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第二章「新たな旅立ち」
第55話「シア」
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夕映えが、禍々しいほどの赤い色で空と雲を焦がす。船の上、ボルドーとその妻はじっと海を見詰めていた。海は太陽の光を乱反射し、キラキラと輝いていてる。風は穏やかで思索に耽るにはちょうどいい。
「さっきは感極まってしまったんだな」
ボルドーの言葉に妻は頷く。その瞳はまだ薄っすらと涙に濡れている。悲しい涙ではなく、嬉しい涙だとボルドーだけが理解していた。
「メイに会えた事も嬉しかった。けど、まさかあの子にも会えるなんて思ってなかったから。良い子に成長したのね……」
「ああ。苦労もあったと思うが、メイとは親友のようだ。二人が出会ったのは偶然ではないだろう」
そう言い切れる自信が二人にはあった。ただ、苦労させてしまったことには反省せざるを得ない。今更、どれだけ謝罪しても過去は変わらない。
「世界は、セグンダディオは何故あの二人を選んだのかしら。もっと、もっと平和な時代に産まれれば、こんな苦労をしなくても済んだのに」
「生きていれば、どこかで苦労するさ。人生はそういうものだ」
「あの二人は女の子よ。まだ子供なのよ? 幾らなんでも過酷すぎるわ。どうして……」
「わかっている。だが、俺たちは信じるしか無いんだ。あいつらはきっと成し遂げてくれる。そう、信じるしか無いんだ」
「無力ね、親という生き物は。娘が大変な時に何も力になってあげられないなんて」
運命を交代することもできず、何かを支援してやることもできない。副市長を退いたボルドーは退職金こそ手に入れたが、それも妻との生活費で消えていく。若い頃ならいざしらず、今は歳のせいで体力も落ち、視力も落ちた。モンスターと戦えるほどの力は無い。若い娘達の旅路にはついていけないだろう。
「親の励ましは子供にとって大きな力になるはずだ。この世界で俺達だけがあいつらの親だ。いつでも会えるように、抱きしめてあげられるように、今は体調を整えよう。特にお前はな」
「ええ、そうね。心配をかけさせるわけにはいかないからね」
二人は互いを抱きしめた。娘たちを信じてはいる。だが、力になれない自分たちが情けない。2人はそれを痛感していた。しかし、今は彼女たちを信じよう。生き抜いて行くことがきっと贖罪となる。そのためにも……。
「久しぶりね、ノノ。また会えて嬉しいわ」
「シア姉さん!」
何とも言い難い雰囲気が場を支配していた。とても、姉妹の感動の再会とは思えない。まるで、親の仇と出逢ったかのようだ。一触即発というのはこういうことを指すのだろう。ノノは彼女をキツく睨みつけた。だが、当の本人は涼しい顔をしている。
「自己紹介がまだだったわね。私はシア・スライル・シェリミー・クラムよ。よろしくね」
「お前がバズダブをやったんだな?」
梨音さんの問に「ええ」とシアはすんなり認めた。梨音は嫌悪感を露わにする。害虫に気分を害した時のような顔だ。露骨に嫌そうな顔をし、少しも隠そうとしない。
「どうしてアイツをやった?」
「メイちゃんには妹がお世話になっているからね。その恩返しよ」
「恩返しだと?」
梨音さんが更に語気を強めた。ほとんど喧嘩腰の彼女にシアは微笑を浮かべるだけだ。正直、知らない相手に着やすくメイちゃん呼ばわりされるのは気に食わない。だけど、今は黙っておく。誰もがシアの一挙手一投足に注目していた。
「あの男はメイちゃんにとってはストレスでしかない。妹の雇い主に必要のないストレスは溜めさせたくないの。まあ、死んでないから大丈夫よ」
「バズダブは助かるのか?」
「さあね。ま、毒の影響と半身不随で30年は入院でしょうね」
「なんだと!」
梨音さんは間髪入れずナイフで彼女を狙う。だが、シアはそれを軽々と避けた。普段は冷静な梨音さんだが。怒りを隠せず、その瞳は殺気に満ちていた。シアの方が実力は上だと理解しているはずだが、それでも、自分のバイトが傷つけられて我慢できなかったのだろう。
