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薄青の散る 21
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―ギプソフィラ―
〈ここのはずよ〉
「……」
ギプソフィラはエランティスの案内で目的の部屋に辿り着いた。
施設内部は、けたたましく鳴り響く警報音と東棟に向かって駆けていく足音で騒々しいくらいだが、この近辺に人の気配はない。
〈ここは他の部屋に比べてセキュリティが厳しく設定されてる。何かあるならここでしょうね〉
「すごいね。ハッカーってのはそういうのもわかるの?」
扉には取手の類がない。スライド式の自動ドアになっているようで、扉の隣の壁に端末が埋め込まれている。カードをかざして開錠するタイプのようだ。
六花の陽動が利いているのか、ほとんど警備と遭遇することもなくギプソフィラはこの部屋にたどり着くことができた。
この区画に到達できたのは今日が初めてだ。当然カードなど持っていない。
普段ならば施設職員から盗むなり、拝借したカードをもとに偽造したカードを作るなどして侵入するところだ。
(どうしようかな……今から他のところを漁るのは時間的に余裕が)
端末を前に悩んでいるとエランティスが遠隔操作で扉を開けた。
「へぇ。ここも開けられるの?追加料金は払わないよ?」
〈五月蠅い。さっさとしなさい。閉めるわよ〉
エランティスに急かされるまま部屋に足を踏み入れた。
中は空港や国際宇宙ステーションの管制室に近いレイアウトがなされていた。研究所の職員たちは先ほどから鳴り響いている警報で避難しているのだろう。人っ子一人いない部屋の中、青白い光を放つ画面だけが微かな音を立てながら点いていた。
天井から吊り下げられたディスプレイには人型ロボットのフレームが映し出されている。傍のタブには何かの数値がいくつも表示されていたが、ギプソフィラにはロボット工学系の知識はない。
(なーんも分かんね。まぁしゃーないか)
ディスプレイの奥にはガラス張りの壁があり、階下の一室を見渡すことができる。
「ロボットをあの部屋で動かして、データを取ってるみたいだね」
〈そのようね。……どのコンピュータでも良いわ。貴女USB持ってきてるんでしょ?データを吸い出してあげるから早く挿して〉
「もっと柔らかく言えないもんかね。そんなんじゃ嫌われるよ?」
ギプソフィラは軽口を叩きながらジャケットの内ポケットからUSBメモリを取り出し、端末に挿し込んだ。
データをコピーしている間、部屋の外に出るわけにもいかず、室内のキャビネットを開け書類に目を通していた。
だが、そのほとんどが専門用語で記された論文で、ギプソフィラがその場で理解することができたのは図が添えられたフレーム構造についてくらいだった。
強度の高いフレームを骨組みに使い、その上に筋肉のように電気信号で伸び縮みする特殊素材を噛ませ、一番外側に細かく分けられた外装を張る。
(うーん?人間の体みたいな感じ?)
ギプソフィラの疑問にこたえるかのように、論文には
『このフレーム構造を採用することで骨組みとは別に外装がスライドすることで人間に近い動きを再現することが可能になる』
と記されていた。
〈完了。もう抜いていいわよ〉
エランティスの声でギプソフィラは資料をキャビネットに戻した。
端末からUSBメモリを抜き取る。
〈結構なデータ量ね。無駄なデータもあるでしょうけど、いくつ無視していいのか、精査には時間がかかる。じっくり見るならここを出てからにするのが賢明でしょうね〉
「だね。コピーしてる時からちょくちょく見てたけど、私にはほ――」
そこまで言った時、ギプソフィラの耳に足音が聞こえた。
「シッ……静かに」
〈……誰か来たの?私のカメラには何も〉
(カメラに死角があったのか……?この足音だと部屋のすぐ外、10m内にいる……!?私が気づかないなんて)
ギプソフィラはメモリを握ったまま咄嗟に暗がりに身を隠す。出入り口を警戒しつつ、もう一方の手を内ポケットにあるアイスピックに添える。
彼女はあらゆる危機に対し身を潜め、対処してきた。
格闘戦の訓練を受けていないわけではないが、それが役に立った事は本当に数えるほどしかない。突然の敵出現に胸が早鐘を打つ。
(落ち着け……!今はあの子が施設内を逃げ回ってる。あっちがなんとかしてくれるはず)
だが、施設の中の騒動などまるで何も知らないかのように部屋の外を歩く足音は平常心を崩さない。一定のリズムで、リラックスしたような足取りだ。
扉が開く。入ってきたのは長い髪を二つにまとめた女性。迷いなく画面のついた端末に向かって歩み寄っていく。
(こっちに気づいた様子はない……か?)
