87 / 111
狩猟大会⑧
しおりを挟むアベラルドとローウェンに支えられた状態で会場に戻ったシュヴァルツは全身血に濡れており、腹部から血が溢れ止まらない。よく見ると鋭い爪で抉られた形跡がある。悲鳴と同等の声でシュヴァルツの名を上げながらも側に駆け寄り、治癒魔法を掛け始めたルチアを静かに見守る。
「フェレス」
「シャルル」
傷口を見て考えられる獣は狼か二足歩行型の巨大蜥蜴、あるいは凶暴熊辺りと幾つかの候補を挙げたフェレスに傷も無ければ服に汚れも付着していないシャルルが側にいた。
「獲物は?」
「もう渡した。それより、かなりの大怪我を負っているな」
「何があったか見てないんだ」
「違う場所にいたからな。……ところで」
治癒魔法を使い、傷を癒すルチアが焦りの表情を浮かべている姿に対し目を細めた。明らかに治癒の力が劣化している。本来なら瞬く間に塞がる傷口から未だ血は止まらず、シュヴァルツの顔から血の気が消えていく。焦るばかりでは治癒魔法の効果が表れないと神官が落ち着かせるも、見たことのない大怪我を負い、瀕死のシュヴァルツを早く助けたい気持ちが上回り治癒魔法への集中力が欠けている。
「シュヴァルツっ、いや、嫌よ! なんで、血が、血が止まらないのっ」
大粒の涙がいくつもシュヴァルツの傷口に落ちていく。
「妖精族の中には、涙で傷を癒す種族がいたな」
「人間達が沢山狩って極端に数を減らしてくれたお陰で他の妖精族にも大迷惑だったね。彼等を狩った人間は、悉く僕が屠ったけどさ」
さらりと恐ろしい言葉を言ってのけ、平然としているフェレス。聞いているシャルルも然り。唯一、そんな妖精がいたとは知らなかったセラティーナは「その妖精達は今どうしているの?」と訊ねた。
「人間が決して足を踏み入れられない安全な場所にいるよ。人間は同族だろうが妖精だろうが何でも狩る。妖精は人間は狩っても同族は狩らない主義なんだ」
「そ、そうなのね」
「そうだよ。……ねえセラ。気のせいかな、王太子がこっちに来ているのだけど」
「え」
フェレスに言われて見ると確かにローウェンが此方に——セラティーナを見ながらやって来た。
「王太子殿下? どうなさいました」
「セラティーナ嬢っ、シュヴァルツを助ける為に君の魔力をルチアに貸してほしいんだ」
「私の魔力をですか?」
「君も知っての通り、他者の強い魔力を借りることで魔法の効果を上げられる。今のルチアの魔力では、シュヴァルツの怪我を塞げないんだ。だから君の——」
「おかしくないかい?」
切羽詰まった様子で語るローウェンに対し、ルチアに魔力を貸す貸さない以前にある点について気になりどう口を挟むか思考していたセラティーナの前にフェレスが立った。
「魔力を貸すなら、王太子殿下、君でも十分事足りる」
「勿論そうだ! だがセラティーナ嬢の魔力濃度や魔力量は私よりも上。よりルチアの力となると踏んで」
王族に産まれる者は強い魔力と濃い魔力濃度を持つ。王太子であるローウェンも例外ではない。セラティーナが上だと譲らないが、王族のローウェンが魔力を貸しても十分ルチアの力となりシュヴァルツを助けられる。
「セラティーナ嬢、いくらカエルレウム卿の求婚を受け入れたと言っても、君はまだシュヴァルツの正式な婚約者なんだ。婚約者としてシュヴァルツを助ける義務が君はある!」
「義務、ですか」
「そうだ!」
以前から感じてはいた。
ローウェンはセラティーナがシュヴァルツの婚約者でいるのを快く思っておらず、寧ろ、親友が毎回ルチアを優先している姿を咎めず何なら微笑まし気に見ていた。今回は王国と帝国、両国の関係を考慮して帝国の皇女と婚約してしまったが為にルチアがシュヴァルツと婚約出来なかった負い目があるのだろう。セラティーナがいると知りながら、二人の関係を良しとしていたローウェンは瀕死のシュヴァルツを救うルチアの手助けをするのは当然だと思い込んでいる。
自分が正しいと信じているローウェンへ急速に感情が無となっていく。
「君は馬鹿なの?」
「なっ」
王太子殿下、と発しかけたセラティーナの声を遮ったのはフェレスの一言。絶句するローウェンに呆れた濃い青が向けられる。
「良いことを教えてあげよう。神官達も気付いていないようだけれど、聖女の能力は明らかに劣化しているよ」
「何を根拠に!」
「散々セラティーナ嬢を貶めた挙句、この間は母親と揃って詐欺紛いの行為をしたそうじゃないか。清らかな心を持つことで力を保つ聖女だからこそ、踏み越えてはならない一線に足を踏み入れた瞬間から力は減少していく」
心から反省し、深い後悔をセラティーナの前に示し、謝り、許しを受け入れられ、神への信仰をより強くしていれば聖女の能力は劣化せず瞬く間にシュヴァルツの傷を癒していた。
呆然とするローウェンにそんな簡単なことも知らないのかと嗤い、興味を失くした目で治癒を続けるルチアへ目をやった。
「完全に能力は消えていないなら、時間は掛かるだろうが傷は塞がる。後は聖女の魔力が保つかどうかだ」
「な……なら、尚の事、セラティーナ嬢は力を貸すべきだ」
「君はそう言うけど、あの聖女は絶対にセラティーナ嬢の力は借りないよ。意地でも自分の力で彼を治してみせるだろうさ」
「……」
もう用はないでしょう、とくるりと指で丸を描いたフェレスの動きに呼応するようにローウェンの体が回れ右をした。フラフラとした足取りで渦中へ行くローウェンを見送った。
「王太子は聖女が好きなようだね」
「分かるの?」