「アイツは竜殺しなんて言われてるが、それは相方の話だ。その相方もとっくの昔に死んでる。奴はもうメイと争う気はなかった。これからだって時に!!」
「そんな事どうでもいいの。私は妹の事と研究にしか興味ないから」
「男と妖精の里を出て行ったって聞いたけど?」
私の尋ねに「ああ」とシアは一瞬、目を細める。だが、首を横に振った。
「男との恋愛も楽しかった。でも、所詮は人間。妖精とは違う。寿命も生活習慣もね。それが少し馬鹿馬鹿しくなってね。今は研究に没頭することにしたの。マルディス・ゴア様の配下の下でね」
「マルディス・ゴアだと!?」
梨音さんは更に声を荒げた。今までマルディス・ゴアが復活しかかっているという噂はよく聞いた。けれど、実際にこうしてその配下についている者と出会うのは初めてだ。誰も彼もが驚きのあまり、声を出せない。
「それって確かベートとかいう犬の……」
理沙の言葉に「キャハハハ!」と少女みたいな笑い声を出すシア。好きなお笑い芸人のコントを見て笑うかのように、腹を抱えて涙さえ流している。
「あんな犬っコロ、下っ端よ、下っ端! 己を過信した挙げ句、仮面騎士様に歯向かい、殺されたわ。理沙ちゃん、もう少し頭使いなさい。それとも脳みそを胸に取られたのかしら? 栄養を取ってもきっと全部お胸に行くんでしょうね」
「し、失礼ッス!!ってゆうか、どうしてアタシの名前を!」
「私はなーんでも知ってるの。メイちゃん、理沙ちゃん、ミカちゃん、ジェーンちゃん、サラさん、梨音さんに、リュート君。全部調べたわ。妹の身近にいる人の事は全て調べてある」
あー、あー、こほんと咳払いをひとつ。そこから彼女の長い話が始まる。
「まずメイちゃんと理沙ちゃんは異世界・ニホンのオオサカから来た。二人は最初クラスメートだったけれど友達じゃなかった。でも、理沙ちゃんがゴハン行きたいのにみんなから用事で断られた。女の子たちはゴハンより男とのイチャラブに忙しかった。机で不貞腐れる理沙ちゃん。その光景を見たメイちゃんが一緒に行こうと理沙ちゃんに提案したのが付き合いの始まり。二人はそれからも色々なお店に行き、美味しい物を食べつつ、おしゃべりして、友好を深めたわ。正月にはハツモウデに行かず、歌合戦見て、深夜のマイナー映画を見て、メイちゃん姉とメイちゃん、理沙ちゃんの三人で仲良く過ごしたそうね」
まるで見てきたかのように話すシア。それは間違いなく私と理沙の馴れ初めだ。どうやって調べたというのだろうか? 咳払いしつつ、続ける。
「ジュケンベンキョウシーズンで二人は会える時間が激減した。二人はコウコウに合格するために必死に勉強した。1日10時間は勉強した。でも、メイちゃんは理沙ちゃんが気がかりで、土日の勉強の合間に“返信はいらない“と前置きしてから、自分の素直な気持ちをメールで送り、理沙ちゃんを励まし続けた。理沙ちゃんはそれに涙し、すぐにメールを保護した。返信したい気持ちを抑え、全力で勉強に取り掛かった。でも、土日は空気もゆったりだし、朝は勉強しなかった。そこでメイの家の近くまで歩いたそうよ。そして、心の中でメイにエールを送っていたそうよ」
「そ、そうだったんだ、理沙。知らなかった」
理沙は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしてへなへなと座り込む。正直、私も恥ずかしくて彼女の顔をまともに見れない。
「だ、誰にも話してないッスけど、その事! な、なんで知って……」
「理沙ちゃんは本当はメイちゃんと同じ学校行きたかったけど、家が母子家庭なのもあって金銭的に難しい。将来も考えて、公立で資格の取れる商業科にある学校を選ばざるを得なかった。そして二人は何故か異世界・ナイトゼナに来てしまう。それぞれ、セグンダディオ、ハルフィーナという武器を持って。理沙は最初寂しくて泣いてばかりいた。メイとまた会いたいとずっと泣いていた。っていうか、もう付き合えばいいのに」
「まるで見てきたかのように話すんだね。ストーカーみたい」
私の嫌味に何故か、シアは機嫌を良くした。塩対応されて喜ぶなんてマゾなのだろうか。
