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青出 風太

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薄青の散る 28

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―ラーレ―

 コードネーム「ラーレ」。彼の本名は「春木はるき 香太こうた

  彼が組織にやって来たのは両親の育児放棄が原因だった。

 
 両親ともにIT技術者であり、父親は国内では名前を知らない者がいないほどの超大手IT企業に勤務していた。

 仕事を愛しているかのような人物で、ラーレが5歳で施設に入れられるまでに顔を合わせたのはほんの数回程度。家や家族に執着のない、まさに研究者気質な男で日々の生活を会社や研究室で過ごしていた。
 
 そんな生活をしていたものだから、ラーレは父の顔も朧気にしか思い出せない。好きな食べ物は何か、どんな音楽を聴くのかどころか、どんな話し方をするのかすら彼は覚えていない。


 それに比べて母親については少しだけわかることがある。IT関係の研究職だったが、家にいる時間は多かった。しかし、家にいると言っても炊事洗濯は大の苦手で、簡単な冷凍食品で少量の夕食を用意したらそれでおしまい。洗濯物は生乾きで、へやも汚かった。

 家事が終わったらそれらから逃げるように持ち帰ってきた仕事をこなすため幼いラーレを残して自室に駆け込んでいくような人物だった。

 当然、何をしているのか当時のラーレには理解できなかった。

 当時のことで覚えているのは暗い部屋の中にずっと一人でいたことと、いつまでも満たされることのない空腹感を抱えていたことだけ。

  そんな中でも毎日会うことのできる母親には声をかけていた。


「す、少し休みなよ?お母さん大変そう」


 しかし、母親は「これが完成したら誰もが幸せに暮らせるようになる。そのためなら自分が少し苦しいくらいなんてことない」と。

 そう言ってはラーレに構う暇もないと言わんばかりに慌ただしく家と会社を行き来し、毎日を過ごしていた。

 
 やがて父は年に一度も帰ってこなくなり、母親も研究が認められたとかで連日家を空けるようになった。

 
「……父さん、母さん。――――いつ帰ってくるんだよ」

 
 彼にとって"誰もが幸せに暮らせる世界"なんてものは、構ってほしい盛りの子どもの自分に比べればどうだってよかった。

 もう少し、自分を見てほしかった。なんだっていい。構ってほしかった。

 母親を気遣うような言葉をかけたが、本当は仕事よりも自分に構ってほしいというただの年相応のわがままだ。

 それをわかっていながらもラーレにできることは会うたび声をかけに行くこと。

 しかし、返ってきたのは「心配してくれてありがとう。母さんは大丈夫だから」という見当違いの答えだった。

 

 ラーレが家に一人取り残され、両親と連絡が取れなくなるのに時間はかからなかった。 

 彼が施設の職員に保護された時、体はやせ細り、暗い部屋の中で孤独に震え、いつ死んでもおかしくない危険な状態だった。

  だが、ラーレは彼らが話す夢を聞くことが好きだった。それだけが自分に構ってくれる瞬間だったからだ。その目が自分に向かっているのではないと分かっていてもこの瞬間だけが彼の救いだった。

 しかし、施設に入り、まともとはいえないまでもそれなりの生活が出来るようになるとその考えは一変した。

 両親が何をしていたのか、ラーレがそれを知ったのは施設に入ってから。

 両親は夢という曖昧な話はしていたが、具体的にどう人々を幸せにするのか、その手段や方法について話していなかった。

 幼いラーレは人を幸せにするという言葉から無意識にそれは良いことだと思っていた。両親が“それ”をして人を助けているのだと信じていた。それ以外のことは何もわからなくても両親の言うことは正しく、疑うという選択肢は出てこなかった。

 知らされたのはAIを搭載したロボットの研究開発が行われていると言うことと、両親はその研究開発に夢中になっていたことだ。


 AIを搭載したロボットの研究。それが自身から両親を取り上げたのだと思うと途端に憎いものに感じられた。

 

 ラーレのAIを憎む気持ちは他の工作員たちと根本が違う。大切な人との別れという事柄は同じでも事故や死別ではなく、夢に魅せられたことが要因となっていた。




―ラーレ―

「何やって……何やってんだよ!!母さん!!!」

 ライフルを握る手に力がこもる。呼吸は荒く、動悸がする。スコープの先にいる女性は思い出の中の面影を確かに残していた。騒ぐ心を制してスコープを再び覗き込むが、視界がブレて狙いが定まらない。

「っ!――クソッ!」

 指が震える。

 リエールはラーレの怒号に驚き、双眼鏡から目を離した。

(お、俺は……撃っていいのか?あの車を。あれは母さんだ。間違いない。そうだ、母さんなんだぞ!?)