「分かるよ。どうする? シャルル」
王太子の婚約者はシャルルの娘である第二皇女エステリーゼ。完全なる政略結婚である二人の婚約を今更無かったことにはしないと言うのがシャルルの意見。何より、元々エステリーゼの方も他に好きな相手がいる。結ばれないながらも婚約を受け入れた。
国の為に、皇女として。
「王太子殿下は、親友であるシュヴァルツ様と片思いしているルチア様が一緒になれる日を夢見ていたのね……」
道理でシュヴァルツとルチアの仲を歓迎していたように見えていたわけだと納得してしまう。
「だが、良い発見もあった。今さっきのあれで私も無理だと思っていた野望が叶えられそうだ」
急に楽し気な声を出したシャルルの視線の先には、険しい表情で王太子やルチア達を見つめる父ジグルドがいた。多分だが、先程のセラティーナへの仕打ちも見ていたに違いない。
結局、ローウェンの魔力を借りながらもルチアの魔力が底を尽く前にシュヴァルツの傷は癒えた。治癒が進められている間にも『狩猟大会』の結果は出た。
優勝者は——リザードマンを捕らえたシュヴァルツであった。
アナウンスがされた瞬間、濃い青の瞳が半眼でシャルルと後からやって来たフィリップに移った。
「ああ残念だシャルル。君とは長い付き合いだったが今日でお別れだ」
「しないしさせないからな! ふむ……自信はあったんだがな」
二メートルは優に超えるリザードマンを捕らえた代償が瀕死の重傷だと、あまりに重い。シャルルやフィリップが捕らえたのは同じ大きさの熊。
違いについてだが、リザードマンは体内に大きな魔石を蓄えていた。その点がシュヴァルツの優勝に大手を掛けた。
傷は塞がっても意識が戻らないのを考慮し、優勝者に授けられる栄誉は後日にすると国王が発表。栄誉を与える相手はシュヴァルツの目が覚め、本人の口から希望者を聞いてからとなった。
話を聞いた直後、ルチアがセラティーナに向き勝ち誇った笑みを見せつけた。大方、選ばれるのは自分だと言いたいのだろうがセラティーナにとっては最早関係がない。シュヴァルツとて、瀕死の自分を助けたルチアから栄誉を授ける役割を求められれば応じる。
「あの聖女は、本当に能力を失うかもしれないね」
「シュヴァルツ様の傷の治癒具合を見て大聖堂側も危機感を持つと良いのだけれど」
「持ってはいるんじゃないかな」
ほら、と促された先で見たのは神官に注意を受けるルチアの姿。不満げを露わにしているが神官から何かを告げられるとかなり渋々引き下がった。
大方、先程のセラティーナへの態度を見て危機感を煽られたのだろう。
国王の閉会の言葉と共に『狩猟大会』は終わった。
この後はグリージョ公爵邸にて身内だけの細やかなパーティーが開かれる予定。シュヴァルツの意識が戻っていなくても、是非参加をしてほしいとアベラルドに言われている。
去る間際、アベラルドの目がいやにフェレスを見ていたような気がしてならない。フェレスは気付いていない振りをし、姿が見えなくなるとセラティーナに「僕の心配は無用だよ。必ずセラの許に帰って来るから」と囁き、国王と言葉を交わすシャルルやフィリップの許へ行ってしまった。
不安な気持ちは残ったままでも、パーティーには参加する。
「セラティーナ」
「お父様」
今年初めて参加する父に呼ばれ、共に会場を後にした。
馬車には既にエルサが乗っており、グリージョ邸に到着したら一旦エルサをプラティーヌ邸へ送り届け、再び馬車はグリージョ邸に戻ってくる。
「グリージョ様があんな大怪我をなさるなんて、捕らえたリザードマンがとても強かったのですね」
「どうせ、功を焦るあまり冷静さを欠いていたのだろう」
辛辣なジグルドの言葉には一理ある。セラティーナとの関係修復の第一歩として『狩猟大会』に拘っていた筈のシュヴァルツは、多少の無理をしてでもリザードマン捕獲に執念を燃やし、結果捕らえたはいいものの大怪我を負う不幸に遭った。
「セラティーナ。今からグリージョのパーティーに参加する訳だが不用意な行動はするな。出来るだけ、人の多い場所にいろ」
「お父様、それは」
「人がいない場所にいたら、人目がないからと頭の足りん輩に絡まれるだけだ。それが嫌なら大人しく人の多い場所でジッとしていることだ。お前は得意だろう」
夜会でよく壁の花になっているのを遠回しで言われているのだろう。余計な口を挟もうものなら二倍三倍の口数を出されてしまい、仕方なくセラティーナは頷くだけにした。
グリージョ邸に着くとセラティーナとジグルドの二人が降り、エルサを乗せて馬車は発車した。
一人プラティーヌ邸へ戻るエルサは、御者に街へ寄ってほしいと頼んだ。長くはならないからと御者に言い聞かせ、道を変更させた。
「お父様とお姉様が戻ったら、一緒に食べましょうって誘ってみましょう」
自身で取引を開始させたスイーツ店のスイーツはどれも美味しく、二人にも味を沢山知ってほしい。街への道を移動開始した直後、馬車に異変が起きた。
激しい揺れが発生し、バランスを崩したエルサは席から倒れてしまった。「どうしたの!? 何が起きたの!?」と声を上げるが御者と馬の悲鳴が響き、外で尋常ではない事態が起きていると判断。揺れが収まるのを待って外へ出るとした、ら。
「!!?」
天上や壁、床から多数の蔦が出現しエルサの体に巻き付いていく。悲鳴を上げる間もなく口を塞がれ、強い力で外へ引き摺り出された。
298
お気に入りに追加
8,592
あなたにおすすめの小説