「ふふん、まだまだ知ってるわよ。理沙ちゃんだけじゃなく、ミカちゃんの事もね。こっちはメイちゃん達より簡単だった。つか、この子はまだメイ達に自分の過去を話してないわ。みんなも興味あるんじゃないの?実はね、彼女は……」
「やめて!!」
ミカちゃんは拳銃を突きつけた。涙目になりながら、銃口をシアに合わせる。でも、シアはため息をつくだけだった。
「あなたねぇ、メイ達には根掘り葉掘り聞いておいて、自分の過去はだんまりってどうなの? それで仲間だの、親友だの、よく言えるわね。普通、相手の事を聞いたら自分の事も多少なりとも話すのが普通でしょう? なのに、あなたはほとんど何も話していない。フェアじゃないわ」
「っ……」
ミカちゃんは痛い所を疲れたのか、顔を歪め、シアから視線を外した。銃口はそのまま、歯ぎしりして耐えていた。けれど、シアの饒舌な舌下はまだ続く。
「はん、メイちゃん、こんなのと友達になるより理沙ちゃんと結婚した方が良いわ。自分の過去を殆ど話さないで友達面してるなんてムカつくのよ。でも、ミカちゃんはハブられたり、仲間はずれにされてぼっちになりたくない、以前のように戻りたくない。だから、全力でメイちゃんを肯定する。メイちゃんのすることに反対なんかしない。単なるイエスマン。いいえ、それ以下。そんなの友達って言えるの?」
「それ以上、ミカちゃんの悪口言わないで」
私はセグンダディオを抜刀していた。怒りが全身に込み上げてくる。幾ら何でも聞いていられなかった。
「相手の事を全部、何もかも訊かなきゃ、友達じゃないの?」
「フェアじゃないって言ってるのよ。メイちゃんは異世界にいた事も、戦う理由も話したでしょう? でも、ミカちゃんはだんまりよ。それでもいいの?」
「いいよ、別に。過去の事を知らなくても今のミカちゃんを見てれいれば、どういう人かわかるから。辛い過去があったとしても、それを無理に話す必要はないよ」
「メイ……」
「それにミカちゃんは約束してくれた。いつか必ず話すって。だから、私は彼女の決心がつくまでは何も聞かないつもり。あなたみたいに人のことを情報だけで知って、ズカズカと土足で心に踏み入るような真似はしない。私の友達は私が選ぶの」
ミカちゃんは涙を流しながら、こちらを熱く見詰めていた。誰にだって話したくないこと、言い出し辛いことはある。何もかも、全部を話す必要など決して無いのだ。私はミカちゃんがいつか話してくれることを信じている。彼女自身から言い出すまで私は何も聞かないつもりだ。シアは面白くなさそうにやれやれとため息をついた。
「ま、そうしたいならそうしなさい。喋り疲れたし、今日はこの辺で帰るわ」
「テメェ、待ちやがれ!」
そこで梨音さんがナイフで懐を狙う。シアはその場から動かずにいた。だが、ダメージを与えることはできなかった。何故なら、指一本で受け止められていたからだ。
「ぬ……ぐ……」
渾身の力を込めるが、ナイフは少しも動かない。すぐにシアに取り上げられ、刃先を足の膝で折り、捨てられた。キツく睨み付けるが、シアはやはり涼しい顔だ。
「フン。メイちゃん達ならともかく、ろくに剣も握らない女のナイフなんて造作もないわ。言っておくけど、私は妖精……女王様の右腕にもなれる才能に溢れた才女。得意科目は科学関係だけど、力だって相当な物なのよ」
「へっ、よくそこまで自画自賛できるな。控えめで優しい妹とは大違いだ。テメェは見かけは良いが、性格は最低最悪のクズ女だ」
「フン。仕事にしか生き甲斐を感じられない生き遅れが、デカイ口叩いてんじゃないわよ。黙って男とエロいことでもしてな、オ・バ・サ・ン♡」
シアの強烈な蹴りが梨音さんの腹へと叩き込まれる。梨音さんは吹っ飛び、壁を壊して、外へと放り出された。すぐに駆けつけるが、既に気を失っていた。
「姉さん、あなたって人は。こんなことをして何が楽しいの!」
激高するノノにシアは鼻を鳴らす。妹の言葉に微塵も動揺していないようだ。心まで冷徹なのだろうか、この女は。
「これでも加減したほうよ。さっさと病院に連れていきなさいな。骨はイっちゃってるだろうけど死にはしないわ」