音を立てながら片手でキーボードを叩いている。
陰から様子を伺うと施設の防犯カメラに接続しようとしているらしいことが分かった。
(ブロンド?金……?燻んでるのかあれ?逆光になっててよく見えない…‥クソっ)
敵にこちらの存在を気取られず、観察できる絶好のタイミングだと思ったギプソフィラだったが、ディスプレイの逆光になっていて全体像がハッキリとしない。
〈こっちからだと部屋が暗くて見えない。目の前の人は何をしてるか見える?〉
イヤホンからエランティスの声がする。部屋の中に入ったことで彼女を視認できるようになったのだろう。しかし、現場にいるギプソフィラから見ても様子を大雑把に把握することで精いっぱいだ。
(今答えられるわけないだろ……!?隠れてるんだぞ!まだ目の前にいるってのに!)
しかし、ギプソフィラは彼女がカメラに接続しようとしていることが確認できている。それに、彼女は一人だ。部屋の外から新たにこちらに向かってくる気配はない。
(……増援がいないなら不意をつけば)
アイスピックを握る手に力が籠る。幸いなことにこちらが背後をとっている。
今、まさに飛び出そうとしたその時。
「無駄に伸ばされたくなければそのまま隠れていることね」
声が部屋に響く。高く澄んだ声色だが、苛立ちを含んでおり、ギプソフィラはギョッとした。
明らかに目の前の女は隠れている"誰か"に向かって声を発していた。
(……バレた!?)
彼女は部屋の中を見回しながら話す。ギプソフィラの気配に気づきながらも場所の特定には至っていないらしい。
(クソっ!)
ギプソフィラは自分の隠密能力に自信があった。事実ギプソフィラが身を潜めていることに気づいたのは彼女が初めてだ。
出るに出られない。ギプソフィラは厳密には戦闘員ではないし、彼女の所属する組織は小規模だ。大それた戦闘作戦を決行する機会もない。
必然的に他の能力が求められ、戦闘能力に特化した教育はなされていなかった。
それよりも、隠れていることがバレたことの方が彼女に大きなダメージを与えた。
(ははっ、これじゃ負けじゃん)
女は戦闘体制こそとっていないが、カウンター狙いなのか常に片手がフリーだ。ギプソフィラが唯一優位を奪える不意打ちも今は通用するとは思えない。
見つかったらまず間違いなく殺されるという生きた心地のしない圧に呑まれ、彼女が誰なのか、どんな戦い方をするのかなど考える余裕すらなかった。
(出てってもやられるだけ……か)
彼女は苛立ちの混じった声を発しながらも、キーボードは正確に叩いている。苛立ちからかキーをたたく音が大きい。
(バレてるみたいだけど……アイツからしても私と戦いたくはないのか?)
