いつでも子どもたちの目につくところにあった。
だが、成績が良いからと言って施設内で特別扱いされるということもない。ならば、何のための順位なのか。上を目指す理由も落ちないよう足掻く理由もない。ただただ結果としてそこにあるだけ。
初めは意識して見ていた子どももいたが、六花の知る限り、一週間連続で見続けていた子どもはいない。
すぐさまそれが自分らに影響を及ぼすものでないと分かると、あっという間に子どもたちの興味の対象から消えた。
いつからかそんなものがあったことすら忘れてしまう子どもも現れ、忘れ去られた順位表は完璧な背景と化していた。
しかし、六花は違う。施設に引き取られてすぐ、両親の死の真相に耐えきれなかった六花はがむしゃらに順位を上げることのみを考えていた。自分に出来ることがそれしかなかったというだけでなく、戦っている間は両親のことを思い出さずに済んだからだ。
半年もすれば六花は常に1位をキープするようになった。
そんな六花だからこそ気づいたことがある。あの老婆が引き取っていく子どもの多くは順位が3位以上のものであるという法則だ。
1位である六花がこの施設に居続けているため、2位か3位を引き取っているというべきなのだが、ここ2年観察して順位の高いものほど引き取られていくという傾向があることは間違いないと気づいた。
成績は引き取り手探しに使われているのだ。事実それに気づいてから注意深く順位表を見ているとその考えを裏付けるように評価の高い子どもほど施設から消えていった。
引き取られていく基準は成績順で間違いないと、そう考えていたが、ついこの間老婆に引き取られた女の子は下から数えた方が早いどころか最低評価クラス。どちらかといえばドジな子どもだった。
ならばこの順位の意味は何なのか、六花には分からなくなってしまった。
しかし、引き取る子どもがいようといなかろうと、成績が良かろうと悪かろうと彼女は必ず来て子どもたちの顔を見て帰る。六花はこの2年、彼女が来なかった月を知らない。
自分の考えが外れていたことで、よりあの老婆に不気味な印象を覚えた六花はここ数週間、彼女を避けていた。
PM3:52
「―っ!」
「くそっ、早い!」
六花は素早く大樹の拳打を潜り抜け、ミドルキックを放つ。蹴りをガードしようとして引いた瞬間、ミドルキックを中断し左膝での蹴りに切り替えた。
追いかけるように距離を詰めた蹴りをもろに受けた大樹は膝をついた。
「そこまで!お見事です六花」
「……」
男は六花に賞賛の言葉を贈ったが、六花はそれに一瞥するだけで言葉は返さなかった。
毎日こんな組手まがいのことを続けているとはいえ正式に訓練を受けた兵士ではない。技の威力などたかが知れているが、大樹は攻撃を避けられなかったことを悔しんだ。
「もう一度!もう一度だ六花」
「大樹!今日の授業はもう終わりです。ですが良い心意気です。もう一度はまた明日まで取っておいてください」
大樹は納得いかなそうにしていたが、施設内での喧嘩は固く禁止されている。苦虫をかみつぶしたような顔で「はい」と返事をした。
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