「師匠、梨音さんを病院へ!」
「ええ!」
「アタシも行くっス!」
サラ師匠と理沙で梨音さんを抱え、病院へと連れていく。まだセグンダディオは抜刀したままだ。ノノには悪いが、少しお灸を据えないといけない。言ってわからない奴には実力をもって教えるしかない。
「よくもやってくれたわね。次は私が相手よ」
「冗談。私は戦闘は好きじゃないの。セグンダディオ相手に勝てるとも思えないしね。はしたなく戦うなんて趣味じゃないのよ。そろそろお暇させてもらうわ」
「怖くなって怖気づいたの?」
「ええ、そうよ」
あっさりと認めるシアに少し拍子抜けした。だが、怯えや恐怖は彼女の瞳からは感じられない。演技しているのかもしれないが、動揺しているようには見られない。
「でも、セグンダディオには興味があるわね。ぜひ採取して調べてみたいわ。けど、おしゃべりタイムはここまで。次はお土産を持って遊びに来るわ」
シアは何事もなく去っていこうとした。今、私怨で斬り裂いても特に問題はないはずだ。殺さなければいいだけなのだから。だが、ノノのいる手前、それは憚られた。
「ノノ、あんた回復魔法が得意なのはいいけど、攻撃魔法が苦手ね」
「な、なにを……」
「苦手かもしれないけど、放っておいても強くならないわよ。守りたい人がいるなら努力して威力を上げなさい。後で後悔するその前にね。さっきの魔法解呪は見事だったけど、それだけで魔力が枯渇してちゃ駄目よ。もっと修練を積むことね」
「……っ」
その言葉にノノは何も言い返せなかった。シアはそう言い残すと扉の外に消えた。追いかけたものの、外にはもう誰もいなかった……。
梨音さんの怪我はそれほど重い物ではなかったが、骨にヒビが入っており、1週間の入院を余儀なくされた。お店はしばらく休むそうだ。バズダブはシアの見立てよりも更に悪く、治る見込みは非常に薄いと医者は言う。意識も戻っておらず、現在は植物人間の状態になっているそうだ。でも、別に彼に同情している訳でもないし、悲しいという感情は起こらない。
やや複雑な感情が胸に渦巻くがどうしようもない。でも、姉を説得できるのは妹だけだ。ノノならきっと何とかしてくれるだろう。今はそれを信じたい。
病院からの帰り際、師匠は私にこう言った。
「明後日から修行を始めるからね」
「さっきは感極まってしまったんだな」
ボルドーの言葉に妻は頷く。その瞳はまだ薄っすらと涙に濡れている。悲しい涙ではなく、嬉しい涙だとボルドーだけが理解していた。
「メイに会えた事も嬉しかった。けど、まさかあの子にも会えるなんて思ってなかったから。良い子に成長したのね……」
「ああ。苦労もあったと思うが、メイとは親友のようだ。二人が出会ったのは偶然ではないだろう」
そう言い切れる自信が二人にはあった。ただ、苦労させてしまったことには反省せざるを得ない。今更、どれだけ謝罪しても過去は変わらない。
「世界は、セグンダディオは何故あの二人を選んだのかしら。もっと、もっと平和な時代に産まれれば、こんな苦労をしなくても済んだのに」
「生きていれば、どこかで苦労するさ。人生はそういうものだ」
「あの二人は女の子よ。まだ子供なのよ? 幾らなんでも過酷すぎるわ。どうして……」
「わかっている。だが、俺たちは信じるしか無いんだ。あいつらはきっと成し遂げてくれる。そう、信じるしか無いんだ」
「無力ね、親という生き物は。娘が大変な時に何も力になってあげられないなんて」
運命を交代することもできず、何かを支援してやることもできない。副市長を退いたボルドーは退職金こそ手に入れたが、それも妻との生活費で消えていく。若い頃ならいざしらず、今は歳のせいで体力も落ち、視力も落ちた。モンスターと戦えるほどの力は無い。若い娘達の旅路にはついていけないだろう。
「親の励ましは子供にとって大きな力になるはずだ。この世界で俺達だけがあいつらの親だ。いつでも会えるように、抱きしめてあげられるように、今は体調を整えよう。特にお前はな」
「ええ、そうね。心配をかけさせるわけにはいかないからね」