ギプソフィラは彼女の様子から自分に構っている時間はないのだろうと踏んで、部屋を出ていくまで身を隠すことを選んだ。
ギプソフィラの見立て通り彼女は急いでいたらしい。一通り画面を確認したのち、画面をつけたまま部屋を出ていった。
「なんだったんだアイツ……」
〈なんとかやり過ごせたかしら?〉
エランティスに応えつつディスプレイに視線を向ける。
「あいつ、やっぱりカメラに接続しようとしてたんだ。画面もそのまま……」
映し出された場所は東棟だった。計画通りに進んでいるのなら六花の逃げているあたりの近くだ。
「これは――」
〈――ちょっと!?ステレコスは何やってたの!〉
イヤホンからエランティスの怒号が飛ぶ。
〈ここのはずよ〉
「……」
ギプソフィラはエランティスの案内で目的の部屋に辿り着いた。
施設内部は、けたたましく鳴り響く警報音と東棟に向かって駆けていく足音で騒々しいくらいだが、この近辺に人の気配はない。
〈ここは他の部屋に比べてセキュリティが厳しく設定されてる。何かあるならここでしょうね〉
「すごいね。ハッカーってのはそういうのもわかるの?」
扉には取手の類がない。スライド式の自動ドアになっているようで、扉の隣の壁に端末が埋め込まれている。カードをかざして開錠するタイプのようだ。
六花の陽動が利いているのか、ほとんど警備と遭遇することもなくギプソフィラはこの部屋にたどり着くことができた。
この区画に到達できたのは今日が初めてだ。当然カードなど持っていない。
普段ならば施設職員から盗むなり、拝借したカードをもとに偽造したカードを作るなどして侵入するところだ。
(どうしようかな……今から他のところを漁るのは時間的に余裕が)
端末を前に悩んでいるとエランティスが遠隔操作で扉を開けた。
「へぇ。ここも開けられるの?追加料金は払わないよ?」
〈五月蠅い。さっさとしなさい。閉めるわよ〉
エランティスに急かされるまま部屋に足を踏み入れた。
中は空港や国際宇宙ステーションの管制室に近いレイアウトがなされていた。研究所の職員たちは先ほどから鳴り響いている警報で避難しているのだろう。人っ子一人いない部屋の中、青白い光を放つ画面だけが微かな音を立てながら点いていた。
天井から吊り下げられたディスプレイには人型ロボットのフレームが映し出されている。傍のタブには何かの数値がいくつも表示されていたが、ギプソフィラにはロボット工学系の知識はない。
(なーんも分かんね。まぁしゃーないか)
ディスプレイの奥にはガラス張りの壁があり、階下の一室を見渡すことができる。
「ロボットをあの部屋で動かして、データを取ってるみたいだね」
〈そのようね。……どのコンピュータでも良いわ。貴女USB持ってきてるんでしょ?データを吸い出してあげるから早く挿して〉
「もっと柔らかく言えないもんかね。そんなんじゃ嫌われるよ?」
ギプソフィラは軽口を叩きながらジャケットの内ポケットからUSBメモリを取り出し、端末に挿し込んだ。
データをコピーしている間、部屋の外に出るわけにもいかず、室内のキャビネットを開け書類に目を通していた。
だが、そのほとんどが専門用語で記された論文で、ギプソフィラがその場で理解することができたのは図が添えられたフレーム構造についてくらいだった。
強度の高いフレームを骨組みに使い、その上に筋肉のように電気信号で伸び縮みする特殊素材を噛ませ、一番外側に細かく分けられた外装を張る。
(うーん?人間の体みたいな感じ?)
ギプソフィラの疑問にこたえるかのように、論文には
『このフレーム構造を採用することで骨組みとは別に外装がスライドすることで人間に近い動きを再現することが可能になる』
と記されていた。
〈完了。もう抜いていいわよ〉
エランティスの声でギプソフィラは資料をキャビネットに戻した。
端末からUSBメモリを抜き取る。
〈結構なデータ量ね。無駄なデータもあるでしょうけど、いくつ無視していいのか、精査には時間がかかる。じっくり見るならここを出てからにするのが賢明でしょうね〉
「だね。コピーしてる時からちょくちょく見てたけど、私にはほ――」
そこまで言った時、ギプソフィラの耳に足音が聞こえた。
「シッ……静かに」
〈……誰か来たの?私のカメラには何も〉
(カメラに死角があったのか……?この足音だと部屋のすぐ外、10m内にいる……!?私が気づかないなんて)
ギプソフィラはメモリを握ったまま咄嗟に暗がりに身を隠す。出入り口を警戒しつつ、もう一方の手を内ポケットにあるアイスピックに添える。
彼女はあらゆる危機に対し身を潜め、対処してきた。
格闘戦の訓練を受けていないわけではないが、それが役に立った事は本当に数えるほどしかない。突然の敵出現に胸が早鐘を打つ。
(落ち着け……!今はあの子が施設内を逃げ回ってる。あっちがなんとかしてくれるはず)
だが、施設の中の騒動などまるで何も知らないかのように部屋の外を歩く足音は平常心を崩さない。一定のリズムで、リラックスしたような足取りだ。
扉が開く。入ってきたのは長い髪を二つにまとめた女性。迷いなく画面のついた端末に向かって歩み寄っていく。
(こっちに気づいた様子はない……か?)