私を侮辱する婚約者は早急に婚約破棄をしましょう。
しげむろ ゆうき
恋愛
私の婚約者は編入してきた男爵令嬢とあっという間に仲良くなり、私を侮辱しはじめたのだ。
だから、私は両親に相談して婚約を解消しようとしたのだが……。



【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~
瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)
ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。
3歳年下のティーノ様だ。
本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。
行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。
なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。
もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。
そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。
全7話の短編です 完結確約です。

(完)貴女は私の全てを奪う妹のふりをする他人ですよね?
青空一夏
恋愛
公爵令嬢の私は婚約者の王太子殿下と優しい家族に、気の合う親友に囲まれ充実した生活を送っていた。それは完璧なバランスがとれた幸せな世界。
けれど、それは一人の女のせいで歪んだ世界になっていくのだった。なぜ私がこんな思いをしなければならないの?
中世ヨーロッパ風異世界。魔道具使用により現代文明のような便利さが普通仕様になっている異世界です。

お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た

罠に嵌められたのは一体誰?
チカフジ ユキ
恋愛
卒業前夜祭とも言われる盛大なパーティーで、王太子の婚約者が多くの人の前で婚約破棄された。
誰もが冤罪だと思いながらも、破棄された令嬢は背筋を伸ばし、それを認め国を去ることを誓った。
そして、その一部始終すべてを見ていた僕もまた、その日に婚約が白紙になり、仕方がないかぁと思いながら、実家のある隣国へと帰って行った。
しかし帰宅した家で、なんと婚約破棄された元王太子殿下の婚約者様が僕を出迎えてた。

【完結】愛されていた。手遅れな程に・・・
月白ヤトヒコ
恋愛
婚約してから長年彼女に酷い態度を取り続けていた。
けれどある日、婚約者の魅力に気付いてから、俺は心を入れ替えた。
謝罪をし、婚約者への態度を改めると誓った。そんな俺に婚約者は怒るでもなく、
「ああ……こんな日が来るだなんてっ……」
謝罪を受け入れた後、涙を浮かべて喜んでくれた。
それからは婚約者を溺愛し、順調に交際を重ね――――
昨日、式を挙げた。
なのに・・・妻は昨夜。夫婦の寝室に来なかった。
初夜をすっぽかした妻の許へ向かうと、
「王太子殿下と寝所を共にするだなんておぞましい」
という声が聞こえた。
やはり、妻は婚約者時代のことを許してはいなかったのだと思ったが・・・
「殿下のことを愛していますわ」と言った口で、「殿下と夫婦になるのは無理です」と言う。
なぜだと問い質す俺に、彼女は笑顔で答えてとどめを刺した。
愛されていた。手遅れな程に・・・という、後悔する王太子の話。
シリアス……に見せ掛けて、後半は多分コメディー。
設定はふわっと。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる