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青出 風太

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給仕は薄青 28

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―カメリア―

 カメリアはまず姉の殺された現場を洗い出すことにした。

 手がかりは黒服から受け取ったバインダー。ホリーの羽織っていた空色のカーディガンに黄色い花びらが付着していたと記されていた。

 花びらは色褪せていたが、ビオラらしい。

 都内でビオラが咲いている場所はとても珍しい。

 カーディガンに花びらがついたことにホリーが気づかなかったとしても、彼女の護衛をしていた黒服はそれに気づくはずだ。

 当日利用した経路は輸送班でないカメリアには知らされていなかったため、彼はなりふり構わず探し集めた「姉の仕事の記録」からそれを割り出した。

 経路と言っても一本道ではない。用心深いホリーのことだ、彼女の用意しそうな経路をあげてみるとキリがなかった。

 その中から「ビオラが植えられている公園またはその付近を通る経路」、「花屋の前を通過する経路」に絞って調べることにした。

 どの公園にビオラが咲いているか、そもそもどこに公園があるのかなど気にしたことがなかったカメリアは調査箇所を絞るだけで数日を要した。俺もまだまだだなと自身の力不足を痛感していた。



 カメリアが独自に調査を始め一週間も経つと、やはり司令部の目に留まってしまったようだ。

 街を歩き、現地を調査している最中スマホにライースから着信が入った。

〈ホリーの件で貴方が動くのは勝手ですが、潜入班の一員として本来の仕事を疎かにしないように〉

「はい」

 カメリアはライースから小言を言われていても、スマホで次に調べる場所への経路を見ていたり、今までに調査した箇所を整理していたりとまさに心ここに在らずといった様子だった。

 姉の死の真相を解き明かそうとしてのことだけではない。

 司令部は今回の件で情報を出し渋っている。更に彼らは裏でまだ何かを探っていることがあるのではないかとカメリアは勘ぐっていた。

 そうでなければ実の弟であるカメリアにすらホリーの殺害現場やその詳細が伝えられないのは不自然だ。

 何かを司令部が探っているのなら、ライースがホリーの遺体の前で「R1108式」と呟き、それを名前を持たない黒服に聞かれるということは本来あり得ないことだ。彼をあまりよく思っていないカメリアでもそんなヘマをする男ではないと理解している。

 では何故聞こえるように言葉を漏らしたのか。カメリアは悩むことなく、自身に調査させるためだろうと思い至った。司令部以外のチームは別の仕事で出払っていることが多く、人手が足りていないのだろう。

 司令部はいくら情報が少なかろうとカメリアはホリーの死の真相にたどり着くまで徹底的に調査を行うことを見越しているのだ。

 カメリアはライースの呟いた言葉が決して自分に向けられた温情などではないことを理解していた。利用されていることを承知の上で、調査をしている。

 時間が経てば経つほど証拠が失われていくことは明白。時間が惜しいカメリアは一刻も早く現場を特定しようとしていたのだから、本来の仕事が疎かになっていたのだ。

〈最近、連絡役の貴方が時間に来ないと『プロテア』から苦情をもらっています。今後も――〉

「――わかってます!気をつけますから!……では」

 そういってカメリアは一方的に通話を終了した。


 カメリアは潜入班に所属しており、あらゆる機関に潜伏する工作員と司令部をつなぐパイプ役を担っていた。姉が物の運び屋だとするならば、カメリアは生きた情報の運び屋だった。


 カメリアは本来の仕事をこなすため、都心から三駅ほど離れた閑静な住宅街にやってきた。

 時刻は19時を回るかといったところ。この前は定時連絡に遅れてプロテアの機嫌を損ねてしまったため、今日は少し早い時間に到着することにしていたのだ。

 仕事を終え家路につく人々を横目にプロテアのいる“各務かがみ家”を目指す。

 プロテアもカメリア同様潜入班に所属する工作員だ。

 彼女の容姿、所作、声色そのどれをとってもそれ単体で異性を惹きこむ魅力があった。中でも彼女の赤い瞳に見つめられるとNOとは言えなくなるような強烈な魔性の魅力を放っていた。

 特段の好意を持っていないカメリアも仕事のたび息を呑むほどのものだ。

 20代半ばから後半くらいの彼女は素の状態だと強気な口調が玉にキズだが、訓練生としての期間を知っているカメリアからすれば幾分か丸くなったと感じていた。

 各務の表札を確認して取り決めどおりインターホンを3回鳴らす。鳴らして数秒もしないうちに声が返ってきた。

 「おかえりなさい!今開けますね」

 カメリアは想像以上に甘えたような声が聞こえたことに意表を突かれながらも、これは彼女の機嫌が悪くなりそうだと思い憂鬱な気分になった。

「おかえりなさ……ってアンタか。開けて損した気分だわ」

 玄関のドアを開け姿を現したプロテアは赤いキャミソールに薄手の白いジャケットをひっかけ、黒のタイトスカートを履いていた。カメリアの顔を見るなりプロテアは肩を落とした。