音を立てながら片手でキーボードを叩いている。
陰から様子を伺うと施設の防犯カメラに接続しようとしているらしいことが分かった。
(ブロンド?金……?燻んでるのかあれ?逆光になっててよく見えない…‥クソっ)
敵にこちらの存在を気取られず、観察できる絶好のタイミングだと思ったギプソフィラだったが、ディスプレイの逆光になっていて全体像がハッキリとしない。
〈こっちからだと部屋が暗くて見えない。目の前の人は何をしてるか見える?〉
イヤホンからエランティスの声がする。部屋の中に入ったことで彼女を視認できるようになったのだろう。しかし、現場にいるギプソフィラから見ても様子を大雑把に把握することで精いっぱいだ。
(今答えられるわけないだろ……!?隠れてるんだぞ!まだ目の前にいるってのに!)
しかし、ギプソフィラは彼女がカメラに接続しようとしていることが確認できている。それに、彼女は一人だ。部屋の外から新たにこちらに向かってくる気配はない。
(……増援がいないなら不意をつけば)
アイスピックを握る手に力が籠る。幸いなことにこちらが背後をとっている。
今、まさに飛び出そうとしたその時。
「無駄に伸ばされたくなければそのまま隠れていることね」
声が部屋に響く。高く澄んだ声色だが、苛立ちを含んでおり、ギプソフィラはギョッとした。
明らかに目の前の女は隠れている"誰か"に向かって声を発していた。
(……バレた!?)
彼女は部屋の中を見回しながら話す。ギプソフィラの気配に気づきながらも場所の特定には至っていないらしい。
(クソっ!)
ギプソフィラは自分の隠密能力に自信があった。事実ギプソフィラが身を潜めていることに気づいたのは彼女が初めてだ。
出るに出られない。ギプソフィラは厳密には戦闘員ではないし、彼女の所属する組織は小規模だ。大それた戦闘作戦を決行する機会もない。
必然的に他の能力が求められ、戦闘能力に特化した教育はなされていなかった。
それよりも、隠れていることがバレたことの方が彼女に大きなダメージを与えた。
(ははっ、これじゃ負けじゃん)
女は戦闘体制こそとっていないが、カウンター狙いなのか常に片手がフリーだ。ギプソフィラが唯一優位を奪える不意打ちも今は通用するとは思えない。
見つかったらまず間違いなく殺されるという生きた心地のしない圧に呑まれ、彼女が誰なのか、どんな戦い方をするのかなど考える余裕すらなかった。
(出てってもやられるだけ……か)
彼女は苛立ちの混じった声を発しながらも、キーボードは正確に叩いている。苛立ちからかキーをたたく音が大きい。
(バレてるみたいだけど……アイツからしても私と戦いたくはないのか?)
ギプソフィラは彼女の様子から自分に構っている時間はないのだろうと踏んで、部屋を出ていくまで身を隠すことを選んだ。
ギプソフィラの見立て通り彼女は急いでいたらしい。一通り画面を確認したのち、画面をつけたまま部屋を出ていった。
「なんだったんだアイツ……」
〈なんとかやり過ごせたかしら?〉
エランティスに応えつつディスプレイに視線を向ける。
「あいつ、やっぱりカメラに接続しようとしてたんだ。画面もそのまま……」
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