二人は互いを抱きしめた。娘たちを信じてはいる。だが、力になれない自分たちが情けない。2人はそれを痛感していた。しかし、今は彼女たちを信じよう。生き抜いて行くことがきっと贖罪となる。そのためにも……。
「久しぶりね、ノノ。また会えて嬉しいわ」
「シア姉さん!」
何とも言い難い雰囲気が場を支配していた。とても、姉妹の感動の再会とは思えない。まるで、親の仇と出逢ったかのようだ。一触即発というのはこういうことを指すのだろう。ノノは彼女をキツく睨みつけた。だが、当の本人は涼しい顔をしている。
「自己紹介がまだだったわね。私はシア・スライル・シェリミー・クラムよ。よろしくね」
「お前がバズダブをやったんだな?」
梨音さんの問に「ええ」とシアはすんなり認めた。梨音は嫌悪感を露わにする。害虫に気分を害した時のような顔だ。露骨に嫌そうな顔をし、少しも隠そうとしない。
「どうしてアイツをやった?」
「メイちゃんには妹がお世話になっているからね。その恩返しよ」
「恩返しだと?」
梨音さんが更に語気を強めた。ほとんど喧嘩腰の彼女にシアは微笑を浮かべるだけだ。正直、知らない相手に着やすくメイちゃん呼ばわりされるのは気に食わない。だけど、今は黙っておく。誰もがシアの一挙手一投足に注目していた。
「あの男はメイちゃんにとってはストレスでしかない。妹の雇い主に必要のないストレスは溜めさせたくないの。まあ、死んでないから大丈夫よ」
「バズダブは助かるのか?」
「さあね。ま、毒の影響と半身不随で30年は入院でしょうね」
「なんだと!」
梨音さんは間髪入れずナイフで彼女を狙う。だが、シアはそれを軽々と避けた。普段は冷静な梨音さんだが。怒りを隠せず、その瞳は殺気に満ちていた。シアの方が実力は上だと理解しているはずだが、それでも、自分のバイトが傷つけられて我慢できなかったのだろう。
「アイツは竜殺しなんて言われてるが、それは相方の話だ。その相方もとっくの昔に死んでる。奴はもうメイと争う気はなかった。これからだって時に!!」
「そんな事どうでもいいの。私は妹の事と研究にしか興味ないから」
「男と妖精の里を出て行ったって聞いたけど?」
私の尋ねに「ああ」とシアは一瞬、目を細める。だが、首を横に振った。
「男との恋愛も楽しかった。でも、所詮は人間。妖精とは違う。寿命も生活習慣もね。それが少し馬鹿馬鹿しくなってね。今は研究に没頭することにしたの。マルディス・ゴア様の配下の下でね」
「マルディス・ゴアだと!?」
梨音さんは更に声を荒げた。今までマルディス・ゴアが復活しかかっているという噂はよく聞いた。けれど、実際にこうしてその配下についている者と出会うのは初めてだ。誰も彼もが驚きのあまり、声を出せない。
「それって確かベートとかいう犬の……」
理沙の言葉に「キャハハハ!」と少女みたいな笑い声を出すシア。好きなお笑い芸人のコントを見て笑うかのように、腹を抱えて涙さえ流している。
「あんな犬っコロ、下っ端よ、下っ端! 己を過信した挙げ句、仮面騎士様に歯向かい、殺されたわ。理沙ちゃん、もう少し頭使いなさい。それとも脳みそを胸に取られたのかしら? 栄養を取ってもきっと全部お胸に行くんでしょうね」
「し、失礼ッス!!ってゆうか、どうしてアタシの名前を!」
「私はなーんでも知ってるの。メイちゃん、理沙ちゃん、ミカちゃん、ジェーンちゃん、サラさん、梨音さんに、リュート君。全部調べたわ。妹の身近にいる人の事は全て調べてある」
あー、あー、こほんと咳払いをひとつ。そこから彼女の長い話が始まる。
「まずメイちゃんと理沙ちゃんは異世界・ニホンのオオサカから来た。二人は最初クラスメートだったけれど友達じゃなかった。でも、理沙ちゃんがゴハン行きたいのにみんなから用事で断られた。女の子たちはゴハンより男とのイチャラブに忙しかった。机で不貞腐れる理沙ちゃん。その光景を見たメイちゃんが一緒に行こうと理沙ちゃんに提案したのが付き合いの始まり。二人はそれからも色々なお店に行き、美味しい物を食べつつ、おしゃべりして、友好を深めたわ。正月にはハツモウデに行かず、歌合戦見て、深夜のマイナー映画を見て、メイちゃん姉とメイちゃん、理沙ちゃんの三人で仲良く過ごしたそうね」