「悪かったよ。前回時間どおりに来れなかったから今日は余裕持って早く来たんだけど」

十樹宏ときひろさんが帰ってきたのかと思ったじゃない。次からはインターホン1回にしてくれない?そしたらもう出ないから」

 彼女はドア横の壁に腕を組んで寄りかかった。彼女の横柄な態度を見ているとカメリアは自分のほうが2期先輩だということを忘れてしまう。

「用が済んだらすぐに帰るよ。そろそろ帰ってくるだろうし、機嫌直してくれって」

 プロテアの表情からは早く帰ってくれという気持ちがありありと見て取れた。

「大体アンタ……まぁいいわ。“愉快犯の件”と“細機利幸の後処理の件”はメモリにまとめてあるから。それ持ってさっさと帰ってよね」

 プロテアはジャケットのポケットからUSBメモリを取り出し、カメリアに投げて渡した。

「確かに受け取ったよ。また来る」

「はいはい」

 カメリアはそれ以上何を言うでもなく各務家を後にする。十メートルほど離れた時、ついさっきインターホンから聞こえたのと同じ甘えた声が背後から聞こえてきた。

「十樹宏さん!おかえりなさい。夜ご飯出来てますよ~!」



 カメリアは一ヶ月近くの時間を費やして様々な候補地を除外し、とうとう事件現場を割り出した。

 この路地は数回折れると反対側の大通りに出ることができるため、抜け道として使うことができるのではないかと考え見に来てみると、案の定地図にない小さな花屋を発見した。

 その花屋は屋外にも棚を設置しており、商品が道にはみ出していた。路地に入るときに棚を大きく避けなければ服に触れる可能性がある。

 もしやと思い様子をうかがってみるとバインダーの資料と同じ種類のビオラが売られていた。

 ビオラの花びらが数枚散っているところを見るにホリーがここを通ったことは間違いないだろうとカメリアは思った。

 しかし、そこに当時の惨状を思わせるようなものは何ひとつ残っていなかった。

 犯人の痕跡もここ数日で降った雨や風で採取は絶望的だった。そもそも、カメリアはこういった調査は本業ではない。

 現場を発見したのは良いが、手がかりが途絶えてしまったカメリアは自然と天を仰ぎ見た。気持ちの整理がつかず涙があふれそうになった。

 何ができるわけでもなかったが、衝動的に何かをしなければ気分が収まらなかったのだ。



 足元に視線を落とす。

「ここか……姉さん」

 「いち早くここにたどり着いていれば」「そもそもあの日姉に会いに行っていれば」そんな出来もしないタラレバを想像した。

 その時カメリアのスマホが鳴った。

〈今暇?僕だけど〉

 後輩のネペンスだった。

「あぁ大丈夫だ。現場を特定したけど手がかりになりそうなものは……悔しいけどなさそうだ」

〈そっか〉

「そっちから連絡してきたってことは何かわかったんだろ?教えてくれよ」

 ネペンスはその言葉を聞いて遠慮がちに話し始める。

〈R1108式戦闘法について分かったことから話す。文章そのままは送れないから今聞いて覚えてほしい〉

 カメリアが了解の意を伝えるとネペンスは口を開いた。


「オクタの作り上げたそれの要点はフェイントであること」

「瞬間的に強烈な殺意を一点に集めることで対象の意識を誘導し、意識の外から一撃で仕留めることを目的とした戦闘法であること」

「殺意に引き込まれなければその戦闘法が通用しないこと」

「現在使用者はR1108『オクタ』とその後継者であるR2612『ヘキサ』の二名がいること」

「その二名ともホリー殺害時の確たるアリバイは存在しないこと」
 などをネペンスは淡々と説明した。

〈次はこの二人を調べるの?だとしたら『ヘキサ』のほうじゃないといいなぁ。彼女は結構可愛いみたいだし。生で見れないかなぁ〉

「……君は一体何を言ってるんだ」

 カメリアはネペンスの態度に呆れた。そこで名前が出てくるということはそれなりの戦闘員ということ。容姿で油断すれば勝てるものも勝てなくなってしまう。

 カメリアはプロテアのことを思い出していた。

 彼女もその容姿に似合わずかなりの手練れだ。容姿は当てにならないことをカメリアは身をもって知っている。

「とりあえず、その二人をあたってみるよ。ありがとう」

〈あいあい。あとで僕の口座に入れといてね〉

「わかった」

 ネペンスが通話を切るのを待ちカメリアはスマホをしまった。日の差す大通りに出る。雑踏に紛れ、駅のほうへ歩き出した。

 一度帰って情報を整理しようと電話の内容を思い返していると、カメリアの耳に女性の声が聞こえてきた。

「助けて……!」

 雑踏の中、搔き消されなかったのが奇跡ともいえるほどの小さな声だった。

 カメリアは足を止めた。先ほどまでならばホリーの件に捉われて、足を止めることはできなかったかもしれない。今だって余裕があるわけではなかった。

 しかし、ここで足を止めたのは人のために戦おうとするカメリア本来の優しさだ。

 周囲を見渡し声の主を探す。

 すると少し先の路地に入っていく一組の男女を見つけた。

 男は革のジャンパーにニット帽をかぶっており、軟派そうな風体だった。女性のほうは長い金髪を低い位置で二つに結んでいたが、ほかにこれといった特徴がない。

 男は女性の肩に腕を回しており、ぱっと見はただのカップル然としていたが、女性の足取りは弱弱しく腰は引けて見えた。

(あいつ……!無理やり!)

 カメリアは二人の後を追って路地に入っていく。

 男は女性の手を掴み奥のほうへと引っ張り込んでいた。「離して」と女性は震える声で必死に抵抗していたが男は足を止めるそぶりを見せなかった。

「やめろよ!嫌がってるじゃないか」

 カメリアは男に駆け寄りその腕をつかんだ。

「なんだよお前、どっから」

「離してくれって言ってるんだ。彼女嫌がってるじゃないか」

 男が女性から手を離さないと見るやカメリアはつかんだ腕に力を入れると、男は痛みのあまり腕を引っ込めた。

 カメリアは庇うように女性の前に出た。

「さぁ、今のうちに――」

 カメリアが言葉を発するのと殆ど同時。背後からカメリアの腰部に鋭い痛みが走る。

 カメリアは膝から崩れ落ちた。
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