「ラーレ?どうしました!?標的が狙撃ポイントに到着しました。狙撃を」

(なんで母さんなんだよ……他のだったら、俺と全く関係ない研究者なら誰だって撃つのに……なんでよりにもよって)

 ラーレは組織の工作員だ。当然AIの暴走から自分たちのような子どもを守るため戦うことを決意している。その戦いの中で命を落とすことになるかもしれないと心得ている。

 そのために、大を生かすために小を殺すことも仕方がないと割り切ってきた。

 しかし、突然現れた母親を前に動揺してしまった。

 ライフルを握る手が震え、音を立てる。照準の向こうに焦る母の顔を見る。あの研究施設から出てきたことは疑いようもない。研究施設としての機能を完全に停止させるために六花や他の工作員たちが大量の爆薬を仕掛けたあの施設にいたということになる。体が冷たい。気づけばラーレは全身に汗が滲んでいた。

「ラーレ!」
「――家族を捨ててまで……そんなに研究が大事かよ……」

「……は?」
「あれは……あれは!母さんなんだぞ!!!俺には……撃てない……」

「……わかりました」
 リエールは立ち上がり強引にラーレを押しのける。

「私だって親を撃てとは言いたくありません。私がやります」
「やめろ!それは――」

 次の瞬間、風を切り裂く轟音が静寂に包まれた森の中に響いた。



―ヘキサ―

「アンタ。勘が鈍って来たんじゃない?ほら、こっちよ、こっち」
「くっ!」

 六花は彼女の言葉に動揺していた。

(師匠に私以外の弟子……!?今までそんな話……っいや、今はそれどころじゃ)

 動揺のせいか、それとも先ほどまでの彼女は遊びで本気を出していなかったか。どちらが正解か今のっかに冷静に判断する余裕はない。

 辛うじて分かるのはナイフの冴えがまるで違うこと。太刀筋から息遣いに至るまでの全てが読めなくなっていた。

 気づけば逃げることよりも彼女の存在について思考をめぐらせていた。

「つッ……!」

 持ち前の動体視力と殺気を敏感に感じ取る直感でナイフを振るいなんとか致命傷だけを回避する。それだけで精いっぱいだ。

 六花はパーカーの下に防刃用装備を着込んでいるため重傷にはなっていないものの、致命傷になりえるもの以外を無視するしかないため、傷が見る見るうちに増えていく。身体のあちこちをナイフが掠り、服を赤く染めた。

 鋭い痛みに顔を顰める。六花の攻撃は全く当たらないままだというのに、彼女の攻撃は避けることも捌くことも難しくなってきた。

(マズイ!マズイ!!)

 早々にこの場から逃げ出さないといけないと焦れば焦るほど、隙が見当たらない。六花の思考容量には限界がある。

「ヘキササン!脱出シナイト!モウ時間ガ!」

 イヤホンからm.a.p.l.e.の泣きそうな声が非常事態であると訴えかけてくる。

「そんなこと分かってる!!!」

 しかし、ワイヤーを伸ばそうにもナイフを対処するのにいっぱいで余裕がない。彼女から意識を逸らしたらリロードの牽制は出来ない。本当に弾数が少なくなったのか彼女には拳銃を撃とうとする様子はない。

 ただでさえ、今の六花にはナイフを捌くだけでも大変だというのに。

(そこにまた拳銃まで増えたら私は――)

 決死の覚悟で彼女の左腕。拳銃目掛けてワイヤーを投げ放つ。

「せっかちね。甘えてんじゃないわよ!」

 彼女はにやりと笑みを浮かべながら半身になってワイヤーを躱し、斬り飛ばした。目の前で斬られたワイヤーが地面に落ちる。しかし、狙いは拳銃ではない。

 素早くワイヤーを切り払ったナイフを捉える。六花は散々ワイヤーでリロードを牽制してきた。彼女にとってワイヤーが目障りになる頃だ。ナイフで斬り落とせるかどうかはワイヤーの強度次第だが、彼女なら斬りに来るだろうと踏んだ。

 予想は間違っていなかった。あの体勢からの斬り払いならある程度太刀筋が読めて、斬り払った後の位置も想像しやすい。

 彼女のナイフをナイフで受け、そのまま絡め取って跳ね飛ばす。

(もらった……!)

 彼女はワイヤーを避けたせいで重心が後ろに寄っている。拳銃よりも六花の掌底の方が早い。六花は腕を振って仕込んだナイフのセーフティを外しながら手のひらを突き出す。

 ナイフを跳ね飛ばされた彼女は胴のガードが間に合わない。

「はぁ……っ!」

 胸部目がけて勢いよく掌底を繰り出す。同時に、袖から突き出たナイフが彼女に突き刺さる。

 ――はずだった。

「何度言わせるの?甘いって」

 彼女は寸手の所で六花の視界から消えた。身体をのけぞらせてバク転し、六花の掌底を避けたのだ。六花はナイフを躱された事で背後を取られてしまった。

 振り向きざまにスカートから2本目のナイフを振りぬいたが同時に腹部に鈍い痛みが走る。

「――かはッ!」

 彼女も無理な攻撃で体勢を崩していたが六花よりも立て直しが早く、すぐさま蹴りを放っていた。六花はそれをモロに食らってしまった。

(息が……出来ない)

 六花は焦って攻撃したせいで受け身を取るのが遅れた。今の膝蹴りは完全に六花の意識外からの攻撃だった。自然と身体がうずくまる。

(完全にあれは意識の外からだった。来ることすら察知できないなんてどうやって)

「ふぅ~~っあは。まさか腕にまでナイフを仕込んでるとはねぇ。この分だと足にもあるのかしら?」

「――!」

「さっき爪先で蹴ろうとしてたもんね。当たり?ビンゴ?」

「くっ……」

 彼女の勝ち誇ったような笑みに六花の視界は歪んだ。
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