まるで見てきたかのように話すシア。それは間違いなく私と理沙の馴れ初めだ。どうやって調べたというのだろうか? 咳払いしつつ、続ける。
「ジュケンベンキョウシーズンで二人は会える時間が激減した。二人はコウコウに合格するために必死に勉強した。1日10時間は勉強した。でも、メイちゃんは理沙ちゃんが気がかりで、土日の勉強の合間に“返信はいらない“と前置きしてから、自分の素直な気持ちをメールで送り、理沙ちゃんを励まし続けた。理沙ちゃんはそれに涙し、すぐにメールを保護した。返信したい気持ちを抑え、全力で勉強に取り掛かった。でも、土日は空気もゆったりだし、朝は勉強しなかった。そこでメイの家の近くまで歩いたそうよ。そして、心の中でメイにエールを送っていたそうよ」
「そ、そうだったんだ、理沙。知らなかった」
理沙は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしてへなへなと座り込む。正直、私も恥ずかしくて彼女の顔をまともに見れない。
「だ、誰にも話してないッスけど、その事! な、なんで知って……」
「理沙ちゃんは本当はメイちゃんと同じ学校行きたかったけど、家が母子家庭なのもあって金銭的に難しい。将来も考えて、公立で資格の取れる商業科にある学校を選ばざるを得なかった。そして二人は何故か異世界・ナイトゼナに来てしまう。それぞれ、セグンダディオ、ハルフィーナという武器を持って。理沙は最初寂しくて泣いてばかりいた。メイとまた会いたいとずっと泣いていた。っていうか、もう付き合えばいいのに」
「まるで見てきたかのように話すんだね。ストーカーみたい」
私の嫌味に何故か、シアは機嫌を良くした。塩対応されて喜ぶなんてマゾなのだろうか。
「ふふん、まだまだ知ってるわよ。理沙ちゃんだけじゃなく、ミカちゃんの事もね。こっちはメイちゃん達より簡単だった。つか、この子はまだメイ達に自分の過去を話してないわ。みんなも興味あるんじゃないの?実はね、彼女は……」
「やめて!!」
ミカちゃんは拳銃を突きつけた。涙目になりながら、銃口をシアに合わせる。でも、シアはため息をつくだけだった。
「あなたねぇ、メイ達には根掘り葉掘り聞いておいて、自分の過去はだんまりってどうなの? それで仲間だの、親友だの、よく言えるわね。普通、相手の事を聞いたら自分の事も多少なりとも話すのが普通でしょう? なのに、あなたはほとんど何も話していない。フェアじゃないわ」
「っ……」
ミカちゃんは痛い所を疲れたのか、顔を歪め、シアから視線を外した。銃口はそのまま、歯ぎしりして耐えていた。けれど、シアの饒舌な舌下はまだ続く。
「はん、メイちゃん、こんなのと友達になるより理沙ちゃんと結婚した方が良いわ。自分の過去を殆ど話さないで友達面してるなんてムカつくのよ。でも、ミカちゃんはハブられたり、仲間はずれにされてぼっちになりたくない、以前のように戻りたくない。だから、全力でメイちゃんを肯定する。メイちゃんのすることに反対なんかしない。単なるイエスマン。いいえ、それ以下。そんなの友達って言えるの?」
「それ以上、ミカちゃんの悪口言わないで」
私はセグンダディオを抜刀していた。怒りが全身に込み上げてくる。幾ら何でも聞いていられなかった。
「相手の事を全部、何もかも訊かなきゃ、友達じゃないの?」
「フェアじゃないって言ってるのよ。メイちゃんは異世界にいた事も、戦う理由も話したでしょう? でも、ミカちゃんはだんまりよ。それでもいいの?」
「いいよ、別に。過去の事を知らなくても今のミカちゃんを見てれいれば、どういう人かわかるから。辛い過去があったとしても、それを無理に話す必要はないよ」
「メイ……」
「それにミカちゃんは約束してくれた。いつか必ず話すって。だから、私は彼女の決心がつくまでは何も聞かないつもり。あなたみたいに人のことを情報だけで知って、ズカズカと土足で心に踏み入るような真似はしない。私の友達は私が選ぶの」
ミカちゃんは涙を流しながら、こちらを熱く見詰めていた。誰にだって話したくないこと、言い出し辛いことはある。何もかも、全部を話す必要など決して無いのだ。私はミカちゃんがいつか話してくれることを信じている。彼女自身から言い出すまで私は何も聞かないつもりだ。シアは面白くなさそうにやれやれとため息をついた。
「ま、そうしたいならそうしなさい。喋り疲れたし、今日はこの辺で帰るわ」
「テメェ、待ちやがれ!」
そこで梨音さんがナイフで懐を狙う。シアはその場から動かずにいた。だが、ダメージを与えることはできなかった。何故なら、指一本で受け止められていたからだ。
「ぬ……ぐ……」
渾身の力を込めるが、ナイフは少しも動かない。すぐにシアに取り上げられ、刃先を足の膝で折り、捨てられた。キツく睨み付けるが、シアはやはり涼しい顔だ。
「フン。メイちゃん達ならともかく、ろくに剣も握らない女のナイフなんて造作もないわ。言っておくけど、私は妖精……女王様の右腕にもなれる才能に溢れた才女。得意科目は科学関係だけど、力だって相当な物なのよ」
「へっ、よくそこまで自画自賛できるな。控えめで優しい妹とは大違いだ。テメェは見かけは良いが、性格は最低最悪のクズ女だ」
「フン。仕事にしか生き甲斐を感じられない生き遅れが、デカイ口叩いてんじゃないわよ。黙って男とエロいことでもしてな、オ・バ・サ・ン♡」
シアの強烈な蹴りが梨音さんの腹へと叩き込まれる。梨音さんは吹っ飛び、壁を壊して、外へと放り出された。すぐに駆けつけるが、既に気を失っていた。
「姉さん、あなたって人は。こんなことをして何が楽しいの!」
激高するノノにシアは鼻を鳴らす。妹の言葉に微塵も動揺していないようだ。心まで冷徹なのだろうか、この女は。
「これでも加減したほうよ。さっさと病院に連れていきなさいな。骨はイっちゃってるだろうけど死にはしないわ」
「師匠、梨音さんを病院へ!」
「ええ!」
「アタシも行くっス!」
サラ師匠と理沙で梨音さんを抱え、病院へと連れていく。まだセグンダディオは抜刀したままだ。ノノには悪いが、少しお灸を据えないといけない。言ってわからない奴には実力をもって教えるしかない。
「よくもやってくれたわね。次は私が相手よ」
「冗談。私は戦闘は好きじゃないの。セグンダディオ相手に勝てるとも思えないしね。はしたなく戦うなんて趣味じゃないのよ。そろそろお暇させてもらうわ」
「怖くなって怖気づいたの?」
「ええ、そうよ」
あっさりと認めるシアに少し拍子抜けした。だが、怯えや恐怖は彼女の瞳からは感じられない。演技しているのかもしれないが、動揺しているようには見られない。
「でも、セグンダディオには興味があるわね。ぜひ採取して調べてみたいわ。けど、おしゃべりタイムはここまで。次はお土産を持って遊びに来るわ」
シアは何事もなく去っていこうとした。今、私怨で斬り裂いても特に問題はないはずだ。殺さなければいいだけなのだから。だが、ノノのいる手前、それは憚られた。
「ノノ、あんた回復魔法が得意なのはいいけど、攻撃魔法が苦手ね」
「な、なにを……」
「苦手かもしれないけど、放っておいても強くならないわよ。守りたい人がいるなら努力して威力を上げなさい。後で後悔するその前にね。さっきの魔法解呪は見事だったけど、それだけで魔力が枯渇してちゃ駄目よ。もっと修練を積むことね」
「……っ」
その言葉にノノは何も言い返せなかった。シアはそう言い残すと扉の外に消えた。追いかけたものの、外にはもう誰もいなかった……。
梨音さんの怪我はそれほど重い物ではなかったが、骨にヒビが入っており、1週間の入院を余儀なくされた。お店はしばらく休むそうだ。バズダブはシアの見立てよりも更に悪く、治る見込みは非常に薄いと医者は言う。意識も戻っておらず、現在は植物人間の状態になっているそうだ。でも、別に彼に同情している訳でもないし、悲しいという感情は起こらない。
やや複雑な感情が胸に渦巻くがどうしようもない。でも、姉を説得できるのは妹だけだ。ノノならきっと何とかしてくれるだろう。今はそれを信じたい。
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